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Fortune(3)

* * *




 目を開けると天井が見えた。それを見上げながらナタは内心首を捻る。

 ここはどこだろう。何故自分は眠っていたのだろう。記憶を辿ってみるが、頭の中が霞んでいるようではっきりと思い出せなかった。

 ナタは視線を動かし辺りを見渡した。夜なのか部屋の中は暗く、しかし頭上にある小さな照明が薄明るく室内を照らしていて何も見えない訳ではない。


――喉が渇いたな……。


 ゆっくり瞬きを繰り返しながらぼんやり考え、このまま寝ていてもしょうがないとナタは起き上がった。

 いつの間に寝台に上ったのだろう。身体に掛けられていたシーツは触り心地がいい。


「……う……ん……」


 不意に横からくぐもった声が聞こえ、ナタは振り返った。

 そこには椅子に腰掛けて寝台に突っ伏し、すやすや寝息を立てているマクシーネの姿があった。

 何故ここにマクシーネが?

 真っ先に疑問が頭に浮かび、そしてようやく思い出す。

 そうだ、ここはマウラだ。ガッダ公爵邸に着いてすぐ、自分は倒れたのだ。ということは、ここはガッダ邸の中なのだろう。挨拶もせずに、あまつさえ気を失って運び込まれるとは、なんとはしたない。

 すぐにでも非礼を詫びなければ。ああでも今は夜だ、きっと誰も起きていない。ならば謝罪は朝になってからだ。寝台を降りかけたナタは思い留まって座り直した。

 そして朝になるまでどうしていようか悩み始める。

 また横になってももう眠れそうにないし、室内を動き回ったら物音でマクシーネが目を覚ましてしまうだろうし。ましてや部屋を抜け出して探索するなど以ての外だ。

 胸の前で腕を組んでうんうん唸っていると、急に部屋の扉が開く音がした。ナタは僅かに飛び上がりそちらに振り返る。

 出入口に立っていたのは、手に灯りを持ったエマだった。

 彼女はナタを見てどこかホッとしたように微笑み、部屋へ足を踏み入れて扉を閉める。


「ご気分は悪くありませんか?」


 寝台に近寄りながらエマが小声で尋ねた。マクシーネを起こさないためだろう。ナタもこくりと頷いて、ひそひそと言った。


「大丈夫……今何時かな」

「明け方の四時です」

「えっ、朝なの? ……わたし寝過ぎだね」


 思わず苦笑を浮かべると、エマはふふと肩を揺らした。


「今日までずっと過酷でしたから、お疲れになったのでしょう」

「エマは疲れてない?」

「はい。……まあ正直に言えば疲れてますが、体力には自信がありますので」


 ご心配なさらずに。と彼女は笑った。

 いつだったか、カールも似たようなことを言っていたなと、ナタは不意に思い出してしまって胸が苦しくなった。


「でも隊長はさすがに疲労が溜まっていたみたいで、珍しく泥のように眠ってます。これまであまり寝てなかったようですし」

「そっか……ディルク大尉も身体を壊さないといいけど」

「あの人が倒れたりしたら、カペルに一年中雨が降りますよ」


 エマはあっさりと冗談のように言って、テーブルの上に置いてある水差しからグラスに水を注ぎ、それをナタに手渡した。

 貰った水を口に含むと、カラカラに渇いていた喉が一瞬で潤った。


「美味しい。ちょっと味が付いてる」

「柑橘系の果物と少し塩を入れてるようです。吸収がよくなるのだとか」


 へえ、と呟いてナタは水を飲み干し、もう一杯貰ってまた飲み干した。

 そしてグラスをエマに返しながらナタはおずおず切り出す。


「少し外に出てもいいかな……外の空気を吸いたいのだけど」

「バルコニーでしたら、どうぞ」


 エマがカーテンの引かれた大きな窓を指し示す。

 ナタは寝台を揺らさないようにそっと降り、窓辺に向かってカーテンを開いた。確かに窓の向こうに広いバルコニーが続いている。

 裸足のままバルコニーに出て、手すりまで寄った。

 マウラの首都と海が見え、空はまだ暗いが、水平線付近はうっすら明るみ出し、淡い紫色に染まっている。


 どこの国でも夜明けの色は同じだ。

 自分がどんなに思い悩んで立ち止まったって、世界は回り続けている。

 一人取り残される感覚で時に非情に感じられることもあるが、背中を押してくれるような救いの手にも思える。

 明けない夜はない。だから自分たちは先に進めるのかもしれない。


 ナタは深呼吸した。カペルと違って空気は埃っぽくなく、少し湿気が多い気もするがそれでも清々しい。

 ふと隣にエマが音もなく立ち、ナタはそちらへ顔を向けた。


「アマリア国王も、ここに着いているのかな」

「はい。私はお会いしていませんが、マクシーネ様と共に参られたそうです」

「そうか。マクシーネがここにいるのは、アマリア国王の配慮なのかもね」

「ええ、マクシーネ様もご無事で安心いたしました」


 うん、と呟いて視線を元に戻したが、ハッとしてまた振り返る。


「戦争はまだ止まってないでしょう? それなのにわたしってば、悠長に寝てただなんて……早くアマリア国王と話をしないと――」


「ああ、それは」とエマが返す。焦燥感にかられるナタとは違い、彼女は至って落ち着いた様子で続けた。


「一応、休戦になりました。戦闘は全面停止、両軍に撤退命令を出しています」

「えっ……ええっ? ほんとに?」


 ナタは拍子抜けしてしまい、ポカンと間抜けな表情になった。

 だって自分はまだ何もやっていない。


「本当です。しかし、アマリア国王はナタ様とも話をしたいとおっしゃっているそうで、もう数日こちらに滞在するのだとか」

「……ちょっと待って、わたし“とも”話をしたいって、先に誰かと話をしたの?」

「はい、ナタ様が眠られている間、実は――」

「私が話を進めておきました」


 エマの言葉を継いで、突然低い声が耳に飛び込んできた。聞き覚えのあるその声に振り返ると、窓辺に一人の男が立っていた。

 彼を見たナタはあんぐりと口を開けた。


「……が、ガーネット殿!?」

「お久しぶりです、ナタ様」


 無駄のない所作でガーネットは敬礼し、エマが敬礼し返す。

 一方でナタは頭を混乱させていた。

 戦争が始まる直前に行方不明になり、その後も見つかっていなかったガーネットが何故マウラにいるのか。

 言葉が出ないナタに対し、ガーネットは苦笑して話しながら歩み寄ってくる。


「不思議に思っても仕方ないでしょう。突然消えた男がひょっこり現れたのですから」


 彼はナタの前に立ち、肩をすくめてこれまでの経緯を話し始めた。

 アマリアとの会談に向かう途中、ガーネット一行は何者かに襲撃された。ガーネットは捕縛され――付き従っていた者達は殺害されたらしい――、どこかに輸送された。しかしその途中、隙を見て彼らの手から逃れ、そして逃げ込んだ先、アマリアに匿ってもらっていたとのことだ。

 現場から遠ざかっていたとはいえ、彼もやはり軍人なのだなと、ガーネットのたくましさにナタは感心していた。

 それから戦争が始まったことや、ナタが捕まったことを知らされ、アマリアと対策を練っていたらしい。

 説明を途切らせ、ガーネットは短くため息を吐いた。


「まさかファーバーが黒幕だったとは……と言いたいのですが、あの者を側に置いていて見抜けなかった私も大概ですね。戦争を回避するために協力してくれていたアマリア側にも申し訳が立たない……」

「……もういい」


 ナタはかぶりを振った。

 戦争は始まってしまった。後悔してもし切れない気持ちは分かるが、カペルの外にいる今は、弱気になっていてはいけないと思うのだ。


「わたしは、ガーネット殿が無事で嬉しいよ。戦争を止めてくれたのもガーネット殿なんだろう、ありがとう」

「……礼など、私には恐れ多い。私はほとんど役に立っていませんし、休戦に関してはほとんどアマリア側の尽力で成ったようなものですから」


 彼の言葉を聞いてすぐ、ルーシーとルーカスの顔が頭に浮かんだ。二人もマウラにいるのだろうか。いるのなら会って礼が言いたいものだ。


「自国内の紛争で疲弊しきったカペル軍など、アマリア軍であればすぐせん滅できそうなもの。それでも対話を優先してくれた彼らの懐の大きさには頭が下がります」

「……うん」

「それに、どうやらディルクたちもかなり頑張ってくれたようだ」


 そう言って、ガーネットはエマに労うような視線を向ける。


「ナタ様がマウラに辿り着かなかったら、戦争は終わらなかったかもしれない……ディルクたちに貴女を任せたのは賭けでしかなかったが、まさか王宮奪還までやってのけるとは。どうやら人選は間違っていなかったのですね。カペルに戻ったら、ディルクたちには長い休みをやるか」

「うん、彼らもきっと喜ぶ」


 ナタは微かに笑った。ザシャやパットが手放しで喜びそうな提案だ。


「ところでナタ様、お身体の具合はいかがです? 倒れたと聞いた時は肝が冷えましたぞ」

「ああ、もう大丈夫……と言いたいのだけど、実はさっきからまた背中が痛み出してて……」


 ナタは片手で顔を覆い、もう片方の手を自身の背に回した。車が横転した時に痛めたところが、今になって再びズキズキと痛みだしている。

 するとエマが僅かに眉を上げた。


「背中? どのぐらい痛いのですか?」

「えっと……たまにビキッてきて息が詰まる程度の痛さ」

「結構な重傷じゃないですか! 何故黙ってたんですか!」

「だってあの……忘れてた」


 エヘと苦笑すると、何か言い返そうとしていたエマは呆れたといわんばかりに盛大なため息を吐いて口を閉じた。

 一方でガーネットがくつくつと笑う。


「朝一で医者に診てもらいましょう。それまで辛抱できそうですか?」

「うん、大丈夫そう。あまり動かなければ」

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