ホームレス歌人から学ぶこと
駄句を一つ。
「天高く 爺婆ハッスル 子は憂ひ」
老齢の親が、自身の状態を顧みずにやりたい放題やっている様を子が憂えているという、そのまんまの句である。ど素人ぶりも甚だしいが、ともかく俳句や短歌は難しいのだ。まともに詠むこともできない。
川柳もそうだ(でも自分は、自由度の点で川柳が一番好きだったりする)。
俳句や歌というのは一番短い物語で、しかもおそろしく難易度が高いと思う。
たった十数語ですべてを語らねばならぬのだから。
しかも推測の余地まで残すのだ。
難し過ぎて涙が出る。
前置きはさておき、先日、ラジオで、ホームレス歌人のことを知った。
2009年、朝日新聞の歌壇に、ホームレスを名乗る公田耕一さんという方の歌が掲載された。
それからほぼ9ヶ月の間、彼の投稿作品は入選を繰り返し、ホームレスということもあいまって、なかなかの話題になったという。
しかし、28首目の入選後、投稿は絶え、歌壇からぷつりと消えたらしい。
投稿中、朝日新聞がわざわざ彼に呼びかける記事を掲載したり(なにせホームレスとあるので連絡先が不明)、消息を追い求めたルポライターもいたが、ようとしてその行方はわからなかったらしい。(ルポの本は出ている)
彼のことは寡聞にして知らなかったが、いくつか聞いたその歌は、なんとも切なくて胸を打たれた。
自分は歌の良し悪しはわからないので、選者が選んだ理由を聞いてもいまひとつぴんと来ないが、それでも「あ、この歌いいな」とは思う。あくまで個人的なものだけど。
ちなみに、朝日歌壇の入選率はたった2%なのだそうだ。単純に「すごい」と感心する。
私など、小学校の作文集の選にすらもれたというのに(違)。
先に書いたように、俳句や歌は一番短い物語だ。
その中にすべてを込める。
一語ですら無駄にできない、というより、ものすごい吟味の上にその語は選ばれているのだ。
そこから学ぶことは多い。
長い小説を書いていたりすると、さらりと済ましてしまうような一文もあるが、それでは駄目だと思う。
どんなものでも表現の一部なのだから。
公田さんはどうしておられるのだろう。
有名な歌壇に入選することを目指してというより、表現したい思いがあったから詠み、そしてどこか誰かに伝えたくて投稿したのかな、などと勝手に推測している。
けれど、彼は人々の記憶に残る歌を詠んだ。
表現者しての一面から見れば、とても偉大なことを成し遂げたと思うのだ。