Princess royal(4)
直射日光が当たらない場所に低いテーブルと布張りのソファが置かれていて、ナタとマクシーネはそこで一時のティータイムを楽しんでいた。
テーブルの上にあるのは、お茶の入ったポットとティーカップ、それからたっぷりのクリームと様々な種類の果物を挟んだ手作りのフルーツサンド。
ナタはトーレ――甘酸っぱいオレンジ色の小さな果実――が大好物で、これをふんだんに使ったフルーツサンドはこの上なく好きだった。あとトーレで作ったジャムは常備していたりする。
カペルの特産物であり元々乾燥に強い作物のトーレは、干ばつの影響をあまり受けていなかった。それが唯一の救い、なのかもしれない。
ナタはフルーツサンドを頬張りながら、上品にお茶を飲む赤髪の妹を眺めた。
「マクシーネの留学って、来月からだっけ」
「はい。来月の頭には出発します」
ティーカップを置いてマクシーネは言った。
彼女の留学先は、カペルの東隣にあるアマリアという国だ。
ナタは二年前、現国王の即位式に出席するために赴いたことがある。
国土面積はカペルと大差ないが、緑と水が豊かで人口も多い。国力もあって、この大陸一の大国。渇いた砂の大地ばかりのカペルとは正反対という印象が強い。
そのアマリアへの留学話を持ってきたのは誰でもない、マクシーネだった。
ナタが十五の時に王位継承者に指名された辺りからだったろうか、マクシーネが勤勉になったのは。
それまでは勉強するより遊ぶ方が好きだと言っていたのに、講師の授業を真面目に受けるようになったし、予習復習も欠かさなくなった。
それに彼女が王宮の蔵書庫に篭って本を読み耽っている姿をナタは幾度となく見てきた。
もちろんアマリア留学も、勉学の一貫だ。
どうしてそんなに勉強に励むようになったのか尋ねても、マクシーネははぐらかすばかりで教えてくれない。
しかしテオバルトにこっそり聞いたところ、彼女は「お姉さまの手助けができるようになりたい」と言っていたらしい。
なんと健気な妹か。ナタは心底嬉しく思い、また感謝していた。
「一年も会えないのかぁ……寂しいな」
「あら、わたしも寂しいですわ。でもワクワクしてる方が強いかもしれません。わたし、カペルから出るの初めてなんですもの。アマリアの本を読んだことはありますけど、どんな国なのかしら」
顎に指を当てて宙を仰ぐマクシーネを見つめ、ナタはくすりと笑った。
「アマリアは綺麗な所だよ。カペルにはないものがたくさんあってマクシーネにはいい勉強になると思う。色んなものを見ておいで」
「はい」とマクシーネも微笑んで頷いた。
ナタはティーカップに口をつけてお茶を飲み、ふうと息を吐いた。
「マクシーネがアマリアに行ってる間に、わたしはカペルをどうにかしないとな……」
「……反乱軍のこと?」
訝しげにマクシーネが眉をひそめ、ナタは内心ギクリとした。
反乱軍との和平交渉に赴くことはマクシーネには話さないつもりだった。留学前の彼女に余計な心配はかけたくないのだ。
「何でもないよ」
「うそ。お姉さまって嘘つく時いっつも視線が泳ぐもの、今も泳いでましたわ」
「……よく見てるね……」
妹の指摘にナタは肩を落とし、項垂れた。
「どうせ、デラロサにでも行こうとか考えていらっしゃるんでしょう」
「……はい」
ナタが小声で頷くと、マクシーネは盛大なため息を吐いた。
「わたしが反対しても、もう決定されたことなのでしょ。カールが何も言わないってことは、彼も承諾してるのね」
そう言ってマクシーネはナタの背後に立つカールにちらりと視線を投じた。
「じゃあわたしは止めません。でも、危険な真似だけは絶対しないでください。絶対ですわよ。本来、そういうのはお姉さまがやることじゃないのですからね」
お姉さまはただの王女なんです、とキッと眉を上げマクシーネが諫言する。
王位継承者に指名されたとはいえ、まだ政治に関われる訳ではない。学ばなければならないことは山程あるし、カペルの政治を理解するだけでも相当の時間がかかる。
だからマクシーネは国王である父がやるべきことなのだと言いたいのだろう。
しかし父は病で伏せっている。快復の兆しは見えず、すっかり衰弱しきっていて今も苦しんでいる。彼が動けないなら自分がやるしかない。自分がカペルを守るしかないとナタは思っていた。
それに《マテリアル》の件もある。《マテリアル》を盗んだ犯人が内部にいるとしたら、王宮も危うい気がするのだ。 国中が不安定だからこそ、動くならマクシーネがアマリアに行っている間が最善だろう。マクシーネを巻き込むのはナタ自身が嫌なのだ。
ナタが返答せずにいるせいか、マクシーネは一層眉を寄せている。
その時不意にサロンの扉が開き、一人のメイドがワゴンを押して入ってきた。
「失礼いたします。お茶のお代わりをお持ちしましたー」
彼女の声は何とものんびりとした緩い調子だ。
「あら? お二人とも何だか深刻なお顔なさってますねぇ」
テーブルの傍らに寄った彼女は、緑色の瞳をくりくりさせて言う。
彼女はナタの側仕えのメイドである、ルーシー・マクネア。年はナタより一つ上と聞いている。
蜂蜜色の髪を頭の高い位置で団子にしている。紫紺のエプロンドレスは皺ひとつなく、とても清潔感がある。
料理の得意な彼女が、今テーブルの上にあるフルーツサンドを作ったのだ。これまでも様々なお菓子を作って振る舞ってくれ、またその全てが美味だった。
ポットに新しいお湯を注ぐ彼女を見上げ、ナタは礼を告げた。
「ルーシーありがとう。トーレのサンド、すごく美味しいよ」
「本当ですか? よかった、気に入っていただけて」
ルーシーがふふと柔らかく微笑む。
「ナタ様、最近なんだか思い詰めているようでしたので、甘い物でも食べて元気を出してもらいたかったんです」
「そう? 心配かけていたみたいだね……ごめん」
「あら? いえいえ、責めた訳ではありませんよ。ただマクシーネ様がとてもご心配なさってたので、わたしは手を貸しただけですわ。このお茶会もマクシーネ様発案なんですよ」
「マクシーネが?」
ナタが目をぱちくりさせてマクシーネを見ると、彼女は頬を膨らませてルーシーに詰め寄った。
「それ言わないでねって約束したじゃない! ルーシーのバカっ!」
「あら、そうでしたっけ?」
悪びれた様子もなくルーシーは笑った。
微笑ましく思いながらナタは二人を眺めていた。
気遣われることを申し訳なく思う反面、二人の優しさが身に沁みるようだった。
確かに、国の行く末を案じすぎて考え込むことが多かった。
人の前では顔に出さないよう努めていたつもりだったが、どうやらそれも無駄だったらしい。
でもいつも明るく振る舞っているマクシーネが、心配そうに王宮の外を眺めていることぐらい、ナタだって知っている。
だから、マクシーネが不安に思ったりすることがなくなるように、自分が動かなければ。
――まだ時はかかりそうだけれど、もう少し待っていて。
ナタは心の中で呟いた。
「ナタ様ぁ、助けてくださいよ! 口じゃマクシーネ様には勝てないんです」
「まあそれどういう意味!」
ナタに助けを求めるルーシーと、聞き捨てならないわと更に眉を上げるマクシーネ。
二人の様子がおかしくて、ナタは声にして笑った。
* * * * *
慌ただしい時間は早く過ぎゆき、翌月。マクシーネの出立の日になり、ナタは馬車に乗り込むマクシーネに声をかけた。
「マクシーネ、粗相のないようにね。向こうの人たちに無茶な頼み事とかしちゃダメだよ。あと、はしゃぎすぎて怪我しないように。それからちゃんと食べて、ちゃんと寝るんだよ、夜更かししないようにね」
「もうっ、お姉さまってば!」
馬車の戸口で振り返ったマクシーネが眉を上げた。
砂漠越えには不可欠な暑さ対策と砂避けのために着ている彼女のフード付きマントがばさりとはためく。
「わかっていますと何度も言いましたわ! 口うるさいどっかのメイドみたいです!」
「あらあら、それはわたしのことをおっしゃっているのですか?」
ナタの隣に立つルーシーが悲しそうに小首を傾げる。
「違うわ。わたしたちが小さい頃にいたイルマってメイドのことよ」
「イルマ? ……ああ、あのイルマさんのことですね。噂はわたしも聞いてます」
ルーシーがくすくすと笑うのをナタは横目で見ていた。
――イルマも元気にしているかな。
嫁ぎ先が決まったため、ナタが十二の時に辞職したイルマ。彼女が去って、ナタの側仕えも何度となく入れ替わり、今はルーシーに落ち着いている。
急に懐かしい顔を思い出してナタは少し寂しさを募らせた。
マクシーネのためとはいえ、彼女が遠い土地へ行ってしまうこともやはり心細いのだった。
「マクシーネ……アマリアに着いたらお手紙ちょうだいね」
「もちろんです、毎日でも書いて差し上げます。お姉さまも、必ずお返事書いてくださいませ。お姉さまってば筆無精なんですもの」
「あはは、すぐに返す努力をするよ。それから――」
妹の鋭い指摘に苦笑したナタは、上着の懐から書状を取り出した。マクシーネに持たせるために、何日も前にしたためておいたものだ。
マクシーネに近寄り書状を差し出すと、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「これをアマリア国王に。大事なものだから、できれば、直接渡して欲しい」
「アマリア国王様に? ……わかりました。わたしの初めての任務ですわね」
最初驚いたようだったが、マクシーネは特に疑問を呈することもなく、不敵な笑みを浮かべて書状を両手で受け取った。
「マクシーネ様。わたしからも餞別を」
ルーシーが、焼き菓子や飴細工等の詰まった籠を差し出した。
「焼き菓子はわたしの手作りです。旅の道中にでも召し上がってくださいね」