Crisis(1)
「ねえ隊長、ホントに引き受けるんすか? 今回の任務」
ディルクたちは、カペルの首都・オルバネの軍事基地内にある食堂にいた。まだ昼前であるためか、食堂を利用する兵士はまばらだ。
香辛料の効いた焼いた肉をつつきながら、ザシャがひそひそと尋ね、ディルクは眉をひそめた。
「引き受けるしかねぇだろ。最高司令官と国王の命令だぞ、国のツートップだぞ、逆らえるか」
「でも、危険すぎじゃないっすかね。俺たち、命がいくつあっても足りない気がする」
「……そのことも、上が検討しまくっての今回の任務なんだろ。後は現場……俺たちの判断次第だ」
「はあ……何か思ってたよりめちゃくちゃ重い任務っすよ」
ザシャはつついていた肉を口に運ぶ。彼の隣に座っているエマが「本当に」と沈んだ声で同意した。
俺だって乗り気じゃねえよ、とディルクは言いたかった。
王宮に赴いて初めて任務の内容を明かされ、三人とも口数少なく滞在させてもらっているオルバネ基地に戻ってきた。
任務の内容は、王女のデラロサ訪問の全行程での護衛をしろ、ということだった。
日増しに戦闘が激化しているにデラロサに行きたいと考える王女も王女だが、それを許す軍上層部も――こう言っちゃあれだが馬鹿じゃないのか。
反乱軍との交渉をする旨も知らされたのだが、それでもやはり彼らが何を考えているのかディルクにはさっぱり理解できなかった。
大体交渉するだけならわざわざデラロサに赴かずともできるはずだ。というか普通は中立的な場で行うものではないのか。この任務には複雑な裏があるような気がして、内心面倒に感じていた。
何かを守るというのはかなりの労力を要し、危険が伴う。守る対象がこの国の王女ともなると、それは何倍にも膨れ上がるのだろう。要人警護なんか近衛部隊のやつらに任せればいいものを。
そして肝心の王女は、先程の会議には姿を現さなかった。護衛を頼む者らに顔すら見せないとは、何と可愛げのない。近衛部隊に所属していた頃に何度か彼女を見かけたが、当時は大人しくて賢そうな子どもに見えていた。
挨拶ぐらいしてくれればこちらの兵士の士気も上がると言うのに。
漏れそうになるため息を呑み込むように口に水を流し込んだ時、不意に隣に誰かが料理の載ったトレーを置いた。
「予想通り、沈みきってるな。葬式でもやってるのかここは」
「……んだよ、お前かよ」
ディルクは横目で彼を睨んだ。
ディルクの同郷の馴染みでかつての同僚であるカール・ブルメスターは何食わぬ顔で腰を下ろす。
「王女の護衛が何でこんなとこで飯食ってやがんだ。仕事しろ」
「少し暇をもらったから、お前らの様子を見にきただけさ」
「王女を置いてか?」
「ああ、大丈夫だよ、メイドを側に置いてきた」
カールが淡々と言って食事を始め、ディルクは片眉を上げた。
「メイドで大丈夫なのかよ」
「メイドもそういう訓練ぐらいは受けてる」
「あーそうかい」と面倒そうに吐き出し、ディルクはふとザシャたちに目をやった。
彼らは食事をする手も止まり、何とも言えない表情で突然現れたカールを眺めていた。
「……ったく、いきなりお前が来たせいで飯が不味くなった、クソ野郎」
「俺のせいかよ。えーと、ザシャとエマだったっけ? 俺のことは気にせず、食事を続けてくれ」
そう言ってカールが促すと、向かいの二人は顔を見合わせ、しずしずと食事を再開した。
彼らを眺めながら、ディルクは口を開いた。
「で、何の用だ」
「ん? いや、別に」
「別にって、お前な。用がないなら何でここまで来たんだ、アホなのか? 大体目立つんだよ、お前の格好と部隊章は」
ディルクは視線でカールの全身と襟元を指した。
彼が着ている濃紺の軍服はカペル軍の正規のものだが、基地内で上着まできっちり着込んでいる者はほとんどいない。
それに襟元の王家の紋章を象った近衛部隊の部隊章。王宮の外では滅多に見掛けないため、他の兵士の視線を集めていた。
カールはやれやれといった風に部隊章を外す――こういったところは妙に素直に応じる彼だ。
「ディルクが久しぶりにこっちに来たから、優しい幼馴染みが少し話でもしてやろうと思っただけじゃないか」
あたかもこちらが頼んだかのように幼馴染みは言い、ディルクは嘔吐しそうな顔をする。
「鬱陶しいし気色悪い」
「はあ、相変わらず可愛げの欠片もない」
部隊章をポケットにしまってカールはやれやれと金に近い茶色の髪を振った。
いい年した男に可愛げがあってどうする、とつっこみたくなったがディルクは黙っておいた。
「あのー、ブルメスター少尉って」
不意にザシャがいつになくへりくだった様子で話しかけ、カールが肩をすくめる。
「カールでいいよ。階級は同じだろう、敬語とかも別に必要ないさ」
「え、そっすか? じゃあ遠慮なく」
と、けらけらとザシャは笑う。
「で、カール少尉って、王宮にいる時と今とでだいぶ印象が違うっすね。なんつーか、今はかなり砕けてるっていうか」
「こいつは二重人格なんだ」
ディルクがにやりと笑って口を挟むと、カールに脇腹を突かれた。
「時と場合に合わせているだけだよ」
「じゃあ多重人格だな」
「ディルク、うるさい」
カールに睨まれ、ディルクはそっぽを向いた。が、また振り返った。
「つーかよ、何でお前今回の任務に俺たちを推薦した? 正直迷惑なんだが」
「おや、迷惑だった? ディルクならノリノリで引き受けてくれると思ってたんだけどな、今や英雄なんだし?」
半眼になって鼻で笑われ、ディルクは思わず苛ついた。
自分のことを英雄だとか、たまに周りからそう揶揄を言われることはあるが、自分自身でそんな風に思ったことは一度もない。自分だって明日は死ぬかもしれないのだから。
いつもなら流せるのだが、昔馴染みの者にからかわれると何だか腹が立った。
ディルクがイライラしているのに気付いたのか、カールは苦笑した。
「でも迷惑そうにしてて、断る気はないんだろ?」
「……断ったら断ったで面倒だろうが」
忌々しくチッと舌打ちすると、カールは短く笑った。するとザシャが再び身を乗り出す。
「断ったら、どうなるんすか?」
その問いに、ディルクとカールは一瞬目配せし合い、先にディルクが口を開いた。
「まず全員に監視が付くだろうな」
「ディルクは謹慎になるんじゃないか。もちろん監視付きでね」
カールが説明を引き継ぎ、少し意地の悪い笑みを浮かべる。
一方で、向かい側のザシャは顔をしかめていた――エマは予想がついていたのか眉ひとつ動かさずに食事を続けている。
「えー、どっちにしろ面倒そうじゃないっすか」
「だからそう言ってんだろ。極秘任務ってのはそういうもんだ。俺らに選択肢も拒否権もないという訳さ。それが命令だ」
そう言いながら、ディルクは自分がかなり腹をくくっていることに気付いた。
いや、自分は昔からこうなることを知っていた。だから今回の任務も、ザシャたちほど驚くことはなかったのだ。
ディルクが考えを巡らせていると、カールが同じことを口にする。
「俺とディルクは昔、ある人に頼まれたんだ。王女を守ってくれって。だから俺は王宮に残って、こいつは外に出た――」
「ある人って誰っすか?」
ザシャがいち早く反応し、ディルクは眉根を寄せた。
「おいカール、それ以上は止めろ」
「はいはい。ディルクが怒ったのでこの話は終了。いつかディルクが話してくれるよ」
僅かに不満そうな表情をするザシャに、カールはおどけたように肩をすくめた。
頬杖をついてそれを横目に眺め、ディルクは数秒目を閉じた。
幼馴染みに諭されたようで少々癪に障るが、完全に決意は固まっていた。
「カールもついてくるんだろ?」
「もちろん。王女の側仕えが行かないでどうする」
「ふん、お前もこき使うからな」
「ははは、お手柔らかに頼むよ。じゃ、俺は戻る。またな」
カールはいつの間にか料理をたいらげたトレーを持って立ち上がった。
三人は軽く手を振り、去っていく彼を無言で見送った。
* * *
「わあ、これが四輪駆動車かぁ」
水色のマントを羽織った王女が、目をキラキラさせて目の前の車を見ている。その隣に立つ、王女と同じ水色のマントを羽織ったエマが首を傾げる。
「初めてなんですか?」
「うん、王族の移動手段はほとんど馬車なんだ。車の方が速く走れるのにね」
つまらなそうに言う王女に、ザシャが短く笑う。
「俺らに言ってくれればいつでもお迎えに行きますよ」
「え、本当に? じゃあ今度からそうしようかな」
と嬉しそうに言う王女。
彼らを少し離れた場所で眺めていたディルクは、ひそかにため息を吐いた。
会議も最初は訪れなかった王女だったが、次以降は毎回参加していたため、三人とも話をする機会があった。
だから出発までの数日で、エマもザシャもすっかり王女と打ち解けたようだった。仮にも相手は王族なのだが、何という適応力だと正直感心してしまった。
特にエマは王女と年も近く同性であるためか、ディルクたちといる時よりも口数が増えている。