無題
これから登場人物の名前が異世界表記に変わります。漢字がカタカナになり、名前→名字の順になるだけです。
マサキが目を覚ますと、見覚えのない天井が目に入った。体を起こすと、体の節々に少し痛みが走り、マサキは顔を顰める。絨毯さえ敷かれていない、硬い木の床の上で寝ていたせいだ。
マサキは辺りを見回した。四方には木の壁があり、マサキの前後の壁に一つずつある窓からは、外から光が入ってきている。
マサキの左前5メートル程のところにはドアがあり、誰かが閉め忘れたのか、開いていた。
視線を横に向けると、マサキは少し離れた場所に、外国人っぽい金髪の少年と、制服を着た女子高生が寝ているのに気付いた。こんな知り合いはいないはずなのに、どこかで会ったような気がして、マサキは記憶を探る。
そして、不思議な場所で、神と名乗る者に言われたことを思い出した。
「!」
居ても立っても居られず、マサキは立ち上がると、小屋の外へ飛び出した。
一面に広がる平原。抜けるような、雲一つない青空。澄み切った空気のお陰か、元の世界よりも鮮やかな空色だ。
その空を、一羽の巨鳥が飛んでいるのをマサキは見つける。人一人吞み込めそうなその巨軀は、ここが異世界である事を否応なく感じさせた。
「本当に、異世界にきたのか」
マサキはしみじみと呟く。そこには万感の思いが込められていた。
「少年、起きたのか」
突然後ろから掛けられた声に、マサキは驚いて、振り向いた。
そこには、小屋の壁に寄りかかって、こちらを見ている褐色肌の男がいた。その既視感を覚える姿勢に、マサキは直ぐにその男の事を思い出す。あの黒と白の場所で、ずっと柱に寄りかかっていたあの男だ。
「あなたもここに来させられたんですか?」
マサキがそう訊くと、褐色男は人好きのする苦笑いをしながら答えた。
「あー、敬語はいらない。友人に話すような言葉使いで良い。長い付き合いになるだろうからな」
そこまで言ってから、褐色男はふと、横に顔を向けた。マサキも釣られるようにして、同じ方を向く。
小屋の前を通る道の先に、こちらに走ってくる人影があった。
「お、帰ってきたな」
「お知り合いですか?」
褐色男は首を振った。
「名前と性格くらいは分かるが、知り合いとまでは言えねぇな」
人影は相当な速度で走っている様で、マサキ達との距離は見る見るうちに縮まっていく。
走っている人の顔はまだよくは分からないが、性別が分かる頃になると、マサキは困惑した。
「あの、すいません」
「何だ?」
視線は近づいてくる者に固定したまま、マサキは褐色男に尋ねる。
「なんであの人、あんな格好してるんですか?」
走ってくるのは、金髪のポニーテールを本物の馬の様に揺らしながら走ってくる女性。速度も馬並みだ。本当に人間なのか。
問題はそれだけではない。女性は黒のビジネススーツの上に、西洋鎧の胸当てや手甲をつけていた。
コスプレでもしているのだろうか。マサキは、異世界の不思議を早速体験できたなと、自然と遠い目をなる。
「何も言わないでやってくれ。本人も気にしてるから」
褐色男も困ったような顔でマサキに頼んだ。
気にしてるなら脱げよと思わなくもなかったが、何か事情があるかもしれないので、マサキは努めて真顔になると、口にチャックをする。
女性は徐々にスピードを落とし、マサキ達の前で止まった。
その顔を見て、マサキは思い出す。
鉄面皮の神に、果敢に問い掛けていた勇気ある金髪美女。マサキを起こす際に秘孔を突き、強制的に覚醒させた人物である。
金髪美女はマサキを一瞥した後、褐色男に視線を移した。
「ここは本当に異世界のようです」
その言葉を、褐色男は否定する事なく受け入れた。
「だろうな。何かあったか?」
異世界に来たなんて、そう簡単に信じられる事とは思えなかったが、褐色男は既に確信している様子だった。
金髪美女の方も、受け入れ難いが、事実は事実なので受け入れますと言った風な態度だ。
「森の中で、緑の小人に襲われました」
「緑の小人?」
褐色男が、「そりゃ何だ?」と疑問符を浮かべる。
「はい。1メートル程の緑色の肌をした小人です。蹴飛ばしたら、どこかに逃げて行きましたが」
マサキは金髪美女の話を聞いて、ゴブリンというモンスターを思い浮かべる。雑魚敵の定番だ。
「一応聞くが、子供が特殊メイクをしてる、とかじゃないよな?」
金髪美女は首を振った。
「小人と言いましたが、あれは人というより獣に近い。気配の消し方といい、殺気といい、あれは人間ではありません」
褐色男はフムフムと頷く。そして、思い出したようにマサキに顔を向けると、言った。
「取り敢えず中に入ろう。詳しい話はそれからで」
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三人が小屋の中へ入ると、 マサキが起きた時に寝ていた二人のうち、少年の方が寝ていた場所にいなかった。
しかし、少年は直ぐに見つかる。
窓の一つから外を覗いているところだった。窓の桟に手を掛け、景色を見ていた。そして、入って来たマサキ達に気付き、振り向いた。
警戒しているのか、少年は視線を逸らさない。その両手には、華美な模様の装飾がついた鞘に入れられている剣のような物を持っており、それを見た金髪美女に緊張が走る。
「おー、少年の方が先だったか」
直後に、能天気な声が小屋の中に響き、張り詰めた空気が霧散した。褐色男は、金髪美女に止まれのジェスチャーをしてから、寝ている女子高生に近づいて行く。女子高生の傍にしゃがむと、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「幸せそうな顔で寝てんなぁ。俺、こういうの見ると、無性に落書きしたくなるんだけど、誰かペン持ってる?油性のやつ」
さりげなく油性を指定する辺り、下衆かった。
誰も、何も言わない。褐色男は肩を竦めると、落書きする事は諦めたのか、普通に起こし始めた。
「起きな、嬢ちゃん。早く起きないと、キスしちゃうぞ。キスしても起きなかったらーー」
褐色男は見た目おじさんだ。そんな奴が女子高生に言おうとしていることに気付いたマサキは、その先を言わせてはダメだと、反射的に褐色男を止めようとする。
しかし、そのとき既に、マサキの隣にいた金髪美女はいつの間にか褐色男の背後に近寄っており、拳を振り上げていた。
「ーー起きな、嬢ちゃん」
殺気を感じたのか、流石に自重したのかは分からないが、褐色男は普通の起こし方に戻した。
金髪美女は振り上げた拳を下ろす。どうやら、褐色男の選択は正しかったようだ。
一方、女子高生は起きる気配が無かった。褐色男はかなり大きな声を出しているのだが、反応しない。
「ダメだ、全然起きん。こうなったらーーん?」
褐色男は何かに気付いた様で、耳を女子高生の口に近づけた。
「ふんふん。ほうほう。そうかそうか。なるほどなるほど」
どうやら、女子高生が何か言っているらしい。それを聞いている様子の褐色男はわざとらしく頷くと、立ち上がって、後ろにいた金髪美女に言った。
「あの少年にやった起こし方で、この子起こして」
あの少年とはマサキの事だろう。つまり、あれだ。
「仕方ないですね」
金髪美女はやれやれといった風に溜息を吐く。それからしゃがんで、女子高生の手を取った。そして、親指を、女子高生の手の平に深く突き刺す。
小屋の中に甲高い絶叫が響き渡った。
女子高生が起きた後、マサキ達五人は車座に座って、これからの話し合いをする事となった。並び順はマサキ、女子高生、金髪美女、少年、褐色男、マサキの順だ。
「酷いです。あんな起こし方するなんて」
女子高生はまだ愚痴を言っている。
マサキもその気持ちはすごくよく分かる。しかし、自業自得だ。
しかし、これから始まる話し合いは、かなり重要だ。ネガティヴな気持ちは、女子高生にも、話し合いにも悪影響を与えるかもしれない。
マサキはそう思い、女子高生を励ます。
「確かに痛かったけどさ、すっきりしただろ?」
女子高生は渋々頷いた。
「確かに爽快感はありましたが・・・まぁ、起きなかった私も悪いですしね」
褐色男が起こしたとき、女子高生は「あと五分」と言ったらしい。その気持ちも、マサキには痛いほどよく分かった。マサキも同じような事を言ったのだから。
気を取り直して、マサキと女子高生は前を向く。
褐色男は、そんな女子高生とマサキを一瞥してから、口を開いた。
「それじゃあ、まず、自己紹介から始めようか。俺はアレク。気軽にアルって呼んでくれ」
簡単な自己紹介が済むと、アレクはマサキに、促すように手を差し出した。
「マサキ・イトウです」
一瞬で終わる自己紹介。アレクがマサキに、「もう少し何か言って」と、コソコソ言ってきた。
お前は自分の名前しか言っていないのに、俺にはそれ以上を求めるのかと、マサキは憤慨する。
しかし、自分でも、これで良いのか?と疑問に思っていたこともあり、マサキは素直に従うことにした。
「二十一歳、大学三年生です」
これで、文字量的にはアレク以上。文句はないだろうと思って、マサキはアレクを見る。
アレクは、仕方ないなあ、とでも言いたげにマサキを見ていた。
苛つきに拳を握り締めるマサキを尻目に、アレクは女子高生に促す。
「アカリ・ソノザキ、十七歳、高校三年生です」
高校三年生と聞いて、マサキはアカリが受験生であることを知る。どうやら、この少女は大変な時期に、こんなことに巻き込まれたらしい。
自己紹介の順番は、金髪美女に移る。
「エレミア・ヴェントリスです。エレミアと呼んで下さい。職業は、ボディーガードです」
ボディーガードという、聞きなれない職業に、マサキは少し驚いたが、納得するところもあった。確かに、初めて会ったゴブリンを蹴り飛ばすなんてこと、普通の人には出来ないだろう。
最後は、金髪の少年だ。その脇には、あの剣が置かれている。
「リック・コナー、十歳、小学四年生です」
子供らしく取り乱した様子もなく、至極冷静な様子。マサキは感心した。もっと感情を露わにするのが、普通だと思うのだが。精神年齢は、年齢通りではないのかもしれない。
「よし、自己紹介が済んだところで、俺から一つ質問がある。マサキ」
突然の指名に、マサキは首を傾げる。
「お前が、あの神って奴に最後に聞いた、チートって何だ?」
ゲームやネットとは無縁そうなアレクの『チート』という言葉に、若干混乱した後、そういえばそんなことを聞いたなと、マサキは思い出した。
正確な定義など知らない。何となくこんなものだろうという認識で使っていたので、少し考えてから、マサキは答えた。
「チートというのは、何というか・・・そう、普通にしていれば、手に入れられる筈がない力や能力に与えられる蔑称というか、寧ろ褒め言葉というか・・・そんなものです」
何ともフワッとした説明だが、ニュアンスは伝わった様で、アレクは何度も頷いていた。
「つまり、物凄い力を秘めた物ってことか?」
物質限定ではないが、強ち外れてもいないので、マサキは頷く。
「じゃあ、これってチートか?」
そう言って、アレクは左手の甲をマサキに見せた。
その人差し指には小さな緑の宝石の指輪が、中指と小指には小さな透明な宝石の指輪が嵌まっていた。
チートが現実にあるわけないだろと、マサキは困惑したが、ここが異世界であることを思い出した。どうやら、まだ元の世界の常識で
ものを考えてしまっているらしい。
マサキはその指輪を見る。綺麗な指輪だ。
マサキはチートというものを実際に見たり、経験している訳ではない。が、神の言っていた『装備』というワードに当てはまるので、違うとは言い切れない。
「可能性はあると思います」
そこでふと、自分にも何かチートがある筈だということに、マサキは漸く思い至る。なぜ気付かなかったのか。
神は言っていた。装備の適性がどうとか、装備を与えるとか。つまり、マサキにも、専用装備的な物があるということだ。
「その指輪って、どこにあったんですか?」
期待を込めたマサキの質問に、アレクは答える。
「起きたら指に嵌まってた。見覚えが無かったから、多分これが、あの神の言ったものなんだろうと思ったんだが・・・」
「ただの指輪にしか見えん」と、自分の指輪をまじまじと見ながら呟くアレク。
マサキはそれを聞き、自分の体を足先から頭の天辺まで、手で触ったりして確認したが、指輪も剣も、鎧も無い。異世界に来る前の格好のままだった。
もしかして、俺だけチート無しとかいう展開じゃないよね。
今まで読んだ異世界モノの作品に、主人公無能というのがあったことを思い出す。嫌な想像が頭を過ぎったが、全員が装備というわけではなく、一人だけ何らかの異能を与えられるという可能性も無くは無い。マサキはポジティブに考えることにした。
「では、私のこの鎧はチートという物なのでしょうか?」
エレミアは、自分の着ていた鎧を見ながら言う。
「何となく分かるが、その鎧を着る前と着た後で、何か変わったことはあるか?」
アレクがエレミアに尋ねる。マサキにも、エレミアの鎧の能力は予想がついていた。
「どうやら、身体能力が大幅に上がっているようです」
エレミアが走ってきたときのあの速さ。あれは人間を超えていた。
チートというには少し弱い気もするが、あれが全力ということはないだろう。十分強力な能力に思える。
「マサキさん!私の指輪にも、何か凄い能力があるの⁉︎」
今度はアカリが興奮気味に、両手を、甲を上にして床についた。
右手には、色違いの五本の指輪、左手の親指には、虹色の宝石の指輪が嵌まっている。
「た、多分」
若干、アカリの勢いに気圧されながらも、マサキは答えた。アカリはそれを聞くと、元の姿勢に戻って、指輪を、「そうなんだぁ」と呟きながら、キラキラした目で見ていた。
テンションが異様に高い。所謂、体育会系のノリだ。嫌いという訳ではないが、あまり得意ではない。決して、マサキの女性経験が少ないからたじろいでしまったなんてことはない。
各々が自らのチート装備について、マサキに聞いてくる中、リックだけが黙って、自分の短剣を確かめるように鞘から抜き差ししている。
その様子に気付いたアレクが、リックに話し掛ける。
「リックのチートはその剣か?カッコいいな」
リックは、朗らかな笑顔で褒めるアレクに顔を向けずに、「そうですね」と呟く様に言った。
そんな中、一人だけチート装備を持たないマサキは、不安を募らせていく。
一人だけ装備じゃないとか、本当にあり得るのか。やっぱり、俺だけチートがないのではと、ネガティヴな思考に再び陥っていく。
無能な主人公なら、チートが無くても、とても辛い経験を経て、ダークサイドに堕ちた後に力を身につけていたりしていた。
しかし、マサキは物語の主人公ではない。ただ、雑魚の魔物に殺されるだけというのも十分あり得る。所詮フィクションだ。いくらここがファンタジーな世界でも、そこは忘れてはいけない。
いっそ、モブキャラとして、頑張る仲間から少し離れた場所で、生き生きせず、されど殺されずの立ち位置で行きていくのはどうだろうか。それが良い。現実的だ。マサキは遠い目をしながらそう考えた。
結論、俺、村人になります!
夢のない決意をしたマサキに、エレミアから声が掛かる。
「マサキのチートは何ですか?」
的確にマサキの心を抉ってくるエレミア。戦闘職には、戦いでも会話でも急所を攻めなければいけないきまりでもあるのか?
恐れていた質問に、マサキは答えるのを躊躇する。ここで答えてしまったら、本当に想像の通りになってしまう気がして。
マサキが選んだ選択肢は、逃走。
「俺、ちょっと外に出てくるわ」
「あはは」と笑って誤魔化しつつ、マサキは小屋の外に出た。
外に出ると、マサキは小屋の壁に両手をつき、暗い顔で、「大丈夫、大丈夫。いつかきっと、俺だけの素敵なチートが見つかるさ」と、自分を暗示にかけるように繰り返し呟く。
何回か繰り返した後、マサキはクルリと壁に背を向けた。本当に暗示にかかったのか、その顔は憑き物が落ちたようにスッキリとした表情だ。
「おしっ、頑張っていこー」
マサキは拳を握り締め、気合を入れた。そして、小屋の中に戻る際にふと、横を向いて、小屋の前を通る道の先へ視線を向けた。
何やら茶色っぽい、動く塊が見える。多分、馬だ。よく見ると、白っぽい物を引いていて、馬車だろうとマサキは推測した。それが、この小屋を目指して進んでくる。
「!」
マサキは急いで小屋の中に入ると、四人の視線が集まる中、馬車の事を話した。
エレミアは直ぐに立ち上がると、小屋の外へ出て行く。他の三人とマサキも後に続いた。
「あそこ」
マサキが指差す方向を、全員が見る。
その先には、さっきマサキが見たのよりも輪郭がはっきりした馬車がある。マサキ達に直撃エンカウントコースをひた走っていた。
「どうする?ここに来るぞ。初の異世界人とのコンタクトだ。言葉が通じるかは分からんが、会話してみるか?」
アレクが、何やら楽しそうに言う。
それに答えたのはマサキだ。
「多分、言葉が通じないということはないと思います。聞きますが、アレクさんは日本語を話せますか?」
アレクはそれに、「いいや」と首を振る。
特に不都合が無いのでスルーしていたが、マサキには、アレクやエレミア、リックが流暢な日本語を話しているのに違和感を抱いていた。まるで本物の日本人と話しているの気分なのだ。
「俺には、アレクさんが日本語を話しているように聞こえます。多分、あの神が俺達の体に何かしたんだと思います。人を異世界に送ることが出来る存在だ。こんなことが出来てもおかしくない」
その言葉に、アレクは「確かにな」と頷く。
何か超自然的なことが起きたら、「だいたいあの神のせい」と言えば、あの神に会った人なら誰でも納得させることができそうだ。
「取り敢えず、友好的な態度で接しましょう。今から逃げることは出来なさそうですし」
馬車は、どんどん小屋に近づいてくる。今から逃げても、隠れることのない平原では追いつかれるだろう。わざわざ追いかけてくるかは分からないが、無闇に逃げて、貴重な情報を得る機会を逃すことはない。
そのとき、じっと馬車の方を見ていたエレミアが突然口を開いた。
「待て、馬の様子がおかしい」
その言葉に、マサキとアレクは視線を馬車に戻した。マサキには、馬の詳しい様子までは遠くて見えなかった。アレクも同じらしく、マサキが目で尋ねると、首を振った。
「どんな様子ですか?」
マサキが尋ねると、エレミアは更に遠くを見る様に目を細めて、
「あれは・・・あの馬車、どうやら緑の小人に追われているらしい。ぞろぞろと森から出てきている」
マサキも見ようとするが、よく見えない。エレミアは視力も強化されているのだろうか。
エレミアの言ったことが本当なら、あの馬車のおまけにゴブリンまでここに来ることになる。心臓の鼓動が早くなっていくのを感じながら、マサキはこれから取るべき行動を急いで考えた。
「エレミアさん。ゴブリンは簡単に倒せますか?」
碌にケンカもしたことがないマサキが、いきなりゴブリンと戦うのは無理だろう。しかし、ボディーガードであるエレミアなら荒事くらい経験しているだろうし、実際にゴブリンを撃退したと聞いている。
マサキの問いに、エレミアは首肯する。しかし、
「数匹程度なら問題ないですが・・・あの数と戦うとなると、少し厳しいです。しかも、私が戦ったのは丸腰でしたが、あの群れの中には、木の棒の様な物を持った個体もいます。武器を持ってどれだけ強くなっているかは未知数です」
どうやら、戦うのはやめた方が良さそうだ。
マサキが新たな方策を考え始めると、マサキと入れ替わる様にして、今度はアレクがエレミアに質問する。
「馬車と緑の奴との距離はどうなってんの?」
「少しずつ開いてますが、大分馬に無理をさせてる様です。この小屋までたどり着けるかどうか」
それを聞いて、アレクは少し考え込んでから、言った。
「あの馬車を見捨てて、反対方向に逃げれば、恐らく逃げきれる」
その言葉を、マサキは反射的に否定しそうになるが、何とか思いとどまった。
道徳、綺麗事はさっさと捨てて、自分だけは助かろうとする。それは、異世界で生き抜くための、立派な方法の一つだ。小説にもそう書いてあった。
チートでも持っていれば話は別だが、今、チートらしいチートを使え、直ぐにでも戦えそうなのは、エレミアただ一人。そのエレミアが、勝つ見込みは少ないと言っている。
自分の命が懸かっているのに、他人の命なんか助けている場合ではない。しかし、理性では理解できても、心は人を見捨てることを拒否していた。
マサキが葛藤している間も、馬車とゴブリンは近づいてきており、時間的猶予はどんどん少なくなっていく。
「アカリとリックはどう思う?」
ずっと黙ったままのアカリとリックに、アレクが聞いた。
「私は、見捨てるのは良くないと思います・・・・・ところで、緑の小人って、何ですか?」
そういえば、アカリとリックには緑の小人について話していなかったと、マサキは今更ながら気付く。
マサキは、『異世界』と『緑の小人』というワードから、ゴブリンを連想でき、実際、エレミアがあった緑の小人は、ほぼその想像の通りの生き物だった。
しかし、アカリはマサキほどゲームや小説が身近では無いのだろう。緑の小人と言われても分からないようだ。
緑の小人が何なのかは分からなかったのはリックも同じのようで、何も言わない。
アレクが「そういや、言ってなかったか」と呟くと、マサキに顔を向け、何かを言おうとした。
「助けましょう」
そのとき、決然とした声がマサキの耳に入った。それを言ったのはーーリックだ。
エレミア以外の全員がリックを見る。エレミアも、意識だけはそちらに向けていた。
「状況は、分かってるか?」
アレクが確認し、リックは頷いた。
「緑の小人という奴らが、馬車を襲おうとしているんでしょう。エレミアさんは凄く強いけど、一人で緑の小人達には勝てない。だから戦うか逃げるか迷っている」
「そうだ」
リックは子供とは思えない程冷静に、状況を理解していた。
「なら簡単なことです。エレミアさん一人で無理なら、僕も戦えばいい」
その発言に皆驚いた。誰も言い出せなかったことを、一番幼い子が言ったのだから。
マサキは、リックが戦うというのがどういうことか分かっていないのではないかと疑った。しかし、心のどこかでは、そうでは無いと何故か確信していた。リックの雰囲気は、おもちゃの剣を持って悪者を倒そうとする無邪気な子供のものではなかったからだ。
「子供が戦って勝てる相手か分からんぞ。寧ろ、下手したら死ぬ。それでもやるか?」
アレクが半ば脅すように言った。
「やります」
リックは動じた様子も無く、答える。
「俺たちは逃げると言ってもか?」
「はい」
意固地になっているようにも思えるリックに、アレクは溜息を吐いた。
そのやりとりを傍で聞いていたマサキは、何故か、リックから目を離せなかった。
「何がお前をそんなに意固地にさせてるのか分からんがーー」
アレクは頭を掻くと、馬車が来る方を向いた。
「ーー時間切れだ。どの道戦うしかねぇな」
馬車は直ぐそこまで迫ってきている。
それを追う緑の小人の姿も、マサキ達に視認できる距離まで来ている。
「あれが、緑の小人か。まんま、名前の通りだな。案外、話ができるかもしれないぜ?」
アレクが戯けた様に言う。恐らく、緊張感を解そうとしているのだろう。
「完全に目が血走っています。あれの前では、ゼンラデドゲザしても、構わず蹂躙されるでしょう。過激な宗教家達を相手にした時を思い出します」
エレミアは、澄ました顔で返した。ゼンラデドゲザとは、何人かいるエレミアの師匠の一人が言っていたものだ。曰く、それをすれば何でも許してもらえるらしい。
日本には不思議なものがあるものだと、そのときのエレミアは驚いたものだ。どんなものかまでは教えてもらえなかったが。
マサキとアカリは、ゼンラデドゲザの辺りでギョッとして、エレミアを見てきたが、アレクとリックはスルーしていた。
はて、私は何かおかしなことを言ったのだろうか?
「それで、私はどうすれば良いかな?戦う?ケンカなら何度かしたことあるけど」
アカリはそう言うが、戦力にはならないとエレミアは判断する。これはケンカではなく、殺し合いだ。アカリはそれを分かっていない。
エレミアは振り返って言う。
「アカリは小屋の中に待機していて下さい。いざとなったら、小屋の中に立て篭って、助けが来るのを待って下さい。部屋の中央の床下に地下倉庫の入り口があります。立て篭っている間はそれを食べて。マサキも同様です」
マサキは殺し合いだということは分かっているようだが、迷いがあるようだ。戦闘に臨む心構えができていない。つまらないミスで命を落とす可能性大だ。
一方、リックは幼いにも関わらず、その点はクリアしていた。エレミアが説得したとしても、退くことは無いだろう。不謹慎だが、どんな経験を積んできたのか興味が湧いた。しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。エレミアは直ぐにそれを意識の隅に追いやった。
エレミアの有無を言わせない口調に、アカリは「ラ、ラジャー!」と敬礼して、小屋へ向かって行った。さり気なく、戦力外通告をしたマサキは、若干肩を落として、アカリに追従する。
「アレクは、戦えますね?」
一応、了解を取るように聞くが、戦えないとは言わせない。
エレミアのアレクに対する第一印象は『油断できない男』。
エレミアにそう思わせ、警戒させた男が何もできない訳がない。
「ま、アンタの邪魔にならないていどには、な」
アレクは薄く笑って、答えた。
そして、エレミアは最後に、もう一度、リックに確認する。
「リック、今なら、小屋の中で待つという選択肢もあります」
目を見れば、答えは聞かずとも分かる。しかし、このような子供にこれからさせることを思うと、聞かずにはいられなかった。
リックは、それに考える素振りも見せず、即答した。
「もちろん、戦います」
エレミアは、その蛮勇とも言えるものを褒めることはしない。命の危険を本当に理解しているかも怪しかった。
それでも、少年の心にある揺るがないものを感じて、心の中で、小さな少年の勇気に敬意を表した。少年はきっと、会ったことも無い人の危機を見過ごせなかったのだ。
エレミアは体を前に向ける。その視線の先には緑の小人に追われる馬車。
「Ready?」
エレミアは最後に振り向いて確認する。
アレクはどこから出したのか、回転式拳銃を手の中でクルリと回し、リックは鞘から剣を抜いて、鞘を投げ捨てた。
「Go!」
その声を合図に、三人は一斉に走り出した。