Desert rogue Ⅰ(4)
「マウラに行こう。わたしがアマリア国王と話をする」
「ええ、そのつもりです」
カールが微かに笑い、他の三人からもそれぞれ返事が返ってきた。
何だ、それも知っていたのか。とナタは拍子抜けしてしまった。たぶんルーカスが伝えておいたのだろう。
彼にまた会ったら礼を言わなければ。いやルーカスだけでなく、カールやディルクたちにも、全てが終わったら礼をしよう。無力な自分についてきてくれた、国のために動いてくれる彼らを、大切にしたかった。
ナタはカールの肩に頬を寄せて、息を大きく吸い込んだ。彼から初めて、土埃と硝煙の――戦場の匂いを嗅いだ気がした。
王宮の南側、敷地の外に数台の車が停まっていた。周りを十数人の兵士がものものしい雰囲気で囲み、警護している。その内の一台である通信車両にディルクはいた。ディルクは無線の受話器を置いて、短くため息を吐いた。
王宮内はほぼ制圧済みだ。王女も救出し、現在こちらに向かっている。今のところ順調に運べていた。王女救出と同時に国王の保護も済んでいる。これから治療を行って回復を試みる。
「ディルク」
車体をこんこんと叩いて、白衣姿の中年の男が現れた。
「遅くなってすまないね、準備に手間取っちゃって」
「いや、早いぐらいだ。わざわざ悪いな」
車を下りながらディルクは言った。
白衣を着た小太りの男――ダン・エリオットは肩をすくめる。
「構わんさ、国の一大事だ。手を抜けないと思って助手も連れてきた。この子はメルヴィン、前言ったかつての部下だよ」
ダンは後ろに立っているヒョロリとした男を紹介する。
メルヴィンは緊張した面持ちで頭を下げ、ディルクは彼をまじまじと眺めた。
ダンが優秀だと言っていたから賢そうな顔をしているのだろうと思っていたが、メルヴィンの見た目は至って普通……いや地味な部類に入る。白衣は綺麗だが中のシャツはよれよれだし、髪は整っていないし、自分のことには興味なしといった感じだ。
しかしこのなよなよしい男が、重要な書類を密かに持ち出すことをやってのけたのだ。その度胸は評価するに値する。
そんなことを考えていると、横からダンが尋ねた。
「状況を教えてもらえるかい?」
「あ? ああ、王女と国王は救出済みだ。王宮内はそろそろ鎮圧できるし、同時に研究施設と軍事基地も押さえた。とりあえずオルバネは奪還、かな」
「ほう、それをこなせる程の人数を集めたのか」
「なに、今回の戦争に疑問を持ってるやつは山程いるさ。まあ、階級が上がるほどファーバーに陶酔してるやつも多かったのも事実だがな」
「美味しい思いでもしてたんだろうね。で、今後は?」
「王女がマウラに向けて発つ。アマリア国王と対談するんだと。そっちに戦力は大体割くつもりだ。国王は意識が戻ってない、何やら薬漬けにされてたらしくてな」
「それで、私に治療しろってわけね」
「そういうことだ」とディルクは頷いた。
「あんたらの護衛に俺とエマが付く。まあ国王を安全な場所に移動させたら俺たちもマウラに向かうが――」
突然、通信車に乗っていた兵たちが騒がしくなり、ディルクは言葉を切った。窓から中に身を乗り出すと即座に受話器を渡される。
『ファーバー監視部隊です! 申し訳ありません、ファーバーを見失ってしまいました!』
「いつ見失ったんだ、報告しろ」
『つい先程……十分ぐらい前です。指示通り密かにファーバーを監視していたのですが勘付かれてしまい、急に攻撃してきてその隙に逃げられました。こちらの兵士も数人やられました。無事だった兵士で捜索させていますが、まだ見つかっていません!』
「了解した。深追いはしなくていい、どうせファーバーはこっちに向かってるはずだ。お前たちは安全を確保して待機していろ」
『了解』
受話器を車内に返し、ディルクはダンに振り返った。
「とまあ全部が全部上手くいくわけないよな。あんたの護衛は俺だけになりそうだ」
「構わないよ。そう言えば、王宮にはヴェネフィカスはいなかったのかい?」
「いや、一人いたよ。だが、寝てた……というか停止していた」
ディルクは僅かに困惑しながら答えた。
王宮内を制圧して回っていた部隊によると、ファーバーの執務室にヴェネフィカスはいた。しかしピクリとも動かず、また《マテリアル》も所持していなかった。まるで死んでいるかのようだと報告があったばかりだ。
そうかいつまんで説明すると、ダンは丸い顎を撫でながら口を開く。
「実際、彼らは死んでるようなものだからね……ここにいたのは、ファーバーが捨てたものなのかもしれないな」
「……ああ」
以前ダンに貰った書類の内容を思い出し、ディルクは顔をしかめた。
ヴェネフィカスの中に入っていた者は《術師》でも適合者でもない、普通の人間だった。
《マテリアル》を使用できる人間――いやむしろ《術師》そのものというべきか――が少ない現状を打開するべくして研究開発されたのがヴェネフィカスという“装置”だった。これは一般人でも《マテリアル》を大量に使えるようにしたもので、いわば偽物の《術師》を作りだした訳だ。
しかしそれはやはり無理やり使えるようにしたにすぎず、使用した者は身体と精神を蝕まれ、命を削り、最悪死に至る。
《マテリアル》は使用者にかなりの負担がかかり、《術師》ですら連続で使用できる回数は至極少ない。数時間休めばまた使えるが、それでも使用時の身体へのダメージは蓄積されていく。
だから研究で《マテリアル》を使用する際は細心の注意を払い、一日に一個までと決まっていた。数少ない《術師》や適合者を失うわけにはいかないから、そうすることは当然だろう。
しかしヴェネフィカスは、何十個と《マテリアル》を装備していた。
ファーバーはヴェネフィカスを完成させるために、無理な実験をさせていた。負傷兵や戦争孤児などで人体実験を繰り返していたという。オルバネの研究施設の制圧に向かった隊の報告によると、地下室に捕らえられている負傷者や子供を見つけたとのことだ。
ファーバーは実験体を得るために反乱軍との紛争を扇動し続けていたのではないかと、報告を聞いた時は恐ろしくさえ思えた。
人の命を物としか見ていないファーバーに、怒りのあまり吐き気がしてくる。
ディルクは大きく息を吸って気を落ち着かせた。作戦中に冷静さを欠いてはいけない。
「おや、あれが王女様かな」
不意にダンが南門の方を眩しそうに眺め、ディルクもつられるようにそちらに目を向けた。
ナタを抱えたカールの周りで、ザシャたちが何やら喋り合っている。王女の顔は見えなかったが、ひとまず無事そうで安堵した。
「ダン、王女の様子もさっと診てやってくれるか」
「わかった」
ディルクたちの側まで辿り着いてすぐナタは下ろされ、ダンが彼女に近寄っていく。
ダンが問診するのを横目に見ながら、ディルクは部下らを集めた。
「状況が変わった。ファーバー一派が攻撃してくるかもしれん。だがこっちの目的は変わらん、王女を護衛しながらマウラに着けばよし、進路は適当に変えていけ。あと、エマも王女の護衛だ」
「はい」
エマが勇んで頷く横で、カールが何やら考え込む仕草をする。ディルクは怪訝に思って声を掛けた。
「疑問があるなら今の内に聞いとけ」
「いや、疑問というより、提案なんだけど」
「何だ」
「俺とエマは囮になるよ」
至って真面目な顔でカールは言い、ディルクは片眉を上げて短くため息を吐いた。
「お前戦争行って変にたくましくなったんじゃねぇか。まあ、状況次第で判断しろ。だが基本は離れて行動するな。エマはどうだ、やれるか」
「はい。王女と私のマントを変えましょう」
そう言ってエマは即座にマントを脱いだ。するとザシャが突然オロオロし出す。
「ちょ、あの、王女はオレとパットさんだけで守るってことっすか?」
「そうなるな。でも大方の部隊はそっちに分けてるし、マウラまでの間にいくつか部隊を配置してるし、もしもの時はそいつらが駆け付けてくれるだろう」
労うようにザシャの肩を叩くと、彼はがくりと項垂れた。一方で腕組みしていたパットが自信満々に言う。
「《術師》の俺様が付いてるんだ、何とかなるだろ」
「でも付け焼き刃じゃないっすか」
「未知数と言え」
パットが偉そうにふんと鼻を鳴らした。
その時、ちょうど健診が終わったダンがナタと共に近付いてきた。エマがマントを交換するためナタに近寄り、入れ替わりにダンが早足でディルクの側まできて小さく告げる。
「顔色が悪いし、貧血の症状もある。少し眠くなりやすいとも言ってるね。何か薬を打たれてたらしいから、帰ってきたら詳しく検査した方がいいだろう」
「このままマウラに行かせていいと思うか」
「私としては数日休ませたいよ。でも王女の望みなら、仕方ない。負担かけないよう護衛に頑張ってもらわないとね」
ダンがからかうような目でザシャを見て、ザシャは観念したようにやれやれと宙を仰いだ。
「――ディルク大尉」
エマと交換した軍用マントを羽織った王女が不安げな表情で呼んだ。彼女を見ると、以前渡した青い縁の眼鏡を今も掛けていた。紫であるはずの瞳は、黒っぽく変わっている。
「あの、ありがとう、助けてくれて」
「……礼は後でいい。さっさと出発しろ」
そう言ってディルクがぶらぶら手を振ると、ナタは更に急ききって話す。
「でも、まだ王宮にはお父様が――」
「国王なら保護した。無事生きていらっしゃるし、今からダンに治療させる。問題はない。だから王女は気にせずマウラに向かえ。お前のすべきことは何だ。目的を見失うなよ」
少し厳しい口調で諭すと、ナタは落ち込んだように視線を落とした。しかしすぐにディルクを見上げ、そして毅然とした表情で頭を下げる。