Desert rogue Ⅰ(2)
まるで女神だな、と考えながら起き上がったカールは、自ずと安堵のため息を漏らした。
「エマ一人か?」
「いいえ。隊長もここへ向かっています。私は先に飛んできました」
「そうか……助かった」
「安心するのはアマリア軍を追い返してからです。私が応戦します、カール少尉たちは少し休んでいてください」
そう言ってエマは立ち上がり、カールに背を向けた。小さい背中なのに何て頼もしい後ろ姿なんだろう。
カールは小さく礼を言い、座ったまま少し下がった。その時不意にパットと目が合い、彼はエマとカールを訝しげに見比べていた。こいつは一体誰だと言いたげだ。カールは苦笑して肩をすくめた。
「味方だよ、安心していい。この中じゃ恐らく最強だ」
最強。その言葉通りになり、自分で言っておいて自分で驚いた。
エマは竜巻を作り出してアマリア軍を一瞬で蹴散らしてしまった。《術師》って武器いらずで便利だな、とカールは呑気なことを考えていた。
パットがポカンとしているのを横目に見ながら。
それからすぐに、同郷の幼馴染みは現れた。
「よおカール、ちっとは鍛えられたか?」
揶揄するようにディルクが言い、カールはハアと嘆息した。
「嫌でもな。むしろ荒んできてる」
「ふん、戦争なんざそんなもんさ。ま、生きてて何よりだ」
ディルクが笑って差し出した拳に、カールは自分の拳をぶつけた。
「隊長おおおおおっ!!」
びゃあびゃあと情けない泣き声を上げながら、突然ヘンリーがディルクに飛び付いた。
「うわあああ隊長だあああああ」
「うるさいなお前は、泣きすぎだ」
「えぐっ、ぅえっ、俺もう死ぬのかとおぼいまじだっ」
「そーかそーか。鼻水付けんなよ」
素っ気なく返しながらもディルクは宥めるようにヘンリーの頭をぽんぽんと撫でている。こっちは何だか親子のようだな、とカールは思った。まあ単にヘンリーが弟のような存在ということだ。
ディルクは連れてきた兵士たちに様々な指示を出し、その場を素早くまとめ上げた。
エマが《術》で蹴散らした、もとい吹き飛ばしたアマリアの兵士たちは、負傷して気絶している者が多数で死者はないらしい。あの竜巻に巻き込まれたら生身の人間ならひとたまりもないと思うのだが、エマが機転をきかしたのだろう。
賢いというか、頼もしいというか、心強い味方だなとカールはこっそり苦笑した。敵には回したくないと心底思ってしまった。
一通り指示を終えたディルクが唐突に振り返った。
「俺たちは今から王宮に戻るが、カールもついてくるだろ」
さも当然とばかりに告げられてカールは面食らった。
「戻って何するんだ?」
「何って、王女の奪還だろ? だから拾いに来たんだぞ。お前は真っ先に『行く』って言うと思ってたんだが、行かないのか?」
ディルクは片眉を上げて怪訝そうに首を捻る。
「いや行くけど……どういう風の吹き回しかと思って」
「まあそれは行きがてら話してやる」
さらっと答えて、ディルクは不意にカールの後ろへ視線をやった。
「そいつは? 初めて見る顔だな」
つられるように振り返ると、そこに訳が分からないといった顔をしたパットが佇んでいた。
「ああ、こいつは……馬鹿だ」
「なるほど馬鹿か。馬鹿は歓迎するが、お前もついてくるか」
「お前ら馬鹿馬鹿いいすぎだろ」とパットが心外そうに眉を上げた。
「……あんたらが何を企んでるのか知らんが、同行させてもらうぜ。そっちの方が生き残れそうだし、俺も少しは役に立てるだろ。俺、どうやら《術師》らしい」
何気なく付け加えられた告白に、カールもディルクも呆気にとられた。
「いや、ホントだって。ほら」
そう言ってパットは徐に人差し指を立てた。すると指先からパリッという音と共に小さく放電が起きる。まるで小さな稲妻だ。
カールは唖然としたままパットの顔を凝視した。パットはどこか誇らしげに胸を張る。
「な? まあ俺も軍隊に入ってから自覚するようになったんだよ。で、さっきあの女兵士の《術》を見て確信した。前まではただ静電気が起きやすい体質なだけだと思ってたんだぜ」
はははと短く笑い声を上げるパット。
カールはため息を吐いてやれやれと頭を振った。
「やっぱ馬鹿だよお前」
全くだとディルクが同意して、パットに尋ねる。
「馬鹿以上に《術師》は大歓迎だ、人手はいくらあってもいいからな。扱い方は分かってるのか」
「いや、全然」
と、パットが首を横に振る。
「じゃあエマに教えてもらえ。王宮に着くまでに形にしろ。エマ!」
ディルクは離れた場所でヘンリーの背を擦ってやっているエマを大声で呼んだ。彼女はびくりと飛び上がり、慌てた様子で駆け寄ってくる。
「何でしょう」
「こいつに《術》の扱い方を叩き込め」
「えっ、《術師》なんですか? ……りょ、了解です」
エマはかなり狼狽えたようだったが、素直に頷いた。
パットに近寄りながらもまだ戸惑っているエマを見て、カールは肩をすくめた。
「ザシャが嫉妬しそうだな」
「んなもん知るか」とディルクがぶっきらぼうに言った。
「そういえばザシャは?」
「あいつはオルバネに先行させてる。ザシャは元々オルバネいたからな、知り合いも多いってんで人員確保に回らせた」
カールはふぅんと呟いて、軽く目を伏せた。
ナタの奪還は、本来なら自分が率先して、戦場を抜けるぐらいでもしてやるべきだった。でも戦場から動くことは出来なかった。パットやヘンリーたちを残していく気になれなかったのだ。
それに情報も何もない状態で、一人で出来ることなんて思い浮かばなかった。ファーバーは、こちらの気力を削ぐために戦地に飛ばしたのだろう。
ナタに忠誠を誓ったはずだったのに――。
「あまり悔やんでもろくなことないぞ。幸い、王女はまだ生きてるんだ、挽回の余地は十分ある」
カールの心を見透かすようにディルクが励ました。カールは宙を仰いで微苦笑した。
「お前に励まされるとは」
「おう、俺が励ますなんざ二度とないからな。次は立ち直れなくなるぐらい罵倒してやる」
「はいはい、わかった」
お前には敵わないよとカールが肩をすくめるのを見て、ディルクはどこか満足げに頷いた。
「さて、俺の部下は全部集めたし、新しい仲間も増えた。ということで、新生デザートローグ隊諸君――」
ディルクは途中で言葉を切り、踵を返して歩き出す。その後ろに続いてカールは大きく息を吸い込んだ。
背を向けたままディルクは愉快そうに物騒な台詞を告げた。
「――国に喧嘩売りに行くぞ」
* * * * *
ナタは寝台に腰掛けた状態から恐る恐る立ち上がった。
両足に重心をかけて、ゆっくり背筋を伸ばして、更にはその場で足踏みをしてみる。膝が震えることはなく、床を踏む足も安定していた。
ナタがホッと胸を撫で下ろした時、突然扉が勢いよく開きナタは飛び上がった。
「おい起きてるか? ちょっとマズイことになった」
切羽詰まった様子で現れたのはルーカスだった。彼は扉を閉めてナタに大股で歩み寄る。
ルーカスの勢いに気圧され、ナタはオロオロしながら寝台に腰を下ろした。
「何があったの?」
「ルーシーがやられた」
ルーカスが小声で告げ、ナタは息を呑んだ。
「やられたって……殺されたってこと?」
「いや、素性がバレたんだ。あいつは殺されたりはしない、上手く逃げてるはずさ」
「そう……よかった」
ルーシーは隣国のスパイとはいえ、数年ナタの世話をしてくれたのだ。彼女が無事で自ずと安堵してしまった。
ルーカスは一瞬面食らったようだったが、急いたように話を続ける。
「お陰で書状が届かなくなった。だが、アマリア国王の意向はあんたに伝えている。あんたが今その返事をくれれば、俺が届けられる」
「わたしが返事を? わかった。書くものがあればすぐに――」
「いや、必要ない。これを飲めばいい」
ナタの言葉を遮って、ルーカスは上着のポケットからガラスの小瓶を取り出した。その中には、何やらキラキラと輝く銀色の液体が入っている。
明らかに怪しげな液体にナタは眉をひそめた。小瓶とルーカスを交互に見ていると、彼はしびれを切らしたように小瓶の蓋を開けた。
「説明している暇がないんだ。怪しい物じゃない、毒でもない、信用してくれ」
真剣な眼差しのまま小瓶を押し付けられ、ナタは受け取るしかなかった。
少しの間、銀色の液体を見つめた末、ナタは意を決してそれを喉に流し込んだ。舌触りはとても滑らかだった。色からして鉄のような味がするのかと思っていたが、意外に無味無臭だ。
次にどうすればいいのか尋ねようと口を開きかけた時、ルーカスの手に口を塞がれた。
「っ!?」
「悪い悪い、先に言うの忘れてた。まだ喋ったらダメだ。今から俺が問うことに対する返事を、頭の中で整理してから言ってくれ。いいな?」
ナタは眉をひそめたまま頷いた。するとルーカスが手を離し、
「アマリア国王、ワト・カミル・ローレンス・アマリアは、カペル国第一王女であるナターリエ・ジークリット・カペル王女殿下との対話を希望し、マウラ公国で会合する場を整えています。お受けして下さいますか?」
と問われ、ナタはしばらく目を閉じ、一度深呼吸をしてから瞼を上げた。