Outbreak of war(2)
――東側というと、アマリアか。
なるほど、とディルクはため息を吐いて銃を下げた。
スパイと名乗るルーカス。彼もガーネットの言う“駒”だったのだろうが、アマリアの息もかかっているのかもしれないとなると自分たちが彼をどうこうするべきではない。
ここは協同する方が賢明だろう。
「わかった。話を聞こう。ただし妙な行動を取ったら即撃つからな。それと俺らは王女の所へ向かう、だから話は移動しながらだ」
そう言ってディルクはルーカスを促し、歩き出した。その後にザシャも続く。
ルーカスが大きなため息を漏らし、
「話聞いてくれるならいいが……って俺も王女のとこに行くのかよ!?」
「お前ファーバーの現在地が分かるんだろ、教えろ」
恐らくルーカスは《術師》だろうとディルクは勝手に踏んでいた。大会議室を出て、三人は廊下を足早に進む。
何かを言い返そうとしていたルーカスだったが、諦めたのか大袈裟に肩を落として口を開いた。
「……今は三階と四階の間、中央階段を上がってる」
「じゃあ西階段から行くぞ、近道もある。ってかファーバー進むの遅すぎじゃねぇか?」
「それはヴェネフィカスを連れてるからさ」
「ヴェネフィカス?」
「《マテリアル》を持った黒づくめのやつらの名前。あれは開発途中だからか足が遅い。デラロサで見ただろ」
「ああ、あれ名前あったのか。……お前がデラロサの件を知ってるってこたぁ、やっぱあれは国が絡んでいたんだな」
「国というかファーバーの指示だ。ファーバーは反乱軍とも繋がっていた、あんたらの王女護衛の件を反乱軍に漏らしたのもやつだ。一方で研究施設に手を回して《マテリアル》を盗んだのもな」
「……わかった。なるべく遮らねえから、全部話してくれ。ヴェネフィカスとやらについてもだ」
前を見据えたままディルクは言った。
正直ファーバーが黒幕だとはまだ全然信じられていない。彼はガーネットの側近だし、それに王女護衛の計画を綿密に練っていたのも彼だ。ずっと王族のために動いてきた人が何故裏切らなければならないのか。
――俺が考えたところでもうどうにもならんのだろうな。
もう、誰が敵で誰が味方なのか、分からないのだから。
* * *
国王の寝室に早足で駆け込むナタの背を見守りながら、カールは背後にいるエマに声を掛けた。
「エマ、お前はどう思う」
眉を寄せて呟かれたカールの問いに、エマが声を潜めて返す。
「妙、の一言です。《術》で王宮内を探っているのですが、人が少なく感じます。数人単位に固まって何ヵ所かに別れているようですね。近衛部隊って、そういう配置をしているのですか?」
「いや、巡回する時は大体二人組みだし、集団で行動することはほとんどないな。執政官とかメイドとかの位置も分かるのか」
「《術》の効果を広げれば分かりますが……出来ればそれは避けたいです」
「何故?」
カールが振り返って僅かに片眉を上げると、エマがすっと前髪をかき分けた。彼女の額には完治せず、まだ赤みすら残っている大きな切り傷があった。
「王宮に召集される前のある任務で、今使っているのと同じ《術》を弾かれて付いた傷です」
「……そうか。相手も《術》か《マテリアル》を使ってくる可能性があるんだな」
「恐らくですが。《術師》や適合者の相手は私がしますが、油断はしないでください」
カールとエマは神妙に頷き合う。そしてカールも国王の寝室に入ろうとしてふと思い留まり、再度エマへと振り返った。
「もしここで襲撃されたら、お前は俺もナタ様も置いて逃げろ」
「それは……承服致しかねます」
エマが毅然とした態度で反論する。
「最後まで聞け。《術師》や《マテリアル》を持ったやつらが来たら俺にはどうにもできない。二人も守りながら闘うのはお前にとっても骨だろう、俺としても足手まといになるのは御免だ。だからお前は逃げて、ディルクたちと合流した後に救助に来てくれればいい。ナタ様がすぐ殺されるということはまずないだろう」
「……その根拠は」
「俺の勘だ」
「根拠になっていません。大体敵が簡単に逃がしてくれるとも思えません。それに万一私が逃げられて、王女が助かったとしても、カール少尉はどうなるんです。命の保障はないのでしょう。あなたが死んでしまっては意味がないのですよ」
珍しくエマがむきになってまくし立て、カールは思わず面喰った。
「道はひとつじゃないんです、最初から諦めるのは止めて下さい。私は、仲間は見捨てません。カール少尉の言ったことは最終手段です」
そう言ってエマに睨みつけられ、カールは苦笑した。
「変だよな、命は惜しいはずなのに、大事な人のためなら命を賭けられるって」
「人はそういうものなのでは」
「そうかもな……。了解した。でも再度言うが、もしもの時は俺を見捨てろ。いいな」
エマからの返事はなく、釈然としないといった目でまた睨まれた。それを肯定と受け取り、カールは国王の寝室に足を踏み入れた。
国王の眠る寝台を囲むカーテンは大きく開かれ、その脇にナタは立っていた。胸の前で両手を握りしめ、怯えた目で寝台を見下ろしている。
その様子を見たカールは足早に彼女に近寄り、そして眠る国王へ目をやった。
頬は痩け、閉じた目は窪み、顔色も失せて生気が感じられない。胸が上下しているのが見受けられ、かろうじて息をしているのが分かった。シーツから出された腕には点滴の管が繋がっていた。
「…………呼んでも起きないの」
どうして、と隣でナタがポツリと呟いた。カールは国王の腕を取って脈を確かめ、そして点滴を見上げた。
「何か薬を混ぜられているのかもしれませんね」
「……薬?」
怪訝そうにナタが振り返り、カールは微かに頷く。
「呼び掛けにも反応がないということは昏睡状態に陥っています。国王様は衰弱してはいましたが持病はありませんし、病気が原因でなければ考えられるのは薬かと」
「そう……言われてみれば今まで点滴なんてしてなかったし……一体誰がこんなことを……」
そう言ってナタが顔をしかめる。
カールはベッドを回り込んで国王の腕に巻かれている包帯を外し、点滴の針を抜いた。
「我々には判断が出来ません、医者に診せた方がいいでしょう」
「うん…………そういえば、ルーシーの姿を見なかったが、彼女はどうしたのだろう。いつも飛んできてくれるのに」
少し憔悴した様子でナタが尋ね、カールはしばらく彼女を見つめてから考えを巡らせるように宙を仰いだ。
「彼女なら、恐らく無事です。ナタ様がデラロサへ発ってすぐ、国境を越えたのでは」
「……国境を越えた……?」
何故? と眉をひそめるナタに、カールは数瞬躊躇ってから告げる。
「彼女はスパイですよ、アマリアのね」
「……はあ?」
カールの突拍子もない報告に、ナタが頓狂な声を発した。彼女は口をパクパクさせながらカールを凝視し続けている。
ナタの傍らに戻りながらカールはやれやれと肩をすくめた。
「貴女はもう少し、疑うということをした方がいい」
「……しかし、スパイと分かっていてみすみす逃がすとは、天下の近衛部隊も生温いですね」
話を聞いていたのか、扉付近に立っているエマに冷めた皮肉を言われ、カールは苦笑いする。
「はは、耳が痛いよ。でもまあ、“ルーシー”は俺がどうこうできる相手ではないからな。まあ、監視ついでにナタ様に忠誠を誓わせるために脅しておいたさ。“少しでも危害を加えたらなぶり殺すぞ”ってね」
「鬼ですね」
「護衛の鑑と言ってもらいたいな」
と、カールがおどけたように言うと、エマは訝しげにこちらを見た。同時にナタも眉を上げる。
「何でわたしにも話してくれなかったの?」
「ナタ様はすぐ顔に出ますから。スパイと知ったらよそよそしく接するのが目に見えてます」
「うう……そうかもしれないけど。カールもガーネット殿もわたしには色々隠すだろう。わたしは何も知らないままのうのうと過ごすのは嫌なんだよ」
エマに続き、ナタも今日は珍しく食ってかかるなと、カールは意外に思いながら彼女にしっかり向き合った。
「ご気分を害されたのでしたら、申し訳ありません。しかし、ナタ様にお伝えできないということは、それだけ危険を含んでいるということです。あなたに話さないことであなたを守っているということも理解して頂きたい」
そう言うと、ナタは一瞬寂しそうに眉を下げ、そして「わかってる」と唇を尖らせて呟いた。
いや、それはわかっていない顔だ。とカールは言いたかったがここは流すことにした。彼女を叱るとたまに捨てられた子犬のような顔をするものだから、叱っているこちらが困るのだ。悪いことを言っている訳ではないのに良心が痛むというか何というか。
カールが嘆息するのと同時に、ナタもゆるゆるとため息を吐いた。
「なんだか……頭がついていかないよ」
そう言って彼女は俯いてしまう。
「……話し合うはずだった反乱軍が殲滅されて、ボリスが死んで……ガーネット殿がいなくなって、お父様が昏睡状態……更にはルーシーがスパイか……。今まで信じてきたものが一気に崩れた気分……」
ぽつぽつと小さく紡がれた言葉の最後は震えていた。返す言葉が見つからず、三人はそれぞれ黙り込んだ。
しかしそれも一瞬の間で、突然、部屋の出入り口付近にいたエマが扉を蹴って乱暴に閉め、更には扉に向かって小銃を構えた。