Material(3)
今後込み入った話をするときは場所を選ばなくては。テオバルトの言う通りだなと、マクシーネは反省し、考えを改めた。
「で、どうするの? ヤト君に会いに行く?」
エラルドに顔を覗き込まれ、マクシーネは反射的に身を引いた。彼の顔がかなり近くまで寄ったため驚いた。
マクシーネはもう一度テオバルトに視線をやり、彼が諦めたように頷くのを見て、エラルドを見上げた。
「行きます」
「そうこなくちゃ」
エラルドはにっと笑って立ち上がった。
「ダメですね」
ヤトがにこにこと笑って却下した。
彼は書類の整理をしていたらしく、デスクの上はたくさんの紙が散らばっていた。
デスクを挟んで立っていたマクシーネは固まり、閉口した。ヤトは笑っているけれど、何だろう、この有無を言わせない雰囲気は。
マクシーネは自ずと生唾を呑み込んだ。隣でエラルドが頭を掻きながら食い下がる。
「何でさ。ちょっとぐらい見学させてくれてもいいじゃない、彼女は勉強しにアマリアに来たんだよ? 施設見学も立派な勉強だろう。そんでついでに僕も見学させて」
ぬかりない、この人はぬかりないわ。マクシーネは心なしかエラルドを感心するようになっていた。
ヤトは未だににこにこしているが、マクシーネを見る水色の瞳はいささか厳しい。
彼は椅子の背もたれに身体を預けて、胸の前で指を組んだ。そのゆったりとした動作が優雅で、この人も王族なのだと急に実感させられた。
「私は見学ぐらいなら構わないんじゃないかなと思います。研究内容さえ見せなければ、ね。でもやっぱり私の一存では不可能です、申し訳ないのですが」
「……そう、ですよね」
マクシーネは小さく呟いて嘆息した。
これは完璧に望み薄だ。後ろでテオバルトが「ほら見たことか」と言うような顔をしているのが振り返らずとも分かる。
エラルドが更に食い下がろうと口を開いた。
「ヤト君さー、国王の次に偉いんだから何とかなんないの?」
「何ともならないからダメだって言ってるんです」
ヤトがきっぱりと言い切った。
「チカさんへのお礼の件は、マクシーネさんから直接お渡しできるようにしましょう。明日、同じぐらいの時間にまたここへいらして下さい」
「……はい」
諦めきれていない表情のままマクシーネは俯き加減で頷いた。
すると不意にヤトは苦笑を漏らし、デスクに両肘をついてマクシーネを見上げる。
「ワト……国王にも話を聞いてみます?」
「……えっ」
弾かれたように顔を上げると、ヤトは先程とは打って変わって優しく微笑んでいた。
「まあワトも『ダメ』と即答すると思いますが、ものは試しです。一度頼んでみてはどうですか」
「よ、よろしいのですか?」
「ええ。じゃあ今から行ってみましょう。執務室にいるはずなので」
ヤトは唐突に立ち上がり、部屋を横切って扉に向かう。
それを軽く呆然と眺めていたマクシーネは、思わずエラルドと顔を見合わせた。そして慌てて、ヤトを追うのだった。
「ダメだな」
書類から視線を上げることさえせずに、国王――ワトは一蹴した。
そっくりな双子の兄弟でもこんなに答え方が違うとは。
「ですよねー」とエラルドが感情のない声で呟いた。
ワトの傍らにいる彼の弟は申し訳なさそうに苦笑していた。もしやヤトはマクシーネにきっぱり諦めさせるためにワトの下に連れてきたのではないかと勘ぐってしまう。
しかし今度はマクシーネも食い下がった。
「どうしてもダメですか。わたしは《マテリアル》について知りたいだけなのです」
「あのな、どこの国にも国家機密というものはあるんだ。うちは研究そのものがそれだ。だから研究施設を見せることはできない。諦めろ。あとエラルドも、こそこそ嗅ぎ回るのは止めろと言ったはずだぞ」
「すんません」
反省の欠片もない飄々とした態度でエラルドは言った。
マクシーネは視線を落として宙を睨んだ。
ワトの言うことはもっともだ。国外に漏らしてはならないことなどいくらでもある。カペルだってそうなのだから。
これ以上食い下がっても、ただのわがままにしかならない。でも、知りたいと思っているものがすぐ側にあるのに、ここで諦めてしまうのも納得がいかない。
どう伝えたら理解してもらえるだろうとひたすら考え込んでいたら、ワトが頬杖をついてこちらを見ていることにも気付いていなかった。
「……しょうがないな」
ワトが低く呟き、マクシーネは顔を上げた。
ワトの水色の瞳と視線が重なり、すっと意識を引き込まれた気がした。
「《マテリアル》のことを知りたいだけだな?」
「……はい」
「《マテリアル》の研究内容は見せられないし、話せない。《マテリアル》の原点とか、基本的な話だけになるが、それでもいいな?」
「え……え?」
マクシーネは彼の言っていることが上手く呑み込めず、何度も瞬いた。
「施設見学じゃなくて、《マテリアル》に詳しいやつに話をさせる。まあ、講義みたいなものだ。それならいいだろう」
「は、はい! ありがとうございます!」
マクシーネは顔をパッと輝かせ、勢いよく腰を折った。
「上手いですねぇ国王様は。エサを与えてこれ以上踏み込ませないようにする。無闇に詮索されると迷惑ですもんね、賢いやり方だ」
突然エラルドがどこか冷ややかに言い、マクシーネは驚いて彼へ振り返った。
――エサ? どういうこと?
訳が分からず眉をひそめると、エラルドは肩をすくめた。
するとワトが薄く笑みを浮かべた。
「それは誉め言葉として受け取っておく。エラルドも受けるんだろう? 《マテリアル》の講義」
「ええ、そうさせてもらいますよ」
エラルドはにこりと微笑んだが、何だかいつもと同じ笑顔には見えず、マクシーネの背筋がひやりと冷えた。
じりじりと後退りたくなるような空気に息が詰まる。
ワトとエラルドが何故こんなに険悪な雰囲気を漂わせるのか分からなかった。二人の間にはマクシーネは知らない確執があるのかもしれない。
「じゃあ講義は明日にしましょう。ちょうど、シキさんたちを呼ぶ予定でしたし」
急にヤトがパンと手を打ち鳴らし、明るい声で言った。
途端、張り詰めた空気が和らぎ、マクシーネも自ずと肩の力が抜けた。
ワトが弟を見上げて首を捻る。
「シキを? 何で」
「マクシーネさんが、チカさんにお礼を渡したいんだって」
「ふーん、じゃあついでに講義させればいい。ヤトが連絡つけてくれ」
「了解」とヤトが頷き、その場は解散となった。
ヤトやエラルドと別れたマクシーネは、自室に着いた途端、床にぺたんと座り込んだ。
傍らでテオバルトが片膝を立てる。
「大丈夫ですか」
「あはは……力抜けちゃった」
マクシーネは苦笑して、彼の肩に手を置いた。
アマリアの王族は少し恐い。ワトとの二度目の対面を果たして、ひしひしと恐怖を感じてしまった。
あれが大国の王なのだ。カペルもアマリアと同じぐらいの歴史を歩んできたはずなのだが、こんなにも差を感じるとは思わなかった。国を想う気持ちは同じのはずなのに、覚悟の大きさが全く違う。
それもそうだ。カペルをどれだけ想っていても、自分は反乱軍を止められない。それだけの力がないのだ。
あまりにも自分がちっぽけで、情けなく思えて何だか泣けてきた。
唇を噛みしめて耐えていると、不意にテオバルトに身体を横抱きに持ち上げられ、マクシーネは「わあっ」と悲鳴を発した。
彼は無言のままマクシーネをソファに下ろした。
向かい側に腰掛けるテオバルトを、マクシーネはぼんやりと目で追った。
「何だか……エラルド様も恐かったわね」
「彼も一国を背負っていますからね……何か思うところがあるのかもしれません」
「そう……そうよね。みんなそうなのよね」
小さく呟いて、マクシーネは窓の外に視線を向けた。
日が暮れた空は黄金色に染まり、夕日が柔らかい光を放っていた。