Desert rogue Ⅱ(3)
が、次の瞬間、空が轟き、二つの稲妻が空気を裂いた。
視界を覆う激しい光に目を開けていられなかった。両腕で顔を覆い、雷鳴が遠のくのを待った。
「上出来だ、エマ! トドメ刺すぞ!」
突然頭上から降ってきたパットの声にハッと目を開くと、パットは拳銃片手に横を通りすぎ、そのまま一体のヴェネフィカス目掛けて落下していく。
エマもベルトに挟んでいた拳銃を取り出しながら宙を蹴り、もう一体へと向かった。
落雷を直に受けたヴェネフィカスらは僅かに黒く焦げ、うつ伏せに倒れていた。ピクリとも動かなくなっているが、恐らくまだ生きている。
エマはそれを無表情に見下ろし、銃口を向け、そして引き金を引いた――。
「上手くいきましたね」
エマの《術》に守られているシキが感心したように拍手をする。
「ええ……ヴェネフィカスが単純だったから成せたのだと思います。もし彼らが共闘できていたら不可能でした」
現段階でヴェネフィカスは自己防衛しかしない。共闘できるまで開発は進んでいなかったのだ。
胸に穴の空いたヴェネフィカスを見下ろし、エマはため息を漏らした。
彼らの所持している《マテリアル》は全て外した。これでもう攻撃はできまい。いや、もう既に息はないため、起き上がることもないのだ。
「ファーバーが現れなかったな」
隣に並んだパットが、エマ同様にヴェネフィカスを見下ろして呟いた。
そう、何故かファーバーがいない。ナタの近くに現れると思っていたのだが、その予想が外れた。
マウラに着くまでは油断できないなと、エマは無意識に背筋を伸ばした。
シキたちの援軍がなければナタを守れなかった。パットにはしっかりしろなどと注意したが、それは自分にも当てはまる。もうナタから片時も離れないようにしなければ。
「お、ありゃカールさんの車か?」
不意にパットが目の上に手をかざして遠くを眺めた。
彼の視線の先に目をやると、一台の車がこちらに向けて走ってきていた。さっきまでエマも乗っていた車だ。
すると、防護壁から出てチカと佇んでいたナタがカールの車に気付いたのか、チカから離れてそちらに進んでいく。まるでカールが辿り着くのが待ち遠しいというような行動に、エマは内心苦笑した。
やはりカールには敵わない。ナタが一番安心できるのは、ずっと一緒にいた彼の側なのだ。
やれやれと肩をすくめて、エマはナタの背から視線を外した。
カールの乗った車は不思議なぐらい猛スピードで近付いてきていた。その上、カールは窓から身を乗り出して何かを叫んでいる。しかし車の音のせいで全く聞き取れなかった。
エマはパットと顔を見合わせ、首を傾げる。
少し離れた位置に車を停め、蹴り飛ばすようにドアを開けたカールは、慌てた様子で走ってくる――。
「上だ!!」
カールの怒鳴り声に、エマは反射的に空を見上げた。
いや、見上げる必要はなかった。“それ”はすぐ地面に降り立ったのだ。黒づくめの身体に白い髪、赤い目――。
ヴェネフィカスは音もなく動いた。胸にある《マテリアル》が白い光を放ち、彼の周りに大量のいびつな晶石が作り出される。そしてそれらは一斉に飛散した。
エマは無我夢中でパットを抱えて宙に飛び上がった。
晶以外の防護壁が効かないのなら、攻撃が届かない位置まで離れるしかない。エマは一瞬でそう判断した。銃弾のような速さで、ヴェネフィカスが作り出した晶石が何個も何個もエマを掠めて飛んでいく。
「うぐっ、いって……!」
突然、抱えていたパットが唸るように悲鳴を上げた。
「パットさん、当たったんですか!?」
「足にっ……くそっ……お前が守るのは俺じゃねえだろう! 何で王女さん助けなかった! 馬鹿野郎!」
歯軋りしたパットに怒鳴られ、エマは唇を噛んだ。
飛び上がって、我に返った時はもう遅かった。身体が咄嗟に動いてしまったのだ。もう絶対に離れるつもりはなかったのに――振り返るのが怖かった。
「……ごめんなさい」
「謝るな! 俺だって何もできなかったんだ……クソッタレ!」
エマの肩越しにパットが拳銃を何度も撃っていた。
気付いたら、ナタは地面に倒れていた。
口の中いっぱいに砂が入っていて大きくむせた。少し頭がくらくらする。
何が起こったのだろう。ヴェネフィカスの姿を見たし、爆発音も聞こえた。その前に誰かに突き飛ばされた気もする。
ナタは砂を吐き出しながら身体を起こして振り返った。
そこには、膝をついて座るカールの背があった。更に二人を囲むように晶石の壁が。
ああ、またチカが守ってくれたのかなと、ナタはぼんやり考え、カールの背中に声をかけた。
「カール」
しかしカールは返事もしないし振り返りもしない。ナタは首を傾げ、再度呼んだ。
「……カール?」
すると、カールの身体がぐらりと傾き、壁にぶつかった。そして壁に沿ってずるずると崩れ落ちていく。
ナタは目を見開いた。
壁に、まるで塗りたくったかのように大量の血が付着していた。
ナタは自分の喉から悲鳴を飛び出るのを聞いた。胃から込み上がってくるものも感じ、ナタは咄嗟に口を押さえた。
そうしている間も、カールはうつ伏せの状態でぴくりともしない。
ナタは転がるように彼に駆け寄り、仰向かせた。
カールは顔も胴体も、全てが血と砂にまみれていた。どこから血が溢れているのか分からないほどだ。ナタは急いで自身のマントを脱ぎ、それでカールの血を拭う。
「カール! やだ、死んじゃやだ!!」
死なないで、わたしを置いていかないで!
ナタは無意識にそう叫んでいた。
カールの出血は止まる気配すらなく、ナタのマントが赤く染まっていくばかりだ。自分には手当ての方法が分からない。どうすれば止血できるのかも知らない。
「ダメ……死なないで……誰か……! エマ! パット! お願い、助けて……!」
「――二人なら見当たりませんよ」
突然、聞き覚えのある男の声がしてナタは顔を上げた。壁を隔てて立つ彼の顔を見て、ナタは全身から血の気が引いていくのが分かった。
全ての元凶である男――クラウス・ファーバー。
まさかこのタイミングで現れるなんて――いや、ナタはこの男の姿を一度見ていた。パットがヴェネフィカスに吹き飛ばされる直前、遠くに見た黒い影。
あれはファーバーだったのだ。恐らく、ヴェネフィカスの《マテリアル》の力で上空にでもいたのだろう。それならヴェネフィカスが上から降りてきたことにも合点がいく。
ファーバーは冷淡な眼差しでナタを見下ろし、そしてその視線を傍らに倒れるヴェネフィカスに移した。
「ヴェネフィカスは全て倒されてしまいましたか……まさか、アマリアから援軍がくるとは思いませんでした」
そう言う声は違和感を覚えるぐらい落ち着いていた。ファーバーの視線は離れた位置にいるシキたちに向けられた。
ドーム型の壁の中で、シキがぐったりしているチカを抱えている。チカのローブのところどころが赤く染まっていた。彼女も負傷してしまったようだ。ナタを守ったせいで護身が間に合わなかったのかもしれない。
ナタはファーバーを睨みつけ、カールを引き寄せた。するとこちらに振り返ったファーバーが薄ら笑みを浮かべる。
「どうですか? 大切な者を奪わる気分は」
ナタは眉をひそめて彼を見上げ続けた。
「ああ、でも貴女もすぐ、彼と同じ場所に行けますよ」
そう言ってファーバーはおもむろに懐を探って何かを取り出した。こちらにかざして見せたのは、透明な石――《マテリアル》だった。
ナタが僅かに動揺すると、ファーバーはにこりと笑った。
「実は私、適合者なんです」
「え――」
唐突な告白に驚いたのも束の間、晶石の槍がどこからともなく現れ、全方位から防護壁に突き刺さった。そして一瞬で防護壁が砕けた。
「最強の盾にも矛にもなる……晶の力同士で戦うとどうなると思いますか?」
ぱらぱらと降ってくる防護壁だった破片を呆然と見つめているナタのすぐ側にファーバーは立ち、
「勝敗はつかない、いわば相打ちです」
そう告げながら再び《マテリアル》を取り出した。
頭の中が真っ白になった。自分はここで死ぬのか。そう悟ってしまい、もう何も考えられなかった。
ナタは俯いてカールの顔を見下ろした。微かに呼吸はあるようだが、血の気は失せ、意識も戻りそうにない。
治療すればまだ助かるかもしれないけれど、ファーバーはそれもさせてくれないのだろう。もう、カールを助けるための手段が他には浮かばなかった。
自分は大切な人すら救えない。カールは命がけで自分を守ってくれたというのに。
ナタは己の無力さにゆるゆると髪を振った。
自分はマウラに辿り着けそうもなく、アマリアの期待にも応えられない。そして戦争も止まらないのだ。
ファーバーの思惑通り、この国に残されたのは絶望だけになった。
――殺すのならさっさと殺してほしい。
そう自棄になりながらナタは視線をカールの身体に沿って動かした。
そしてふと、彼の右の腰にあるもので目が留まり、ナタは無意識の内にそれに手を伸ばしていた。
カールがいつも身につけていた、黒い拳銃。意外と重いのだなとナタはぼんやり考えた。
銃を扱ったことはない。触ったことすらない。でも、引き金を引けば撃てるということは知っている。




