Endless night(2)
基地の建物の陰になっているところで、ザシャはだらしなく地べたに座って煙草をふかしていた。壁に寄りかかってその様子を眺めながらディルクは言った。
「お前が煙草吸ってんの久しぶりに見るな」
「辞めてましたもん。隊長も一本どうっすか」
差し出された煙草を一本取り、火も借り、ディルクはゆっくり吸った。そしてふうと煙を吐き出す。
「懐かしい味だ」
「隊長も吸ってたんすか?」
「ああ。何年か前までヘビースモーカーだったんだ」
「へえ、よく辞められましたね」
「まあな」
ディルクは煙草をくわえて、ザシャの隣に腰を下ろした。
「エマ、目ぇ覚ましたぞ」
「マジっすか、そりゃよかった」
喜ぶように彼は言ったが、その声はどこか冷淡なままだった。
ディルクはやれやれと、煙と共にため息を吐いた。
「ねえ隊長、この国、本当に戦争するんすかね」
「……するんじゃねぇよ、もう始まってんだ」
「はは、そうっすね」
渇いた笑い声を上げ、ザシャは髪を掻き上げた。
「オレ、自分が生きてる間に他国と戦争が起きるとは思ってませんでした」
「俺もだよ」とディルクは頷いた。それから二人は煙草が短くなるまで黙り込んだ。
宣戦布告して数日、カペルはアマリアのオルコットという町を占拠した。
オルコットには小規模ではあるが軍事基地がある。そこを占拠できたのは、単に攻める数が向こうより勝っていただけに過ぎない。
しかしこれからはそんな余裕などなくなる。恐らくアマリアはオルコットを取り戻すために数多の兵力を投入してくるはずだ。アマリアとの戦争は、反乱軍を相手にしていた頃とは規模が違ってくる。
そして自分たちも、近い内にそこへ赴任することになるのだろう。
ディルクは煙草を地面に押し付け火を消した。すると隣で項垂れているザシャが大きくため息を吐き、ぽつぽつと語り出した。
「オレ……母子家庭なんすよ。母親が苦労してるのずっと見てたから、強くなって母親守るんだってガキの頃から思ってたんです。それで軍隊に入ったんですけど、入ったら入ったで、母親に会う機会も少なくなって……逆に親不孝になった気がします」
こいつが弱音を吐くのも珍しい。ナタとカールが連れ去られ、エマが負傷し、更には隣国と戦争まで始まって。弱気になるのも無理はない。
ディルクは手を伸ばし、ザシャの色素の薄い髪をガシガシと撫でた。
「母ちゃんも分かってくれてるさ」
「……そうだといいです」
「ああ。帰ってその間抜け面見せてやれ」
「間抜け面って失礼な」
隊長には言われたくないっす、とザシャに睨まれ、ディルクは笑った。
ザシャは少し決まり悪そうに視線をずらし、拗ねたように尋ねた。
「……王女とカール少尉のことはどうするんです?」
「それはまだ考え中」
ディルクは深々とため息を吐いた。
邪魔をすればファーバーは容赦なく消しにくるのだろう。それでは、王女の命も危なくなってくる。ガーネットには何が何でも守れと言われたのだ、彼女を死なせるわけにはいかない。
「カール少尉はどこ行ったんすかね」
「さあな。もうアマリアに飛ばされてるかもな。“ルーカス”とやらが本当に信用できるやつで、打ち合わせ通りに動いてくれていたらの話だが。……ま、カールには死なれちゃ困るし、拾っといてやるか」
ディルクは独り言のようにぶつぶつ呟き、それから二人してもう一本ずつ煙草を消費した。
* * * * *
アマリア、オルコットに設営されたカペル軍の陣地の後方。その中のとある兵舎にカールはいた。
簡易ベッドにあぐらをかいて、小銃の手入れをしていると、彼は話し掛けてくる。
「なあなあ、カールさん。カールさんって」
何度も名を呼ばれ、カールは鬱陶しく思いながら顔を向けた。
隣のベッドに座っている坊主頭の男が、透明な瓶に入った琥珀色の液体を自慢げにゆらしてみせた。
「一杯どう? くすねてきたんだ」
そう無邪気に笑う彼、パット――本名はパトリック・レインだが顔に似合っていないのでパットと呼んでいる――は小さなグラスまで用意していた。
カールは呆れたようにため息を吐き、小銃を組み立てていく。
「昼間っから酒なんか飲むなよ。というか前から思ってたんだが、お前手癖悪すぎだろ。俺の私物盗んだらタマぶち抜くからな」
「ひいっ、そんなことしねえって。あんた目がマジだもんよ」
「ならいい。で、その手癖の悪さは、スリ師でもやってたのか?」
「いやぁ、強盗やってたんだ」
パットはさらりと告白し、カールは一瞬手を止めたが何事もなかったように作業を続けた。
こいつは馬鹿だと思った。
パットは気にした様子もなく、グラスに琥珀色の液体――酒を注ぐ。
「オルバネで仕事してたらよ、運悪く見つかってあっさり捕まっちまった。んで軍隊入ったら厳罰してやるって言われてさ、まあいっかーって軽い気持ちで入ったら、そこは地獄だったみたいな。ほい」
喋りながらパットはグラスを差し出し、カールは小銃を置いてそれを受け取った。
「でも訓練は耐えたんだな」
「ああ、俺って体力だけはあるから。それに何か性に合ってるんだよなー」
はははと愉快そうに笑うパットを横目に、カールはグラスをあおった。かっと喉が熱くなり、身体にアルコールが染み渡るようだった。
ふぅんとどこか感心したようにパットは首を傾げる。
「もう一杯?」
「いや、もういい」
「あそ。そういや、カールさんってどこの基地にいたんだ?」
返したグラスにまた酒を注ぎながらパットが尋ねた。カールは小銃を取って組み立てを再開した。
「俺は王宮にいた」
「王宮? ……近衛部隊ってこと?」
驚いて目を見開くパットに、カールは肩をすくめてみせる。
それからパットは口に酒を流し込み、更に尋ねる。
「じゃあ、近衛部隊の上司ともめたりした?」
「いや。何で?」
「だって顔に痣あるし、殴り合いの取っ組み合いの喧嘩でもしてこっちに飛ばされたのかなーって」
「ああ……これは」
カールは自身の顎を撫でた。そこには青紫に変色した痣が出来ていた。顔はここだけだが、服の下にはもっと酷いものもある。
ファーバー一派の者らの尋問――という名の拷問を受けた際の傷だ。何を尋問されたのかと言うと、まあ色々だ。
パットにそれを説明するつもりはなかったので、カールは適当に答えた。
「……これは階段から落ちたんだよ」
「またそんなベタな」
パットはケラケラ笑ったがそれ以上は追及してこなかった。
ここの部隊に配属されてから何かと絡んでくるパットだったが、こちらの事情に踏み込んでくることはしなかった。そういう点では付き合いやすい相手だ。
小銃を組み立て終えた時、一人の兵士が隊舎に現れた。
「ブルメスターとレイン。隊長が呼んでる」
カールはパットと目配せし合い、同時に立ち上がった。
「よおカールさん、これ少しおかしくないか」
軽機関銃を前方に向けたまま、パットが低く呟いた。
「ああ。待ち伏せがあるかもな」
積み重なった瓦礫に身を潜め、カールは頷く。
時刻は午後三時を回った頃、カールらはオルコットの東地区にいた。
何やら前線へ向かった隊から連絡が途絶えたらしい。確認してこいと所属部隊の隊長から指示され、少尉という階級であるがために分隊長になったカールはパットの他に四人の兵を引き連れてここまで辿り着いた。
東地区は酷く静かだった。
オルコットの住民らは避難を終えているから当然いないはずだ。しかし、巡回しているはずのカペル軍までもがいない。
これはアマリアにやられたなとカールが嘆息する横で、パットが「うげぇ」と面倒そうに宙を仰ぐ。
「前線に向かった部隊って本当にここ通ったんだろうな」
「そう言ってただろ」
「ってか、ここで待ち伏せされてるってことは、前線もやばいんじゃね?」
「……そうは考えたくないな」
と、カールは呟いた。
「カールさん、どうする? このまま前線まで行くか、引き返すか。迂回するか、突っ切るか」
「お前はどっちがいい」
「んー、伏兵は掃除しといた方がいいと思う。ここって補給路だろ」
「そうだな。じゃあ決まりだ。ひとまず大通りまで行くぞ」
各兵士が頷き、カールは瓦礫を越えて進み出す。
小道を何度か折れ、民家の壁に張り付いて大通りに銃を向けて確認する。カールは目を見開いた。
そこには見るも無惨な光景が広がっていた。