Material(2)
香辛料をふんだんに使ったカペルの料理と比べ、アマリアは薄味の料理が多い。しかし味が薄いわりに物足りない訳でもなかった。風味がいいのかなとマクシーネは思っていた。
今日の昼食も美味しく、全部胃に収まったのだった。
「ご馳走さまでした。ローザも、午後は休んでくれていいわよ」
「そうですか? じゃあ……私もマクシーネ様についていってもよろしいでしょうか」
「え、一緒に? もちろん、街を案内してくれると嬉しいわ。テオと二人じゃ迷っちゃうかもしれないし」
マクシーネは胸の前で両手を合わせ、パッと顔を輝かせた。ローザも嬉しそうに微笑む。
「よかった。では食器を下げて、準備して参ります」
「うん、着替えて待ってるわ」
食器類の載ったワゴンを押して足早に去るローザを、手を振って見送った。
それから立ち上がり、着替えるために寝室へ向かう。その途中、テオバルトと目が合った。
マクシーネは一瞬宙を仰ぎ、そして可愛らしく小首を傾げる。
「というわけで、お散歩しに行きます。よろしいかしら」
「城の中にいてくれた方が、仕事も楽なんですがね」
テオバルトがやれやれと嘆息する。
「市街地見学も立派な勉強です。それにわたしが行くところについてくるのがテオの仕事でしょう、観念なさい」
腰に手を当てて眉を上げると、彼は「はいはい」と肩をすくめた。
マクシーネは満足げに頷いて、軽い足取りで寝室へ入っていった。
「わあ、これ美味しい!」
薄く焼いた小麦粉の生地に甘いカスタードクリームとフルーツを挟んだ甘味――クレープと言うものらしい――を頬張り、マクシーネは目を丸くした。
隣で同様に食べているローザがふふふと笑う。
「でしょう? ここ一番人気のあるお店なんですよ」
城を出てから二人――テオバルトを入れると三人――は、首都で最も活気のある中央通りを歩き回っていた。
日除け砂避けのマントをいちいち羽織る必要のないアマリアの街の空気はとても清々しい。
白いブラウスとトパーズ色の膝丈のフレアスカートを身にまとったマクシーネの足取りはとても弾んでいた。
ローザは、ペパーミントの香りがしそうな爽やかなグリーンのワンピースを着ていた。髪は頭の横でまとめて、いつもよりお姉さんという感じがする。
そしてこの二人、歩けば何かと目立っていた。一人は赤毛、もう一人は白金の髪と、どちらもアマリアでは珍しい髪の色をしているためだ。
初めは周りの視線がちくちくと痛かったが、店を回っている内に慣れてしまった。ローザも昔からこうだったようで、気にしていない様子だ。
彼女らは行き着く先々で何かを口にした。
柔らかい生地に甘辛い餡を詰めて揚げたもの。口の中に入れたらふわっととろけるチョコレート。果物をどっさり入れて焼いたパイ。
色んなものをローザが勧めてくるのでつい全部食べてしまった。これでは最早ただの食い倒れツアーのようだ。夕食が入るかどうか、際どいところだ。
でも美味しいからしょうがない。食べ物に罪はないのである。
咀嚼していたものを飲み込んで、マクシーネはローザへ振り返った。
「ねえローザ、可愛い雑貨とかアクセサリーとか売ってるお店、知らない?」
「雑貨? こういうのでもよろしいですか?」
そう言って、ローザは自身の白金の髪をまとめている金の髪留めを指差した。それを見て、マクシーネはうーんと短く唸る。
「ちょっと大人っぽすぎるかなぁ。チカさんにあげたいのだけど」
「ああ、なるほど。それでしたら、こちらに可愛いお店がありますよ」
ローザが先導して歩き出し、マクシーネはクレープの残りを慌てて口に押し込んで、彼女を追いかけた。
ローザに紹介してもらった店は、細い路地の中腹辺りにあった。
花や動物をモチーフにした雑貨などが多く取り揃えられていて、確かにチカに似合いそうだとマクシーネは納得した。
うさぎや猫、特に多いのが小鹿で、花やリボン、小さい綺麗な石などもあしらわれている。
物語から飛び出してきたようなそれらの可愛さに、どれにしようか悩んでしまう。
「チカさんってどんなのが好みかしら……」
「うーん。すみません、それは私も協力できないです。チカさんとあまりお話ししたこともありませんし」
「そうよね……じゃあイメージで選ぶしかないわね」
そう言ってマクシーネはチカの姿を思い返す。
白いローブのフードを被った、恥ずかしがり屋な小さい女の子。年は自分とそんなに変わらないはずだ。あとは、くりくりした目と、長い黒髪。
髪留めもいいけれど、ローブに付けられるようなコサージュもいいかも。
悩んだ末、マクシーネが選んだのは、小鹿の形をしたブローチだった。下に雫型の水晶がついていて、ゆらゆら揺れる様が可愛らしい。
支払いを済ませて、マクシーネたちは店を出た。
「なんか小鹿のモチーフが多かったけれど、アマリアでは流行ってるの?」
「ええ。アマリアでは鹿が神格化されていて、特に小鹿は幸運をもたらすと言われているのです。だから自ずと多くなってしまうんですよね、皆が欲しがりますから」
「鹿が?」
「はい。ずっと昔、神様の力を分け与えられた小鹿が人間になったという話があるんです。アマリアではミド・ブルージャに次いで有名な話です」
「ああ、そういえばそんな話が本に載ってたわ。ルカって名前だったわよね。その小鹿はお城で過ごしたんでしょう?」
「そうです。まあ、作り話だと思いますけどね」
ふふと悪戯っぽく微笑むローザ。
ふぅんと呟いて、マクシーネは先程買ったブローチの包みを見つめた。
アマリアでは鹿は幸福の印らしい。
――気に入ってもらえるといいな。
そう考えて、マクシーネは小さく微笑んだ。
* * *
「ねえテオ」
マクシーネは本を見下ろしたまま従者に話し掛けた。
今日は蔵書館の奥にある一人掛けのソファに座って読書に励んでいた。この日は珍しくテオバルトも腰掛けて本を捲っている。
真ん中にある低いテーブルには本が山のように積んであった。
「何でしょうか」
彼も視線を上げることはせずに尋ね返す。
「《マテリアル》って、アマリアが作り出したのよね」
マクシーネが問いを発してようやくテオバルトは顔を上げた。
「……そうですが、それがどうかしましたか」
「何でここの本には《マテリアル》に関する記述がほとんどないのかしら。歴史の本に、『アマリアが《マテリアル》を開発した』っていうのが書かれているぐらいしか見ないのよ。おかしいと思わない?」
「何かアマリアなりの都合があるのでは」
「そうかなぁ。《術師》の本も少ないような気がするのよね……」
マクシーネは肘掛けに頬杖をついて、少し眉をひそめた。
カペルでは王族であろうと触れられないぐらい規制している《マテリアル》。アマリアならそれについて少しは調べられると思っていたのに、何だか拍子抜けである。
「……少し前に、カペルの研究施設で《マテリアル》が紛失したんでしょう?」
「……こういう場所でそういうこと口にしないで下さい。それと、どこで聞いたんですそのこと」
「わたし耳はいいのよね」
「盗み聞きですか……」
「そうとも言う」と胸を張ると、テオバルトは呆れたような表情を浮かべた。
「でも、わたし《マテリアル》がどれだけ重要なものなのか分からないの。どうやって使うのかも知らないし……何で公には出せないのかなって」
マクシーネは顎に指を当てて唇を尖らせた。するとテオバルトが一層顔をしかめる。嫌な予感がすると言わんばかりに。
「それで……何が言いたいのです」
「アマリアの研究施設って、見学させてもらえないのかしら」
マクシーネはにやりと笑って提案した。
「そんなことだろうと思いました……。無理だと思います、研究施設に他国の者をおいそれと入らせるわけがないでしょう」
「えー、そうかなぁ。……ちょっと誰かに聞いてみようかしら」
「誰にです」
「うーん、国王補佐のヤト様とか。あ、ほら、チカさんにお礼を渡したいって言いに行かなきゃならないし、そのついでに」
ね? と小首を傾げてみるが、テオバルトは渋い顔をしたままである。余計なことに首を突っ込みたくないと言いたげだ。
「よーし、なら僕が一肌脱ごう! ヤト君と話つけてあげるよ!」
突然、横から無駄に明るい声で提案され、マクシーネは半眼になった。
エラルドだ。
マクシーネが振り返る前に、エラルドはマクシーネのソファの肘掛け部分に尻を載せ、僅かに声の調子を落とした。
「実はさ、僕も《マテリアル》には興味があるんだよね。うちの国の研究はだいぶ遅れてるし、自分でも調べてるんだけど、なかなか核心には近付けなくて。だから――」
「……どこから話を聞いていたんです」
「ん? ああ、全部は聞いてないよ。君らを驚かそうと思って本棚の陰にいたんだけど、何を話してるのかよく聞こえなかったし。《マテリアル》の単語が分かったぐらいさ」
おどけて言うエラルドを、マクシーネは訝しげに見上げ、肩を落とした。
そしてちらりとテオバルトに目をやると、彼は無表情でエラルドを見つめていた。いや、睨んでいた。
――あー、これ……テオの警戒リストにエラルド様が追加されたわ。
それもそのはず、マクシーネもテオバルトも、彼の気配に全く気付いていなかったのだから。