Emissary(1)
初めての国境越えに心踊らせながら始まった馬車の旅は、思っていた以上にハードだった。
長時間馬車に揺られ続けたマクシーネをまず襲ったのが車酔いだった。吐き気が止まらず、休憩で馬車を下りてみるが地面が揺れているみたいで気持ちが悪かった。
テオバルトに一度吐いてみたらどうかと心配されたが、みっともない気がしたので横になって何とか耐えた。
行程の半分を過ぎた頃には馬車の揺れに馴れ、吐き気も治まった。それを喜んでいたのも束の間、次は腰痛に悩まされることとなった。
移動中はずっと座ったまま、腰への負担は半端ではなかった。安全を考えてゆっくり五日間かけて行くという計画も、仇となったのかもしれない。
休憩の度にテオバルトに軽いストレッチを教わり、騙し騙し旅を続けのだった。
そして五日経ったこの日。マクシーネ一行はついにアマリアの首都・レームクールまで辿り着いた。
馬車の窓にかけている白いレースカーテンを掻き分けて外を覗き、マクシーネは顔を輝かせた。
カペルとは全く違う、見たことのない景色が広がっていた。
木やブロック状の石で出来た民家や店が軒を連ね、それらの屋根は三角に尖っており、赤や青に塗られていてとてもカラフルだった。窓枠や街灯も独特の形状をしていて、何を見ても面白かった。
マクシーネを乗せた馬車は石畳の道路をゴトゴト走る。この国にも四輪の車は走っているが、どうやら馬車が主流らしい。
歩道には色鮮やかな衣装を身にまとった老若男女が溢れかえっていた。
何だかおとぎの国みたい、とマクシーネが思わず呟くと、向かい側に座るテオバルトが小さく笑う。
マクシーネはむっとして眉を上げた。
「何で笑うの」
「すみません」
「どうせ、子どもみたいだ、なんて思ってるんでしょ」
「いいえ、そこまでは」
「そこまではって、どこまでは思ってるのよ」
より頬を膨らませて問い質したが、テオバルトはそれ以上何も言わなかった。
マクシーネは彼に向かって「イーッ!」としかめっ面を見せてから、再び窓の外に目を向けた。
民家の並ぶその向こうに、青々とした立派な森が見えた。どうやらレームクールは森に囲まれた街のようだ。
国境を越えた時から思っていたが、カペルとの国境を跨いであるウーテの森をはじめ、アマリアは森林が多い。砂漠だらけのカペルとは正反対だ。
隣同士だというのにこうも違うものなのかと半分感心し、半分はアマリアの土地の豊かさが羨ましかった。
カペルもこれぐらい緑や水が豊かだったら、国民同士が争い合って、血を流すことなどなかったかもしれないのに。
起こってしまったことを嘆いてもどうにもならないことはマクシーネにも分かっている。
けれど国を想うだけ、憂慮は消えなかった。
ふと視線を道路沿いに戻すと、小さな子どもが珍しげにこちらを指差していた。
これだけ護衛を引き連れていれば、それは目立つなとマクシーネは苦笑した。
でも国民に活気があって、いい国だと感じた。
カペルもいつかこうなることを信じるしかない。将来、王位を継ぐ姉を支えていくと決めたのだから、やり遂げなければ。
馬車が向かう先へ目をやると、道路の先に大きな城が見えた。
これからマクシーネが滞在させてもらう、アマリア国王の待つ城。あまりに偉大な存在に、少しばかり緊張する。
「テオ、わたしのアマリアでの目標は?」
「粗相しないように、真面目にお勉強」
「そうです、よろしい。わたしはいつも通り生活するから、テオもそのつもりで」
今確認した目標は一体何だったのかと言いたげなテオバルトの視線を感じたが、マクシーネは無視した。
アマリアの城はすぐそこに迫っていた。
馬車を下りたマクシーネはドレスの裾と髪の乱れを確認して、すっと背筋を伸ばした。
目の前には大きな鉄の柵でできた城門がそびえ立ち、分厚い城壁が城を囲んでいる。出迎えがあるだろうと思っていたが、門の両脇に軍服姿の兵士が立っているばかりで、城門前は閑散としていた。
荷物を積んだ馬車は、別の入り口から荷物を運び入れると、護衛の兵を連れて走り去っていった。
さてどうしたらいいのかしら、とマクシーネが辺りを見渡すと、門の右手、城壁に小さな出入口があった。
そしてその前に、淡いライムグリーン色のエプロンドレス姿のメイドが一人ぽつんと立っていた。
メイドは静かにマクシーネに近付いて、何も問わずに「こちらへ」と案内してくれた。
彼女の後に従い、門の横の出入口――城門は余程のことがない限り開かないらしい――をくぐる。
その先には、美しい花々が咲き誇った庭園が広がっていた。
「わあ、とっても綺麗」
マクシーネは顔を綻ばせて庭園を見渡した。ピンクや黄色、一番多いのは白い花だ。
歩きながらキョロキョロ目移りしていると、前を歩くメイドがこちらを見て微笑んだ。
マクシーネはハッとして慌てて居住まいを正す。おしとやかに努めるつもりがさっそくこれだと、自分でも呆れてしまった。
「喜んで頂けたみたいで嬉しいです。この庭園は先代国王陛下が造ったんですよ」
「まあ、そうなの? こんなに立派だから、もっと昔からあるのかと思ったわ」
マクシーネは感心しながら庭園の花々を楽しんだ。
庭園を通り過ぎ、芝の植えられた広場を囲む通路を抜け、更には階段を上って、ようやく城の入り口に辿り着いた。
植え込みは手入れされ、どこもかしこも掃除が行き届いて落ち葉一つない。
――恐いぐらい完璧ね。
マクシーネはこっそり肩をすくめた。
大きな扉の両脇に立っていた兵士が、扉を開いた。
その向こうにエントランスホールが広がっていた。大理石でできた床に太い柱、高価そうな赤い絨毯が奥まで続き、壁には絵画などの美術品が飾られていた。天井は高く、その中央にぶら下がった銀色の振り子がゆらゆら揺れている。
そして奥には上へ続く階段が左右に延びていた。
エントランスホールのあまりの広さにマクシーネは目をくらませた。
このような場所が現実に存在するのかと疑ったぐらいだった。
もうなんだか大人しくしているのが馬鹿らしくなってきて、マクシーネはホールに飾られている美術品を見て回った。テオバルトがため息を吐いていたがそんなの知ったこっちゃない。
今見ないと絶対損をする。
ここまで連れてきてくれたメイドは壁際に立ち、静かにこちらを見守っているようだった。恐らく彼女が案内するのはここまでなのだろう。
それからしばらく経ち、マクシーネが三枚目の絵画を間近に観察していた時、
「この絵が気に入られたのですか?」
と、背後から唐突に話しかけられ、マクシーネは飛び上がった。
慌てて振り返ると、そこには絵画を見上げる青年の男の姿があった。青年と言っても、まだ少し若い。
黒い長い髪を一つに結っていて、絵画を見つめる瞳は透き通った水色。
マクシーネはおずおずと彼に尋ねた。
「あの……?」
「あっ、すみません。つい見入ってしまいました」
穏やかな口調――カペルに比べてアマリア人の発音は柔らかいのでそう聞こえるのだろう――で言って、青年は照れたように視線を寄越し、胸に手を当てて軽くお辞儀をした。
「お出迎えができず申し訳ありません。私は国王の補佐をしている者です。お客様をお連れせよとのことでお迎えに上がりました。あなたがカペル国第二王女、マクシーネ・テア・カペル様でしょうか」
「はい」
マクシーネはドレスの裾をちょこんとつまんで、礼をした。
国王の補佐はにこりと優しく微笑み、こちらへどうぞと促してくれた。
マクシーネとテオバルトは彼について階段を上り、いくつもの廊下を曲がっていくつかの棟を渡る。
エントランスホールも広いが城の内部はもっと広い。これは絶対に迷子になるわと、マクシーネはげんなりした。
まだ行くのかしらと、緊張も相まって疲れを感じ始めた時、国王補佐はとある一室の扉の前まで辿り着いた。
両開きの木製の扉。今見てきた中でも格段に大きく立派なものだった。
国王補佐が目の前の扉をコンコンと叩き、しばらくして扉は開いた。
現れたのは明るい茶髪の男だった。着ているのはアマリアの軍服だろうか。門番などもそうだし、ここに来るまでに似たような服を着た者たちを何度か見かけた。
軍服の彼と国王補佐は少し言葉を交わし、そして軍服の男がマクシーネへ近寄った。
「長旅ご苦労様です。お疲れのところお呼びして申し訳ありません。国王陛下がお待ちです」
労いの言葉もそこそこに彼は今出てきたばかりの扉を示した。
「従者の方もどうぞ。ただし、銃などの武器はお預かりさせてもらいます」
軍服の男がテオバルトに向かって言い、テオバルトは腰のホルスターから拳銃を抜いて彼に手渡した。テオバルトがいつも持っている黒い拳銃だ。
城に入る前に外させればよかったかしらと思い、マクシーネは内心ため息を吐いた。
当然どこの国も警戒は怠らないのだ。国王の前に行くのだから尚更だ。
軍服の男はにこりと笑って自身の左胸を指差した。
「“ここ”のも、お願いします」
マクシーネは何を言っているのか分からず首を傾げた。
テオバルトが上着の中に手を入れて何かを取り出す。それを見て、思わず眉を寄せた。
「まあ、テオったら、そんなに銃を持ってたの?」
そう諌めるように尋ねたがテオバルトは何も答えようとしない。
その態度を不服に思って頬を膨らませると、軍服の男がくすくす笑い、宥めるように言った。
第四章までマクシーネのターンです。




