Desert rogue Ⅱ(2)
「そうですか。まあ《術師》ならば早々に死ぬことはないでしょう。というか生きていてもらわねば困るのです、私たちの《術》は攻撃には特化していませんから」
これから起こしますと言って、シキは腕捲りし始め、そしてチカに目をやった。
「チカは王女の護身に務めて下さい。王女から離れないように」
シキの命にチカは大きく頷いた。
こんなに小さな娘が《術師》なのか。マクシーネよりも若いだろうに、こんな所に駆り出されて可哀想にと、ナタは眉を下げた。
「それから私が彼の側まで行ったら防護壁をお願いします。治療しますので」
治療? とナタは首を傾げた。《術師》は傷を治すことが出来るのだろうか。エマやパットはそんなこと一度もしなかったのに。
そう考えている内にシキはナタから離れ、パットの傍らにしゃがみ込む。そしてチカがそちらに向けて手を伸ばすと、一瞬で防護壁が出現し彼らを覆った。ナタを囲んでいるものと同等のものだ。
――チカは《晶術師》なのだな。
《術師》の中でも特に稀な晶の力。それを目の前で見ることが出来るなんて、今日ここに来るまで思ってもみなかった。いや、それよりも絶滅寸前の《術師》がこうも揃うとは。
もしかしたら、ミド・ブルージャと同じ色のこの瞳が引き寄せたのかもしれない。自然とそう思えて、ナタは少し可笑しな気分を味わった。あんなにミド・ブルージャのことを嫌がっていたのに。
そんなことを考えている内にチカが二人を囲むぐらいの大きさの防護壁を更に作り出し、隣に腰を下ろした。恐らくこうした方が守りやすいのだろう。
「……あの、チカさん?」
振り返ったチカが不思議そうに首を傾げる。
「助けてくれてありがとう」
そう礼を言うと、チカはどこか嬉しそうに微笑んだ。彼女の胸元に付けられた、小鹿のブローチがきらりと光を反射した。
*
「――雷が止んだ」
《術》を使って宙を駆けていたエマは、遠くを見ながら呟いた。
先程まで同じ位置で何度も雷が落ちていたのに、それが突然止まったのだ。うっすらと砂煙が上がっているのも見える。エマは嫌な予感を覚え、スピードを上げた。
やはり王女たちから離れるべきではなかった。囮になったとしても、ファーバーやヴェネフィカスがつられなければ意味がないというのに。
どうか間に合って。どうか、みんな無事でいて。神に祈る思いで、エマは小銃を持ち直した。
しばらく飛び続け、目的地の様子を肉眼でも確認できる所まできたエマは、眉をひそめた。
黒い影――ヴェネフィカスが三体見えた。そしてそこから少し離れた場所に、何やら丸いものが二つある。
いや、それが何なのか考えるのは後だ。まずはヴェネフィカスをどうにかしなければ。
ヴェネフィカスらはちょうどエマに背を向けている。このまま静かに近付けば、あるいは一体ぐらい倒せるかもしれない。
エマは銃を構え、一体のヴェネフィカスに狙いを定めた。もう少し近付かなければ。もう少し――もう少し――エマは引き金を引いた。
渇いた音を立てはじき出された銃弾は、ヴェネフィカスの背へと命中した。
「うそ、当たった?」
一体のヴェネフィカスが前のめりに倒れ込むのを見て、エマは心底驚いた。銃弾一発で倒せるなんて予想外でしかなかった。
意外と背中は死角なのかもしれない。そんなことを考えていたら、他のヴェネフィカスらがこちらに振り返り、手を上げた。
エマは自身の下から突風を当て、空高く舞い上がってヴェネフィカスから距離を取った。エマが向かう先々に火柱や水の渦が襲いかかる。
それらをひらりひらりと回転しながらかわし、ヴェネフィカスを飛び越えた。
そして先程見つけた丸い物体の上に着地し、自分とヴェネフィカスの間に透明な緑色の防護壁を張る。
「――おや? 貴女も《術師》ですか」
下から尋ねられ、エマは足下に顔を向けた。そこには銀髪の男と、口から血を流して横たわっているパットの姿があった。
エマは目を見開いてパットを凝視し、それから急いで辺りを見渡す。エマから少し離れた場所に、今乗っているものと同じドーム型の壁があり、その中にナタの姿もあった。
不安そうな顔をしてはいるが、彼女は無事だ。
エマはホッと息を吐き、もう一度足下を見下ろして銀髪の男に尋ねた。
「貴方が、王女を助けてくれたのですか」
「ええ。正確には王女様の隣にいる少女が守ったのですがね」
「そうですか。どこのどなたかは存じませんが、感謝します。……パットさん……その人は生きていますか?」
「生きていますよ。今治療していますので、もう少し時間を下さい」
それから私はシキと申します、と付け加えて彼はパットの身体に手をかざした。するとパットの身体から赤黒い光が溢れ、その光はシキの手の平に吸い込まれていく。
シキも《術師》なのだろうか、こんな《術》は初めて見る。
エマは息をひそめて真下の様子を見つめていた。
次第に赤黒い光の溢れる量は少なくなり、遂には全てシキの手に吸収されて消えてしまった。それと同時にパットが目を開き、そして跳ね起きる。
「痛むところはありませんか?」
シキが落ち着いた口調で尋ね、パットは訳がわからないといった風にシキを凝視し、エマを見上げる。
エマは再度胸を撫で下ろし、口を開いた。
「パットさん、死にかけていたみたいですよ」
「は? そうなのか? 吹き飛ばされたとこまでは覚えてんだが」
「彼らが来なかったら王女も死んでたかもしれないんです。しっかりして下さい」
「あっ、そうだ王女さんは……無事そうだな」
ナタを確認してパットもふうと大きくため息を漏らした。
「お二人とも《術師》ですね? 能力は何ですか」
唐突にシキが尋ね、エマとパットは一瞬顔を見合わせた。
「私は風です」
「俺は雷だ」
「承知しました。では、これから協力してあの者たちを倒しましょう。まあ既に一人倒して下さっていますが。あの者たちの弱点等を教えて頂けますか?」
シキの問いにエマはちらりとヴェネフィカスに目をやり、それから答えた。
「彼らが一度に使える《マテリアル》は一つで、同時に二つ以上は使えないようです。こちらが攻撃している間は基本的に防御に徹し、攻撃する際は防御を解きます。だから彼らが攻撃に転じる瞬間、いわゆるカウンターなら攻撃が当たるはずです。さっき銃弾が当たったのは……防御を解いていたからかと」
「ふむ、何か攻撃しようとしていたか、防御のための《マテリアル》が切れたのかもしれませんね。防御には何色を使うのですか」
「頻度が高いのは緑、風の《マテリアル》です」
「なるほど。そういえば、先程まで落雷が続いていましたが、あれは貴方が?」
シキがパットに向かって首を傾げる。
「時間稼ぎになればいいと思ったんでな、制御しないで全力で落とした」
「パットさんは元から制御できないでしょう」
「そうとも言う」と言ってパットは胸を張る。自慢にならないですよとエマがため息を吐くと、シキがくすりと笑った。
「それが功を奏して、あの者たちも《マテリアル》を消費せざるを得なかった。では今が好機でしょう――おや。貴女はそこから下りた方がいいですね、的にされそうですよ」
ヴェネフィカスが何やら動き出したのに気付き、シキが指摘する。
次の瞬間、ヴェネフィカスがエマ目掛けて晶石の大きな塊を飛ばした。それを間一髪で避け、エマはドーム型の壁から飛び降りた。晶石の塊がすぐ側でドスンと音を立てて落ちる。反動で砂塵が舞い上がるその様を見ながらエマは呆然とした心持ちで呟いた。
「……やっぱり」
「“やっぱり”とは?」
「いえ……私も《術》で壁を作っているのですが、どうも晶の《術》には効果がないみたいで」
王宮でもそうだったと、エマは記憶を辿った。銃弾や爆発は防げるのに、晶石でできた物質は通り抜けてしまう。だから不覚を突かれて負傷してしまったのだ。エマが無意識に腹を擦った。
ああ、とシキが言う。
「晶は恐らく《術》の中で最強ですよ。全ての防御を破り、全ての攻撃を防ぎますから」
「なるほどなぁ。じゃあこの中にいれば安全ってわけか」
パットが感心したように防護壁をコンコンと叩く。
「はい。しかし《術》の効果を遮断してしまうのか、この中から外に攻撃することが出来ないというのが難点ですね」
「ここにいちゃ攻撃できないのか。じゃあどうやってあいつらと闘うんだよ」
「ご心配には及びません。今から説明しましょう」
シキは清々しいぐらいにこやかに言った。
爆風と共にエマは天高く舞い上がった。砂煙を背に、懇親の力を込めてヴェネフィカスに《術》を放った。ヴェネフィカスは当然のごとく《マテリアル》でそれを防いでいるが、エマは構わず攻撃を続けた。
――エマさんには集中力が課せられます。その上一番危険な役割です。でも貴女の行動が鍵となります、頼みますよ。
攻撃を繰り返しながらエマはシキの言葉を思い返していた。
二体のヴェネフィカスは少し間を空けて立っている。それ目掛けて一瞬の隙も作らずにありとあらゆる攻撃を繰り返す。
衝撃波に、風の刃。
ヴェネフィカスの作る防護壁に当たって跳ね返った暴風がエマを襲い、時折精度を欠いたが《術》が腕に浅い傷を付けるが、そんなの気にしていられない。
体勢を立て直して今度は空気砲を何度も、何度も。
そして最後に巨大な竜巻を出現させ砂を巻き上げた。
しばらくしてエマは竜巻を徐々に弱めた。再び体勢は立て直しているが、もう攻撃はしない。必要ないはずだ。
重要なのは、連続した攻撃の後の、一瞬の隙――。
砂煙が晴れた先に、ヴェネフィカスが手を上げてこちらに向けているのが見えた。