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Endless night(5)

「あ、あの……貴方は?」


 彼はじろじろとナタを見下ろした後、どこか疲れたように名乗った。


「ルーカス・ファーバー。貴女の監視を任されています」

「……ファーバー……」


 そうだ思い出した。ナタがここに連れてこられる直前、ファーバーの隣に立っていた男。かの人物の甥、ルーカス・ファーバー。

 ナタはあからさまに眉をひそめた。もうファーバーと聞くだけで敵対心を抱いてしまうぐらいナタには疑心が根付いている。

 するとルーカスはおどけたように肩をすくめた。


「ご存知の通り、クラウス・ファーバーは俺の叔父です。つっても、俺は養子なので血は繋がってませんよ。っていうか、無礼承知で言わせてもらいますけどね、」


 ルーカスは腰に片手を当てて、急にナタを睨んだ。その視線にナタは怯み、無意識に顎を引く。


「王宮に戻ってくるなんて、あんた馬鹿なのか?」

「……は?」


 唐突に罵られ、ナタはポカンと口を開けて硬直した。ルーカスはそれもお構いなしに続ける。


「何のために護衛つけて外に出したと思ってんだ、あんたを守るためだぞ。それなのにのこのこ戻ってくるわ、ファーバーには捕まるは。ホントにもう馬鹿としか言えない。大体、何でブルメスター少尉から離れた?」


 次々に発せられるルーカスの言葉に目を白黒させた。

 確かに、父が心配だったからと言って王宮に戻ってきたことは安易すぎた。そのせいでファーバーに捕まり、結果カールからも離れることになった。

 しかし何故彼にここまで馬鹿馬鹿と罵られなければならないのか、むしろこっちが聞きたかった。

 ナタがムッとして眉根を寄せると、ルーカスは短くため息を吐く。


「ブルメスター少尉がいたから、あんたは今まで安泰でいられたんだ。あの人、あんたが関係することなら容赦ないぞ。俺の正体も見破った挙げ句に脅しにくるぐらいなんだからな。俺はそんな素振り見せたつもりはなかったのに、だ。恐ろしいよあの人、一番敵に回したくないタイプだ」


 彼はカールを褒めているのか貶しているのか分からなかった。

 それに「俺の正体」という言葉が引っ掛かる。訝しげにルーカスを見上げていると、彼は何か気付いたように肩をすくめた。


「俺の正体は……ルーシーと同じ、と言えば分かるか」


 ナタはあっと息を呑んだ。

 ルーシーはアマリアのスパイだと、カールが言っていたのを思い出した。要するに、ルーカスもそういうことだ。

 こんなにも王宮内外にスパイを紛れ込ませているとは。もしかしたらもっと人数を送り込んでいるのかもしれない。

 大国アマリアのやることが大胆すぎて恐ろしく思え、ナタは無意識に腕を擦った。


「……身分をばらして、君は大丈夫なのか? それにこんなところでする話でもないだろうに」

「もういいんだ。この仕事が終わったら俺はお役御免だからな。それに、ブルメスター少尉も何かを見越して告発しなかったんだろ。そういう意味でも脅迫されてたんだよな、ホント怖い人だ」

「そ……そう。君はアマリアには帰らないのか? ルーシーは帰ったのだろう?」

「帰りたいのは山々だが、まだやることがある」


 やること? とナタは首を傾げた。

 するとルーカスは急にかしこまってナタの前に跪く。

 琥珀色の瞳がじっと躊躇いなくこちらを射て、ナタは吸い込まれるようにそれを見つめ返した。

 ナタをこんなに真っ直ぐ、真摯に見つめてくる人間はそうそういない。この紫の瞳は、自然と人を遠ざけてしまうからだ。


「アマリア国王が貴女との対談を望んでいます」

「え……」

「戦争を終わらせるためです。カペルの宣戦布告は、国の意思ではない。そうでしょう?」


 ルーカスが微かに首を傾げ、ナタは静かに頷いた。


「マウラ公国で会談できるように調整しています。貴女をここから救い出す算段も徐々にですが出来てきています。ルーシーがアマリア国王の書状を届ける手筈になっています。貴女がその返事を出したら、全ての計画が実行されます。だから……覚悟はよろしいですか」


 試すかのような問いに、ナタは大きく息を吸い込んだ。

 アマリアのスパイだと自称する男を、偽名と思われるルーカス・ファーバーと名乗るこの男を、果たして信じていいものだろうか。いや、本来なら疑うべきだ。

 でもわざわざ素性を明かしてまで願い出たのは、偽りの姿なのだろうか。ナタの監視を引き受けているのも、もしかしたらこのためなのかもしれない。

 アマリアにも何かしら思惑があるのだろう。信用しきるのは憚れるが、この流れに乗りかかるしか他に道はないのではないか。

 ああ、もう全てが憶測でしかない。自分は本当に、何も知らなすぎる。


 ナタはパンと自分の両頬を打った。

 目の前でボリスが死んだのを忘れたのか。もう人が傷付くのは見たくない。もう、人々が傷付け合うのは見ていられないと、そう思ったのは自分だろう。

戦争を終わらせるためなら、カペルを救うためなら、この命、いくらでもくれてやる。

顔を上げ、ナタは真剣な眼差しで頷いた。

 するとルーカスがふっと微笑み、腰を上げた。口調も砕けたものに変わる。


「承知した。窮屈かもしれんが、もう少しここにいてくれ。腹減ってんじゃないか? 何か食べるものを持ってこよう」

「ありがとう……いやちょっと待って、わたしどのぐらい寝てた?」

「ん? 一ヶ月半ぐらいかな」

「はっ……そんなに!?」


 ナタは驚いて腰を浮かせた。するとルーカスはやれやれと髪を振った。


「さっきも言っただろ、あんたは薬を打たれてたって。それを抜くのにも時間がかかったんだ」

「聞いてたけど……それ、その薬って一体――」

「まあ、麻薬の一種だな」

「……はあ!?」


 ナタは一層驚瞠目した。


「薬浸けにしときゃ、自分からは逃げられなくなるからな。あんたは覚えてないかもしれないが、だいぶ錯乱してたし幻覚も見てたようだった。たまに自傷もしてたから拘束もやむを得なくて、そのことは勘弁してくれよ」


 初めて聞かされた事実に、ナタは慌てて自身の手首を見下ろした。

 薄くはなっているが、手枷が食い込んでできたような赤い擦り傷痕がある。

 ナタは恐る恐るルーカスを見上げた。


「……わたし……暴れた?」

「暴れた。かなり引っ掻かれた」

「うぅ……ごめんなさい」

「いいよ、あんたを見とくのも俺の仕事だ。それに無理矢理打たれたんだし、あんたが謝ることじゃない」


 ルーカスは慰めるようにナタの肩をぽんぽんと叩いた。


「薬抜けきったみたいで安心した。あんたが壊れるのは見てられなかったからな」

「……ごめん」

「謝るなって」

「うん……ありがとう」

「どういたしまして」


 ルーカスはくすりと笑って「食事を用意させよう」と踵を返し、ナタは慌てて彼を呼び止めた。


「あの、カールはどうしてるか知らないかな……」


 そう問うと、足を止めて振り返ったルーカスが何故かニヤニヤし始めた。その面白がっているような視線にナタは少し恥ずかしさを覚えてほんのり頬を赤らめた。


「その状態でも真っ先に聞くのが少尉のことなんだな。へーえ、ふーん」

「な、何? 何が言いたいの」

「だってなぁ。あんた、目を覚ます度に『カールは? カールは?』って口癖みたいに聞いてたんだぜ? 意識もほとんど定かじゃなかったのに」

「えっ、ううう、うそ」

「本当。あーあ、主にそんなに想ってもらえる少尉が羨ましいよ。しかも主がかわいい女の子だし、そりゃやる気も違うよな」


 からかうように、しかしどこか悔しそうにルーカスがぶつぶつ言う一方で、ナタは顔を真っ赤にして口をパクパクさせていた。

 カールがいなくて心細いのは今でもそうだが、まさか自分が無意識の中でもずっと彼を呼んでいたとは。なんて恥ずかしい。

 ふとルーカスと視線が重なり、ナタは思いっきり顔を背けた。


「ははは、かわいいなーあんた。……ブルメスター少尉は戦場だよ」


 ああ、やっぱりそうなのか。ファーバーは彼を前線へ送ると言っていたが、本当に実行したのだ。

 カールの身を案じて、ナタは僅かに眉を下げた。するとルーカスはなおもおかしそうに笑う。


「少尉のことは戦闘の手練たちに任せておけって、心配すんな。あんたは飯食って体力つけることに集中してな」


 戦闘の手練ってなんだろうと思ったが、それは問わずに曖昧に頷き返した。


「あと、そうだ、これ」


 忘れてたと言ってルーカスはおもむろに懐を探り、布に包まれた何かを取り出した。

 ナタが首を傾げて見ていると、彼は布を開いて差し出す。そこにあったのは青い縁の眼鏡。


「俺が預かっておいた。返すよ」


 受け取ったナタは感極まって少し涙ぐみ、胸の前で眼鏡を両手で包み込んだ。

 眼鏡が戻っただけでこんなに胸がいっぱいになるなんて。ただ唯一これが自分とカールたちを繋いでいるように思えるのだった。

 ルーカスは僅かに狼狽えて、申し訳なさそうに頭を掻く。


「そんなに大事だったのか」


 ナタはふんふんと頷きながら目を拭い、眼鏡を掛けた。

 するとルーカスが顔を覗き込み、へえと感心したような声を発する。


「目の色が変わった。でもわざわざ隠すなんてもったいないな、紫だって綺麗なのに」

「しょうがないよ。魔女と同じ瞳は……目立つから」


 そう言って微苦笑を浮かべると、ルーカスは腰を伸ばして小首を傾げた。


「魔女、ねえ。俺の故郷でミド・ブルージャが何て呼ばれてるか、知ってる?」

「いや? “魔女”以外にも呼び名があるんだ?」


 ナタはキョトンとしてルーカスを見上げた。彼は至って真面目な表情で告げた。


「女神」

「………………へ?」

「ディオーサ。女神だよ」


 ルーカスは常識だとばかりに強く言った。

 一方ナタはポカンとしたまま固まっていた。するとルーカスがやれやれと肩をすくめる。


「魔女って呼ばれるのは“人を滅ぼす”ってとこに重点を置くからだ。だけどミド・ブルージャは本来争いを鎮めるために現れるだけで、それは言わば救済だろ。だから女神ってわけ。そんで、俺にとっちゃあんたの瞳は縁起がいいし、アマリア国王もあんたを重要人物だと考えてる。あんたに手を貸すのも彼の意向だからな」


 わかった? とルーカスが首を傾げた。

 ナタはどう返事をすればいいのか分からず、ただ一度頷いた。

 女神などと呼ばれたことは皆無で、またそんな大層な呼び名は自分には恐れ多く感じる。しかし幸運そうな呼び方を知れたことは、少なからず嬉しかった。

 そしてミド・ブルージャは切っても切れない存在なのだと自分自身が思いこんでいることに、今になって気付いた。

 照れ臭さを覚えて眼鏡をいじっていると、急にルーカスがニッと白い歯を見せた。


「魔女じゃないってとこ、見せてやろう」

「……うん!」


 ナタは久しぶりに自身の心が軽くなった気がした。



第8章「Endless night」 終

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