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Endless night(1)

 ナタはふっと目を開いた。


 頭がぼんやりとしていて、全身が重い。起きようとしてみるが、身体はぴくりとも動かなかった。

 焦点の合わない視線を動かして周りを見てみる。しかし暗い色をした壁が見えるばかりで、ここがどこなのか思い出せなかった。自分が何故寝ているのかも分からない。

 気分は、悪くなかった。頭の中はふわふわしていて、お腹も空いていない。何もかもがどうでもよく思え、今にも笑えそうな気さえする。

 ナタはゆっくり瞬きを繰り返した。


「――起きたのか?」


 不意に側で低い男の声がし、ぼやけた視界に誰かの顔が入り込む。

 最初カールかと思ったのだが、髪の色が違った。

 ナタは目を細くして彼を見つめ、唇を動かす。


「……カール……は……?」


 出てきた声は自分のものとは思えないぐらい掠れていた。

 男は微かにため息を吐き、ナタの額を撫でる。


「ここにはいない」

「……そう……」


 ナタはゆるゆると息を吐き出した。

 何故カールはいないのだろう。目を覚ましたらいつも近くにいてくれたのに。自分を置いてどこに行ってしまったのだろう。

 しかしそれらの疑問を男に聞くことはしなかった。カールはここにはいない。男の言葉が全てだと、冴えない頭が不思議と理解していた。

 ナタはもう一度口を開いた。


「あ……あなた……は……」

「あんたの味方だよ」


 男はそう言って微かに笑ったようだった。

 味方。その一言に無意識に安堵してナタは力を抜いた。


「薬が抜けきるまでまだかかる。だからもう少し寝てな」


 男は穏やかな口調で言って、ナタの髪をゆっくり撫でる。

 彼の手のひらが温かく、髪を撫でられる心地よさにナタは瞼を下ろし、再び深い眠りに落ちていった。




* * * * *




 オルバネ軍事基地内にある病棟の個人病室で、エマは静かに眠っていた。彼女は大の男二人と自身を《術》で守った末に意識を失い、ディルクたちが基地まで運び込んだのだった。腹の傷は深く、死ぬ一歩手前だったらしいが、何とか一命はとりとめ心底安堵した。


 ディルクは腕を組んで病室の壁に背中を預け、顔色の悪いエマを見下ろしていた。

 彼女は意識を失うまで誰に向けるともなく何度も謝っていた。大怪我をしていたにも関わらず、王女を守れなかったことを悔やんでいた。

 悔しい気持ちはディルクも同じだ。

 ガーネットから好戦派の話を聞かされていたというのに、どうしてナタを王宮に連れてきたのか。自分がもっと考えてから行動していれば、エマも負傷しなかっただろうし、ナタとカールも連れ去られなかったのではないか――。

 起きてしまったことを後悔してもどうにもならない。部下にもそう言い聞かせてきたというのに、今自分が一番そのことに囚われている。

 自分が傷付くことよりも、部下が傷付くことの方がよっぽど苦しい。自分の指示に従う彼らは、自分の小さなミス一つで命を落としてしまうのだ。

 自分を責めるあまり、エマの側を離れることが出来ずにいた。

 ディルクは目を閉じ、大きくため息を漏らした。


「隊長さんらしくないため息だね」


 急に苦笑混じりの声がしてディルクは顔を上げた。

 病室の入り口に、少し腹の出た小柄な身体に清潔な白衣を着て、眼鏡を掛けた中年の男が立っていた。彼を見てディルクは目を丸くした。


「ダン。何でここに?」


 ダン・エリオット――デラロサ基地に勤めていた医師は、ふふと悪戯っぽく笑い、ベッドを挟んで向かい側に立った。


「驚いたかい? ちょっとオルバネに用があってね、この基地に滞在していたんだ。そしたらエマが運ばれてきて、こっちが驚いたよ」

「ダンが治療してくれたのか」


 そういうこと、と言ってダンは肩をすくめた。


「ここの医師たちに頼まれてさ、手当てを始めたら予備医まで見学しにきちゃって。まるで私の手は神の手みたいな、人気者は辛いね」

「自分で言うか、それ」


 ディルクは呆れたようにやれやれと頭を振った。するとダンはどこかホッとしたように腰に手を当てる。


「君はまだ元気そうだね。ザシャが外で項垂れてたよ、隊長なんだから部下の心の治療でもしてやったら」

「……そうだな」


 あいつ意外に繊細なんだよ、とディルクがぼやくと、ダンは声にして笑った。そして彼はエマの眠るベッドの脇に、診断書を置く。


「……戦争、か。私の患者も増えるんだろうね」

「……ああ」

「君たちも、アマリアに行くのかい」

「指令があればな」

「そうか。無茶はするなよ、君たちは診てあげないからね」


 ディルクは肩をすくめるだけで返事はしなかった。

 治療してやらないと言いつつ、彼が治療してくれなかったことは一度もなかった。恐らくダンなりの鼓舞の仕方なのだろう。

 二人は無言のまま、眠り続けるエマを見下ろしていた。


「ところで」


 ダンがおもむろに切り出し、ディルクは彼に視線をやった。ダンは診断書の下から大きな封筒を取り、ディルクに差し出す。


「これを君に預けるよ」

「何だ?」


 受け取った封筒を開けると、束になった何かの書類が入っていた。


「私にも、かつて君みたいに部下がいてね。研究員時代の話だよ」


 ディルクはハッとして目の前の医師を凝視した。そして慌てて封筒から紙の束を引っ張り出す。


「今でも私に懐いてくれてて、優秀な子なんだ。今回オルバネに来たのはその子に会いに来たからなのさ」


 聴診器をエマの胸に当てながら、ダンは世間話をするように言った。

 しかしディルクは彼の話などそっちのけで、まとめられている紙を忙しなく捲った。そこにはヴェネフィカスに関する詳細が書かれていた。


「その子からのプレゼントだ。気に入ってもらえたかね?」

「ああ……感謝するよ」


 一通り目を通し、また一枚目に戻る。


「デラロサで俺らが遭遇したのもこいつらなんだってな」

「ああ、ディルクたちがデラロサで見た時は試運転だったそうだよ。反乱軍だけせん滅させる予定が、制御できずにカペル軍まで攻撃してしまったのだと。攻撃されたら反撃するようインプットされているらしい」

「はた迷惑な……それなら事前に知らせときゃ良かったんだ」


 ぶっきらぼうに言い放つと、ダンはからかうように首を傾げた。


「それをしなかった理由ぐらい分かっているんだろう?」

「わーってるよ。どうせ俺らは捨て駒だ」

「捨て駒ねぇ。従順ならまだしも、ただでは死なないのが取り柄の君たちには似合わない言葉だね」

「うるせーや」


 軽口をたたき合いながら、二人は短く笑った。


「……反乱軍の本拠地を襲撃したのもこいつらなんだろ」

「うん、本当はその時点で王女も拘束する計画があったらしい」

「なるほどな」

「どこかの誰かさんが連れ回してじっとさせてなかったお陰でそれは実行されなかったがね」

「いや、それは俺じゃねぇよ。王女の希望だ」


 自分は宿に留まっていてほしかったのだが、彼女が申し出たのだ。王妃の実家に行ってみたいと。それを思い返して、ふとディルクは思い至る。


「どちらかというと、王妃のお陰かもな……」


 あまりに小さく呟いたためダンには聞こえなかったのか、彼はこちらを見て首を傾げている。ディルクは肩をすくめてはぐらかした。


「しかし、こんなもの持ち出して、あんたも、あんたの部下も大丈夫なのか」

「これは私が興味を持ってやっただけだから悔いはないよ。あの子もそう思ってるさ。まあ、もしもの時は君たちに守ってもらおうかな」


 ダンは笑って聴診器を耳から外す。


「今後エマは重要になってくるだろう、だから私が何とか回復させる。その間、君は対策でも練ってるんだね」

「……恩にきる」


 ディルクは目を伏せ、軽く頭を下げた。その時だった。


「……隊……長……?」


 エマの掠れた声にディルクはハッと彼女の顔を見た。エマが薄く目を開いてこちらを不思議そうに眺めている。何が起きたのか、とそう問いかけているような表情に、ディルクは思わず脱力した。


「おやおや、もう目が覚めたのかい。相変わらず、ディルクの部下はタフだね」

「全くだ」


 ディルクは呆れながらもホッと胸を撫で下ろし、エマの額を少し乱暴に撫でてやった。

 その間も彼女はキョトンとしていた。


「ダン、エマのことは任せる。俺はちょっくら、落ち込んでるっつー馬鹿のところに行ってくるわ」


 そう言い残し、ディルクは病室を後にした。

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