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Outbreak of war(5)

 どこかに流されているようだが、水の勢いにのまれてどちらが上かも分からない。ディルクはエマの身体を掴んで庇ってやることしか出来なかった。

 ザシャはどこに流されただろう、まさか溺れ死んではいないだろうな。

 そう酸素の巡らない頭で考えた時、ふと、空気の塊が現れディルクを囲んだ。急に呼吸ができるようになり、思わず咳き込んだ。

 むせながら抱えていたエマに目をやると、彼女は血の気のない顔で微かに笑んだ。

 それと同時に背後から肩を掴まれ、振り向くと、びしょ濡れのザシャがいた。彼もまた空気の塊に覆われ、守られている。

 重傷を負っているというのに《術》を使う気力を保っているとは、何とたくましいことか。しかし《術》に守られているといっても、三人は未だに流され続けていた。


「隊長、壁を突き破れば外に出られます!」

「……ああ! 悪いエマ、お前にしか頼めん!」


 エマが僅かに頷いた。途端、近くで爆発が起き、壁に穴が開いた。

 大量の水がその穴から外に溢れだし、ディルクたちも穴を通って空中へ放り出された。


「……そういや最上階だったな」


 地上に向けて落下しながらディルクはやれやれと呟いた。


「隊長、オレ空飛ぶの初めてっすよ」


 傍らでザシャが無表情で言い、


「馬鹿野郎、これは飛んでるって言わねえんだよ」


 ディルクは呆れ顔でつっこんだ。


 地面はすぐそこに迫っている。




*




 ナタは見ていた。

 突然カールが吹き飛ばされ、建物の壁に打ち付けられる一部始終を。そのまま地面に滑り落ち、意識を失ったのかピクリとも動かなくなったのを。

 ナタは目を見開き、微動だにしないカールを見つめたまま硬直していた。ヴェネフィカスに後ろ手に拘束されているため、彼に駆け寄ることすらできなかった。叫びたいのに声も出ない。


「一時はどうなるかと思いました」


 突然背後からファーバーの声がして、ナタは首を捻って振り返った。

 彼は乱れた髪を整え、服についた埃を払いながら歩み寄り、そしてナタの横を通り過ぎる。

 思わず拍子抜けしながらファーバーを目で追っていると、彼は気絶しているカールの目の前で立ち止まった。

 カールを無言で見下ろす彼の横顔に嫌な予感を覚え、ナタは掠れた声で尋ねる。


「何するつもり」

「殺します」


 ナタはゾッとした。ファーバーの口調にはあまりに感情がなく、その上当然のように答える様が恐ろしかった。


「何故……っわたしを捕らえられればそれでいいのでしょう!」

「いいえ、この男は思っていた以上に厄介です。生かしておくべきではない」


 淡々と話しながらファーバーはどこからともなくナイフを取り出した。ナタは驚いて目を見開きかぶりを振る。


「お願い、やめて!」


 そう大声で懇願しつつ、ナタはヴェネフィカスの手から逃れようと必死にもがいた。しかしヴェネフィカスの拘束は鋼のように固くびくともしない。


「は、な、してよ……っ! カールが……!」


 悶着している間にも、ファーバーはナイフを握り直し振り上げる。

 ナタは全身の血の気が引いていくのが分かった。


――カールが殺される……!


 そう思った途端、腹の奥底から恐怖にも怒りにも似た感情がうねりを上げて湧き起こり、身体から溢れ、破裂した。


 ファーバーが、カールの胸目掛けてナイフを振り下ろす――


「だめー!」


 今まで出したことがない程の悲鳴が喉から飛び出し、ナタは遠い心で驚いていた。

 その時、突然、バンッと大きな破裂音が響き渡った。同時にヴェネフィカスの拘束が緩むのを感じ、ナタは顔を上げる。


「え――」


 傍らに立っていたヴェネフィカスの身体がぐらりと傾き、そしてどさりと仰向けに崩れ落ちる。彼の身体には無数の穴が開いており、その下に赤黒い血溜まりが広がっていく。

 ナタは反射的にその場から後退った。何が起こったのか分からない。

 よく見ると、ヴェネフィカスの持つ《マテリアル》が全て割れ、散っている。《マテリアル》が破裂した際に、ヴェネフィカス自身の身体までも削ってしまったようだった。


「……暴走か?」


 ファーバーが困惑したように呟き、ナタはゆっくり振り返った。ファーバーと視線が重なった途端、彼の目が訝しげに細められる。


「……紫の目……ミド・ブルージャ……か」


 そう言って彼は思案するように黙り込む。ナイフを持つ手も身体の横に下げられていた。

 彼の注意はカールからそれたようだが、足がすくんでしまったナタはもうどうすることもできなかった。


「叔父上」


 不意にどこからともなく別の声がして、男は現れた。黒い髪と琥珀の瞳を持った彼は、ファーバーの隣に並んだ。


「何事ですかこれは」


 この場の惨状を眺めて彼は平坦に尋ねる。しかしファーバーはその問いには答えずに歩き出した。


「ルーカス、その男はお前に預ける。私は王女を連れて行く」

「……この男の処遇は?」

「拘束しろ、聞くことがある。その後のことはルーカスに任せる」

「承知」


 ルーカスが頷くのを聞いてすぐ、ファーバーは乱暴にナタの腕を掴み引っ張った。そしてナタは引きずられるように連れ去られるのだった。




* * * * *




 昼食を取った後、午前中の講義で出された課題を終わらせ、また蔵書館に行こうと立ち上がった。今日もアマリアはうたた寝に最適な温かさだ。

 マクシーネは窓の外を見ながら大きく伸びをした。


 彼が訪れたのはその時だった。

 ノックもなしに扉が開かれ、またエラルドかとマクシーネが眉を上げて振り返ったが、入り口に立っていたのはエラルドではなかった。

 短い黒髪に水色の瞳。アマリア国王、ワトだ。

 何故ここに彼が。マクシーネは混乱しながらも慌てて姿勢を正し、頭を下げた。


「挨拶はいい、顔を上げろ。話がある」


 部屋に足を踏み入れながら、ワトは命令するように告げた。彼の後ろには従者であるギルが険しい表情をして立っており、彼は静かに扉を閉めた。

 目の前にワトが立ち、マクシーネは縮こまって彼を見上げた。前から思っていたがワトの顔は表情がないというか、感情が読み取りにくかった。

 この日も無表情のまま、品定めするようにマクシーネを眺めている。

 やはり、彼の瞳には意識を吸い込まれそうになる。氷のような冷たい色に、目が離せなくなる。

 しかし彼はなかなか話を始めず、マクシーネがしびれを切らして「あの?」と話し掛けると、彼は唐突に告げた。


「カペルが宣戦布告した」

「え……っ?」


 マクシーネは息を呑んだ。


 宣戦布告した? カペルが、アマリアに? 何故?


 冗談はやめてほしいと、思わず苦笑いがこぼれそうになったが、ワトの雰囲気がそれを引っ込ませた。

 ワトは冗談を言うような人柄ではない。ましてや嘘を言うためにわざわざこんなところまで訪れるはずがない。

 マクシーネはさっと青ざめた。


「本当なのですか」

「……国境近くにあるオルコットという町の軍事基地が攻撃を受けた。宣戦布告と同時攻撃だ」

「……うそ……うそよ」


 ワトの言葉を信じられず、マクシーネはかぶりを振った。


「お姉様もお父様も、そんなこと許すはずがないもの!」

「疑いたい気持ちも分からないでもない。だが事実だ。オルコットの町にも被害が出ている」

「そんな……民間人にまで!?」


 マクシーネは両手で口を覆った。全身の血の気が引いていくのか分かった。


「起こってしまったことを嘆いてもしょうがない。それよりも、お前を連れていかなければならなくなった」


 そう言うなり、ワトはマクシーネの腕を掴んで強引に引っ張り、歩き出す。マクシーネはつんのめりそうになりながら彼についていくしかなかった。


 頭の中は混乱で渦巻いていたが、それは次第に恐怖に変わっていく。

 カペルとアマリアで戦争が始まってしまい、今や敵国の者である自分の処遇はどうなってしまうのだろう。ワトはどこに連れて行こうとしているのだろう。

 考えられるのは、自分を捕らえるための牢獄。


 マクシーネはぞっとして、振り向こうともしないワトに震える声で話し掛けた。


「こ……国王陛下……お願いします、話を……」

「今話している暇はない」

「でも……っ」


 マクシーネはワトの手を振り払おうとしたが、逆にきつく握り込まれてしまい痛さに顔をしかめた。


「い、痛い……離してください……っ」

「時間がないと言っているだろう――」


 煩わしそうにワトが振り返るのと同時に、突然横から大きな手が伸びてワトの腕を掴んだ。


「離して頂けますか」


 そう静かに言ったのはテオバルトだった。マクシーネが驚いて後ろを振り仰ぐと、彼に肩を掴まれ引き寄せられた。

 ワトとテオバルトは睨み合っており、彼らの間でマクシーネは動転していた。

 すると急にワトがハッとして空いている方の手を上げ、ギルの腕を押さえた。


「やめろギル、手を下ろせ」

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