Fearful witch(2)
隣でカールが肩をすくめた。そう言えば以前このように突っ込んだ質問をした時も、カールは困ったような顔で返答を断った。恐らく、いや絶対ガーネットが直接口を封じているのだ。
やれやれとナタが宙を仰いだら、運転席のディルクがどこか得意げに口を開いた。
「俺は何も言われてねえから教えてやるよ。反乱軍の幹部は十一人だ、その中でも主要と言われているのが、ボリス・フレーリン、ルーサー・エズモンド、マティーアス・クルル、ヘルベルト・シラーの四人」
まるで他愛ない世間話をするかのように彼はとんとんと名を挙げ、ナタは呆然として思わずカールに顔を向けた。
しかしカールはあらぬ方向を見ていて、我関せずを貫き通すつもりらしい。聞くなら自己責任で、とでも言いたげだ。
ならば折角なのでと、ナタは更に尋ねた。
「反乱軍の主導者は、やっぱりその四人の内の誰か?」
「ああ、そうだと言われてる。でもまだ誰なのかははっきりしてねーんだわ」
「そう……ディルク大尉は誰だと思ってる?」
「そうだな、俺はフレーリンだと思ってる。こいつ、他と比べて噂が少ねえんだ、妙に音沙汰がないというか。それなのに重要人物として名が挙がってるのが不思議でな。反乱軍に指示を出してるのがフレーリンなんじゃねえか、って。軍でもそう思ってるやつは多いよ」
「なるほど」とナタは頷きながら、フレーリンの名を頭の片隅にしまった。
「ああでも、王女はそいつのことを気にする必要はねえんだからな。反乱軍を追うのは俺らの仕事だ」
「うん、わかってるよ」
ディルクの指摘に、ナタは苦笑した。
自分がやるべきことは、戦いが長引いてこれ以上多くの血が流れないようにするために反乱軍と交渉することだ。きっとそれが、ディルクやエマなど前線で戦う兵士たちのためにもなるはずだ。
しっかりしよう。そう口の中で呟いて、ナタは窓の外に目を向けた。
「――見えた、あの家だな」
不意にディルクが口を開き、ナタはそちらにゆるりと視線を向けた。
草原の中にぽつんと立っている平屋の一軒家。その家の前でディルクは車を停めた。
車の停まっている道から草を掻き分けて細い小道が延び、低い垣根の中にその家はあった。
木造の建物はところどころ穴が空いており、強風が吹けば倒壊してしまうのではないかと思えるぐらいに朽ちていた。人の気配など微塵にも感じない。
――ここがお母様の実家……か。
ナタは寂しさに似た焦燥感が込み上がってくるのを覚えた。
リーゼはただの民間人だった。王宮に勤めていた訳でもなく、デラロサでひっそりと暮らしていたのだという。
父・アーベルがまだ王太子であった頃、デラロサを訪問した際に偶然リーゼと出合い、そして惹かれたのだとアーベルがかつて照れたように語ってくれた。
ひょんなことで国王であるアーベルに見初められ、求婚され、王宮に上ったリーゼ。
元々身体の弱かった彼女は、自分とマクシーネを産んで以降、ほとんどの時間を寝台の上ですごしていた。
でもナタが母の下へ訪れると、寝台から振り返ってふわりと優しく微笑む彼女がいた。少し冷えた手でゆっくり髪を撫でてくれる母が、ナタの瞳の色を「綺麗ね」と言ってくれた母が――。
ああ、何だか胸がいっぱいだ。
窓枠に額を載せて、ナタは深く息を吐き出した。
「……ニコラ、降りますか?」
不意にカールに声をかけられ、ナタはハッとして顔を上げた。
「う、うん、少し……いいかな」
おずおずとディルクを窺うと彼は肩をすくめた。
「好きなだけ見てくればいい。護衛は一人いりゃ足りるだろ。俺はちょっとその辺回ってくる」
ナタたちが降りるとすぐディルクは車を走らせて去っていった。その後ろをエマたちが乗った車が続く――ザシャが軽く手を振っていた。
二つのエンジン音が聞こえなくなり、ナタは何となくカールを見上げた。
「どうしました?」と彼が首を傾げたが、ナタは首を左右に振り、寂しく佇む母の生家へと歩き出した。
リーゼが王宮に上がる前はこの辺りにも数件ぽつぽつと民家があったらしいが、現在はもうこの人の住んでいない廃屋だけとなっていた。
格子の窓ガラスを撫でながら、ナタはゆっくりと家を一周する。
玄関と勝手口は鎖とかんぬきで施錠されていて中に入ることは出来なかった。それを少し残念に思っていると、突然カールがナタを庇うように素早く背を向けた。
「ん? なんだあんたら」
少し警戒するような、知らない男の声がした。
ナタは自ずと緊張を走らせたが、恐る恐るカールの背中越しに覗き込む。
少し離れた場所に男は立っていた。
身長はカールぐらいで、細く見えるが肩幅は広い。白いシャツの上に灰色のよれたジャケットを羽織り、黒のパンツを履いている。風になびく赤茶色の短い髪が、薄青の空に映えて少し見惚れてしまった。年齢は三十台後半ぐらいだろうか、彼の手には小さな花束がある。
こんなところで人に会うとは思っていなかった。ナタは内心オロオロしながら、何度も眼鏡を押し上げた。
「この家の持ち主の方ですか?」
急にカールが尋ねた。すると男は僅かに片眉を上げる。
「……正式には違うが、俺が管理してる。で? あんたらは?」
「ああ、すみません名乗りもせずに。私はフリーライターをしています、フリッツという者です。こちらは私の助手のニコラ」
と、突然紹介されナタは慌ててぺこと軽く頭を下げた。
男はじろじろと品定めするようにナタとカールを眺める。
「ライターねぇ、こんな何にもないとこで、記事になるようなものでもあったのか?」
「いえ。私たちはミド・ブルージャについての記事を依頼されていまして、デラロサで取材していたところです。ミド・ブルージャが生まれるのはこの辺りかなと思いまして、立ち寄ったらこの建物を見つけたものですから」
え、そうだったの? と言いそうになってナタは慌てて口をつぐんだ。
恐らくこれはカールのでっちあげだ。だから彼に任せておくべきだ。よくこんなことを即座に考えてすらすらと言えるものだとナタが感心していると、男は呆れたように宙を仰ぐ。
「ミド・ブルージャ、ね。今まで調べ尽くされてきたと思うんだが、あんたらも好きだな」
「そうですね。でもまだ彼女についての謎は多いですから。貴方は、お墓参りか何かですか?」
男が肩に担ぐように持っている花束を、カールは視線で示す。
「まあ、な。この家の裏にあるんだ」
歯切れ悪く頷いて男は歩き出した。
ナタの横を通り過ぎる彼を見送っていると、カールに腕を小突かれ、ナタは振り返った。
するとカールは人差し指を口元に当て、しっと息を漏らす。
何も喋るなということらしい。無闇に口を開いてボロが出ても困るし、ナタは大人しく従うことに決め、頷いた。二人は男を追った。
家の裏手、更には垣根の外側に石でできた墓碑があった。こんなところに墓があったのか、さっき家を一周したときは全く気付かなかった。
誰の墓なのだろう。ナタは墓石の前で項垂れる男の背をぼんやり見つめた。
しばらくして男は墓石を見下ろしたまま、呟いた。
「この下には誰も眠ってないんだ」
「……慰霊婢、のようなものですか」
「ああ。……今までに死んでいったやつらの墓さ」
「反乱軍のですか?」
カールの問いに、男は驚いたように振り返った。
ナタは背筋がひやりとした。カールの質問にもそうだが、振り返った瞬間の男の眼光があまりにも鋭かったのだ。
カールが急に妙なことを聞いたお陰で、こっちまで肝が冷えたではないか。後で腕でもつねってやるとナタは心に決めた。
ふと男は自嘲のような笑みを浮かべ、
「そうかもな」
曖昧な返事をしてまた墓碑を見下ろした。
その横顔が儚げに見え、ナタは何故か胸を締め付けられた。
彼が何を思って墓碑を見つめているのか、聞いてみたい。しかし口を開くなと言われた手前、その疑問は呑み込むしかない。
ナタは彼の視線を追って、墓碑を眺めた。
「ミド・ブルージャ、か……」
不意に男は呟いた。
何か引っ掛かるのだろうかと、ナタが首を傾げていると、彼は静かに語り始めた。
「昔の話だが、俺の知り合いにも、ミド・ブルージャだ魔女だって呼ばれた女がいたんだ。まあ、ここに住んでたやつなんだが」
ナタは目を見開いた。
――ここにミド・ブルージャが住んでた?
ナタは思わずカールを見上げた。彼は平静な様子でナタに目をやる。その視線は再度黙っているようにと訴えていた。 男は空を仰ぎ、はあとため息を吐く。
「紫の瞳を持っていただけで、そいつはずっと周りから恐がられてたよ。こんな街の端に追いやられるぐらいにな。ミド・ブルージャなんて、だだの作り話だろうに……。でもそいつは、健気に笑ってた。他人の蔑む目も、貶すような言葉も、どうってことないって言ってな」
ナタは男の背を見つめたまま顔をしかめた。彼の言葉は胸を抉るようだった。
ナタ自身、生まれたときからずっと、王宮にいてもどこにいても好奇の目を向けられ続けてきた。小さい頃はそれが嫌で、周りの人間が恐ろしく思えて、両親や妹にしか心を開けずにいた。
今は気にしないように努められているが、それでもやはり誰かにじっと見つめられると逃げたくなるのだ。
ナタは無意識に眼鏡を押し上げた。
「その方は、まだ生きていらっしゃるのですか?」
カールが尋ねると、男は振り返って渇いた笑い声を上げた。
「取材しに行きたいのか? でも残念だったな、そいつは死んだよ」
「そうですか……貴方は、その方とはどういった関係で?」