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Crisis(3)

 差し出された木箱を受け取りナタは首を傾げる。

「眼鏡です」と、ディルクは特に説明することもなくその箱を開けるよう促した。

 眼鏡なら今も掛けているのだけど、と、ナタは不思議に思いながら木箱を開けた。

 彼が言った通り、布に包まれた眼鏡が一つ入っていた。青色の縁をした、レンズの大きな眼鏡。

 それを持ち上げて目の前にかざしてみると、特にレンズの向こうが歪むこともなかった。どうやら度は入っていないらしい。


「瞳の色の見え方を変える特殊なレンズです。だから常に掛けるように。あなたの瞳は目立ちますから」


「……そうか」


 僅かに落ち込んでしまったが、ナタは素直に眼鏡を掛け直した。

 この瞳はどこにいてもいい意味を持たないのだなと改めて実感させられたようだった。

 こっそりため息を吐くと、ディルクが宙を仰ぎ、おどけたように付け足した。


「それ特注なんで、壊さないでくださいよ」


「……ふふ、わかった」


 ナタは苦笑した。何だか気を遣わせたみたいだ。ディルクは厳しいんだか優しいんだか分かりにくい人だと思った。


「それで、服を調達したら、今日俺たちが滞在する予定の町の一歩手前、ケサダに行って一泊する」


「了解っす。だけど任務内容も完全無視っすね。ファーバー補佐官とか必死こいて計画練ってたみたいなのに」


 ザシャがおかしそうに尋ね、ディルクはふんと鼻で笑い飛ばした。


「俺たちの任務は王女を守りきることだろ。状況なんてもんはころころ変わるんだよ」


「でも王宮を出たばっかなのに、もう計画変更なんすか」


「何かが起きると分かってるから、先に対策を立てているんだよディルクは」


 ナタの隣でカールが口を挟み、「俺らに何も話さないのはどうかと思うけどね」と加えた。

 また一瞬の沈黙が流れたが、ディルクは特に反論などすることもなく話を続けた。


「明日は、予定通りに進めるつもりだ。まあそれも変わるかもしれないが。それから、エマ」


「はい」


 素早く返事をしたエマに、ディルクが小さなポーチを投げ渡した。

 それを両手で受け取った体勢のまま首を傾げるエマの視線がナタに向けられ、ナタも首を傾げながら見つめ返した。


「これ、何ですか?」


「開ければ分かる」


 ディルクは一度も振り返らずに、ぶっきらぼうに言った。

 エマが不審そうにポーチを開け、ナタは横からそれを覗き込む。

 ポーチの中には、小さな石が十個ほど入っていた。形はバラバラだが、赤や青など、どれも透き通っていてとても綺麗だ。

 しかしどこかで見たことがあるなと、ナタは一層首を捻る。すると隣でエマが信じられないとばかりに息を呑んだ。


「隊長っ、これ……《マテリアル》じゃないですか」


「ええ!?」


 ナタとザシャの驚く声が重なる。一方でディルクは落ち着き払った様子で言った。


「見ただけで分かったんなら説明はいらねえな。十個しかないんだ、大事に使えよ」


「で、ですが、これどこで手に……?」


 エマが酷く動揺しながら尋ねる傍ら、ナタはポーチを見下ろしていた。

 こんなに近くで《マテリアル》を見るのは初めてだ。赤、青、緑、黄、黒、白――いや無色か。どれも宝石のようで、何て綺麗なんだろう。

 意識を吸い込まれるように見つめていると、ディルクが短く息を吐く。


「ガーネット司令官に持たされた。必要があったら使えと。ここでそれを使えるのはお前しかいない、だからお前に預ける。使いどころはエマの判断に任せるぞ」


 ディルクの言葉に呆然としているエマを、ナタは見つめた。

《マテリアル》を使えるのはエマだけ。ということは、エマは――。


「エマは、《術師》か適合者なのか?」


《マテリアル》については、紛失事件が起きてから自分なりに調べてきた。研究施設に赴いたり、ガーネットを脅し――訂正、合意の上で文献なども読ませてもらったりした。

 専門的なことは理解できないことも多々あったが、それでも知識は付いているはずだ。

 ナタの問いにエマはびくりと身体を震わせ、少し怯えた表情でこちらを見た。その様子が予想外で、思わずナタもオロオロしてしまった。


「ごめん、聞かない方が良かったかな」


「……いえ、すみません。……私は《術師》です、風の」


 エマの声の調子が視線と共に沈んでいき、ナタは眉を下げた。

 そういえば、《術師》は百年前の大戦での出来事を今でも恐れていると聞いたことがある。彼女も《術師》であることを誰にも告げられず、怯えながら暮らしてきたのかもしれない。

 申し訳なさが込み上がってきたが、ナタは軽く頭を振り、気を取り直して明るく言った。


「《術師》は絶滅寸前だって聞いてるから簡単には会えないと思っていたのだけど、案外すぐ近くにいるものだね。わたしはずっと会ってみたかったんだ、色々話を聞いてみたいから……全部が済んだら、エマとも話をしたいな。ほら、わたしたち年も近いし」


 ね? と励ますように微笑むと、エマはほっと肩の力を抜いて微かに頷いた。


「……私、王女の側にいると何だか調子が良いというか、落ち着いていられるんです。お会いしてまだ数日しか経っていないのに、おかしいですよね」


「えっ、おかしいとは思わないけど。わたしからしたら嬉しいよ」


「……ありがとうございます」と、エマが照れ笑いを浮かべた。


 彼女とはいい友になれそうな気がして、嬉しいという言葉は本心だ。だからもっと色々なことを話し合える仲になりたかった。

 車内にほわほわした緩い空気が漂い始めたのにナタもエマも気付いていなかった。男三人が苦笑しているのにも気付いていなかった。

 するとカールがこほんと咳払いをして、口を開く。


「ところで、ディルクは何を思って計画を変えているのか、そろそろ話してもらおうか」


 その緊張感ある声音にナタはハッとして背筋を伸ばし、隣の従者に目をやった。

 彼はちらりと視線を合わせたが、すぐにディルクへと戻してしまった。

 ナタは不審そうに助手席へと顔を向ける。

 ディルクはディルクで静かに地図を畳んでいた。小さくなった地図をポケットにしまい、ディルクは根負けしたようにため息を吐いた。


「情報が漏れてる」


「……なるほどね」


 そんなことだろうと思った、と言わんばかりにカールも嘆息した。

 情報が漏れているということは、つまりナタがデラロサに行こうとしていることが筒抜けということか。

 ナタはさっと青ざめた。

 このままデラロサに向かって良いものだろうか。もしも反乱軍などに襲撃されたら、自分だけでなく護衛してくれている彼らまで危ない目に遭う。

 それは無視できないと、ナタは急ききって身を乗り出した。


「ディルク大尉、引き返そう。このまま行っても危険なだけじゃないか」


「いや、引き返しません。デラロサに向かいます」


「何で……」


「ガーネット司令官の命令です。部下である俺たちは逆らうことができません。それにあの人は、たぶん……王女を王宮に留めておきたくないのだと思います」


「それは……どういう意味?」


 ナタは眉をひそめて、頑なな彼の横顔を見つめ続けた。

 すると不意にカールに肩を掴まれ、引っ張られた。抗えなかったナタは背もたれに背を付け、カールを見上げた。


「恐らくですが、ナタ様が以前、マクシーネ様に対して思われたことと同じです」


 そう諭されてナタは少し考えた後にハッとした。

 自分も、王宮内が危険に思えて、マクシーネを王宮に留めておきたくなかった。だから避難も兼ねて、アマリア留学を進めたのだ。それと同様の想いで、ガーネットも自分を王宮の外に出したのだとカールは言う。


 ナタは口をつぐんで俯いた。

 結局、自分は何の役にも立たない未熟者だ。この国を守りたい一心でいたのに、逆に守られてばかりではないか。

 自分のやっていること全てが滑稽に思えてきた。非力な自分が悔しくてたまらない。


「王女」


 不意にディルクに呼ばれ、ナタは情けない表情のまま顔を上げた。


「王女はやりたいようにやってみればいい。俺たちが付き合う」


「……え」


「俺たちはあなたの護衛だ、あなたが行くところについていくし、出来る限りの手助けもする。だから、何もやってない内から、落ち込むのはやめろ」


 驚くぐらい穏やかな声でディルクが言い、ナタは何度も瞬いた。

「そうですよ」と隣でカールが苦笑する。


「ディルクだけに言わせておくのも癪なので言いますが、私はナタ様にずっとお仕えしてきたんです。これからだってお側にいますし、お守りしますよ」


「お、カール少尉、愛の告白みたいっすね」


「黙れザシャ」


 バックミラー越しににやにやするザシャをカールが睨み付ける。


「おお恐い。王女、オレも従いますよ。だから、その代わりに給料はずんでくださいね」


 語尾にハートマークが付きそうなぐらいザシャが可愛らしくウインクしてみせた。

 たくましい兵士にそんな仕草をされるとあまりにギャップがあって、ナタはついふふっと吹き出してしまった。


「わたしはどうにもできないけど、ガーネット殿に掛け合ってみるよ」


「マジっすか! いやー、言ってみるもんっすね!」


 ザシャが嬉々として拳を握ると、窓枠に頬杖をついたディルクが、


「じゃあ帰ったらザシャのおごりで飲むぞ、いつもの倍は飲めそうだ。うちの隊員も集めるか。エマも付き合えよ」


「了解」


 エマが即答する。それだけはマジ勘弁っす、などとザシャが懇願していたが、ディルクたちは聞く耳持たずだった。

 彼らの会話が微笑ましくて、ナタが笑いながらカールへ振り返ると、彼も優しく微笑んでくれた。

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