黒い
よろしくお願いします。
黒い、蝶を。
昔、黒い蝶を傷つけたことがある。
羽をボロボロにしてしまい、その蝶は飛べなくなった。
それ以来、夏になると、黒い蝶が視界に入ってくるようになった。
まるで呪われているようで、僕はすぐにそいつから身を隠す。
それが、いつもの夏だった。
ところが今年の夏、黒い蝶は現れなかった。
安堵していた矢先、僕のクラスに転校生が来た。
黒い蝶を思わせるような、黒い髪を持つ少女。
その少女を見た瞬間、僕は悟った。
ヤツが化けたんだ、ということを。
「どうかしたの?顔青いよ」
クラスメイトの言葉に、僕はごまかすように笑って返す。
「何でもない、よ…」
きっと、気のせいだ。
蝶が人間に化けられるはずがない。
そうは思っても、僕の動悸は治まらなかった。
転校生の少女を見ると、彼女は僕のほうを見ていて、目が合うと笑みを浮かべた。
…嫌な、予感がする。
「何だよー、お前もしかして、もう転校生のこと好きになっちゃったのかー?」
「えぇっ!?違うよ!」
そんなわけない。
転校生は、照れたような表情を浮かべた。
…蝶、じゃないのか?
僕に復讐しに来たんじゃないのか?
「慌てて否定するところが怪しいなー」
友達は能天気に笑う。こいつは、口が軽い。
放課後には『僕が転校生のことを好き』という噂がクラス全員に広まった。
「家まで送ってあげろよー」
僕は立ち上がると、その言葉に頷いた。
「そうする」
クラス中が沸いた。
明日は色々聞かれるだろうなと予想しながら、転校生と一緒に教室を出た。
「…あの、ありがとう」
転校生の言葉に、僕は彼女を振り返った。
「私、まだ学校から家までの道、慣れてないから…送ってくれて」
「あぁ、うん…」
こいつは、蝶だ。
昔、傷つけた蝶のはずだ。
僕はジッと転校生を観察した。
何か、ボロを出しているはずだ。
「……くん?どうしたの?」
転校生が不思議そうな顔をする。
「…僕は、分かってるんだぞ」
「分かってるって、何が?」
とぼけるな。
僕は自分の手を握り締める。微かに震えていた。
耳の近くで鳴っているのかと疑うほど心臓の音が大きく響き、背中に嫌な汗が流れる。
「お前は、黒い蝶だろ!」
「…え?」
転校生は困ったような顔をした。
そして、にやりと笑った。
「…よく分かったね。気付いてないんだと思ってた」
「どうして蝶のお前が人間に化けられるんだ…」
「さぁね?教える義理はない」
僕は、さらに強く拳を握った。
「…僕は、ずっとお前に言いたいことがあった」
「へぇ?どんな言い訳?私の羽を傷つけたことに、何か理由があるの?」
転校生に、いや、蝶に向き直った。
蝶も僕を見据える。
「ずっと……謝りたかった…」
「…はぁ?」
「傷つけるつもりはなかったんだ!ただ、お前の羽が思ったより脆くて…」
あの日の後悔は、忘れたことがない。
綺麗な蝶の羽が、僕の爪によってボロボロになったあの瞬間の衝撃を。
蝶は、呆気にとられたような顔で固まっている。
僕は深々と頭を下げた。
「ごめんなさい」
蝶の返事をジッと待つ。
少しして、蝶の溜め息が聞こえた。
「…もういい。顔を上げて」
僕が顔を上げると、蝶は言った。
「謝ってもらえたら、もういいの。大体、子供だからって油断した私も悪いのよ」
蝶は、僕に笑いかけた。
「これからは、私の仲間を傷つけないでね」
「うん。もう、絶対に手を出さない」
「あなたの仲間にも、そう言っておいて」
「分かった。小さい子は言うこと聞くか分からないけど」
ようやく僕も笑えた。
その時、後ろからブレーキを踏む音がした。
ハッと振り返ると、大きなトラックが僕らに迫っていて―――――
「やばいっ!大丈夫か!?」
運転席から男が出てきた。
慌てた様子でトラックの下や、周囲を見回す。
しかし、そこには血の跡も、轢いたと思った子供の姿もなかった。
ただ、黒い蝶と黒い猫が一匹、その男を見ているだけだった。
「おかしいな…俺、疲れてんのかな…」
男は呟いて、安堵しながら運転席に乗り込んだ。
そのトラックが去ったあと、黒い蝶が黒猫の上を飛ぶ。
「…………」
黒猫は、黒い蝶に向かって鳴いた。
「…にゃああ」
(完)
ありがとうございました。
昔、黒い蝶を傷つけてしまったことがありました。
たくさん謝りましたが、あのアゲハ蝶にそれは通じていたのでしょうか…。
この話は、その体験から出来た話です。
私は猫ではありませんが。
感想とかもらえたら嬉しいです。