Princess royal(2)
「か、カール……何でここに」
ナタは動揺しきった声で尋ねた。
金茶髪の彼――カール・ブルメスターはやれやれといった風に頭を振る。
「こちらがお聞きしたいのですが? 何故ナタ様がこのような所にいらっしゃるのか……ああ、お答えしなくて結構ですよ、分かっていますから」
そう言ってカールは視線を動かし、彼が見つめる先にナタも顔を向けた。
ちょうどマクシーネは買い物を終えたらしく、嬉々とした様子で振り返り、そして一瞬で驚愕の表情に変わる。
「何でカールがここに!?」
走り寄りながらナタと同じ問いを発するマクシーネ。一方でカールが盛大なため息を吐く。
「いちいちお答えしないといけませんか? さあ、お二人とも戻りますよ」
「えー、まだ来たばかりなのに!」
マクシーネがむうと頬を膨らませる。
「マクシーネ様は散歩の続きをして下さって結構です。用があるのはナタ様ですので」
「ふんだ、イヤよ、一人でお散歩したってつまらないもの。わたしも帰ります」
不服ですけど、と付け加えてマクシーネはカールを睨んだ。
彼女の視線など気にも留めず、カールは再びナタを見下ろした。彼はまたにこりと笑う。
「私が叱ってもいいのですけど、帰ったら私よりもうるさい人が待っていますので。今は大目に見ましょう」
「ああ……ファーバー殿か……」
ナタは一層肩を落として、先に歩き出したカールにとぼとぼと続いた。
ファーバーはカペル軍の最高司令官の補佐であり、ナタやマクシーネなど王族の側仕えたちを総轄する役目も兼任している。彼は超が付くほどの真面目人間であり、規律を守らない者には厳しい。
ナタとマクシーネも王宮を抜ける度に散々叱られてきたのだが、二人が懲りずに遊びに出るためいつからか彼も諦めているようだった。
しかし、今日はきっと違うのだろう。
説教は何時間続くだろうかとげんなりしながら、ナタは前を歩くカールの背を眺めた。
カールはナタの側近かつ護衛でもある。ナタが十歳の時に彼とは偶然出会い、それからすぐに専属の護衛となった。
今はカールも忙しいはずなのにわざわざ迎えに来てくれて、仕事とはいえ何だか申し訳ない。
ナタは小さくため息を吐き、足を速めてカールの隣に並んだ。
「カール、ごめん。カールも疲れてるでしょ」
「いえ、お気になさらず、仕事ですから。それに私はナタ様よりは体力もありますよ」
おどけたように肩をすくめるカールを見上げ、ナタは微かに笑う。
「わたしに用があるって言ってたけど、何かあったの?」
「用があるのは私ではなくて、ガーネット司令官です」
「ガーネット殿が?」
一体何の用事だろう、とナタは首を捻った。
「ナタ様を連れてくるよう言われただけですので、私も詳しくは知りません。ただ、いい話ではないようです」
淡々とカールが言い、そんな気がしていたナタは肩を落とした。
数年間、この国に明るい話題などありはしなかった。
王宮に戻ってすぐマクシーネたちとは別れ、ナタとカールは共にガーネットの下へ急いだ。
ガーネットの待つ部屋の扉を押し開いて足を踏み入れると、一人の男がナタの前に立ち塞がった。彼にぶつかりそうになり、ナタは慌てて足を止める。
男はナタの姿をジロジロと眺め、
「王女様! また王宮から脱け出したんですね!?」
開口一番に彼は怒鳴り、ナタは苦笑して縮こまる。
やはり着替えてから来れば良かった。
「現在は外出を禁止しているはずですよ! あれほど外は危険ですと口を酸っぱくして言ってきたのに、いつになったら分かってもらえるんですか!」
「ファーバー殿……少し声を抑えてもらえないかなぁ。怒鳴らなくても聞こえてるよ」
「いいえ! 貴女の耳には届かないみたいなので大声で言わせてもらいます!」
ファーバーはこれでもかと眉をつり上げている。
もう彼の叱責という名の小言を最後まで聞かないと収まらないな。ナタは観念して、口を動かし続ける彼をちらりと見上げた。
クラウス・ファーバー。灰色の髪を後ろに撫で付け、茶色の目は切れ長で鋭い。確か年は四十を越えているはずだが、見た目は若く三十代ぐらいに見える。
濃紺の軍服に身を包んだ彼は、頭は固いし話も長いが、怒ってない時はとても良い人なのだ。
仕事は早いし、愛妻家でもある。子どもはいないらしいが、代わりに甥をとても可愛がっている。確かルーカスとかいったか、その甥とが余程優秀なのだろう、このファーバーがナタにも自慢話を聞かせる程度にべた褒めなのだ。
その時の彼と今の彼の表情は、天と地ほどの差があった。
なんてことを考えている間もファーバーは喋り続けていたが、ナタは全部は聞いていなかった。だってほとんど今まで聞かされてきた内容と同じだから。
「大体、反乱軍がオルバネ襲撃を目論んでいたのは先週なんですよ!? 事前に防げたから良かったものを、もしまだ反乱軍が都内に潜んでいたらどうするんです!」
反乱軍、の言葉がやけに重く耳に飛び込んできて、ナタは一瞬息を詰めた。
そう、カペルは今、とても緊迫した状況に陥っていた。
北東部にある町・デラロサを拠点に『ログベルク』と称した反乱軍――反政府軍が存在し、各地で暴動を起こしていた。
反乱軍といっても、始まりは執政に不満を抱いた民衆による小さなデモ隊が、抗議活動を行っていた。それが確かおよそ半年前。
デモ隊の中には好戦的な活動家も多く加わっていて、カペルの軍隊とも小競り合いを起こした。
そして約半年という短い期間で大規模な集団になり、ついには武装蜂起にまで発展。それに呼応するようにカペル中から人が集まり、今では万を越える集団になっている。
その反乱軍が暴動を起こす度に、カペルの軍隊と衝突していた。いわゆる内紛というやつだ。
争いは日に日に激化していき、カペル軍も反乱軍も死者が増える一方だった。
反乱軍の本拠地があるデラロサは紛争最前線であることもあり、酷い有り様だと聞く。
争いの空気は首都・オルバネには及んでおらず、各地での戦闘の報告が嘘のように感じられるほど、穏やかな時間が流れていた。反乱軍が、オルバネを襲撃する計画を立てているという情報が、先週飛び込んでくるまでは、だが。
反乱軍の襲撃は未然に防げたが、王宮や街中に軍の部隊を配置し、住民らにも外出を控えさせるなどして、オルバネはものものしい雰囲気に包まれた。今はそれらも徐々に解かれつつある。
しかし、そんな一大事の直後に王宮を出たことはやはり安易すぎた。カールやファーバーなどに心配を掛けたことは、反省すべきことだ。
ナタが神妙な表情をして視線を落としていると、ファーバーが大きくため息を吐いた。
「……反省していらっしゃるのなら、くどく言うのは控えましょう。しかし、ナタ様はもう少しご自身の立場というものを理解して頂かなければ」
ごめんなさい、とナタは小さく謝った。
「――ファーバー、説教は済んだか?」
立ちはだかるファーバーの後ろから別の男の声がし、ファーバーがさっと脇に避けた。
視線を上げると、デスクについている男と目が合った。ファーバー同様に濃紺の軍服を隙なく着込んでいる。
彼は微かに笑い、ゆっくり立ち上がった。
「お呼び出しして申し訳ありません、ナタ様。貴女に二つほど重要な話があります」
ハキハキとした口調で告げる彼――ローランド・ガーネットはカペル軍の最高司令官であり、国王の補佐を担う。要するにカペルで二番目に偉い人物だ。
初老の彼――確か父と同い年だから五十五歳のはず――は笑っていてもどことなく威圧感があった。軍のトップが醸し出す厳格な雰囲気は、馴れない者には重苦しく感じる。
しかしナタは特に気に留めた様子もなく尋ねた。
「話って?」
デスクを回り込んでナタの前に立ったガーネットは、笑みを消して僅かに眼に力を込めた。
「《マテリアル》はご存知ですね」
唐突な問い、というか確認にナタはキョトンとしながらも頷いた。
「《術》を込めた石のことだろう? カペルでも研究してる」
「はい」
「それがどうかしたのか」
何だか嫌な予感を覚えてナタは眉をひそめた。
ガーネットは数秒間を置いて、告げた。
「オルバネの研究施設で、紛失しました」
「えっ……なくしたってこと?」
わが耳を疑って、ナタはガーネットを凝視した。彼は無言でゆっくり頷いた。
ナタは慌てて彼に詰め寄る。
「《マテリアル》は貴重なものだろう。それを紛失って、研究員がなくしたということか?」
「いえ、研究所の管理は厳重ですし、《マテリアル》を扱える者も限られています。それに色と個数も全て記録しています。だから誰かが無くしたというのなら、分かるはずなんです」
「そうじゃないということか? ……じゃあ誰かが故意に――」
急に思い至って尋ねると、ガーネットが「恐らくは」と落ち着いた声で答えた。
ナタは口を閉じて大きく息を吸い込んだ。
これはまた予想外な話だ。まさかカペル軍が研究、開発を行っている《マテリアル》が盗難に遭うとは。
「何個盗まれたんだ」
「ファーバー、報告を」
ガーネットが促し、ファーバーは手にしていたファイルを開いて一枚の紙を抜き、ナタに差し出した。
ナタがそれに目を通し始めると、ファーバーは説明を加える。
「《マテリアル》は一ケースに五つずつ入れて保管しています。そのケースが二十七、紛失していました」
「二十七……百三十五個もか」
「はい。なくなったのは全てオルバネの研究施設に保管されていたものです。他の研究施設にも現在問合せていますが、今のところ紛失の報告は入っていません」