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Fearful witch(1)

 デラロサの軍事基地には赴かなかった。ナタとしては基地内見学もしてみたかったのだが、「王女がここにいること自体 、誰も知らないのだからやめてくれ」とディルクに呆れた顔をされた。

 だからナタはカールと共にデラロサ南部地区の、とある宿にいた。

 マントを脱ぎ捨て、窓辺にあるベッドに座ってデラロサの街を眺め続けた。


 南部地区は戦火もほとんど及んでおらず、住民が溢れ、活気があった。他の地区に住んでいた人々が逃げ場を求めて南下 してきたため、この半年で南部は一気に人口が増えたそうだ。

 しかし少し北に行くと、壊れた建物や爆破の痕があり、北部と西部は壊滅状態だと聞かされた。

 反乱軍の本拠地は東部地区の北側にあるらしい。その地はもう反乱軍に占拠されているとの話だった。


 現状は、こんなにも悲惨だ。自分に出来ることなど皆無ではないのかと、自信も覚悟もしぼんでしまう程に。

 ナタは頭をぶんぶんと振って弱気な考えを追い払った。

 ここは母、王妃の故郷だ。娘である自分が怖がってはいけない。そう奮い立たせて顔を上げ、ずり落ちた青縁の眼鏡を押し上げた。


「ちょいと失礼しますよー」


 突然、部屋の扉が開きナタは飛び上がった。

 慌てて振り返ると、一人のふくよかな女性が戸口に立っていた。彼女を見てナタはホッと息を吐いた。

 彼女はこの宿の従業員だ。といっても夫婦で切り盛りしている小さな宿なので、他に従業員はいないらしい。名前は確かフローエ婦人と言っていたと思う。

 フローエ婦人はナタを見て、部屋をぐるりと見渡して「おや」と首を傾げる。


「お客さん一人? 旦那さんは?」


「えっ?」


 彼女の問いにナタは驚愕した。恐らく婦人の言っている“旦那”とはカールのことだ。

 ナタは泡を食ってかぶりを振った。


「ち、違いますっ。カ……フリッツは夫じゃありません!」


「あら、てっきりそうなのかと……じゃあ恋人?」


「違いますって! 彼はただの、上司です……!」


 息巻いて言い切った。

 ナタたちはそれぞれ別の名を付けられている。さっき言ったフリッツとはカールのことを指し、ちなみにナタはニコラという名だ。王宮外にいる間はその名で呼びあう決まりになっている。

 更には、ナタとカールには適当な経歴も与えられ、二人ともフリーのライターという肩書きになった。カールが上司でナタは見習いらしい。

 王女であることを隠すのも大変だ。

 ナタが顔を真っ赤にしているためか、フローエ婦人は声にして笑い出した。


「そんなに必死になって否定したら、フリッツさんが可哀想だよ。でももったいないねぇ、その気はないの? あんな優しそうでかっこいい男の人が側にいたら、あたしはさっさとツバつけちゃうけどね」


「そ、そんなんじゃないです……」


 弱り果てたナタはがくりと項垂れた。

 確かにカールとはほぼ毎日一緒にいるけれど、彼にとっては仕事で護衛しているだけだ。でも二人で並んでいるとそういう風に見えるのだろうか。

 そんなこと考えたこともなかった。ああ、何だか恥ずかしいし、それに恐れ多い。

 ナタは小さくため息を吐いて、フローエ婦人を見上げた。ここは話を変えるしかない。


「何か用ですか?」


「あらっ、あたしとしたことが。お二人にこれを、と思ってね」


 そう言って、フローエ婦人は両手に持っていた陶器のカップを差し出した。

 二つとも受け取ったナタはカップの中を覗き込んだ。白く濁った液体が注がれている。


「これは……ヨーグルト?」


「うん。いつもはこういうの出さないんだけど、サービスってことで」


 フローエ婦人はにっこり笑って言うが、ナタは首を傾げて彼女を見上げた。


「サービス?」


「そ、ほら今デラロサは大変なことになってるじゃない? 外からくる人がかなり減ってね、あたし達の商売も上がったりなのよ」


「はあ……」


 婦人はケラケラ笑うが、ナタには全く笑えなかったので曖昧に相槌を打った。婦人は世間話をするように続ける。


「ホントにもう、反乱なんて迷惑よ。大変なのは反乱軍の人たちだけじゃないというのにねぇ。それにせっかく来てくれたあなたたちにも申し訳ないわ、こんな物騒で」


「……いえ」


 フローエ婦人が謝ることではないと思う。反乱を鎮められないこちらに責任はあるのだから。そう意味を込めてナタは首を横に振った。


「ご婦人方は、よそに避難したりはしないのですか?」


「うーん、旦那と話し合ったことはあるんだけどね。まだ思い留まっているってとこかしら。やっぱりあたしたちもデラロサは好きなの」


 そう言ってフローエ婦人は笑った。


「デラロサって本当はいい所なのよ。食べ物も美味しいし、古い遺跡なんかもあって観光にもいいし。まあ、荒んでいなければ、の話よ。……ってあたしってばお喋りしすぎかしら、ごめんなさいね。えっと、それでお二人が数ある宿の中からうちを選んでくれたお礼ってこと。よかったら飲んで」


「はい……頂きます、ありがとう」


 ナタが礼を言うと、フローエ婦人はいえいえと手を振って部屋を出ていった。ナタは両手に収まるカップを見下ろし、そしてまた窓の外へ視線をやった。


 人は意外とたくましい。フローエ婦人の話を聞いてそう思えた。彼女のような人がいるのなら、デラロサも、カペルも今を乗り越えられる気がする。

 そのためには反乱を止める必要があるのだ。だから自分が反乱軍との交渉で少しは成果を出さなければ。

 ナタは己を奮い立たせ、カップに口を付けてグイッと飲んだ。


「ふあっ、すっぱ!」


 予想外な酸味に思わず叫び、ナタは涙目になって口を押さえるのだった。




 昼を回った頃に、ディルクたちが訪れた。

 彼らはガーネットとの情報交換の他、武器調達や護衛人員を補充するためにデラロサ基地に行っていた。

 どうやら、反乱軍との交渉のための交渉が未だに難航しているらしい。早くてもあと数日は掛かるということだった。交渉のための交渉で躓いていてどうするのかという気分だが、待てと言われたら待つしかない。

 その間は大人しくしていようという方向でまとまりそうになっていたところを一転させたのは、ナタだった。


「ったくよぉ、宿で大人しくしてればこっちも楽なんだが」


「……ごめん」


 車を運転しながらぐちぐち文句を言うディルクに、ナタは苦笑して謝った。いつからか、ディルクの口調は素のものになっていた。カールもそのことを注意していたが、ディルクは変えようとはしなかった。しかしナタも少し親しくなれたのが嬉しくて気にしないでいた。


「東部地区に行きたいとか考えるの、あんたぐらいしかいないぜ」


 怒りを通り越して呆れたとばかりにディルクは言い、ナタはもう一度謝罪を口にする。

 ナタ一行は今、デラロサの東部地区へ向かっていた。

 今回はディルクがエマとザシャ以外の部下も従えてきたため、車も二台に増えている。前の車両にはナタとカール、そしてディルクの三人。後ろにはザシャとエマ、そして補充されたエヴァンという兵士。

 武器もいくつか拝借してきたと聞き、ナタはそんなことして大丈夫なのかと心配したが、ガーネットの命令だとか何とかでっちあげてきたらしい。

 本当この兵士たちは、図太いというかたくましいというか。まあそんな彼らを頼りにしているナタには非難などできないのだが。


 ナタは苦笑を浮かべたまま、窓の外に目をやった。

 車は丈の低い草の生えた草原の中の一本道を走っていた。辺り一面空と台地しかなく、遠くにデラロサの街がうっすら見えた。

 砂漠だらけのカペルだが、国境付近は意外に草木が生えている。

 そう、ここはアマリアとの国境に近い。デラロサは、東にアマリア、北にゲルリダが隣接する。


 百年前の大戦でゲルリダに侵攻された、当時ひとつの国だったデラロサは、カペルとアマリアによって二つに分割、統治されることとなった。

 デラロサがひとつの国だったという事実は伏せられ、歴史の本にも載ってはおらず、今となっては国民のほとんどが知らない。

 ナタでさえ、王位継承が決まってから聞かされた話だ。

 国々がデラロサのことをひた隠しにする理由ははっきりとは分からない。ただ、デラロサの住民ないしは《術師》による報復を、諸国が未だに恐れているように感じる。


 戦争は怖い。デラロサの紛争も本当は怖いのだ。

 反乱軍の暴動は、百年前のデラロサの悲鳴や怒りが蘇ったように聞こえるのだった。

 百年前に戦争があったのは真実で、地名として残っているもののデラロサが滅んだのもまた真実。だから見て見ぬふりなど出来はしなかった。


 ナタは枯れたような色をした草原を眺めながら、小さくため息を漏らした。

 ナタの母・リーゼは、生まれ故郷であるデラロサの話をする時、いつもどこか寂しげな表情で遠くを見つめていた。当時は懐かしんでいるのだろうと思っていたのだが、今になって考えると、リーゼは憂いていたのだと気付く。

 カペルとデラロサの確執を彼女は常に案じていたのだろう。

 リーゼが逝去し、デラロサで紛争が始まる。案じていたことが現実となって、草葉の陰で母は泣いているかもしれない。


――でも、わたしが何とかしてみます、お母様。だから少しだけ、力を貸して。


 ナタは膝の上で両手を握りしめた。自分が思い詰めた表情をしていることにも、隣でカールがこちらを見つめていることにも、気付かずに。


 しばらく車内に奇妙な静寂が続き、それが自分のせいだと気付いたナタは慌てて尋ねた。


「反乱軍の主要メンバーって何人いるの? わたし聞かされたことがないんだけど」


「ああ、それは……申し訳ありませんが、私は口を封じられていますのでお答えできません」

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