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Fearful witch(5)

 分かったのかそうでないのか、ザシャは曖昧に相づちを打って黙り込んだ。

 ディルクは車体に頭を付け、僅かに暗くなり始めた空を眺めた。一番星が瞬き、ゆるい風が頬を撫でていく。


「隊長は、何を背負っているのですか」


 ふと静かに話を聞いていたエマが首を傾げた。

 彼女の問いについてディルクはしばらく考え込んだ。そして。


「お前らの命運」


「うへっ、何それちょーかっけぇ」


 ザシャがケラケラ笑い声を上げ、つられるように隣でエマがふふっと肩を揺らす。

 笑いたきゃ笑えと、ディルクはふんと鼻を鳴らした。


「お前らを守るのも骨が折れるんだぜ」


 未だ笑っているザシャたちを無視して、ディルクは視線を動かした。


「エヴァン」


 少し離れたところに立っているエヴァンが振り返って首を傾げる。


「さっきは悪かったな、お前に撃たせてよ」


 そう謝罪すると、エヴァンは困ったような笑みで首を左右に振った。気にしなくていいと言うように。


「謝っておきたかっただけだ、聞き流せ。それと……お前らの業は俺が持ってやる。だから遠慮なく生き残れよ」


 部下たちはそれぞれ頷いた。

 そして窓枠に頬杖をついたザシャがどこかうっとりとした感じに言う。


「隊長ってば、言うことがいちいちかっこいいんだよなぁ。オレ隊長になら抱かれてもいい」


「そうか。だが残念ながら俺はそっちの気は全くないんでな。代わりにエヴァンが相手してくれるってよ」


 ディルクがそう言ってエヴァンに目配せすると、彼は心底迷惑そうなしかめっ面をした。


「お、マジっすか。じゃあ後でこっそり寝込みを……って誰がやるか! オレだって完全完璧なノーマルです!」


「エマがめちゃくちゃ疑ってるぞ」


「ちょっ、エマ! なんという冷たい目! オレは隊長とかエヴァンとかよりエマに抱かれたい!」


「丁重にお断りします」


「終わったな、ザシャ」


 何でだぁぁ! とザシャの叫び声がこだました。




 赤い夕暮れの下、柔らかい風が吹き、ざあと音を立てて足下の草たちが揺れた。

 その中腹辺りで、ナタは俯き加減に立ち尽くしていた。


 人が死ぬのを目の前で見たのは初めてだった。いや、人の手によって誰かの命が奪われるのを見るのが初めて、と言う方が正しいか。

 指一本で人は死ぬ。

 これが争いだと頭では分かっていたはずなのに、怖くてしょうがない。

 これから先も、自分が守られる度に、その代償のように何人もの人間が死んでいくのではないかと考えると、己の命はそうしてまで重要なものなのか心底疑問に思ってしまう。


 ナタは虚ろな目で夕空を見上げた。

 自分がデラロサに行くと言わなければ、ボリスが死ぬことはなかったかもしれないし、ディルクたちに変に覚悟を負わせることもなかっただろう。

 終わってしまったことに、もしああしていれば、もし何もしなければ、などと事実に反することを並べても意味はないと分かっている。

 でもそうしないではいられなかった。そうしないと自身を責めるあまり、心身共に崩れそうだった。

 ナタはぎゅっと瞼をきつく閉じた。


 結局、自分は何も出来なかったではないか。ついてきてくれたカールやディルクたちを危険な目に遭わせただけではないか。

 何が王女だ、何が王族だ。自分は人一人守ることのできない、ただ人に寄り掛かっているだけの子どものようなものだ。一番愚かなのは自分だ。


「……魔女」


 ナタの口からぽつんと紡がれた言葉は、風が掻き消した。

 これまで誰かに面と向かって“魔女”と呼ばれたことはなかった。

 ボリスの軽蔑の眼差しが忘れられない。あんなに自分のことも否定され、恨みを向けられるとは思ってもみなかった。

 反乱軍全体は国に対する不満が理由で戦っていたのだが、彼だけは違った。彼は愛する者を奪われたことを、ずっと根に持っていた。国王を恨んでいた。


 もう、今まで信じてきたもの全てが、まやかしに思えてくる。


 こんな瞳を持って生まれたばかりに――。


「誰が魔女です」


 突然、背後からカールの声がしてナタはハッと我に返った。

 ゆっくり振り向くと、後ろで彼は眉をひそめていた。先程ナタの口から漏れた一言を聞いていたようだ。

 ああ、心配させてしまった。

 ナタはごしごしと頬を擦り、眼鏡を掛け直し、大きく息を吸って吐き出した。


「……わたしは、本当に甘ったれた人間だね……」


 少しおどけたように言ってみたが、やはり気力の空回りにしか聞こえなかった。

 カールは否定も肯定もせずにゆっくり歩み寄り、隣に並ぶ。

 身体の向きを元に戻し、ナタはまた空を見上げた。その先には未だ煙のくすぶるデラロサの街があった。


 ディルクの話によれば、反乱軍の本拠地を襲撃したのは、やはりカペル軍だったらしい。ディルクは部下数人に現場に向かわせ、状況を確認させていると言っていた。

 まあ放心状態だったため、彼の声はほとんど聞き取れていなかったのだが。

 反乱軍を街ごと破壊して、蹂躙するかのごとく殲滅した。


「……ガーネット殿が、指示したのだろうか」


 唐突に疑問を発したが、カールはすぐに意味を汲み取ったようだった。


「私は……ガーネット司令官がこのような作戦を許可するとは思えません。彼はずっと、カペル軍からの攻撃を禁じていましたから。それにナタ様がデラロサに滞在していることも彼は知っているのです、ナタ様に危険が及ぶようなことはしないはず……」


 何かがおかしいと、彼の口調がそう疑っている。

 ナタ自身も引っ掛かることは山程あるのだが、今の頭ではそれらを考えることが困難だ。だから話を変えた。


「彼……ボリスが言ってたことだけど……」


「……ミド・ブルージャのことですか」


「うん……彼はわたしのお母様がミド・ブルージャだと言ってた。紫の瞳をしてた、って……でもわたしが覚えてる限りではお母様の瞳は紫じゃなくて、青だった。マクシーネと同じ色だ」


「私もそのように記憶しています」


 カールが真剣な面持ちで頷く。


「彼が言ってた人は、本当にお母様だったのかな……」


 ボリスの話を思い返してみると、ナタの母と似通った部分はおおいにあったのだが、瞳の色だけは違った。

 愛しむようにこちらを見つめる母の瞳を、ナタも毎回必ずじっと見つめ返していたのだから、間違うはずがない。蒼玉のような、透き通った青の、綺麗な瞳。ふと彼女に寄り添う父の瞳の色を思い出し、ナタは吐息を漏らす。


「……本当に、お父様が彼からお母様を奪ったのかな――」


「疑うのですか」


 厳しい口調で問われ、ナタはカールを振り仰いだ。彼の灰色の瞳がまるで咎めるかのようにナタを見下ろし、思わずたじろいだ。


「ナタ様自身の目で見てきたことより、初めて会った男の言葉を信用するとでも」


「ううん、そんなつもりはない。でも……わたし、何だかよく分からなくなってきてる……」


 あまりに自信がなくなり、言葉も尻すぼみになってしまった。

 短い時間で色んな物を見て、聞いてきたため、頭の容量を軽く越えていた。何から整理していけばいいのか、それすらも分からない。

 もう、考えることを止めたくなってきた。だって考えても答えが見つからないことばかりだ。


 ディルクが二人を呼んだのは、ナタが何度目かのため息を吐いた時だった。彼の焦りを含んだ声に、ナタは自ずと悪い予感を感じ取っていた。



 ローランド・ガーネットの行方が分からなくなった。


 その言葉の意味を理解するまでにナタはかなりの時間を要した。

 何故ガーネットがいなくならなければならないのだ。誘拐された? それともまさか、殺害された――。

 話し込むディルクたちをよそに、ナタは混乱のあまり頭がぐらぐらし始め、彼らの話を聞き取ることもままならなくなっていた。

 反乱軍が殲滅され、ボリスが死に、更にはガーネットが失踪。全てが悪い方へと向かっているようにしか思えなかった。自分がデラロサへ行くと言わなければこんなのとにはならなかったのではないか。そう自責の念まで押し寄せてくる。


 気持ちを落ち着かせようと深く呼吸を繰り返していた時ふと、父の顔が脳裏をよぎり、急に焦燥感が押し寄せた。

 ああ、どうして父を残してきたのだろう。王宮はもう味方だけではないのだ。自分でさえ王宮が危険だと感じていたはずなのに。

 いてもたってもいられず、ナタは王宮へ連れていってもらえないかと、ディルクたちに懇願した。

 ディルクは初め、かなり苦悩しているようだった。ガーネットが行方不明になったことに動揺しているのだと思っていたが、どうやらそれだけではないらしい。

 もしかしたら彼は王宮内が割れていることも知っているのかもしれない。しかしそれなら尚更、ナタのように王宮のことを心配に思っていよう。

 ディルクは数分何かと葛藤した末、発つのは明日の朝というのを条件に承諾してくれた。どこかディルクは自棄になっているようだった。

 その日ナタは宿で初めて眠れぬ夜というものを体験した。



第6章「Fearful witch」 終

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