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Fortune(2)

「別れたの? 上手くいってなかったとか?」

「いや……王女の護衛に就くと決めたからだ」


「うそ」とナタは瞠目する。


「嘘じゃない。専属になるってことは常にあんたの側にいなきゃならんし、王宮に篭もりっぱなしにもなる。生半可な覚悟じゃ務まらんだろ」

「そんな、わざわざ別れることないのに……」

「それでもあんたを守ることに重きを置いたんだ、あいつは。他のことは全部捨ててまでな」


 ディルクにきっぱり告げられナタは眉を下げた。

 聞かなければよかったと、今更になって後悔した。カールは自分の側にいるために、色んなものを捨てた。

 いや、違う。


「……わたしが、カールから色々なものを奪ってるのか」


 そんなつもりはなかったのに。


「あいつが選んだことだろ。気にするな」


 ディルクが励ますように言ってくれたが、何だかその声も遠くに聞こえた。

 カールの普通の生活も、恋人も、あまつさえ彼の命までも奪おうとした。

 自分のために尽くしてくれた彼に感謝すべきなのだろうが、今は、そうさせてしまった自分を恨むことしかできなかった。

 結局、カールにとって自分は魔女にしかなれないのだ。



 マウラの首都に着いた頃には日は沈みかけ、空は赤く染まっていた。

 車は小高い丘の上にある建物を目指して走っていた。

 ナタはまたぼんやりとしながら、窓の外を流れる見たことのない植物たちを眺めていた。

 いつもなら見て楽しめるはずの物も、心ここにあらずではただ目に映るだけ。道端に咲く赤い花が何という名なのか、それを尋ねてみる興味すらわいてこなかった。

 不意に車の速度が落ち始め、しばらくして停止した。ディルクが窓を開け、外に立っている人物と何やら話している。

 前方に目を向けると鉄柵の門があり、ディルクが話している相手はどうやら門衛らしい。恐らくこの先が、自分たちが目指している場所なのだろう。


 もうすぐ自分はアマリア国王と対面し、話をする。

 ナタは少しの間俯き、そしてぶんぶんとかぶりを振った。更には両頬をパンと叩いて大きく息を吸う。

 これから大切な話し合いをするというのに、こんなしみったれた顔をしていてはいけない。しっかりしなくては。

 ナタが顔を上げるのと同時に車がまた走り出し、門を通り抜ける。

 それから道なりに少し進むと、石造りの巨大な建物が現れた。というか、丘の下からもこの建物は見えていたのだが、近付くとその大きさがよく分かる。


「――ここがガッダ公爵邸?」

「ああ。別邸らしいがな」


 平坦に答えながらディルクは車を庭の隅、駐車場とおぼしきところに停めた。三人は言葉も少なめに車を降り、ガッダ邸の玄関へと向かった。

 広い庭の垣根の向こう側、丘の下にあるマウラの首都の町並みと、更にその向こうにある海が夕日に照らされて輝いていた。

 なんて美しい光景なんだろう。家々も水面も全部オレンジ色に染まっている。

 夕暮れの景色を見ているせいか、寂しさや懐かしさが胸に込み上がってくる。マクシーネと遊び回った幼い頃が蘇るような感覚に、ナタは自ずとため息を漏らした。

 その時だった。


「――お姉さま……!!」


 遠くから自分を呼ぶ声がして、ナタは振り返った。

 夕日のような色の髪の少女が両手を広げて、どこか泣き出しそうな表情で駆け寄ってくる。ナタは足を止めて彼女を待った。

 たった今思い出していた、自分の良き理解者であり、大切な妹、マクシーネ。

 彼女とはひと月とちょっと離れていただけなのに、顔を合わせるのがこんなにも久し振りに感じるだなんて。

 マクシーネは息を切らしたまま、ナタに抱きついた。


「ごっ、ご無事でよかったぁ……! お姉さまに何かあったらどうしようかと……思って……うえっ」

「マクシーネ……」


 マクシーネの肩に頬を寄せ、ナタは目を閉じた。

 ゆっくり呼吸を繰り返して妹の優しい匂いを胸に満たした。マクシーネの体温が心地よくて、彼女が何故ここにいるのか、もう疑問にすら思っていなかった。

 耳元でしゃくりあげる妹の背をさすってやりながら、ナタは自身の頭の中がぐるぐる回り始めたのを感じた。マクシーネに会って安堵したのか、次第に身体の力が抜けていく。

 ナタはふらふらする足下を気力で踏ん張らせて尋ねた。


「マクシーネ、アマリアではいい子にしてた……?」

「……はい」


 身体を離して鼻をすすりながらマクシーネが頷き、ナタは僅かに微笑んだ。


「そう、よかった――」


 突然、ナタの膝がかくんと折れた。


「お姉さま!?」


 マクシーネが悲鳴のように叫び、後ろでディルクとエマが驚いた声を上げるのが、薄らいでいく意識の中で聞こえていた。

 ああ、せっかくマクシーネと再会できたのに。もっと話をしたかったのに――。

 自分がどうなったのかも分からぬまま、ナタは眠るように意識を手放した。




 客室の寝台に寝かされたナタを、マクシーネはハラハラしながら見つめていた。

 まさか大怪我でも負っているのではないか、病気でも患ってしまったのではないかと不安でならなかった。だっていきなり倒れるんだもの。

 公爵邸の者に急遽呼んでもらった医者は、ナタの身体を診察しつつ言う。


「どうやら気を失って、眠っているだけのようですね」

「……え? 本当に? 病気とかでもなくて?」

「はい。疲労によるものかと」

「……そっかぁ」


 よかったぁ、とマクシーネはホッと安堵のため息を吐き、力が抜けてその場にしゃがみ込んでしまった。

 怪我や病気がなかったとはいえ倒れるほどの疲労を蓄積していたとは、一体ナタはどんな困難な目に遭ってきたのだろう。自分には想像もつかなかったが、それでも姉とまた生きて会えたことは泣きたくなるほど嬉しいことだった。


「へえ、マクシーネとお姉さん、あんまり似てないんだね」


 突然隣から声がし、マクシーネは飛び上がった。振り返ってみれば、そこにはエラルドの姿があった。

 またこの男は音もなく現れる。そう思ってマクシーネは眉を上げた。


「女性の部屋に勝手に入り込まないでください」

「まあいいじゃない。僕の家でもあるんだから大目に見てよ。それに君のお姉さんを見てみたかったし」

「……ローザに言いつけますからね」

「あ、それは酷いな」


 僅かに唇を尖らせてエラルドが振り向き、そして彼は短く笑った。


「本当はお姉さんの瞳も拝見してみたかったんだけど、それは後々の楽しみにしておくよ」

「姉は見せ物ではありません」

「うん、そうだね」


 エラルドは珍しく真面目な様子で頷く。それが意外に思え、マクシーネは立ち上がってじろじろと彼を眺めた。


「そういえば、そこに立ってた兵士たちも疲れてるみたいだったから別の部屋に案内させたけど、よかったかな?」

「あっ」


 姉をここまで担ぎこんでくれた二人の兵士をようやく思い出し、マクシーネは部屋を見渡す。しかしすでに彼らはいなくなっていた。


「どこにお連れしたのですか?」

「警備隊用の仮眠室だよ。客室貸すって言ったのに、そこでいいって言われてさ」

「それ、どこですか」

「一階の奥の部屋。行けばすぐわかるよ」


 ありがとうございますと礼を言って、マクシーネは足早に部屋を出た。


 階段を下り、一階に辿り着く直前で二人の背中を見つけた。


「待って!」


 声を掛けると、彼らは足を止め振り返った。マクシーネの姿を見て、僅かに戸惑ったような表情を浮かべる。


「……どうかなさいましたか」


 男の兵士が落ち着き払った低い声で尋ねる。マクシーネは彼らの側まで駆け寄るなり、急ききって口を開いた。


「ありがとう。あなた達がお姉さまを守ってくれたのでしょう」


 兵士二人は驚いたように顔を見合わせた。それも気にせず、マクシーネは更に首を垂れる。


「本当にありがとう」

「えっ、あの、どうか顔を上げてください」


 女の兵士がオロオロと狼狽しながら両手を振る。


「私たちは司令官の命に従ったまでです」


 それでも、とマクシーネは勢いよく顔を上げた。


「あなた達のお陰でお姉さまがここまで来られたのは事実でしょう」


 マクシーネは背筋を伸ばして二人を見つめ、微かに笑んだ。


「名前を、聞いてもいいかしら」


 そう問うと、二人は一瞬顔を見合わせ、それからその場で姿勢を正した。


「ディルク・ハーセ。大尉です」

「エマ・ダグラス。曹長です」


 手を額に添えながら紡がれた名を、マクシーネはこの先ずっと忘れないのだろう。

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