8 years ago(2)
「大丈夫か?」
「うええ、いたいよう」
「すぐとってやるから、我慢して」
どうやら、木の枝にマクシーネの髪が引っ掛かってしまったらしい。頭上にある枝に、彼女の赤い髪が絡まっている。それを解こうとナターリエが引っ張っているのだ。
一体どうやったらあの高さの枝に髪が絡まるのかと、不思議に思いながらカールはしばらく様子を見守っていた。
「いた、いたた、お姉さまいたい!」
「わっ、ごめん!」
ナターリエがパッと手を離すと、枝が元の位置にはね上がり、マクシーネの髪を更に引っ張った。
当然マクシーネは更に悲鳴を上げた。
カールは内心苦笑しながら立ち上がり、二人の背後に近寄った。
「お二人とも目を閉じていて頂けますか?」
「えっ、なに? だれ?」とマクシーネが大声で尋ねる。
「……何をするの」
ナターリエが訝しげにこちらを見上げた。
カールはにこりと笑いかけ、「少しの間ですから」と言った。
するとナターリエは一瞬訳が分からないとばかりの表情を浮かべたが、素直に目を閉じ、更には俯いた。マクシーネは背を向けたまま動けないようなのでこちらは見えていないはずだ。
カールは自身のマントの中に手を入れ、腰のポーチから折り畳み式の小さなナイフを取り出した。そしてマクシーネの髪が絡まる枝を掴み、ナイフで素早く枝を切る。
「はい、もう大丈夫ですよ。枝を切りました」
そう言って、カールはナイフをさっとマントの下に隠した。
髪を引っ張られる痛みから解放されて、マクシーネが弱々しく息を吐いたのが分かった。しかし枝を切ったはいいが、髪は雨水を含んでいるのもあり固く絡まっていた。
何とかほどいてみようとするものの、余計にこんがらがってしまうようだった。
傍らのナターリエが心配そうにカールの手元と顔を交互に見つめる。
「取れそう?」
「……少し難しそうですね。きつく結ばれてしまっているようです」
「ええっ、じゃあずっと枝をぶらさげたまま!?」
マクシーネが勢いよく振り返り、カールの手から枝が抜けた。
さっきまでの痛さも相まってか、幼い彼女の青い瞳は涙で潤んでいた。
「ああ、いえ。最悪、髪を少し切ってしまうことになるかと」
「なんだ、きればいいのね。ならよかった」
不意にマクシーネが安堵の笑みを浮かべる。
案外素直に納得するのだなと、カールは思わず感心した。髪を切るのはイヤだ、などと言ってもう少し駄々をこねるかと思っていた。
髪は女の命だとかよく聞くが、この王女は髪に執着はあまりないのだろうか。そんなことを頭の片隅で考え、それからふと思い付いたことを尋ねる。
「お二人とも、側仕えの者はいらっしゃらないのですか?」
「うっ……」
急に小さな姉妹は唸り、気まずそうに顔を見合わせていた。
――これは勝手に抜け出したな。
そう考えてカールは苦笑した。
雨が続いて外で遊べず、退屈だったのだろう。このぐらいの年齢ならありうることだ。
その代わり王宮の中は騒がしくなっているかもしれないなと、カールはこっそり肩をすくめた。
ナターリエがおずおずとカールを見上げ、口を開く。
「あの、あのな。このことはだれにも言わないでほしいのだけど……」
「そ、そうそ! わたしたちもうお部屋にもどるから!」
マクシーネが姉の背後でこくこくと何度も頷いた。
「でも……その髪の毛を見たら、結局は外にいたことがバレてしまいますよ?」
「はあっ、そうだった!」
「それにそのように濡れていたら余計に怪しまれると思いますが」
「あああ、どうしようお姉さま! やっぱり怒られてしまう!」
また涙目になっているマクシーネが姉にすがり寄った。一方でナターリエも弱り果てた表情をしていた。
「どうするって……髪の毛は切るとして、あとは走ってお風呂に行くしかないような……」
「それだわ!」
お姉さまってばあたまいい! とマクシーネが声を大きくし、カールへと振り向いた。そして枝の絡まる赤い髪の束を掴んで突き出す。
「兵士さん、これきってちょうだい!」
「……え?」
突然のことにカールは間抜けな顔をして聞き返した。
「かみの毛をきってって、いってるの! おねがい!」
「ええ? ちょっとそれはさすがに……」
まずい気がする、とまでは口にできなかった。
王女の髪を切るなんて、ましてや王女の髪に触れるだなんて、畏れ多すぎることだ。下っ端兵士がやっていいことでもない。こうやって面と向かって話しているだけでも、上に怒鳴られるかもしれないのに。
カールが戸惑っていると、ナターリエが口を開いた。
「マクシーネ、無理を言っちゃだめだよ。わたしが切ってあげるから」
「えー? じゃあ兵士さん、お姉さまにきってもらうから、きるものをかして!」
「――それも無理だろうよ」
カールの後ろから別の声がして、小さな姉妹が飛び上がった。
そういえばディルクがいたんだったなと、相棒の存在をすっかり忘れていたカールは振り返った。
すると、
「まあまあ! ナターリエ様もマクシーネ様も! ずぶ濡れではないですか……!」
きんきんと高い声が響いた。そしてディルクの隣からエプロンドレス姿の女性――恐らく王女側仕えのメイド――が飛び出し、王女たちに近寄る。
「うげぇ……イルマだ」とマクシーネが小声で呟いたのがカールの耳に届いた。
イルマにもしっかり聞こえたらしく、彼女は眉をつり上げた。
「うげぇ、ってなんです、うげぇ、って! 人をオバケみたいに! それより、さあ戻りますよ! 風邪をひいてしまいます!」
「はぁい」
ちぇっと唇を尖らせるマクシーネの隣でナターリエは苦笑していた。
「ごめんなさい、イルマ。ちょっと外で遊びたかっただけなんだ」
「ご無事でしたからよかったですけど、護衛ぐらいは付けてくださいよ。まったくもう。どれだけ心配したと思ってるんです。皆さん探し回っていたのですよ」
ぐちぐちと叱りつけるイルマに、申し訳なさそうに縮こまるナターリエ。その横で拗ねているマクシーネ。
何だか各々の性格が顕著に出ている光景だなと、カールはぼんやり思った。
ここはもうイルマというメイドに任せて大丈夫だろう。そう判断したカールは静かにその場を離れ、ディルクの方へ向かった。
彼に預けていた小銃を受け取り、二人は目配せしてから歩き出す。少し進んでからカールは尋ねた。
「いつメイドを探しにいったんだ?」
「お前が王女たちに話しかけてすぐ」
「そうか。素早い対応だな」
「まあお前よりは冷静に判断できるってことだわな」
などと軽口を叩きあう二人。
いつしか雨は弱まり、フードもいらないぐらい小降りになっていた。雲も薄れて空が少し明るくなっている。
歩きながらフードを外した時、不意にマントを引っ張られ、カールは何事かと振り返った。
そこにはマントを両手で握り締めているナターリエの姿があった。彼女もフードを外していて、先程よりもしっかり顔が見えた。
驚いたカールはその場に片膝をついた。
「王女様、いかがなされました」
「あの……兵士さんにお礼いってなかったから。さっきはマクシーネを助けてくれて、ありがとう」
一介の兵士に礼を言いにわざわざ追いかけてくるなんて、何て礼儀正しい王女なんだ。イルマの教育がいいのだろうか。
内心感動しながら、カールは微苦笑した。
「お二人とも大事なくてよかったです。でも、こっそり抜け出すのはほどほどにしないと、またイルマさんに叱られますよ」
そう言って悪戯っぽくウインクすると、ナターリエはくすりと笑った。
“魔女”と同じ瞳の色を持つ幼い王女。初めて見た彼女の笑みは温かさに満ちていた。
プロローグ「8 years ago」 終