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Princess royal(5)

「まあ、ありがとうルーシー」


 籠を受け取ったマクシーネがパッと表情を明るくする。


「マクシーネ王女、そろそろ出発のお時刻でごさいます」


 黒を基調とした衣装を身にまとった御者が低い姿勢で知らせた。

 マクシーネの乗る馬車の後ろに荷馬車が一台。その周りを囲むように馬を引き連れた兵士が数名いる。


 今回のマクシーネの旅のお供。彼女の専属護衛であるテオバルトはもちろん随行するが、後は御者が三人と、馬車を護衛する兵士を近衛部隊から数人選りすぐっただけと少数編成だった。

 しかもテオバルト以外の護衛と御者はアマリアに着いたら引き返してくることになっている。

 国境を越えたらアマリア側からも護衛が加わることになってはいるが、無防備すぎやしないかとナタは不安で致し方なかった。

 しかしマクシーネ本人が大人数になることを拒んだのだった。「経費の無駄です」などと言って。

 自分の立場が分かっているのかそうでないのか、ナタには理解できなかったがやはり妹の断固とした態度には逆らえなかった。姉として情けなくも思う。

 だから国境までの馬車の護衛は精鋭揃いにし、あとはもう襲われることがないよう祈るのみだ。

 アマリアでのマクシーネのことはテオバルトに任せるしかない。数日前にテオバルトを呼び出して、ナタが懸念していることを話して頼み込んでおいた。彼ならマクシーネの手綱も引いてくれるだろう。


 マクシーネの後から馬車に乗り込こもうとするテオバルトに、ナタは無言で目配せした。

 彼は一瞬弱ったような表情を見せたが、軽く敬礼をして「任せてください」と低く囁いた。

 テオバルトが馬車に乗り、御者が扉を閉める。他の護衛たちも馬に跨がって、御者は馬車前方の御者台に慣れた手付きで上がった。

 馬車の窓が開き、マクシーネが顔を覗かせた。彼女はテオバルトの敬礼を真似して額に手を添える。


「行ってまいります」


「いってらっしゃい、気を付けて」


 姉妹は笑顔で手を振り合った。

 御者の掛け声と共に馬車が動き出す。窓から頭を出して妹は手を振り続けた。少し寂しそうな顔をして。


 ほどなくして馬車は見えなくなり、ナタは手を下ろして小さくため息を吐いた。


「行ってしまわれましたねぇ。王宮が静かになってしまいます」


「うん、ちょっと寂しいな」


「ええ。わたしもです」


 傍らにいるルーシーとぽつぽつ言葉を交わし、二人はしばらく無言で馬車の消えた方を眺めていた。


「国王様の下へ行かれるのですよね。そろそろ中に戻りましょうか」


「ああ、そうだった。行こう」


 ナタはルーシーを引き連れて王宮内に足を踏み入れる。

 マクシーネが出立したら報告するよう父に頼まれていたのだ。病に臥せっている父は寝台から起き上がれないため、娘の見送りすらできないでいた。


 途中、見舞いの花を摘もうと庭園に立ち寄った。

 庭園をぐるりと囲う低い樹木に咲く、赤と白の花。砂漠のバラとも呼ばれるこの花は、母が好んでいた。

 ルーシーにガラスでできた底の浅いボウルに水を入れて持ってきてもらい、摘んだ花々を浮かべた。

 それを溢さないよう慎重に運びながら二人は父の部屋へ向かった。


 階段を上り、最上階西側の奥の部屋が父の寝室だ。

 その入り口の両側に立つ近衛兵と挨拶を交わし、ナタは扉をそっと開く。

 床には色とりどりの刺繍が施された絨毯が敷き詰められ、中央に天蓋付きの大きな寝台が置かれている。寝台周りをカーテンで閉め切られていて入り口からは父の姿を確認できなかった。

 ナタはそろそろと足音を立てないように――といっても絨毯が敷かれているためほとんど鳴らないのだが――寝台に近寄った。

 寝台横からカーテンを僅かに捲り、中を窺った。


「お父様、起きていますか?」


 小さく声をかけると、微かにシーツの擦れる音がした。


「……ナタか? 入りなさい」


 父の返事が聞こえ、ナタはカーテンをくぐった。


「お加減いかがです? お話できますか?」


「ああ……今日は気分がいい……側においで」


 寝台の脇にある丸い椅子に腰掛けナタは父・アーベルを見つめた。

 目は窪み、頬は痩けている。前はナタと同じ栗色だった彼の豊かな髪は、今や白髪が増えている。掠れた声は弱々しく、緑色の眼にも力がない。

 アーベルは国王の厳格さが微塵もなく、すっかり衰弱しきっていた。ナタに向ける眼差しの温かさが、唯一の救いだった。

 ナタは僅かに眉を下げた。


「お父様、またお痩せになったのでは? ちゃんと食べていますか?」


「ははは……食べているよ。ただ量が入らないってだけでね……」


 アーベルは苦笑して大きく息を吐き出した。


「マクシーネは……行ったのか?」


「はい、つい先程。無事に発っていきました」


「そうか……。あちらでわがままばかり言わぬと良いが……」


 父が自分と同じことを心配していてナタは思わず笑った。


「わたしが口煩く言っておきましたから、きっと大丈夫です」


「なるほど、ならば安心だ」


 ふっと笑みをこぼし、アーベルは目を伏せた。

 疲れてしまったのだろうか。無理をせずに休んだ方がいいとナタが口を開きかけた時、アーベルの言葉に遮られた。


「親の知らぬところで、子は成長しているのだな……寂しいものだ。……ナターリエ、お前はデラロサに行くと言っているそうだな」


 急に話題が自分に向き、ナタはぐっと息を詰まらせた。


 デラロサ行きのことはまだアーベルには伝えていなかった

 できることなら隠したまま行こうとさえ思っていた。父に心労という余計な負担を与えたくなかったからだ。

 きっとガーネットが話したに違いない。口を封じておけばよかった。


 いつの間にか目を開いていたアーベルが、じっとナタを見つめていた。

 さっきとは打って変わって彼の眼には鋭い光が宿っている。

 臥せっているとはいえ、国王は国王。彼の眼光を直接受けると逆らうことなどできなかった。


「……はい。調整してもらっています」


 ナタは小声で白状した。

 疲れたようなため息を吐き、アーベルは深く枕に頭を沈めた。


「行くなと言っても、行くのだろうな、お前は」


 少し黙り込んで、ナタは頷いた。するとアーベルは更に深い吐息を漏らした。


「――失礼いたします、お見舞いのお花をお持ちしました」


 突然カーテンの外からルーシーの声がしてナタは思わず肩を震わせた。

 慌ててカーテンを捲ると、花を入れたボウルを持ったままのルーシーが戸惑った表情で佇んでいた。話し掛けてよかったですか、と彼女の瞳が不安げに訴えている。

 しかし彼女のお陰で重苦しくなっていた空気が和らいだのも事実だった。

 ナタは微苦笑を浮かべてルーシーからボウルを受け取った。


「お父様、お花を摘んできたのです。飾ってもいいですか?」


「花?」


 ナタはくるりと振り返り、アーベルの傍らにボウルを運ぶ。

 彼は水の上でゆらゆら揺れる赤と白の花をぼんやりと見つめた。


「ああ……それはリーゼが好きだった……」


「はい」


 ナタはにこりと微笑んで寝台脇にあるテーブルにボウルを載せた。


「……それが咲いているということは、更に暑くなるということか」


「昼間はだいぶ暑くなってきていますよ。でもお父様のお部屋は風通りもよくて涼しいからいいですね」


「西日はきついけどな」


「だってこの部屋西側ですし、しょうがないです」


 諦めてくださいとナタが言うと、アーベルは「冷たいな」と笑って言った。

 そしてまた彼は花に視線をやり、どこか懐かしそうに目を細めた。

 ナタの母・リーゼが亡くなってもう八年が経とうとしている。アーベルが寝込むようになったのも、リーゼが亡くなってからだ。

 父にとって母は心の支えであり、なくてはならない存在だった。

 幼い頃見ていた仲睦まじい両親を思い返しては、ナタは胸を締め付けられた。


「ナターリエ」


 花を見つめたまま、アーベルがぽつりと呼んだ。

 ナタが視線を向けると、彼はしっかり目を合わせた。


「デラロサの件は、お前の好きなようにやってみなさい。失敗しても私が責任を持とう」


「……ありがとうございます、お父様。でも責任は自分自身で持ちます。わたしがやりたいと言ったのですから。それぐらいの覚悟はできています」


「ふふ、その頑なさ、リーゼにそっくりだな」


「そうですか? 周りからは、わたしはお父様似だとよく言われますけど」


 小首を傾げると、微笑んだアーベルがちょいちょいと手招きをし、ナタは椅子に座ったまま前のめりに近寄った。

 するとアーベルの痩せ細った手が頭に置かれ、あやすようにゆっくり撫でる。


「お前には苦労かける。本当は、私が全てやるべきことだというのにな……。無理はしないように、周りを頼りなさい」


「はい。お父様はゆっくり休んでくださいね」


 ナタはふっと微笑んだ。

 こうやって父に頭を撫でられるのもいつ以来だろう。少し照れ臭さはあるが、それでもやはり嬉しいことだった。

 これからどんなことが起きても乗り越えていけると、不思議と自信が湧いてくるようだった。


第一章「Princess royal」 終

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