Princess royal(3)
ファーバーは手元のファイルを捲りながら落ち着いた様子で説明した。
ナタは顎に手を当てて書類を睨んだ。
《マテリアル》はナタもあまり詳しくはない。以前、オルバネの研究施設を見学した際にガラス越しに見た程度だが、“石”であることは知っている。
赤、青、緑、黄、黒、白の六色の透明な石で、初めて見たときはその綺麗さにため息が漏れた。
しかしナタでさえ間近に触れられないものが、こんなに大量になくなるだなんて。
ナタは何とはなしに、隣に立つカールへちらりと目をやった。彼はすぐにそれに気付き、何を話すこともなく微かに頷いた。
視線を戻してナタは口を開いた。
「盗んだ犯人の目星は?」
「それが……まだ」
ファーバーが首を左右に振り、ガーネットが言葉を引き継ぐ。
「保管庫に誰かが侵入したという痕跡がないのです。警備していた者も全く気付かなかったと言っていますし」
「そう……じゃあ、内部の犯行だろうね」
「私もそう思います。あと、国王様もそうおっしゃっていました」
ガーネットがどこか感心したようにナタを見つめた。
思ったことを言っただけで司令官に褒められるようなものでもないので、ナタは肩をすくめて軽く流した。
「公表は?」
「まだ伏せておいた方がいいでしょう、これ以上国民に混乱を与えたくありません。それに《マテリアル》が関わっているとなると、近隣諸国との関係が危ぶまれる恐れがありますので」
「そうだな……わかった」
「今後は軍に調査団を設置して捜査させます。私も独自に調べるつもりですので、報告は随時入れさせてもらいます。国王様とナタ様に」
「うん。わたしが動こうにも《マテリアル》には詳しくない。ガーネット殿を中心にそうしてくれ」
「承知しました」とガーネットが頷き、ナタは書類をファーバーに返した。それから小さく息を吐き、呟くように口を開く。
「……悪用を防ぐために《マテリアル》に鍵というか、制御装置を付けられたらいいのにな。そういう研究は進んでいないのか?」
「そうですね……そういう研究案も出てはいるんですが、費用の問題もありまして……」
「ああ……」
ナタとガーネットは同時にため息を吐き、がくりと肩を落とした。
紛争に長引く干ばつ。カペルの財政は火の車だ。研究に回せる費用などありはしなかった。
ナタはゆるゆると髪を振り、顔を上げた。
「もう一つの話は?」
そう尋ねると、ガーネットは何故か意味深にファーバーと目配せしあった。
二人が話すことを渋っているようにも見え、ナタはまたも嫌な予感を覚えた。
ナタが訝しんでいると、唐突にファーバーが嘆息して口を開いた。
「……ガーネット司令官、やはり私は反対です。危険すぎます」
どうやら危険な内容らしい。
胸の前で腕組みしたガーネットが、唸るように言う。
「だが、ナタ様に頼んで好転するなら……意思を聞くだけでも価値はあるはずだ」
「しかし、王女様に何かあっては遅いのですよ」
自分に何か頼み事があるらしい。
しかし彼らはなかなか本題に触れようとはせず、まとまらない応酬を繰り広げるばかりだった。
ナタは眉をひそめた表情のまま、側にいるカールを見上げた。彼は少し困ったように苦笑するだけで助け舟を出すことはしない。
ナタはやれやれと肩を落として口を開いた。
「それで、話って一体何なの?」
そう尋ねると、ガーネットとファーバーはハッと我に返ったような顔をする。
そしてガーネットがまた数瞬考え込んでから、言葉を選ぶようにゆっくり告げる。
「反乱軍が、和平のための交渉を求めています」
「本当に?」
ナタはパッと表情を明るくした。一方でガーネットはどこか眉を曇らせたままだ。
そのことには気付かず、ナタは僅かに声を弾ませる。
「話し合い、してくれる気になったんだ。わたしは応じるべきだと思うよ」
「ええ、私もそう思います。しかし、交渉をするために反乱軍側が先に条件を出してきていまして――」
「条件? どんな?」
ナタはキョトンとして小首を傾げた。
ガーネットはまたファーバーと目配せし、そして言った。
「交渉する相手は第一王女しか認めない、とのことです」
「ええ? わ、わたし?」
自身を指差してナタは目を丸くした。全く予想外な条件だった。
「わたしに交渉ができるかな……」
思わずそう呟くと、ガーネットが大きくため息を吐いた。
「交渉の準備はいくらでも出来ます、綿密に計画を練ればナタ様でも交渉は出来るでしょう。……まさか行くつもりではないでしょうね?」
「……でも、わたしじゃなきゃ交渉しないと言っているのだろう。紛争を終わらせるためなら手段は選んでいられないと思う」
そうでしょう? と問うと、ガーネットとファーバーは顔を見合わせた。
どうやら彼らはナタがこの件をのむとは思っていなかったようだ。なら伝えなければいいと思うのだが、まあそれは置いておこう。
「力になれるならわたしも手伝うから」
やらせて欲しいと続けようとしたが、傍らのカールが口を開いて遮った。
「お二人が心配しているのは、ナタ様の命ですよ」
「え?」とナタは振り返った。カールは酷く真面目な――厳しく見えるくらいの表情をナタに向けた。
「この交渉に命を賭けられるか、と言っているのです。反乱軍と話をする以上、何も起きないということはないでしょう。危機的状況にだってなるかもしれない。交渉どころじゃなくなるかもしれない。そんな中、ナタ様は冷静でいられますか?」
まくし立てるように尋ねられ、ナタはあからさまに怯んだ。
紛争を終わらせたいことばかり考えて、その分のリスクまでは考えていなかった。浅慮すぎると彼は言ったのだ。
うううと唸りながら躊躇っていると、ガーネットがやれやれと少し呆れた風に肩をすくめた。
「カール、命を賭けろとは言い過ぎだぞ」
「引き受けるならそれぐらいの覚悟を持って臨んで下さいということです」
カールがさらりと返した。ガーネットは腰に片手を当て、ナタを見下ろした。
「……貴女の護衛はそう言ってますが、それでも引き受けるのですか」
彼の問いに、ナタは胸の前で腕を組んでしばらく考え込んだ。
ガーネットたちは自分を送り込むことははっきり言って嫌なのだろう。心配してくれる気持ちは分かるし、有り難い。
しかし、この機を逃して良いものだろうか。
自分が交渉に赴けば、紛争が終結し、カペルも少し安定するかもしれないのだ。リスクももちろんあるだろうが、事前に対策を練っておけば回避できるはずだ。反乱軍のオルバネ襲撃を防げたように――。
ナタは一度目を閉じ、開いた。
「やる」
「……そうおっしゃると思いました。貴女は意外に頑固ですしね」
ガーネットは諦めたように苦笑を浮かべ、姿勢を正した。
「承知しました。ナタ様が直接赴くという方向で調整しましょう」
「ガーネット司令官、よろしいのですか? 王女を危険な目に遭わせて……」
ファーバーが不安げにガーネットとナタを交互に見ている。
「危険な目に遭わせないために、これから計画を練るのだ。まずは護衛選抜からだな。カール、護衛に向いていそうな者はいるか」
「ああ、それなら、ディルクの隊はどうでしょう」
「ディルクというと、ディルク・ハーセのことか。あいつは今デラロサで大暴れしているらしいじゃないか」
「そのようですね、無茶ばかりしていると聞きます」
カールが疲れたようなため息を漏らす。
ディルク・ハーセ。初めて聞く名だが、カールもガーネットもどうやら顔見知りのようだ。
ガーネットがくつくつと笑い、茶化すように言う。
「反乱軍を押さえられているのも、あいつらの活躍あってのことだ。ちょっとした英雄だぞ」
「本人の前では言わないで下さいよ、調子に乗りますから。それに、活躍すればするだけ、白い目で見られることもあるんです。そういうところが分かってないんですよあいつは」
やれやれといった風にこぼすカールを、ナタは珍しく思いながらしげしげと眺めていた。彼が誰か他人のことを迷惑そうに語る姿は、あまり見たことがない。
「でもあいつは私とも顔馴染みですし、護衛の件でも連携が取りやすいと思います」
「なるほどな。じゃあディルクに頼むという方向でいこう。他の計画はこちらがまとめますので、決まり次第ナタ様にお知らせします」
そう言ってガーネットが振り向いたので、ナタは静かに頷いた。
* * * * *
王宮の南側にある広いサロンは、天井まで届く大きなガラス窓があり中は眩しいくらいに明るかった。
床や壁は正方形の白い石がタイル状に敷き詰められていて汚れ一つなく磨かれている。
窓際には様々な植物――乾燥に強いものがほとんどだ――が置かれていてみずみずしい輝きを放っていた。
日中は気温がかなり上がるため、日光が降り注ぐこの部屋に好んで近寄る者はほとんどいない。
ナタにとっても暑いことには暑いのだが、昔から遊び場にしていたのでもう慣れてしまっている。
ガーネットの部屋を出てすぐ妹に、
「ろくにお散歩できなかったですし、一緒にお茶をしましょう」
と誘われたのでナタはサロンを訪れた。