Crisis(2)
今から紛争地域に赴くというのに、彼らは危機感などまったく感じさせないぐらい穏やかに談笑していた。
「ディルク、ちょっと来い」
不意に名を呼ばれ振り向くと、そこには軍の最高司令官、ローランド・ガーネットが佇んでいた。今回の任務は全て彼の指揮の下、行われることになっている。と言っても現場の指揮権はディルクにあり、状況判断は自分に委ねられるのだが。
ディルクは訝しく思いながら彼に近寄った。
「何でしょうか」
「ちと、厄介になりそうでな。少し離れよう」
ガーネットはちらりと王女たちを見、ディルクを促して歩き出した。彼について行きながら、ディルクは首を捻った。
厄介事とは何だろう。王女たちを遠ざける辺りからしていい予感はしなかった。
王女と部下の声が届かない位置まできて、ガーネットは告げた。
「どうやら、ナタ様のデラロサ訪問の話が漏れているようだ」
「……はい?」
突然の告白にディルクは頓狂な声を発した。
「漏れてるって、外部……反乱軍にですか?」
「そうだ」
「冗談でしょう。それなら取り止めるべきではありませんか」
ディルクは声音を抑えて尋ねるも、動揺は隠しきれなかった。
どうやらこの交渉話自体が極秘で行われていることらしい。反乱軍の中でも穏健派の者たちが、他の反乱軍メンバーには黙って密かに交渉話を持ち掛けてきたのだとか。
だから王女がデラロサに向かうことは当然公表もしていないから一部の者しか知らないはずなのだ。
しかしそれが漏れてしまっている。もしや敵は内部まで潜り込んでいるのではないか。ディルクは思わず眉を寄せた。
それにデラロサまでの道のりで、ディルクたちの他に護衛の兵はいない。
近衛部隊か、それが無理ならオルバネ基地から兵士を何人か借りられないのかと提案はしたのだが、極秘任務は少数編成の方がやりやすいという意見が通されてしまった。
でもそれは、任務が極秘のままで行われた場合の話だ。情報が筒抜けなのに、このまま発つなど馬鹿げている。
ガーネットが疲れたように首を振る。
「そう出来れば良いのだがな……ここだけの話、最近はやたらとこちらの情報が外部に漏れているんだ」
「……それってやはり、スパイが紛れてるってことじゃ」
「もしくは、裏切り者がいる、だな」
そう言って、ガーネットは胸の前で腕を組む。
「何も手を打っていない訳ではないのだが、何分、私が使える駒も少なくてな。王女はお前たちに任せるしかない」
「だから、中止にすればいいではないですか。何も今、王女をデラロサに送らなくても、もう少し紛争が収まってからとか――」
「厄介だと、言っているだろう。いいか、良く聞け」
ガーネットが僅かに目に力を込め、低い声で続ける。
「王宮の内部、いわば執政官と軍上層部のことだが、我々は今、ふたつの派閥に別れている。簡単に言うと、戦争をするかしないかで割れているのだ。数年続く干ばつとデラロサの紛争に、物価の高騰、経済の低迷。国民の不満は募るばかりで、彼らも反乱軍に感化されて暴動を起こしかねない。戦争を始めようとしている者たちはその国民の注意を王宮からそらしたいのだ」
彼の話を聞きながらディルクは絶句していた。
反乱軍相手で精一杯の現状なのに、更に戦争を企てているとは。怒りを通り越して最早呆れてしまう。
「その……好戦派野郎は、どこを攻めようと?」
「アマリアだ」
「やっぱり」
ディルクとガーネットは同時にため息を吐いた。
「……司令官殿は、反対派ですよね?」
「当然だ。カペルは援助を受けている身分、アマリアに足下を見られがちで立場も弱い。憤りを感じるのもわかる。でもだからこそ我慢すべきだとずっと説得してきた。だがその我慢も危ういところまできてしまっている。私一人では抑えきれないかもしれないんだ」
国王様がご健在であればよかったのだが、とガーネットの言葉の最後に続いたような気がした。
ディルクは項垂れて髪を振った。思っていた以上にこの件は重い内容を含んでいた。
「王女は、そのことを知っているのですか」
「いや……私から伝えたことはないしカールの口も塞いでいる。……が、彼女のことだ、恐らく悟っているだろう。少しばかり、責任を感じているような節がある」
「……なるほど」
だから交渉する役を引き受けたのか。あの小さな身体に国を背負っているためか、王女も王女なりに考えがあるらしい。危険を顧みないところは、どうかと思うが。カールも苦労しているのだなと、ディルクは思わず幼馴染を憐れんでしまった。
ふうとガーネットが短くため息を吐き、
「干ばつは、雨が降らないことにはどうにもならん。だが反乱軍は止めることができるはずだ、殲滅すること以外で、な」
ディルクは小さく嘆息し、ガーネットを見つめた。
「王女をこの国の最後の砦と考えろ、ということですね」
「その通りだ。このことはお前だから話した。だが口外は禁ずるぞ、部下にもだ。それから、王女のデラロサ訪問も取り止めは出来ないし、お前たちにしか任せられない。何が何でも王女を守り抜け。いいな」
否定を許さない威圧感を放ちながら、ガーネットが見つめる。ディルクは当然気圧されたが、静かに頷いた。
「承知」
「うむ。それと――」
まだあるのかとディルクがうろんげに視線を向けると、ガーネットはにっと白い歯を見せる。
「もし私に何かあって連絡がとれなくなったら、ナタ様に関する全ての指揮権はお前に委ねるからな」
「……そういうこと言ってると、真っ先に死にますよ」
「ははは、それもそうだ。まあ頼んだからな」
そう言ってガーネットはディルクの肩を叩いた。
「しかしなんだ、俺が教育科から引っこ抜いた時はひよっこだったディルクが、今や大尉か? 立派になったな」
ガーネットが優しげに目を細め、ディルクはため息を吐いた。
「司令官殿には敵いませんよ。……まあ、引き返せないのなら、こっちは適当にやってみます。司令官殿は、これからどうするんですか」
「ああ、アマリアに向かう予定だ。向こうのお偉いさんと協議する」
「……そっすか。お気を付けて」
「お前たちもな、武運を祈る。カールとも仲良くしろよ」
「余計なお世話です」とディルクが返すと、ガーネットはまた笑い声を上げて踵を返した。
遠ざかっていく堂々とした背中に敬礼をし、ディルクは王女たちの下へと引き返した。
* * * * *
彼らと初めて対面した時は、予想よりもかなり愉快――明るい人たちで驚いた。本当にデラロサで戦っているのだろうかと疑問に思ってしまう程だった。
ザシャ少尉は見た目からしてやんちゃそうでよく喋るし、エマ曹長は物静かではあるが年齢の割に顔は幼く浮かべる笑みは可愛らしい。
それからディルク大尉は、厳しそうな眼と雰囲気を持っているけれど、部下を見守る姿は何だか親のようだった。
近衛部隊以外の兵士とはあまり接したことがなかったため、どこの兵士も規律正しくそしてどこか殺伐としているのだろうなどと勝手に想像を膨らませていたが、兵士も様々ということに気付かされた。
王宮を出発し、ナタたちを乗せた車は南下する一本道を走っていた。
デラロサへは砂漠を突っ切った方が早いらしいのだが、今回は安全対策に遠回りをして行くという。
今日はウーテの森の近くにある町まで行き、そこで一泊。翌日、デラロサまでひたすら走る。ここ数日で行われた会議でそう決まったのだ。
後部座席でカールとエマに挟まれているナタは、運転席のザシャと助手席のディルクをちらりと眺めた。
王宮を出てから、ディルクは口数が少ない。何か物思いに耽っている様子で、窓枠に頬杖をついたままずっと窓の外を眺めている。
出発前に、彼がガーネットと何か真剣に話し込んでいたのを見かけたが、それも関係しているのだろうか。
彼が無言のせいか、他の者たちも自然と静かになっていた。
不意にバックミラー越しにザシャと目が合い、彼は苦笑した。大丈夫ですよ、と言ってくれたような気がした。
すると始終黙り込んでいたディルクが、急に無線の受話器に手を伸ばし、そして引っこ抜いた。
「おお!? 急に何してんすか隊長」
運転席のザシャが驚愕した表情で振り返った。
「話が終わったらまた繋ぐ。つーか前見ろ阿呆」
「おっとと」
車が道をそれそうになっていたのを慌てて戻したため、車内がぐらんぐらん揺れナタはバランスを保てずにカールやエマに散々ぶつかった。
二人に支えられながら顔を上げると、ディルクが上着から地図を取り出してそれを広げた。
「一度しか言わないからよく聞け。計画を少し変える」
そう告げると車内の誰もが真剣な面持ちでディルクに意識を向けた。しかしナタは何事かという風にポカンとしていた。地図を見下ろしディルクは話す。
「ひとまず、一番近いパロメロの町に寄って服の調達をする。五人分な。エマと王女の服は揃えるか似たものにしろよ」
「……変装か」
隣でカールが呟き、ディルクは微かに頷いた。
何故変装しなければならないのかナタにはさっぱり分からなかった。
するとディルクがまた上着のポケットに手を突っ込み、今度は細長い箱を取り出した。
「王女にはこれを」
「これは?」