Material(4)
翌日の午後、マクシーネはテオバルトと共に、再びヤトの部屋へ赴き、扉を開いた。
部屋の中にヤトの姿はなかったがすでにエラルドがいて、彼はマクシーネを見るなり満面の笑みで手を振った。いつもの彼だと、マクシーネはこっそり胸を撫で下ろした。
そして彼の側に白いローブを着たシキとチカの姿もあった。
チカはマクシーネを見てすぐ頬を紅潮させ、近付こうかどうしようかとそわそわし始める。
――ああ、やっぱり可愛いわ。
マクシーネは胸をときめかせた。
するとシキがくすくす笑いながらチカの背を押し、彼女はつんのめるように駆け寄ってくる。
マクシーネの前で立ち止まったチカは勢いよく頭を下げた。マクシーネも微笑んで腰を折る。
「こんにちは、チカさん。お久し振りです」
丁寧に挨拶して顔を上げると、チカは嬉しそうに小さく微笑んだ。
それからマクシーネは手にしていた包みを彼女に差し出した。
「あのね、これ、この前チカさんから頂いた腕輪のお礼にと思って選んできたの。よかったらもらって下さい」
いいの? とチカが言ったような気がした。彼女はぴょこんと跳ね、両手で包みを受け取り、そしてまた頭を下げた。
「開けてみて? 気に入ってもらえるといいのだけど」
マクシーネがそう言うと、チカは頷いてから包みを丁寧に開いた。
手のひらに小鹿のブローチが転がり出て、それを見たチカは一層顔を輝かせた。
どうやら気に入ってくれたようで、マクシーネはホッと息を吐いた。
「ローブとか鞄とかに付けてね」
チカは再度大きく頷き、身体の向きを変えてシキへと走り寄っていった。
どうやら早速ローブに付けてもらうらしい。ブローチを受け取ったシキが、チカの前に腰を下ろし、彼女の胸元に付け始める。
「はあ……本当、妹に欲しいわ」
「わかるよ。しかし何で僕には懐いてくれないんだろう。あと五年ぐらいしたらすごく素敵な女性になるだろうに」
いつの間にか側にいるエラルドが、顎に手を当ててしげしげとチカを眺めている。
マクシーネはそれを横目で睨んだ。
「そういうところが、イヤなんだと思いますよ」
「えー? あーあ、マクシーネもはっきり物を言うようになってきちゃった。アマリア色に染まっちゃダメだよ」
「ご心配なく、わたしは元々こうです」
「ちぇー、じゃあ僕も負けないように頑張るしかないじゃん」
何の勝負なのかさっぱり分からないが、まあいいや。マクシーネは不敵に微笑んでいた。
チカにブローチを付けてやったシキが立ち上がってこちらに声を掛ける。
「ではお二人とも、隣に移りましょうか。今ヤトさんはいませんが、隣の部屋を使っていいと許可をもらっていますので」
「はい、よろしくお願いいたします」
マクシーネは僅かに緊張しながら、シキとチカに続いて隣の部屋に入った。
「《マテリアル》の性質を知る前に、まずは《術師》のことについてお話しておきます」
皆で丸いテーブルを囲み、講義は始まった。
シキは何か本や資料などを読むことはせずに、語りかけるように講義を進める。
「《術》の属性には、炎、水、風、雷、冥、晶の六つがあることはご存知だと思います。《術師》一人に、一つの属性が備わっている。例えば、もしマクシーネさんが《水術師》だとしたら、扱える《術》は水の属性だけということになります。炎や風など他の属性は扱うことができません。これが《術師》についての基本になります。
話は少し飛びますが、《術師》はそもそもミド・ブルージャが起源だと言われています」
本にもそう書かれていたわね。と今まで読んだ《術師》の記述を思い返しながら、マクシーネは持参したメモ帳に講義内容を書き込んでいく。
「ミド・ブルージャは今では《魔女》などと呼ばれていますが、かつて《術師》にとっては絶対的存在でもありました。全属性を扱うことが出来る唯一の存在であり、彼女は人々の争いを終息させるために、《術師》たちを率いて現れる。そして争いが収まると、風のように消えます」
「ん? ミド・ブルージャは一人で現れるんじゃないんだ?」
頬杖をついてシキの話を聞いていたエラルドが不意に口を挟んだ。
「いいえ。ミド・ブルージャは、《術師》をまとめるための存在だったのです。太古からミド・ブルージャは何度も生まれ変わってきました、紫の瞳を持ってね。彼女はいつの時代も必ず存在していました。しかしその輪廻が断たれてしまった。この大陸で起きた、百年前の大戦のせいで」
「……急に現実に引き戻された感じだな。ミド・ブルージャって、本当に存在してたってこと?」
マクシーネも驚くほど疑問に思ったことを、エラルドは口にした。
シキは微かに頷いてなおも続ける。
「百年前の大戦で、《術師》狩りが行われたことは知っていますね」
マクシーネとエラルドは同時に頷いた。マクシーネの隣に座っているチカが落ち着かない様子で皆の顔を交互に見ている。
「史料などでは、北の国・ゲルリダが隣国に侵攻を開始し、それを阻止しようとアマリア-カペル連合軍が対抗したということが前面に出ています。しかしゲルリダの真の目的は、《術師》狩りにあったのです。
……少し問題を出しましょうか。昔、多くの《術師》が生活していた国がありました。さて、それは何処でしょう。マクシーネさん?」
「……アマリア?」
指名されたマクシーネは少し考えてから答えた。しかしシキは首を左右に振り、口を開く。
「デラロサです」
「うそ」
マクシーネは目を見開いて絶句した。幼い頃から王族として国のこともそれなりに学んできたはずなのに、そんなこと一度も聞いたことがない。
「真実です。かつてデラロサは一つの国でした。《術師》の国と呼ばれるぐらい、多くの《術師》が住んでいました。ゲルリダが侵攻したのは、アマリアでもカペルでもなく、デラロサだった。ゲルリダはデラロサの《術師》たちを大量に虐殺したのです。それをよしとしなかった、かつてのアマリアと貴女の国がゲルリダと戦い、撃退した」
「デラロサの《術師》たちは、抵抗しなかったのか? 《術師》なら反撃ぐらいできそうだけど」
「突然侵攻され、国の頭を真っ先に潰されて、統率を失った国民が抵抗できると思いますか?」
「……まあ無理かもね……」
エラルドが微かに首を横に振り、囁くように問う。
「当時のミド・ブルージャは、一番に殺されてしまった……でいいのかな」
シキは何も答えることはなく視線を落とし、黙り込んでしまった。
マクシーネは眉根を寄せてテーブルを睨みつけた。
やはり、ミド・ブルージャの話は嫌いだ。滅亡だとか虐殺だとか、そんな内容ばかりで一つも良い話を聞かない。どんな魔女の話を聞いていても、姉・ナタを思い出してしまい、まるで自分自身が姉をミド・ブルージャのように見ているように思えて嫌気が差す。
それなのに何故かシキの講義の内容はナタを切り離して考えられなかった。ナタも紫の瞳を持ち、そしてデラロサの血が半分流れている――。どうしても“関係ない”と強く思うことが出来なくなっていた。
ふとシキが気まずげにため息を漏らす。
「すみません、なるべく主観で話すなとは言われているのですが、己が《術師》であるとどうもミド・ブルージャに肩入れしてしまって」
マクシーネはぼんやり彼を見つめた。
ああ、やはりシキは《術師》なのか。《術師》たちもマクシーネの知らない次元で苦労を重ねてきているのだろう。ということは恐らくチカもそうなのだ。
ちらりとチカへ視線をやると、彼女はシキの話には無関心のようで、胸の小鹿のブローチを撫でている。
「……話を戻しましょう。それから終戦後は、デラロサを二つに分割してアマリアとカペルで統治し始めました。戦争の中心地となったデラロサの秩序は崩壊しかけていましたから。カペル同様に、アマリアにもデラロサ地区は現存しています。そして――」
急に言葉を途切らせ、シキは一瞬口を閉じた。言っていいものかどうかと躊躇ったようだった。
「今……カペル側のデラロサで起こっている反乱軍との紛争は、アマリアでも常に警戒、注視しています。“ログベルク”の活動はアマリアのデラロサ地区に影響がない訳でもないのですよ。そんな時に貴女の留学を受け入れたのも、カペル“自体”と敵対することを回避するために考えられたことなんです」
マクシーネはメモを取ることも、呼吸することさえも忘れてしまっていた。硬直したままじっとシキを見つめ続けていた。
するとシキが申し訳なさそうに眉を下げる。
「すみません、話がそれすぎてしまいましたね」
「……いえ」
ハッと我に還ったマクシーネはぶんぶんと頭を振った。
シキが短く息を吐き出し、講義を元に戻す。
「えーと、どこまで話しましたかね。ああ、数百年前の大戦で《術師》狩りが行われ、《術師》が激減しました。現在も数える程度しか存在しておらず、絶滅の危機に瀕しているのです。
しかし《術師》の能力がこのまま消滅してしまうのは惜しいと思った国があったんですね。それがここ、アマリアです。かつてのアマリアの科学者たちは《術師》の協力の下に研究を重ねて、《術》を石に封じることに成功した。その石が《マテリアル》です。そして、これが《マテリアル》になります」
シキがおもむろに《マテリアル》を取り出し、テーブルに置いた。
マクシーネは驚いてテーブルの上の石とシキを交互に見つめた。まさかこんな近くで《マテリアル》を見られるとは思わなかったのだ。
エラルドも身を乗り出してその石をまじまじと観察している。
小さく、透き通った、赤い石。
てっきり《マテリアル》は球体だと思っていたのだが、実物は楕円に歪んでいた。
「綺麗……」
吸い込まれるように《マテリアル》を見つめていたマクシーネはぽつりと呟いた。