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Fortune(1)

 ナタは窓の外をぼんやり眺めたまま、何も考えられずにいた。

 負傷者たちの乗った車を送り出してから、ナタたちもマウラに向けて移動していた。

 ずっと白い砂漠が続いていたが、ふと気付いたら地面の色が変わり緑もかなり見受けられる。恐らくマウラが近いのだろう。もしかしたら既に国境を越えているのかもしれない。

 もう、どのぐらい走っているのか分からなかった。

 車内に視線を戻すと、隣に座るエマが心配そうにこちらを見ていた。そんなに長いことぼーっとしていたのだろうか。

 大丈夫だと微笑んでみようとしたが、思いの外、顔が動かなかった。


「……王女、気分は悪くないか」


 運転席のディルクが、落ち着いた声で尋ねた。ナタが小声で頷くと、彼はバックミラー越しに苦笑した。そうは見えないけどな、と言われたようだった。

 ナタは視線を落として少し考え込む。


「……あの」


「ん?」とディルクが首を傾げる。


「お父様は無事だろうか」

「ああ……衰弱してはいるが危険な状態ではない。意識もその内戻るだろう。今はダンの部下がつきっきりで看てるから心配はいらないさ」

「そっか……よかった」


 ナタは今日初めて肩の力を抜いた。ずっと力んでいたお陰で身体中の筋肉が強張っているようだった。

 でも、緊張の糸は切らないようにしていた。マウラでアマリア国王と対談するまでは、全てが終わるまでは強くいなければ。

 ナタはまた窓の外に目を向けて、ゆっくり口を開いた。


「二人共……今日まで支えてくれてありがとう。あなたたちがいなかったら、わたしは……死んでいたと思う」


 死んでもおかしくなかった場面はいくつもある。

 ボリスと遭遇した時、ファーバーに捕らえられて幽閉されていた時、そしてさっきのヴェネフィカスとの戦闘。

 それらを思い返すと、自分が今こうして生きていることが不思議でならない。自分一人では生きていられなかった。ディルクたちの助けがなければ。

 運転席でディルクがため息を漏らす。


「……俺たちだけじゃないだろ。たくさんの仲間がいて、アマリアも手を貸してくれたから、無事でいられたんだ。それに、あんたを一番支えていたのはカールだ。その言葉はあいつに言ってやれ」


 そう告げる彼の声が余りにも優しくて、ナタは掠れた声で頷くことしかできなかった。

 次第に鼻の奥がツンと匂って、ぐっと唇を噛んで耐えた。更には俯いて、泣きそうになっている顔を必死に隠した。

 その間、ディルクたちは押し黙ったままで、無闇に励まそうとはしない。それがかえって有難かった。

 感情の波が落ち着いてから、ナタは鼻をすすって顔を上げた。


「そういえば、ガーネット殿はどこにいるのだろう」

「さあな。まあ死んではいねぇだろ。っていうかマウラにいそうなんだよなぁ、あの人」

「……どうして?」


 ナタはキョトンとして首を傾げた。


「んー、王女を王宮から救出するために協力してくれたアマリアのスパイ、分かるか?」

「うん」

「そいつと話をしてる時に、なーんかガーネット司令官の存在を仄めかすようなこと言ってたんだよな。まあはっきりと聞いた訳でもないから、ほぼ俺の勘だ」


 そう言ってディルクはおどけたように肩をすくめる。そして彼はどこか遠くを見るように呟いた。


「……マウラに着いたら俺の役目は終わりかな」


 ナタは首を傾げた。役目とは何だろう。

 エマへ振り向いてみても、彼女も意味を汲み取れなかったのか首を傾げている。

 ナタたちが顔を見合わせているのに気付いたディルクが、微苦笑した。


「昔の話になるんだが、俺たち――俺とカールはあんたのことを頼まれたんだ、守ってやってくれってな」

「え……?」


 ナタは驚いてディルクを凝視した。一方で彼は前方を見たまま語り続ける。


「あんたとカールが初めて顔を合わせた日、王宮の中からその一部始終を見てたんだと。それでその日の内に俺らは呼び出された、王女の護衛にならないかってな」

「……あの、誰の話……?」


 誰のことを言っているのかよく分からず首を捻っていると、ディルクは肩をすくめた。


「王妃、あんたの母親だよ」

「お母様が?」


 ナタは息を呑んだ。まさかここで自分の母の名が出てくるとは予想もしなかった。


「王妃はデラロサのことと、王女の目の色をずっと気にかけていたようでな。当時はまだあんたに専属の護衛も付いてなかったんだろ、王女が近衛兵を怖がってたらしいし……王女が自分から兵士に近付いていったのは珍しいって聞いた。だから特にカールを説得してかな。あいつは何日か悩んでたが案外すぐ承諾してたよ」

「……隊長は、王女の護衛になろうとは思わなかったのですか?」


 ナタの隣からエマが尋ねた。


「そうだなー、第二王女の護衛はどうかと言われたが、断ったよ。俺には合わないと思ったんでな。その代わりにデラロサに異動した。カールは王宮に残って王女の護衛、俺はデラロサを直接監視、という風に役割を決めた。まあ紛争が始まるのが予想外に早くて驚いたが、王妃の予感は的中したわけだ」


 ナタは思わずエマと顔を見合わせた。そして急ききって尋ねる。


「お母様はそんなに昔から紛争が始まると思ってたの?」


 母が亡くなったのは八年前だ。それよりも前から故郷であるデラロサのことを懸念していたのだろうか。


「今の国王に嫁いだ時点で不安には思っていたらしい……不安要素を残してきてしまったと言っていた」

「不安要素って?」

「それは……今は言わないでおこう。あんたには重い話だ。全部が済んで、落ち着いたら話してやる」

「もしかして……ボリス・フレーリンが関わってたりする……?」


「ああ」短く頷いてディルクは口を閉じた。


 前のめりになっていたナタは身を引いて僅かに俯いた。

 かつてボリスが言っていたことは、どこまでが事実なのだろう。国王である父に嫁いだ時に、母は何を思っていたのだろう。今となっては真実を知ることは出来ないのだろうか。

 いや、当時を知る者が身近にいる。ボリスも母ももうこの世にはいないけれど、父がいるではないか。全てが済んで、父が快復したら尋ねてみよう。彼ならきっと話してくれるはずだ。

 ナタは心の奥でそう決心した。

 その時ふと、ディルクがまた嘆息し、口を開いた。


「でもよー、正直な話、王妃に頼まれた時は『何で俺が』って思ったなぁ。だって当時はまだ新米だったんだぜ、俺らに任せていいのかよってよ」


「そう……なんか、ごめんね」とナタは縮こまる。


「あーいや、責めるつもりで言ったんじゃねぇんだ。今は王妃の気持ちも痛いぐらい分かってる。自分の子どもが心配で、新米でもいいからって必死だったんだろ。親の気持ちってのは、親になって初めて理解できるんだな」


 苦笑混じりにディルクが言い、ナタはポカンと間抜けな顔をして彼の後頭部を見つめた。

 そして無言のままエマへ振り返り、ゆっくりディルクを指差す。するとエマははっきり頷いた。


「えっ、えーっ?」


 思わずナタは素っ頓狂な声を上げた。

「何だ何だ?」とディルクが怪訝そうにバックミラーでこちらを見る。鏡の中の彼を凝視してナタは目を丸くした。


「ディルク大尉って、結婚してたの?」

「あ? 言ってなかったか? まあ別にいちいち教えることでもないだろうが、嫁もいれば子もいるぞ」

「えーっ、ホントに? びっくりした」

「何でそんな驚かれないといけないんだよ……」


 ディルクが呆れたような顔をして、エマがふふふと笑っていた。それもお構いなしでナタはまた興味津々に前のめりになる。


「お子さんは何て名前? 何歳?」

「ナタージア、今年で三つだ」

「へええ、女の子なんだ。ナタージア……なんかわたしの名前と似てるね」

「まあな、勝手だがあんたの名前から貰った。嫁が考えたんだ」

「そっかぁ。でも、わたしと似た名前のせいで、将来“魔女”とか言われなければいいけど」


 少し心配に思って眉を下げると、ディルクはどうということはないといった風に肩をすくめた。


「嫁いわく、ミド・ブルージャは“女神”なんだと」

「えっ?」

「昔読んだ本に女神って書かれてたとかで、魔女よりそっちを信じてる。この国には女神がいるんだって。俺があんたの護衛してたと言ったら、嫁は卒倒するかもな」


 可笑しそうにディルクは言うが、ナタは何と返せばいいのか分からなかった。

 ルーカスに女神と言われ、ディルクの妻にも女神と呼ばれ。少し照れ臭かった。

 でもディルクの妻の言う書物が本当にあるのなら、ナタも読んでみたい。そしたら、この瞳の色ももっと好きなれるような気がする。

 ナタは照れ隠しに前髪を撫で付け、それからまた尋ねた。


「ねえ、カールは?」

「あ? 何がだ?」

「カールは……恋人とかの話ってないのかな。わたしが見てる限りじゃ、そういうのは分からなかったんだけど」

「ああ、あいつは――」


 ディルクは一瞬口を閉じた。どこか言いにくそうに小さく唸ってから告げる。


「あいつも恋人はいた」


 その言葉を聞いて、ナタは僅かに首を傾げた。何故か自身の胸の奥が重くなったような気がしたのだ。


――あれ?


 何なのだろう、この気持ちは。

 戸惑うナタの様子に気付かないディルクは話を進めた。


「近衛部隊に配属された時はまだ付き合ってたはずだが、その後別れた……だったと思う」


 曖昧に言われ、ナタは眉をひそめた。

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