ガラケー派の憂鬱
日本のスマホ保有率が過半数を超えたという。
もっとも、スマホとガラケーの両方を所有している人もいるだろうし、この情報だけでガラケーは滅亡の一途と結論づけるのも尚早であろう。しかし、スマホがガラケーを凌駕しつつあるのは事実だ。実際、周囲でもスマホを使っている割合は高い。
自分はいまだガラケーを使っている。
スマホに乗り換えるつもりはない。たとえ最後の一匹になろうとも、使い続ける所存である(今のところ)。
理由は三つだ。
①月額料金が安い(月に3000円以上も払えるかいっ)。
②あんな小さい画面でネットなんてしない(酔う)。
③タッチパネルがうざい(年寄りに優しくない仕様)。
自分がモバイル端末に求める要素は二つだけだ。
メールと電話。
それ以外には使わない。
ごくたまにネット接続することもあるが、まあ、ほとんどないと言ってよい。
TwitterもFacebookもLineもやらない。セキュリティ面の不安もさることながら、必要性を感じない。
直に喋ったほうが楽しいし、微妙なニュアンスも伝わるからだ。
災害のときは、みんなにくっついていくから(どんくさいから、ちまちま調べてるうちに置き去りにされそう)、やっぱり使わないんじゃないかと思う(連絡は伝言ダイヤル)。
時々、友人たちから「Lineやろうよお!」と誘われるが、「うんにゃ、やらん」ときっぱり断る。
それが元で関係が断ち切れたという事例は今のところない。
けれど、今のご時世、「ずっと繋がっていたい」という人が多いらしい(少なくともCMではそう言ってる)。
ストーカーみたいだな、と思うのは自分だけだろうか。
でも、『今ご飯中』とかいうメッセージのどこが面白いのだ?
画面から、『お裾わけ』とご飯が出てくるならまだしも……。
(実はそんな機能のついた機器が既に出ているのだろうか……)
知らない部分があるからこそ、ミステリアスに思えて逆に興味が沸くと思うんだけどなあ。
そんなわけで、始終、スマホにかぶりついている人の心境はとんと理解できない。
何をそんなに集中して見ているのだろう?
命に関わる重大事でもあるのだろうか?
腹が痛くて尻が爆発しそうなのをごまかすためか?
あんなに下ばかり見て、そのうち、顎の下と首がたるむよ(多分)。
まあ、たるむのは別に構わないのだけれど(違)、歩きスマホだけはやめてくれんかね、と切に思う。
危なくて仕方ない。「とっとと歩けよ、ゴルぁ!」と(腹の中で)叫んでしまう。
それはスマホだけに限らない。
先日、両手でつかんだタブレットに目を凝らしたまま歩いてる人がいた。
きっと頭にもう一組の目を持っているに違いない。普通、あんな体勢では歩けない。
まったくもって、スマホ全盛時代である。
自分としてはこのままガラケーを使い続けたいが、メーカー側はどうだろう。
やはりいつかはなくなるのだろうか。レコード盤がCDに取って代わられたように。
これも時の流れというやつか(昔はジーコロジーコロの黒でんわだったからな)。
願わくば、ボタン式で、月額料金が2000円くらいで(全部込み)、画面の見やすいスマホが現れますように。
そしたら乗り換えてもいい。
でも、結局は宝の持ち腐れになるだろう。
今も仕事でスマホを使ってはいるが、ほぼ鞄に入れっ放し、かつ、電源切ったまま忘れてるくらいだから。