何のために書いているのか。
そろそろ師走の足音も聞こえてきて……。
ああ、また1年が廻っていくのだなと、感慨深くもあり……。
ここ最近、自分のブログに拙いファンタジー作品を書いており、それにほぼすべての力を注いでいる。
推敲にすごく時間をかけるため、更新は週に一度と決めている。
中編なので、年内には終わる予定だが、予想外に新しいキャラがぽっと出てきたりして、書いてる自分がハラハラしている。
ちょうど中盤のクライマックスに差しかかっており、後半に向かう肝の場面でもあるので、どう進めていくかでかなり悩んだが、ようやっと出口の明かりが見えてきて、ほっと一息ついている。
そんな中で、ふと疑問が沸いてきた。
「部屋にこもって書いてばっかりで、これに何の意味があるんかいなあ〜」……と。
読みたい本は山積みで、録画したまま放置状態のTV番組が唸ってる。
遊びに出たいし、何も考えないでダラダラしたくもある。
なのに、素人臭丸出しの下手な小説なんかに大事な時間を注ぎ込んで、一体何になるんだろうかあ、と思ったりする。
ありがたいことに、読んでくれる人はいる。
通りすがりに目を留めてくれる人もいる……と思う(多分)。
それだけで御の字なのに、もっと違うものを求めている自分も見えたりして、人間とはまあ何と欲深いものよと呆れたり苦笑したり。
でも、よくよく考えてみれば、『書く』こと以外に、したいことってあるんだろうか、自分。
何のために書いているのか。
それはきっと、自分がワクワクしたいからだと思う。
その中に、自分を表現し、自分を確認し、自分の跡を残す。
そんなことができるのは、『書く』こと以外、思いつかない。
今一番したいことが『書く』ことならば、その思いにただ従えばいいのだろう。
それを時間の浪費と嗤う人がいるなら、嗤わせておけばいいだけの話だ。
自分の指先から『物語』が紡ぎ出されるって、とても素敵なことだ。
さっきまで真っ白だったページに、いつの間にか新しい世界が現れて、書いてる自分自身が、次はどうなるのだろうとドキドキする。
『書く』ことに留まらず、表現することに精出す人というのは、そうしたときめきを心の糧にしているのだろう。
もちろん、誰かをドキドキわくわくさせたいという思いもあるのだろうけど。
数年前、とある文学賞を取った作家の方が、「自分は表現することでしか生きていけない」と言っておられた。
その言葉を思い出しながら、今日もまた、眠い目をこすりながら、PC画面に向かってキーをコトコト叩く自分がいる。