Outbreak of war(6)
ギルは手を懐に入れ、鋭い目付きでテオバルトを睨んでいた。ワトに許可なく触れる者には容赦しないとでもいうように。
恐らく拳銃を掴んでいるのだろう。ギルはワトの制止を聞かず、手を下ろそうとしない。まるでテオバルトもマクシーネも、敵であると決めつけているような表情だ。
マクシーネが怯えて縮こまっていると、不意にワトが手を離してくれ、彼は少し狼狽しながらギルの胸を押した。
「ギルベルト、手を下ろせと言っている。命令だ」
厳格な口調で告げると、ギルはゆっくり手を下ろした。
そこでマクシーネはようやく我に返り、テオバルトを後ろに押しやった。
「あなたもよテオ! 下がりなさい! ……っここでわたしたちが争っても、何にもならないじゃない!」
声を荒げて言うと、テオバルトは数歩下がり、非礼を詫びるように軽く頭を垂れた。
マクシーネはしばらく俯いた。じわじわと涙が浮かんできたが、ごしごし目を拭い、唇を噛んで堪えた。ここで自分は泣くべきではない。それにワトたちに弱い人間だと思われたくはなかった。
マクシーネは大きく深呼吸をして振り返り、すっと背筋を伸ばしてワトを真っ直ぐ見据えた。
「わたしが何を言っても、この現状ではアマリアに信用されることはないのでしょう。ならば、国王陛下のご意思に従います。牢に入れるなり、どうぞご自由に」
するとワトは半眼になり、どこか鬱陶しそうに尋ねる。
「俺が死ねと言ったら死ぬのか」
「……仰せの通りに」
マクシーネは揺らぎかけた視線を何とか保った。
死ぬのは怖い。でも、それ以上に、命乞いしてまで生にすがるのはみっともなく思えた。だって自分はカペルの王女だ。国の責任を負う立場にあることぐらい承知している。
身体の横で握った拳がふるふると震えたが、マクシーネはワトを見つめ続けた。
しばらくして、ふとワトが腰に手を当て、呆れたように長いため息を吐いた。
「馬鹿正直だな、お前は」
急に緊張感が緩み、マクシーネも思わずポカンとしてしまった。
「妙にたくましいというか……まあ、お前の覚悟は分かった。試すようなことを聞いて悪かったな」
「……は」
「俺はお前を牢に入れるつもりも処刑するつもりもないぞ。そんなことしたら余計に話がこじれるだろう」
やれやれと髪を振り、ワトは僅かに視線をずらした。
「お前にとって不本意だとしても、それにお前の姉や父がどう思っていようが、攻撃されてしまっている以上こちらも防衛する外ないんだ。国を守らなければならないからな。だから……互いの国に被害は出る。それは分かっているだろう」
彼の声が何だかこちらを気遣うように優しくなったような気がして、マクシーネは内心面喰いながらも頷いた。
「俺だって、正直、オルコットを攻められて腸が煮えくり返りそうなんだ。それ以上に、こうなることを事前に止められなかった自分にも腹が立ってる」
「……国王陛下は、戦争が起こると考えていらっしゃったのですか?」
マクシーネは僅かに唖然として尋ねた。彼の口調は、まるでカペルが戦争を企んでいたと元々知っているかのようだった。
ワトが一瞬ギルと目配せし合ったのをマクシーネは見逃さなかった。少しの沈黙の後、ワトが観念したように告げる。
「知っていた。だからカペルの執政官の一部――反戦派とも綿密に情報を交換し合っていた。それに宣戦布告を受ける数日前、とある人物と会談する予定だったが……その相手が行方不明になった。以来反戦派との連絡も滞ってな」
「その……その人物って――」
「ローランド・ガーネットだ」
やっぱり、とマクシーネは息を呑んだ。父の意思を知る彼がいて戦争が始まるとは思えなかったのだ。
ようやく合点がいったが、ガーネットの所在が分からなくなったこの緊急事態は一体どうすればいいのか。父は病床だし、姉は一人で不安に思っていないだろうか。カペルに戻って、姉の手助けをした方がいいのではないだろうか。
俯いて宙を睨んでいると、不意にワトがため息を漏らした。
「そう悩むな。こっちも手を打ってない訳ではない。だから、とりあえずお前は大人しくついてこい。悪いようにはしない」
それだけ言ってワトは再び歩き出し、苦笑を浮かべたギルが申し訳なさそうにこちらに会釈してワトに続いた。
マクシーネは訳がわからず、テオバルトと顔を見合わせ、駆け足で彼についていった。
四人は地下へ続く階段を下り、暗く長い通路を歩いていた。
城の中にこのような場所があったのかとマクシーネがぼんやり考えていると、また階段が現れ、彼らはそこを上った。ギルが何かを操作すると頭上の一枚岩が開き、光が差し込む。マクシーネは眩しさに目を細くした。
そこから這い出ると、晴れ渡った空に、一面の緑の絨毯が広がっていた。どうやら屋外に通じていたようだ。
石畳の小道の先に城を小さくしたような二階建ての建物があり、その向こうには広い森とうっすら海が見える。
ワトは相変わらず何も話さずにその家へ近付いていくため、マクシーネは追いかけるしかなかった。
生け垣の真ん中にある門をくぐり、広い庭――色とりどりの花が植えられていて美しかった――を歩いていると、芝の一角に何やら茶色い塊がありマクシーネは目を凝らした。それはピクリと身動きし、こちらに気付いたのか顔を上げくりくりした瞳でマクシーネを見る。
「小鹿?」
思わず目を丸くしていると、前を歩くワトがおもむろに口を開く。
「そこの森に住み着いているんだ。母上がエサを与えていたら懐いたらしい。あの芝生もあいつの特等席だ」
「可愛らしいですね。お名前はあるんですか?」
「ルカ」
「ルカ? ルカって、アマリアで有名なお話がありますわよね、それにちなんで?」
「そのようだな」
特に興味はないといった風にワトは応え、そしてすぐ玄関に辿り着く。ワトは両開きの扉の前に立つなり、扉に付けられているベルを鳴らした。
数秒後、扉が勢いよく開かれ、アイリス色のスリムなドレスを着た女性が現れた。
「はいはーい、どちら様? ってあら、なぁんだ、ワトだったの」
ワトの姿を見て彼女はつまらなそうに唇を尖らす。女性を見てマクシーネは「あっ」と声を漏らした。
艶々した長い黒髪に深い青色の瞳は見覚えがある。確か、アマリアに来てすぐに開かれた夕食会で、彼女とは一度顔を会わせている。
先代国王の奥方で、ワトの母親。クリスティーネ・アマリア。
クリスティーネが玄関に立つ面々を訝しげに眺め、そしてマクシーネの姿を認めた途端パッと顔を輝かせる。
「やぁん、マクシーネさん! お久しぶりね!」
そう言って飛び付いてきたクリスティーネは、マクシーネの頭にぐりぐりと頬擦りした。
「可愛い可愛いお姫さま。私の娘になってくれたらとっても嬉しいのに」
彼女の腕の中でマクシーネは狼狽えていた。
そういえば夕食会の時にもクリスティーネは「マクシーネさんみたいな娘がほしかったわ」とぼやいていた。息子しかいなくて華がない、息子はおしゃべり相手にならない、と。
どうしたものかとマクシーネが戸惑っていると、後ろでワトが盛大なため息を吐いた。
「母上、いい加減離してやったらどうです。それと、可愛くない息子で悪かったですね」
「全くだわ。ワトってば笑いもしないし、冗談も言わないし。おしゃべりしててもつまらないもの」
「はいはい、すみませんでした。それで、しばらく彼女を引き取ってもらえますね?」
ワトの言葉にマクシーネはハッと顔を上げた。
カペルと戦争が始まっているのだ。アマリアの王太后であるクリスティーネと、カペルの人間である自分が親しくするべきではない。
マクシーネは離れようと微かにもがいてみたが、クリスティーネは何故か力を込めて更にマクシーネを引き寄せた。
そしてにこりと微笑み口を開く。
「可愛い息子の頼みですもの、引き受けましょう。ああでも、一人メイドを寄越してくれるかしら? マクシーネさんの専属は確かローザだったわよね、その子でいいわ」
「手配しましょう」
ワトはそう頷き、「では」と一言告げて背を向けた。そしてギルを従えて去っていく。
マクシーネは無言で彼を見送った。正直、何がどうなっているのか分からなかった。
彼が自分をここに連れてきた意図は何なんだろう。自分がおかしな行動を起こさないようにするために、クリスティーネに見張らせるつもりだろうか。うむ、有り得る。
ワトの姿が完全に見えなくなり、マクシーネはおずおずとクリスティーネを見上げた。こちらを見たクリスティーネが急にくすくすと笑い出した。
「訳が分からない、といった顔。ワトはろくに説明せずに、ここまで連れてきたのね?」
全てお見通しとばかりに彼女は言い、マクシーネは小さく頷いた。
「あの子もつくづく不器用よねぇ、そんなことしたら怖がらせるだけだというのに。あなたをここに連れてきたのは、単に保護するためよ。ここは私と夫――先代国王が隠居している家なの。まあ、お茶でもしながらお話しましょう。上がってちょうだい、従者さんもどうぞ」
クリスティーネは優雅な所作で二人を促し、家の中へ足を踏み入れた。マクシーネは慌てて彼女を追い、急ききって尋ねる。
「あの、保護とは……国王陛下のご意向ですか?」
「ええそうよ。いえ、何か別のことも言っていたわね。確か、『魔女の末裔に頼まれた。それを無下に扱うことはできない』とか何とか」
「……魔女」
「ええ。ワトって、そういうのは信じない子だったのに、どういう心境の変化なのかしらね」
クリスティーネはおどけたように肩をすくめ、応接間らしき部屋に入っていく。
彼女を見送りながら、マクシーネは自ずと息を詰めていた。
クリスティーネにあてがわれた二階の客間で、マクシーネは寝台に座って思い詰めた表情をしていた。
ワトの言う“魔女の末裔”とは、間違いなくナタのことだ。ナタは恐らくマクシーネに託したアマリア国王宛の書状で頼んでいたのだろう。有事の際は妹を守ってくれ、と。
マクシーネは宙を睨んだ。
まるで姉もワト同様に、カペルとアマリアで戦争が起きると知っていたかのようではないか。だからナタは自分を逃がしたのだ。
自分の意思などそっちのけで、面白くなかった。自分にだって、ナタを助けるぐらいなら出来るはずなのに。
「――今、何を考えていらっしゃるか、当ててみましょうか」
不意に、壁にもたれ掛かって立っているテオバルトが口を開いた。
マクシーネは顔を上げ、怪訝に思いながら彼を見る。
「どうすれば、城を脱け出せるか。どうすれば、アマリアを出て、カペルに戻れるか……恐らくそんなところでしょう」
テオバルトは淡々と、しかし的確に図星をついた。マクシーネは僅かに唇を尖らし、刺のある声で言う。
「カペルに戻りたいと思うことが、そんなに悪いの?」
「悪いとは言いません。しかし、申し訳ないのですが、私はそれを阻止しなければなりません」
「……どうして?」
マクシーネは眉をひそめて首を傾げた。するとテオバルトは壁から離れ、ゆっくり近寄ってくる。
「ナターリエ様に頼まれました。……いえ、命令されました」
彼はマクシーネの前に跪き、真剣な眼差してこちらを見つめる。そしてテオバルトの口から、ナタの言葉が紡がれる。
――もしもカペルに何か良からぬことが起きた場合、力尽くでもマクシーネをアマリアに留め、守り抜いてくれ。例えわたしに何かあっても、わたしがいいと言うまで、カペルに戻してはならない。マクシーネは、カペルの、わたしの希望だ。わたしの代わりは、あの子しか出来ないのだから。
マクシーネは呆然としたまま従者を見つめていた。返す言葉が見つからなかった。
テオバルトは僅かに視線を落とし、小さく告げた。
「正直、私もこうなるとは……戦争が起こるとは予想もしていませんでした。ナターリエ王女は、様々なことを予期して――」
「やめて」
マクシーネはかぶりを振り、従者の声を遮った。それ以上聞きたくなかった。
「そんなの……まるでお姉様が死んじゃうみたいじゃない……そんなのいやよ」
まるで遺言のようではないか。まるで、ナタが死を覚悟しているようではないか。
何故自分の姉が命を掛けなければならないのだ。彼女はただの王女だというのに。
――大陸に住まう人々が争いを始めると、ミド・ブルージャは現れる。天変地異を起こし、そして風のように消える。
急に物語の一節が脳裏に浮かび、マクシーネはぞっとした。
姉が死ぬはずはない。だから、姉が自分に何を望んでいたかなど、そんなものテオバルトからは聞きたくない。
姉とはまた会える。カペルに戻ったら姉から直接話してもらえるはずなんだ。
マクシーネはテオバルトの肩に突っ伏し、すがりついた。
「いや……いやだよ……お姉様」
テオバルトの手がそっと背中に添えられ、慰めるように優しく撫でた。
マクシーネは嗚咽を堪えるのが精一杯だった。
第7章「Outbreak of war」 終