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Fearful witch(3)

「幼馴染みだよ。まあ、近所の姉ちゃんって感じだったが」


 そう答えた時の男の目が、とても優しく細められた。しかしそれはあまりにも一瞬で、次の瞬間には氷のように酷く冷たい色に変わっていた。


「……遠いところに嫁いで、子どもを産んで、病気で死んだ……元々身体も弱かったんだ、あいつは。温かい幸せな家庭を作りたいってずっと言ってたが、嫁いだ先が幸せだったかどうかなんて、もう分からない」


 悔しそうに言い、男は家を見上げた。


――この人は、もしかしたら、その女性が好きだったのかもしれない。


 彼の語り方を聞いている内に、自然とそう思えた。ただ彼の話す女性が、自分の母のことのようにも思えて、ナタは少し戸惑っていた。

 男が突然、照れたようににっと白い歯を見せた。


「悪いな、初対面のやつにこんなこと語って」


「いえ」とカールが首を振る。


「それに何だ、デラロサも紛争ばっかでお前らも取材しづらいだろ。なんか申し訳ないわ」


 鼻筋を掻きながら男は謝った。

 彼も謝るのかとナタは思った。デラロサの住人には反乱を良く思っていない人間も多いのかもしれない。そう僅かに希望を見出していると、カールが突拍子もない質問をし、またナタをハラハラさせる。


「貴方は、反乱軍についてどう思っていますか」


「ん? ……記者ってのは、躊躇いなく聞くよな。俺も一応デラロサの人間だぜ?」


「ああ、気に障ったのならすみません。ライターの性といいますか、興味があるのです」


――お前は記者でも何でもないだろ!


 怖じ気づくこともなくにこやかに言うカールに、ナタは内心指摘した。

 すると男は短く笑い声を上げ、参ったという風に髪を掻き上げた。


「面白いやつだな。反乱軍のことはあまり口にしたくないんだが、少しならいいか……反乱軍の蜂起はしょうがないと思う」


「しょうがない、と言うと?」


「反乱軍ってのは元々、国に対して不満があった連中の集まりだ。数年干ばつが続いて、デラロサは結構な被害が出ていた。国に援助を要請しても大した対策を打ってくれず、何を訴えても相手は無反応。国民も怒りたくもなるだろう。見捨てるつもりか、ってな。それに国王は病気だ何だといって姿すら見せないじゃないか、国がどうなってもいいのか、って感じだな」


 ああ、耳が痛い。ナタは思わず俯いた。

 父は病気で本当に弱っているのだ、何よりも国と民を案じているのだと、反論したくなったが、唇を噛みしめて堪えた。すると男が「でも」と小さく呟いた。


「最近になって政府が反乱軍と交渉するのに走り回ってるって聞いたな。少しは変わってきているのかもしれん」


「え?」


 ナタの口からはっきりと声が漏れた。男の灰青色の瞳がさっと向けられ、ナタは慌てて口を押さえた。

 何故彼がそのことを知っているのだろう。反乱軍と交渉しようと王宮が奔走していることを。

 隣でカールが静かに尋ねる。


「それは事実ですか?」


「お? あ、ああ……確かな筋で聞いたからな」


 口が滑ったと思ったのか、彼は決まり悪そうに頭を掻く。


「詳しくお聞かせ出来ませんか」


「……いや、それは出来ない。悪いな」


「そうですか、残念です」


 カールがつまらなそうに肩をすくめる一方で、ナタの心臓は次第に早く脈打ち始めていた。


 何だろう、この違和感は。

 王宮でも極秘に行っている、反乱軍との交渉を、何故かこの男は知っている。

 確かな筋から聞いたということは、この男、もしかしたら反乱軍と繋がりのある人物なのではないのか。その可能性を全く考えていなかった自分が本当に悔やまれる。

 この東部地区には反乱軍の本拠地が存在する。そしてナタの母の家の側に反乱軍の慰霊婢を立て、まるでいつもそうしているかのように墓参りをする彼。

 ミド・ブルージャと呼ばれた女性と幼馴染みである彼……。


 ナタが無意識に縮こまっていると、カールの手がさりげなく腕に触れ、少し下がっているように合図した。

 ナタはにじるように後退った。


「ここで会ったのも何かの縁です、よろしければお名前を――」


「んー、そうだな……ボリス、とだけ教えとくよ」


 そう名乗るなり、男は懐中時計を取り出してそれを開いた。


「おっと、そろそろ戻らないとだ。ミド・ブルージャのこと、あんま話せなくてごめんな」


「いえ、お気になさらず」


 そう穏やかに返したはずのカールの声が、僅かに緊張をはらんでいた。それに気付いた様子もなくボリスが軽く手を振り、草を掻き分けて歩き出す。

 その時だった。

 突然、地響きと共に凄まじい爆発音が轟いた。

 まるですぐ近くに爆弾が落とされたかのような、その音のあまりの大きさに腰が抜けそうになった。咄嗟にカールがナタを引き寄せ、抱えるように肩に手を回す。


「離れないように」


 カールが緊迫した声で言い、ナタは彼にしがみついた。カールの手にはいつの間にか拳銃が握られていた。

 二人は急いで家の表へ回り、ナタは絶句した。


 遠くに見えるデラロサ東部の街から真っ赤な炎と黒い煙がごうごうと立ち上っている。

 まるであちこちで一斉に火災が発生したかのようなその光景は、見る者を恐怖のどん底に叩き落とした。


「……嘘だろ」


 少し離れた位置に立つボリスが呆然と呟いた。その間も爆発音が数回響き、耳を貫いた。

 東部地区には反乱軍の本拠地がある。もしかするとそこを狙ったカペル軍の攻撃なのかもしれない。

 そう考えてナタは震えた。


――なんて愚かなことを……。


 肩を支えるカールの手に僅かに力がこもった。

 三人共、身動きすら取れずに佇んでいると、爆発音に混じってエンジン音が聞こえ、それは猛スピードで近付いてきた。 車の運転席に座っているのは、ディルクだった。

 ナタたちを少し通り過ぎたところで車は止まり、ディルクとエマが車を降りて駆け寄ってきた。


「まずいことになった、ここを離れるぞ……あいつは?」


 ディルクが眉をひそめて、燃え上がる東部の街を眺めているボリスに目をやり、静かに腰のホルスターに手を伸ばした。

 するとボリスが絶望の浮かんだ顔でゆっくり振り返り、ナタたちを見、ディルク、エマ、そして離れたところに停めたままの車に視線をやって瞠目した。


 突然、カールがナタの襟首を掴んで力任せに引っ張り、後ろに投げ飛ばした。ナタはバランスを崩して倒れそうになったが、後ろにいたエマに受け止められ事なきを得た。

 何が起きたのか分からずエマに抱えられた状態で呆然としていたナタは、エマの手にも拳銃があるのを見てさっと青ざめた。

 慌てて顔を上げると、そこにはカールとディルクの背があった。そしてとんでもない光景が目に飛び込んできた。


 二人とボリスが銃口を向けあっていたのだ。




「軍用車……くそ、油断した」


 忌々しそうに目の前の男は吐き捨てた。ディルクは拳銃を軽く握り直しながら彼を睨んでいた。

 油断。確かにその通りだろう。

 正直、この男が誰なのか気付いた時は我が目を疑った。何故こんなところにこの人物がいるのか、何故護衛も付けず一人でいるのか。疑問しか浮かばない。

 ディルクは静かに息を整えてから口を開いた。


「ボリス・フレーリンだな」


 男からの返事はなかった。その代わり、彼は口の端を歪ませる。それを見てディルクは確信した。

 ボリス・フレーリン。反乱軍“ログベルク”の幹部の中でもリーダー格と言われている人物だ。

 ディルクは低く命令する。


「銃を下ろせ」


「……断る」


「言うことを聞け」


「断る」


 ボリスははっきりと告げた。


「俺を殺しにきたのか」


「そのつもりはない。が、逃がすわけにもいかない。大人しく捕まれ、銃を下ろせ」


「誰が信じると?」


 ディルクは小さく舌打ちした。

 銃口を向けられている以上、こちらから銃を下ろすわけにはいかない。ここでボリスを殺すことも可能だが、何故か躊躇ってしまう自分がいて内心罵った。

 だからといって軍が追い続けてきた重要人物をここで逃がしてはならない。何とか銃を下ろさせ確保に繋げたいのだが、ボリスを説き伏せられる程の説得技術など持ち合わせていない。

 非常に面倒で、まずい状況だ。


「……フリッツといったな」


 不意にボリスが口を開いた。彼の視線はカールに向けられている。


「フリーライターというのは、嘘なんだな。見たところ、お前も軍人か」


「……答える必要はない」


 カールが感情のない声で返し、ボリスがふんと鼻を鳴らす。


「まあいいが……じゃあその後ろの女は何だ? ニコラだったか、そいつは軍人のようには見えないが?」

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