〜0815僕と彼女のキーワード〜
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〜あらすじ
時代を超えた運命的恋愛と別れ。
それでも人は また運命の流れと共に出会いを繰り返す。〜
仕事から帰ると公子が夕飯の支度をしていた。
僕は小さな町役場の水道課で働いている。
名前は浦野竜也。
「竜也さんおかえりなさい。」
「ただいま。」という毎日を当り前に受け入れていた。
公子は僕の大切な人だった。
名前は八島公子。
登録ヘルパーをしている。
〜でも、僕達が一緒に暮らし始めたのは、一体いつからなのだろう。それがどうしても、思い出せない。気付くと側にいた〜
僕達は8月15日、同じ日に生まれた。
今日は、二人の誕生日。
定時で終る僕より、勤務時間が不規則な公子へ僕は水玉模様のペアグラスを用意した。
公子がヘルパーを担当しているのは、ここから歩いて五分程の所にある92歳のお婆さんの家だ。
僕が一番安らぎを感じ、何より公子が最高の笑顔を見せてくれる瞬間は、このボロアパートの6畳と4畳半の繋がった和室の窓を全開にした時だ。
まるで映画のスクリーンに写し出された様な大きな河、その名も大橋河。
緑の土手が続く美しい景色。
そこに、どこか懐かしさを感じさせる草の匂いのする風が部屋中を駆け巡る時だ。
その時の公子は本当に美しく輝いて見える。
夕飯が出来上がり、二人でテーブルに座った時、僕はペアグラスを並べてバースデーソングを歌った。
「素敵。とても素敵。割らない様に大切に直しておかなきゃ。」と慌てる公子に
「大袈裟だな。せっかくだから使わなきゃ。」と僕は笑った。
「あ、そうだ。明日この河で花火大会があるじゃん。行かないか?」と誘うと
「窓から見えるじゃない。」と、素っ気無い返事がきた。
「公子の浴衣姿が見たいんだよ。出店もあるし行こうよ。」というと、
「わかったわ。明日、ミヤちゃんちから早めに帰って用意して待ってる。」
そうだ。公子は92歳になる波多中ミヤ子のヘルパーだが、ミヤ子さんとはすぐに打ち解けて仲の良い友達の様だと話していた。
「キミちゃん」、
「ミヤちゃん」と呼び合っているらしい。
元々、心臓が弱く右足を引きずっている為に少し離れて暮らす息子さんが同居を勧めるが、住み慣れたこの美しい景色の見える場所から出たくないと何度も断られているらしい。
そんなミヤちゃんを仕事とは関係なく、公子はとても大切にしていた。
「ねえ。ミヤちゃん、今日、この河で花火大会があるの聞いた?」ミヤ子は、
「へぇ、もうそんな頃かね?」とニコやかに微笑んだ。
「彼が、浴衣姿が見たいって。でも、良く考えたら私、浴衣なんて持ってないのよ。」
公子が困っていると、ミヤ子はベッドから起き上がり何やらタンスをあさり始めた。
タンスを開けたり閉めたりしながら何かを探している。
「さて、後はと・・・」と一生懸命だ。
ミヤ子が両手に抱えて持ってきた物、それは白地に紺色の鮮やかな椿模様という如何にも高そうな浴衣と、藤色の帯だった。
「私が若い時に使っていた物だけど、キミちゃん位の歳の子が着ると、とても栄えるのよ。良かったら着てちょうだい。下駄もあるし。」と公子の前に差し出した。
「いつも有難うね。お婆さんになってしまった私にはキミちゃんにこの位の事しか出来ないけれど…。」と、ア然とする公子に優しく微笑んだ。
仕事から帰宅した竜也は、窓際で夕暮れの風を浴びながら
「竜也さんおかえりなさい。」と照れた様にうつむきながら笑う浴衣姿の公子に、心の底から見とれた。
「めちゃくちゃ可愛い。」と駆け寄って力一杯抱き寄せた。薄暗くなり始めた空にパーンパーンと花火大会開催の合図が鳴り響いた。
土手には、既に見物客で溢れかえっていた。「あぁ、もう良い場所は取られちゃってるね。」と言って竜也が公子に目をやると、青ざめた表情で震えている。
竜也は心配して公子の顔を覗き込み、
「どうした?気分でも悪いの?」と聞いた。
公子は
「ううん。大丈夫よ。どうしたのかしらね・・・私ったら。多分、竜也さんと一緒だから緊張してるのね。」と笑ってみせた。 「なんだか、いつもは静かなこの土手にこんなに人が集まると怖いわ。」と公子はポツリと呟いた。
「そうか?じゃあ、花火大会が終わるまで僕は君を守らなきゃね。」とふざけた。そして震える公子の手をギュッと握って
「はぐれない様に この手を絶対に離すなよ!」と、真剣な顔で言った。
公子は
「えっ?」と、言ったままキョトンとして竜也にうなずいた。
花火大会が終盤に差し掛かろうという時、
「あ!いけない・・・私、ミヤちゃんにカキ氷を持って行ってあげる約束をしてたの。まだあるかしら。」キョロキョロとカキ氷の出店を探す公子に、
「ここで待ってて。僕が買ってくるよ。」と言った瞬間、最後の大きな大輪の菊の様な花火がドドーンと連発で上がった。
「きゃあ!」公子は竜也にしがみついた。
「離すなって言ったじゃない!」公子は、その場に座り込んで泣き出してしまった。
「公子?どうした?分かったから泣かないで。カキ氷は諦めよう。」公子は竜也に手を引かれアパートへ戻った。
しかし、アパートに戻ってすぐに公子は竜也に
「やっぱりダメ。カキ氷買わなきゃ」と、言い出した。
「どうして? 顔色悪いし、泣き出すし、もう片付け始めてる店もあるのに・・・」竜也は困った顔をして公子を見た。
公子は、必死に
「約束なの。ミヤちゃんとの約束なの。」とポロポロと大粒の涙を流した。
「ミヤちゃん、イチゴのカキ氷が好きなの。自分で買いに行けないでしょ?楽しみにしてるねって嬉しそうに笑ったの。だから・・・だから・・・私、どうしても。」
竜也は呆れた表情で、
「そうだな、大事な友達だもんなぁ。」と、公子の頭を優しく撫でた。
「ごめんなさい。」顔をクシャクシャにして泣いている公子に、
「いいよ。公子は本当に優しいんだな。早く行こう。店、無くなるよ。」と、公子の手を取って土手へ向かった。
「大丈夫、結構片付けてない店がまだある。急ごう!この手を離すなよ!」
と笑いながら言う竜也に公子は、またキョトンとして黙ってうなずいた。
「すみません。まだ出来ますか?」と、開いているカキ氷屋に竜也が声をかけた。
店のオジさんは
「あいよ!何にする?」と言ってくれて、公子と竜也は同時に
「イチゴ!」と叫んだ。
カキ氷のカップを左手で持ち、公子が右手を差し出した。 「ねぇ、この手を絶対に離すなってもう一度言って」と言うと、
「カキ氷持ってるのにコケるぞ。」ケラケラ笑う竜也に公子は
「やっぱり3度目はないんだね。」と呟いたが竜也の耳には入っていなかった。
「これ、ミヤちゃんに届けてくるね。」と言うと
「まだ、見物客が多いから僕も行くよ。また泣き出して座り込んだらカキ氷が溶けちゃうし。」と竜也がからかった。
そして、ミヤ子の家へ二人で向かった。
ミヤ子の家が見え始めると公子が言った。
「お客様かしら、部屋の電気が全部ついてる。」
「じゃあ、これどうする?」と竜也がカキ氷を指差した。
「う〜ん。どうしよう。お客様なら渡すだけ渡して帰ろう。」と公子は歩き始めた。
玄関のチャイムを数回鳴らすと、
「はぁい」とミヤ子が出てきた。
「あら、まぁ、お揃いで。」とミヤ子は優しく微笑んだ。公子は、
「ミヤちゃん、お客様?」と訪ねた。
「いいえ。」とミヤ子は答えた。
「せっかく二人で来てくれたんだもの。上がってちょうだいな。」とミヤ子が家に入れてくれた。
「ミヤちゃん、これ」と公子がカキ氷を渡すと、
「まぁ、美味しそう。食べるの勿体ない」と子供の様な顔をした。
「食べないと溶けますよ。」と竜也が言うと
「そうね。」と一口食べた。
「美味しい。何十年ぶりかしら」とペロリと食べてしまい、
「キミちゃん、竜也さんありがとう。」と丁寧に頭を下げた。
公子が、
「ミヤちゃん、部屋の電気が全部ついてるけど、どうしたの?」と聞くと、
「花火は綺麗だけど、どうしても一人であの音を聞くとダメね。」と溜め息をついた。
「もう何十年も経つのに、思い出してしまうの。怖がりなお婆さんね。」と笑った・・・。
でも、僕にはミヤ子さんが悲しくて切なそうに見えた。公子に目をやると、僕と同じ事を思ったのかは分らないけれど、涙ぐんでミヤ子さんを見つめていた。
「そう。怖かったの。ゴメンネ。」とミヤ子さんの手の甲をさすった。
そんな公子を見て僕は大人げ無く、少しヤキモチを妬いた。
「ねぇ、竜也さん?この河の向こうに製鉄所があるでしょう。今は綺麗だけどね、ここは空襲跡地なのよ。」と何故か僕に聞いてきた。
「そうらしいですね。今は、死んじゃって居ないけど祖母から聞いた事はあります。」と、答えるとミヤ子さんは昔の話を語り始めた。
「戦争中の話だから分からないのは当り前だけどね。」
公子は黙ったままだった。
「今でこそ、この河に緑が沢山あるけれど、ここは一面焼け野原だったの。食べられる草は皆、摘まれて土手の脇も、草一本残っていなかった。戦争が激しくなるにつれて配給も無くなった。」何が言いたいんだろう?僕にはミヤ子さんが分らなかったが、黙って聞いた。
「私には、息子が一人いるけれどミルクの変りに片栗粉を飲ませて育てたのよ。そんな息子も立派に育ってくれて。製鉄所は、6月19日に爆撃されたわ。変な話だけど、爆弾がヒューヒューと落ちる音が美しくてね、それこそ打ち上げ花火の様な音よ・・・。」それが怖くて、部屋中の電気をつけていたのか・・・
何で公子は黙ったままなんだ?
ミヤ子さんの話はまだ続いた。
「私は息子を抱いて防空壕へ走ったんだけど、ふと振り返ってみると空が真っ赤だった。あんなに赤い空は見た事ないよ。防空壕に入ったんだけど息子がハイハイしだしたばかりで何度引きずり込んだ事か。それで、息子がまだ小さいからと製鉄所から離れた隣村の親戚の家に暫く預けたのよ。ウチと違って大きな防空壕があったしね。」と、吹き出した。
「花火は大好きよ。でもね、あのドーンと胸にくる音はダメね。夫が亡くなるまでは、足の悪い私にカキ氷を買って来てくれた。思い出の味なのよ。」と言ってカキ氷のカップを両手で包み込む様に持ち下をむいた。
「キミちゃん、竜也さん、ありがとうね。」とまた深く頭を下げた。
朝が来た。
テーブルの上には朝食の玉子焼きと冷めた味噌汁と焼海苔が手紙と一緒にあった。
「昨夜のミヤちゃんが気になるので今日は、少し早く出ます。ちゃんと食べて下さいね。行ってきます。」
竜也は、重くため息をついて手紙をテーブルに叩く様に放った。
「何が思い出の味だよ!何十年前の話だよ!公子はヘルパーの仕事だろ?今、何時だよ!勤務時間にもなってないじゃん!公子は私情を入れ過ぎだよ!」
僕は、完全にミヤ子さんと公子に嫉妬していた。僕は僕で公子に大切な用があったからだ。用意されていた朝食をガツガツと口に放りこんだ。
竜也が出勤する8時15分。 公子はミヤ子さんの家の掃除をしていた。
「毎日、掃除しなくていいのよ。どうせ年寄りの一人暮らしなんだから。」と足を引きずりながら
「冷たい麦茶を入れたわ。休憩してちょうだい。」とベッドがある一番奥の縁側にグラスを置いてくれた。
「昨日は、カキ氷ありがとうね。くだらない思い出話まで聞かせちゃって・・・竜也さん、まぁ良く喋る婆さんだって呆れてたでしょ?ごめんなさいね。」と苦笑しながら
「でも」と一差し指を立てて
「キミちゃんは、やっぱり洋服より着物の方が似合うわね。浴衣姿の美しかったこと。」と、孫を見る様な目をした。
「ありがとう。でも・・・」急に公子が真剣な顔になった。
「ミヤちゃん、花火・・・怖かったの?」と公子が語りだした。
「私もね、私も、本当は凄く怖かったの。 何か、何かね、打ち上げる音がして・・・そしたら隠れてしまいたくて。花火が暗い空の中でドーンと開くと私と竜也さんを目掛けて飛んでくる様な感覚がして・・・土手には人が沢山いるし、それで竜也さんと一緒に逃げたくなって。竜也さん、ミヤちゃんから貰った浴衣を見て凄く喜んでくれたのよ。人混みの中、この手を絶対に離すなよ!って言ってくれたの。それなのに、私は泣いちゃって竜也さんの事を困らせて・・・来年もミヤちゃんにカキ氷届けられるかな?今度は絶対に竜也さんの事、困らせたりしないの。楽しかったねって言うの。」
顔を上げてミヤ子を見た公子はビックリした。
ミヤ子が涙を流していた。「どうしたの?私、ミヤちゃんが悲しくなる様な事、言っちゃったの?」
ミヤ子は首を左右にふった。
「どうりで・・・あのカキ氷が美味しかったはずよ。」そう言って涙を拭った。
「火の中、水の中って言葉があるけれど、キミちゃんは火の中に飛込んで買って来てくれたわけだ。竜也さんに感謝しなきゃね。」と、微笑んだ。
そして
「キミちゃんも、そのうちに気付くわ。」と、言った。公子が不思議そうに
「何を?」と聞いても、ミヤ子は黙って笑っているだけだった。
時間は、あっという間に過ぎて公子はミヤ子の夕食の準備を済ませると、
「ミヤちゃん、また明日ね。」と言って家に帰った。
竜也が帰宅すると、夕飯がテーブルにペアグラスと並べてあった。
繋がった部屋の窓を全開にして、河を眺めながら
「竜也さん、おかえりなさい」と公子が窓際に立っていた。
白地に紺色の椿模様の浴衣を着て土手から入る風に束ねた髪の後れ毛が揺れていた。
「どうしたの?」と竜也は口をポカンと開けて公子を見つめた。 「昨日のやり直し。花火はもう上がらないし、出店もないけど、もう一度浴衣姿を喜んで欲しくて。」と照れ笑いした。
竜也は静かに公子に近付き優しく抱き寄せた。大きな腕の中に公子は顔をうずめて
「ずっとこのままがいい・・・」と言った。すると竜也は
「今の言葉、信じていい?」と公子の顔を見た。
公子は何も言わずに、竜也の背中に回した手に力を入れた。
大きな河に緑の土手が続く美しい景色を後ろに、気付けばどちらからともなくキスをしていた。
竜也は
「本当は、綺麗な花火の下でって考えていたんだけど・・・」と真剣な瞳をして、いつもより凛々しい顔で言った。
「僕達、結婚しないか?」公子は驚いた。
「えっ?今、何て言ったの?」
「だから、結婚しよう!もう、この手を絶対離さないから。泣かせたりしないから。」
公子は両手で口を押さえて
「あったんだ。3度目・・・」と言った。
「3度目?何のこと?」と竜也は聞いたが、公子は涙を流しながら首を横にふった。
「本当に本気なの?」と公子が聞くと竜也は公子の瞳からそらす事なく、うなずいた。
「いい?」と竜也が公子に聞くと
「お願いいたします。」と返ってきた。
「やったぁ!」
竜也はガッツポーズをしてみせた。今まで竜也が見せた事のない最高の笑顔で、もう一度公子を抱きしめた。
いつの間にかテーブルに置いてある夕食も忘れて二人は朝まで何度もお互いを確かめた。 「死んでも君を離さないから。ずっと守るから。」と竜也は公子の額に軽くキスをした。
公子は
「そんな事、もう知ってる。」と竜也の胸に顔をうずめた。
「明日、婚姻届け取ってくるよ。」
「えっ。明日?」
と公子はビックリした。
竜也が微笑むと、公子は、
「私は彷徨ってた。いつから竜也さんの元に来たのかさえ記憶がない。でもずっと前からこんな風に生活する事は夢見ていた気がする。あなたを愛する事は決っていたのね。」竜也も同じ事を思った。
あの日、
「あら、竜也さんおかえりなさい」と言った公子を大切な人だと思った事が頭に浮んだ。
「婚姻届けは、本人だけじゃダメなんだ。公子さえ良ければミヤ子さんに書いてもらえないかな?きっと喜んでくれると思うんだけど。」公子は笑顔でうなずいた。
うなずいた公子を見て竜也の心が揺れた。〜何なんだ。この胸騒ぎは・・・分らない・・・〜 淋しさと愛しているという今までにない感覚。
「公子?離れないでくれ・・・」切なそうな竜也に公子が優しい声で言った。
「竜也さんは、人の魂が何度でも再生されるって信じる?」「そんな事、考えた事ないけど。」
公子は笑いながら
「そうだよね。魂なんて全ての人に分かる訳ないし天国や地獄の話をいくら話されても、写真を撮ってきた人も私は見た事ないし。」と言うと、
「急に何の話?僕達の結婚の話とズレてないか?」そんな竜也の言葉に、
「最後まで聞いて・・・」と公子は続けた。
「いくら、死んでこの体が無くなったとしても、どんな形でも運命は続くと思う。私は竜也さんを自ら探さなくても出会ったの。
もし、私が無くなってもどんな形でも、私は必ず再生してまた竜也さんを愛する。離れられるハズないと思うの。」一時の沈黙の後、
「僕もだ!」竜也は目を潤ませた。公子もじっと竜也の目を見た。
「間違える事なんて出来ないわ・・・」公子が、そう言うと竜也は公子を愛している自分に、また竜也の事を心から愛してくれている公子への感動で涙をこぼした。「見るなよ!恥ずかしいだろ!」照れ隠しで公子を抱きしめた。
公子は、竜也の腕の中でクスクスと笑って
「大丈夫よ。」と竜也の背中に手を当てた。優しくて温かい手だった。
「ただいま〜!」と竜也はいつもより弾んだ声で帰ってきた。
「おかえりなさい。なんだか嬉しそうね」と公子が言うと、竜也はバックから婚姻届けを取り出した。
「本当だったんだ・・・」公子は笑顔の中にも険しい顔といった言葉では表現出来ない複雑な顔をして
「いつ書くの?」と婚姻届けを見つめながら言った。
「今日のつもりだったけど、悪かったかな?」と、しょんぼりしながらバックにしまおうとする竜也に
「ううん・・・大丈夫。ミヤちゃん、私が結婚するって言ったらどんな顔するかな? 言わなくても既に分かってるかしら・・・」と、言う公子に、
「いくら大切な友達だって、そんな事まで分かるかよ!」と竜也は声を出して笑った。
「ミヤちゃんは、分かってるのよ・・・全部。自分の事も、私の事も。」と、淋しそうに笑った。僕は何も言わなかった。いや、何故だか何も言えなかった。
二人で婚姻届けにサインした。
「これ、出したら、八島公子は浦野公子だね。」と竜也は満足そうだったが、公子はサインした婚姻届けを表情一つ変えずに、ジーッと見つめたままだった。
そして、スクッと立ち上がると
「よし。ミヤちゃんちに行ってくる」と言った。
「もう、暗くなり始めてるよ。明日も仕事で会うだろ!」と竜也が止めると
「今日の事は、今日のうちに。」と、出て行ってしまった。
〜ねぇ、公子? 僕が君と結婚する事を望まなければ、ずっとこのまま一緒に居られたの? でもさ、たとえ形が変っても僕達は出会うはずだったんだろ? 何度、生まれ変わっても見つけるんだよね〜
竜也は、婚姻届けを出す事をためらっていた。
何日も置きっ放しにしてあるのに、公子から
「出さないの?」の一言なかった。
ミヤ子の家に行くと言って出て行った日から、なんとなく公子が変っていく気がした。
「ただいま」と帰宅しても
「おかえりなさい」と言う公子は毎日、河を眺めていてた。
公子の
「おかえりなさい」が、河に向けられている様に感じた。
ミヤ子さんの話題もあまり出さなくなった。 〜公子はどうしたんだろう〜
僕も、どうしたのかな・・・。
部屋に居たはずの公子が、土手に下りて歩いている様に見えたかと思い、ハッ!と気付けば、やっぱり部屋に居たり。
夕飯の支度をしている公子がボヤけて揺れている様に見えたり。
普通に喋ったり、一緒に寝たりしているのに。
でも、窓際に座っている公子が美しい河の景色に吸い込まれる様に霞んでダブって見えてきた。そんな毎日が続き、僕は、急に込み上げてきた恐怖感で、体中が震えた。
そして、喪失感に焦った。気付いたら震えながら公子に抱きついていた。
「竜也さん?どうしたの?何かあったの?」と公子は心配そうに聞いた。
「僕から消えないよね?このまま君が消えるんじゃないかって・・・一緒に居るよね?ずっと側にいてくれよ!生まれ変わってもとか、どんな形でもとかじゃなくて、僕は今の公子が好きだよ。」竜也は、最近の公子の様子を説明した。
すると、公子は
「竜也さん、最近は、お仕事大変なんでしょ。疲れているんじゃないの?お医者様に診てもらったら?」と、言われて気付いた。
この頃、公子が先に家に居る方が多い。
「ミヤ子さんは、調子どうなの?話題に上がらないけど。」
「そうね。いつもと変らない様に見えるけどベッドの上で過ごす時間が多くなったわ。」と、淋しそうに答えた。
「そうなんだ・・・。」
僕は、次の日眼科へ行ったが、特に異常はなく公子の言った通り、疲れだという結果で終わった。
その事を話すと公子はホッとした様で
「良かったぁ。」と笑ってくれた。
「公子?これ・・・明日、出していい?」と、竜也は婚姻届けを見せた。
「うん。」
「本当に?」竜也が確認する様に聞くと、いきなり公子が抱きついてきた。
「いいよ。」
公子の肩は震えていた。
「でも・・・」
と、心配する竜也に公子は
「竜也さんから結婚しようって言われた時は本当に嬉しかった。だから・・・」
「分かった。」竜也は安心した。
夜中に目を覚ますと公子がテーブルに置かれた婚姻届けを握り、声を殺す様に泣いていた。
「公子?」竜也が声をかけた。
公子は、竜也にしがみつき、
「お願い・・・」と呟いた。
竜也は黙って公子を優しく腕の中に包んだ。変わらず公子の肌は柔らかく、温かかった。
長い夜が続き、公子の余韻を残したまま、僕は出勤した。
「いってらっしゃい」と満面の笑で僕を送り出してくれた公子に安心した。
職場に着くと、僕はすぐに住民課に向かった。同期で普段は仲の良い山崎を避けて婚姻届けを出した。別に知られてもいい事だけど、根掘り葉掘り聞いてきて、全く関係無い部署まで話が行き渡ってしまうのは時間の問題・・・。
普段は良い奴だが、何でも知りたがりで噂好きな、山崎のこういう所は苦手だった。
デスクに着いた途端に 「う〜ら〜の〜君!!」山崎の声だ。もう知られたのかよ!
僕は、顔を引きつらせて、
「なぁに〜?山崎君?」と、振り向くと、婚姻届けを持っていた。 やっぱり・・・。僕は、ため息混じりに
「何だよ!」と言った。山崎は、
「浦野?お前、何ふざけてんだよ!」ケタケタと馬鹿にした様に笑いながら、婚姻届けをペラペラと、僕の目の前で揺らした。
「ふざけてねぇよ!」と、僕は少しムッとして答えた。
「だったら、まともに書き直せ!」と、渡された婚姻届けを見て僕は頭の中が真っ白になった。
八島公子・・・今では
「郡」となっている住所は
「村」と書かれていた。
一緒に書いた時は確かに
「市」と書いていたのに何故・・・?
「おい、山崎!八島公子の事だけど、誰にも内緒でデータを取る事出来るか?頼む!まだ、誰も知らないよな?」
「うん。多分出来るよ。」と、山崎は住民課へ戻って行った。
山崎が走って水道課へ来た。
「浦野?ちょっと・・・」と山崎はデータを見せてくれた。
「ウソだろ?山崎!お前、ふざけるなよ!」と、竜也は山崎に掴みかかった。
「ウソだろ?」
「あはは。ウソだろ?!」
「ウソだよ!うおぉ〜!ウソだ!」
「ちょっと・・・苦しいよ。本当だって!離せよ!怒るぞ!」と、山崎が言った。
「浦野、落ち着けよ。皆が見てるぞ。」
山崎が小声で、なだめてくれたが僕には周りを意識する余裕なんて無かった。
「すみません。急用が出来たので早退します。」僕は、そのまま職場を飛び出して走った。
走って、走って、走りまくった。
データが見せてくれたモノ。
〜八島公子 6月19日 大橋河で死亡〜
僕は靴のまま部屋へ上がり込んだ。
「公子?」台所にも居ない。
「公子?」風呂もトイレにも居ない。
きっとまた河を眺めているに違い無い。
「公子?」6畳と4畳半の繋がった部屋の扉を一気に開けた。
そこには、ミヤ子さんから貰った浴衣だけが壁に掛かっていた。
テーブルの上には、僕達の誕生日に用意した水玉模様のペアグラスと、一通のメモがあった。
〜竜也さんへ
あなたが戻る頃、私は、この場所に居る事は出来ません。やっと逢えた。私には大事な約束があるの。それを果たしに来ました。
でも、私はまたあなたと出会う。それだけは真実です。楽しい時間を本当にありがとう〜
冗談だろ?公子が死んでた?だったら僕が抱いたのは誰?
毎日
「おかえりなさい」って言ってたのは誰?
ペアグラスを使っていたのは誰?
「公子?公子だろ!」と、竜也は泣き叫んだ。
「冗談はやめてくれよ!僕から消えないって・・・」竜也は、思い出した。あれ程、確かめあったのに。公子は・・・
公子は・・・消えないって一言も竜也に言ってない事に初めて気付いた。
竜也は、公子からのメモを握りしめ茫然としていた。
拭っても、拭っても、自然に涙が溢れた。
気が付いた時には、夜だった。
そんな時、電話が鳴った。
ミヤ子からだった。
「夜分にすみません。具合が悪くて・・・」竜也は、戸惑いながらも
「すぐ行きます。」と、ミヤ子の家へ走った。
ミヤ子はベッドの上で呼吸を乱していた。
「今、救急車呼びますね。」と、電話に近付こうとした僕を止めた。「いいのよ。」とミヤ子は、時々、声をかすらせながらも喋り始めた。
「私の側には、もう大切なお友達が迎えに来てくれているわ。こんなに長い間、待たせて・・・えらく遅かったわね。」
「お迎え?そんな事言わないで!頼むから僕の言う事聞いて!病院に行きましょう!」竜也が説得したが、
「ウフフフ・・・この年になると、もう怖くないわね。」と笑った。 勘弁してくれよ。だいたい苦しいのに、何で笑えるんだよ!竜也は、どうしていいか分らなくなっていた。
「誰が?誰が・・・何処に、お迎えに来てるんですか!」竜也は必死に聞いた。
竜也さんなら、もう分っているはずでしょう?」
「もしかして・・・、公子? 公子なんですか?」竜也が訪ねるとミヤ子は、ゆっくりとうなずいた。
「公子が見えるんですか?何処に!何で僕には見えないんだ。公子?何処?会いたいよ!もう一度でいいから、姿を見せてくれよ。」 竜也の瞳から涙が溢れた。
竜也の前に公子が現われる事は無かった。
6月19日は、製鉄所が爆撃された日だった。
製鉄所で働いていた人や、その近辺の人は激しい火傷を負っていたり凄い空気の熱気に耐えられず、この河に飛込んだらしい。
河や土手には焦げた臭いが漂い、ものすごい人で溢れた。公子もその内の一人だったらしいのだ。
竜也は、花火大会の公子を思い出した。
「なんだか、いつもは静かなこの土手にこんなに人が集まると怖いわね・・・」
それにしても、公子はどうして僕の所に来たんだ?何の接点があるんだ?
「キミちゃんにはね、恋人がいたのよ。その人の名前は、浦野竜也さん。」
「僕?」竜也は驚いた。
ミヤ子は続けた。
「不思議ね。まさか、こんな奇跡が起こるなんて。私もビックリしたのよ。キミちゃんがこの世に現われた時。私は悟ったけれど、キミちゃんは自分の事を気付いていない様だったから何も言わなかったの。神様が記憶を消して送ってくれたのかしら・・・」
それで、僕達には出会った記憶がないのか?でもまだ、信じられないよ。
「キミちゃんの今の恋人が竜也さんだと聞いた時、そして竜也さんに、お会いした時に確信したわ。今の竜也さんの中・・・」ミヤ子は一瞬考える様に宙を仰いで、
「魂と言った方が正しいかしら?当時の竜也さんがしっかり入ってる。キミちゃんは、それを見つけた・・・。本当に運命だと思った。そして私との約束を忘れていなかった。」
そういえば、公子の手紙には確かに約束があると書かれていた。
「約束って何ですか?」と竜也が聞いた。
「私を迎えに来てくれる事よ。」とミヤ子が言った。
ミヤ子は深く心呼吸した。
「私の夫は戦争に行ったまま帰って来なかった。でも竜也さんは、視力で引っ掛かり戦場には行けなかった。」
お国の役に立てない者として、竜也は製鉄所で厳しい労働に追われる事となった。
それでも公子は、離ればなれにならない事をとても喜んだ。
ミヤ子は目を閉じて昔を思い出している様だった。
「本当に仲が良くて、まるで夫婦の様だった。私とキミちゃんは、幼馴染みだったのよね」と笑った。
公子は、毎日、竜也に会いに通っていたらしい。
「帰れない竜也さんに会うのは、辛かったと思うわ。竜也さんを見るとキミちゃんは、いつも笑顔で・・・、おかえりなさい。と声をかけていたらしいの」いつ、戻れるか分らない竜也も公子に
「ただいま」と。
「二人の合い言葉ね。戦争が終わったら結婚するはずだったのよね。」
結婚するはずだった。
突然、空襲が始まり、皆が逃げ惑う中、公子はミヤ子だけを河に入れて必ず迎えに来るからと、竜也を探しに製鉄所へ向かった。人々が河の中でもがいている中、ミヤ子が居る場所に酷く怪我をした竜也と一緒に戻ってきた。そして河に飛込んだ。
「竜也さんの声は、今でも耳に残ってる。」 ミヤ子は、また深く心呼吸をした。
「三人で手を繋いだ。この手を絶対に離すな!と・・・」
ミヤ子は遠い目をした。そして優しく微笑み目を閉じた。その目からは涙がこぼれていた。「でも、その声は2回。酷い怪我を負った竜也さんは、力尽きてそのまま川底へ。」
僕はやっと公子の
「あった。3度目・・・」の意味が理解出来た。
「キミちゃんは、私に必ず戻って来るから、ここから動かないって約束して!と叫んで竜也さんを探しに潜ったまま川底に消えて行った。キミちゃんも竜也さんも、私だけ残して上がってくる事は無かった。」
〜
「人に寿命があるならば、きっと決まった運命もあるわよね。たとえ、どんなに時が流れても。形が変っても。私はキミちゃんを信じたわよ。ここに居たわよ。」
「もしかして・・・。それで、息子さんとの同居を断っていたわけじゃないですよね?」
竜也は目を丸くして聞いてみた。
「それって、おかしいかしら?」とミヤ子は僕に微笑んだ。
そのままミヤ子の瞳は二度と開く事は無かった。
公子は、僕がたまたま浦野竜也だから僕の所に来た訳じゃない。
運命だよ。
公子の・・・。そして僕の・・・。再生したのかは知らないよ。
でもね、僕が浦野竜也として生まれた時から公子との出会いは決まっていたんだ・・・。そう、思ってもいい?
あれから
〜公子へ
この土手では、もうすぐ秋桜祭が始まるよ。何度、生まれ変わっても、たとえ形が変っても、きっとまた僕は公子と出会う。〜竜也はペアグラスの入った箱に手紙を入れて大橋から河へ沈めた。
ふと、気付けば町並みが桜色に染まり始めていた。
「4月か・・・」竜也はポツリと呟いた。そしていつも通り職場のデスクに着いた途端
「う〜ら〜の〜君?」山崎だ。
また誰かの噂話か?
「なぁに〜?山崎く〜ん?」と、顔を引きつらせて振り向くと、
「今月から町の広報補助につく方だよ。」と、忙しい朝っぱらから、わざわざ水道課に連れて来た。
「あ、え〜。浦野です。宜しくお願いします。」と挨拶すると、
「あ、あの、初めまして・・・波多中公子です。」と初々しく頭を下げた。
波多中・・・
公子・・・
「エエ〜!ハァ〜!」と叫びあげると目をクルクルさせて、パソコンにぶつかるわ、書類はバラまくわ、ゴミ箱をひっくり返して、尻モチをついてしまった。山崎から、
「お前、朝から 何を一人で踊ってんだ?」と呆れられ、課の雰囲気はシーンと凍り付いた。
アハハハ・・・と、ごまかし笑いしながらゴミを集める僕を見て、彼女も一緒に手伝ってくれた。
少しだけ顔が近付いた瞬間、僕はドキッとした。
どこか懐かしさを感じさせる草の匂いのする風を感じた。
僕は、慌てて立ち上がり
「君、花火大会好きかな?」と聞いてしまっていた。
「はっ?えっと・・・好きですよ。」と答えてくれた。
山崎は
「おいおい!こんな所で、いきなりデートの誘いかよ!」と吹き出した。
彼女は
「花火大会と言えば、やっぱり浴衣にイチゴのカキ氷ですよね!」と言う返事にノリのいい子だと、課の皆も山崎も大爆笑した。
〜私、8月15日生まれなんですよ。
公子という名前は、祖母の親友の名前らしいです。その方も8月15日生まれで、私は会った事ないけど・・・公子さんという人みたいに、真直ぐで優しい人になってほしいからって祖母が名付けてくれたんです。
「キミちゃん、キミちゃん」って、凄く可愛がってくれて・・・。
いつも、笑っている優しい祖母でした。
あっ、後は
「約束はちゃんと守らなきゃダメよ。」が口グセだったなぁ・・・。〜(完)
最後まで読まれた方、有難うございます。心を込めて書きあげました。