Fortune(4)
「では医者を呼ぶまで部屋で大人しくしていて下さい。ああ、そう言えばアマリア国王がナタ様と話をしたいとのことで、本日の午後に予定していますが、よろしいですか? 体調が芳しくないようでしたら、延ばすことも可能ですが――」
「午後ね、わかった。準備しておく」
ナタは即答した。
アマリア国王と話をするためにここまで来たのだ。些細なことで時間を延ばしたりしたくはなかった。背中の痛みなど我慢すればいい。痛すぎる時は鎮痛剤を打ってもらうという手もある。
「承知しました。アマリア側に伝えておきましょう。あと、会談には誰を連れていきますか?」
「え? ああ、従者か……エマについてきてもらおうかな」
いい? と振り返って確認すると、エマは少し驚いたようだったがすぐ精悍な顔付きで頷いた。
その時、部屋の中からマクシーネの声が聞こえた。
「お姉さまが消えた!」
今にも泣き出しそうなその声音にナタは思わず苦笑し、ガーネットやエマと視線を合わせた。そしてバルコニーを横切って窓に近寄り、カーテンを捲って中を覗く。
「マクシーネ、まだ早いんだからそう大声出しちゃ――おっと」
ナタの姿を見た途端、マクシーネは飛びついてくる。彼女はナタの身体をぎゅっと抱きしめて、肩にぐりぐりと額を擦付けた。
「マクシーネ?」
「わたし、もう……もうあんな怖い思いするのはイヤです!」
ナタは少し首を捻り、
「昨日のこと? 急に倒れちゃったし、心配かけたね」
ごめんねと謝ると、妹は顔を上げてかぶりを振った。
「そうじゃなくてっ……いいえ、それもですけど! お姉さま、カペルのこと全部一人で解決しようとするんですもの……! 危険なことはしないでと言ったのに! どれだけ心配したと思ってるんです!」
「ああ……ごめん」
「別に謝ってほしいわけじゃありません!」
「ええー、じゃあどうすればいいの」
弱り果てて眉を下げると、マクシーネは一層頬を膨らませた。
「カペルに戻るまで、わたしと一緒にいてください」
「ん? いいよ、そのつもりだったし」
「ほんとに? じゃ、じゃあ、後で海に行きましょう? マウラの海ってとっても綺麗なんですって!」
「へえ、わかった」
ナタは微笑んで頷き、マクシーネがパッと顔を輝かせた。
本当、ころころ表情が変わる子だなと、ナタは内心感心していた。そんな彼女を悲しませてしまうような最悪の事態にならずに済んで、心底良かったと思う。
「あ、そうだマクシーネ、服を貸してくれないか。アマリア国王と会談するのに服を持ってきてなくて、みっともない格好じゃ失礼だし。いい?」
「もちろんですわ、何色のドレスがよろしくて?」
急にマクシーネの目の色が変わり、まるで玩具を発見したかのような視線に、ナタは思わずゾッとした。
「えーとね、マクシーネ、ドレスじゃなくてもいいんだよ? ブラウスとスカートとかそういうの――」
「そうですね、お姉さまはちょっと細いから肌を見せるのは止めましょうか。フリルの多いものがいいかしら? でも会談ですしね、政治的な場にヒラヒラしすぎてるのもあれね」
「おーい、マクシーネ、聞いてる?」
「はいはい、聞いてますわよ。じゃあお姉さま、わたしの部屋に行ってドレスを当ててみましょう。それから考えましょう」
マクシーネに腕をがしりと掴まれ、ナタは引きずるように連れ去られた。
そしてマクシーネが持つ服のほとんどを次から次に身体に当てられ、着替える前に風呂で肌をゴシゴシ磨かれ――これは公爵邸のメイドが数人がかりでやった――、そしてマクシーネが選んだ淡い青色のドレスを着せられるナタだった。
*
カペルの政治や歴史を学ぶ時にアマリアのことはよく出てきた。百年前の大戦では連合国同士だった訳だし、それからも――近年の不穏な関係になるまでは、交流は盛んだった。
最近のことになると、彼の名前はよく出てくる。
二年前、十八という若さで国王に即位した、ワト・カミル・ローレンス・アマリア。
以前彼の即位式に参加したため、彼と対面するのは二度目になる。
二年前は簡単な挨拶を交わしただけで会話らしいものはしなかった。だから彼の人となりは判断できなかったが、言葉や仕草の端々に賢さが見えていた。
午前中に着替えをしている最中も、マクシーネにワトのことを尋ねてみた。
何を考えているのか分かりづらいが、意外に優しいのかもしれない。と、自信なさげに彼女は教えてくれた。
まあ確かに、目の前に座るアマリア国王は始終表情がないし、取っ付きにくいとはナタも感じた。
ただ、対面してまず先にマクシーネやガーネットを匿ってくれたことに謝意を示すと、彼は少し表情が変わった。何というか、照れ臭いといった風に。
それを見た時ナタは「おや?」と思ったが、そこからはずっと無表情に淡々と話すばかりだった。
今日の対談は公表するものではないから楽に話してくれていいと言われたので、ナタは力を抜いて――しかし気は抜かずに話していた。
戦争のことについて追及されると思っていたのだが、ワトはそのことには触れずに政治的な話がいくつか上げた。
何やらアマリアがカペルの農業援助をする代わりに、カペルの技術が欲しいとのことだった。まあいわゆる軍事共同開発しないかということだ。
恐らくアマリアもヴェネフィカスの噂ぐらいは聞いているのだろう――スパイを潜り込ませていたぐらいなのだし。《マテリアル》の研究を行っているなら、打診してきてもおかしくはない。
しかしナタは、援助は有難いが、自分一人では決断いたしかねるときっぱり答えた。
「承知した。それに関しては後ほど、公式に話をしよう」
そう言いながらワトはまじまじとこちらを眺めている。
ナタは内心嘆息していた。何だか先程から受け答えを試されている感じがする。
というかカペルが断れないことを知っていて、わざとらしく言っている気がしてならない。断れる訳がないじゃないか、援助は喉から手が出るぐらい欲しいのだから。
自分も彼ぐらいずる賢さを持つべきなのかもなと、ナタは短く息を漏らして手元の書類を捲った。
「共同開発については、後日外交官を送りますのでその時詳しくお伺いします。……休戦協定の調印式は、三週間後、これもマウラで、ですね。こちらはわたしが調印します」
「こちらも私が出向く」
相変わらず平坦な口調でワトは言った。
ナタは彼の水色の瞳をちらと見て、テーブルに視線を落とした。
ワトはあえて避けてくれていたようだが、やはりこのまま話さないというわけにはいかないだろう。そう考えて、ナタは意を決して口を開いた。
「戦争のことですが……そちらには申し訳ないことをしました。カペルの者として謝罪します」
そう言って頭を下げると、少しの沈黙が流れた。
ワトは品定めするようにこちらを見ているのだろう。痛いくらいの視線を全身に感じられた。
「……その気持ちは私が受け取っておこう。だが――」
罵られることを覚悟していたのだが、ワトは意外な言葉をくれた。彼が少しの間を置いたため、ナタは反射的に顔を上げた。
ワトはじっとこちらを見つめていた。冷たい色の瞳に思わずたじろいでしまったが、よくよく見ると彼はどこか労うかのような表情をしている。
「国のトップがそう簡単に頭を下げるのは止めておけ。外交で下手に出るのは厳禁だ。そうでなくても、あなたは利用されやすいだろう……その目の色のせいで」
「あ……」
ナタは無意識に片目を押さえた。そうだった、今は眼鏡を掛けていない。しかし何故かもう紫色を晒すことを怖く思わなくなっていた。
「あなたが非を認めたら、こちらがやったことが正しいということになる。これが公式な場だったら、俺はそこに付け込んで無茶な要求をするだろう。戦争はどちらも被害者で、加害者だ。だから無闇に謝ったりするな。特に今回は勝敗がついたわけでもない」
「……はい」
「まあでも、アマリアの国民の大半は怒っている、ということは肝に銘じていてくれ」
「はい」
ナタは神妙な面持ちで頷いた。するとワトはやれやれといった風に肩をすくめる。
「そう気負わなくていい。一連の戦闘で互いに傷付いたが、傷はいつか癒えるものだ」
「……国も、でしょうか」
「俺はそう思う」
自信に満ちた表情で彼は言ったが、急にため息を吐きテーブルに頬杖をついた。
「それに、今カペルと争ってる場合じゃないんだよ。敵は他にもいるからな」
その“敵”がどこなのかワトは口にしなかったが、ナタは何となく理解できた。北のゲルリダとアマリアは、昔から仲が悪い。
「国王陛下、今のは問題発言です」
ワトの後ろに控える明るい茶髪の従者・ギルベルトが諫めるように口を挟んだ。
「別にいいだろ、公式に発表する会談でもないし、録音もしていない。愚痴ぐらい言わせろ」
「公式だろうがなかろうが、隣国の王族の目の前なんですよ? 少しはわきまえて下さい」
「分かった分かった、今のは撤回する」
面倒臭そうにワトは手をぶらぶら振った。そして手にしていた書類をテーブルに置いてナタに視線を向け、しばらく黙ってから口を開いた。
「……百年前の大戦のことだが」
「え?」
いきなり話題が飛んでナタは目を丸くした。
「ゲルリダがデラロサに侵攻した真の理由、あなたは知っているな?」
ワトの問いに、ナタは僅かに顔をしかめ、頷いた。
カペルとアマリアの王族の正統後継者と一部の者しか知らない、真実。ナタは十五の時、後継者に指名された折に国王から聞かされた。
「ならいい。俺が言うのも何だか、あなたの母親の判断は恐らく正しかった」