Blue and White(5)
《術師》と《マテリアル》は密接な関係にある。それに彼女はあの黒い影の前で術を使ってしまった。
これ以上関わっていたらエマの方が危険な気がするのだ。
ディルクはひそかにため息を吐き、ダンに視線を戻した。
「なあ、ダン」
「うん」
「ダンはここにくる前はオルバネの研究施設にいたんだろ。《マテリアル》の研究をしてたのか?」
「いきなりだね。そうだと言ったら?」
「ダンが施設を出た時点で、どのぐらい研究が進んでいたんだ」
そう尋ねるとダンは無言で立ち上がり、小さなコンロに置いてあるやかんを取った。
「君たちはコーヒー飲むかい?」
「俺はいらん」
「私はいただきます」
エマが素直に頷き、ディルクは横目で彼女を睨んだ。エマは気にも留めず、ダンの方へ歩いていく。
ディルクはやれやれと頭を振り、やかんに水を入れて火にかけるダンを見つめていた。
「――私が関わっていたのは、《マテリアル》使用時の《術師》および適合者への負担軽減の研究だ」
全てには携わっていなかったからそこは大目に見てくれよ、と言ってダンは話を続けた。
「私がいた頃は実用できるまでには程遠かったんだがね。優秀な研究者でも現れたのかもな」
「……俺たちが見た“あれ”はカペルのものだと思うか」
「さあ。それは分からないよ。《マテリアル》の研究なんてどこの国でも行われているんだから」
「……だよな」
あれがどこから来たのか考えるのは無駄なのかもしれない。
ディルクは項垂れて深いため息を吐いた。
「隊長隊長ー! すごいことになったっす!」
突然バターンと大きな音を立てて扉が開き、興奮した様子のザシャが飛び込んできた。
「今そこで基地司令官から聞いたんですけど、俺たち王宮に召集されるみたいです!」
「はあ? 王宮に?」
ディルクは訳が分からないと眉をひそめた。ザシャも理由は聞いてないと首を左右に振った。
ザシャ以外の三人は顔を見合わせ、一層首を捻った。
ディルクを王宮に呼んだのが、同郷の幼馴染みとその主、第一王女であることを彼らはまだ知らない。
* * *
「――カール・ブルメスター少尉の推薦により、ディルク・ハーセ大尉、ザシャ・クレンク少尉及びその部下に、特別任務を与える。よって各位、首都オルバネへの出頭を命ずる。ローランド・ガーネット」
エマが淡々と文書を読み上げた。
ディルクたちは今、からりと晴れ渡った青空の下、何もない砂漠のど真ん中を車で走っていた。照り付ける太陽は相変わらず痛いほどで、全員が日除けのマントを着用していた。
石や岩がごろごろ転がり、ところどころに植物なども生えてはいるが、地平線の向こうまで白く乾燥しきった大地が延々と続いている。
ちなみに砂漠と聞いてイメージする砂丘は、もっと南の方に行かなければ見ることはできない。
後部座席に座るエマが先程読んだ文書を丁寧に折り畳み、助手席のディルクに返した。
手元に戻った一枚の紙を、ディルクは忌々しく睨む。
すると運転席からザシャが不満げに尋ねた。
「何でそれにオレの名前も載ってんすか、連帯責任ってやつ? マジありえねぇんすけど」
「うるっせぇな、俺も知らねえよ。黙って運転してろ」
「ってか隊長、中央に呼び出されるぐらい何か悪いことでもしたんじゃないっすか? 特別任務だなんて言って、絶対めんどくさい任務押し付けられるんですよ」
「だから知らねえっつってんだろ」
鬱陶しいといわんばかりに突っぱねて、ディルクは窓の外の何もない風景に目をやった。
それでもザシャは口を閉じようとはしない。
「じゃあそのオレらを推薦したっていう、カール・ブルメスターって誰っすか」
「ああ? ……そいつは……近衛部隊のやつだ。王女の護衛をしている」
「王女の護衛?」
ザシャが頓狂な声を発した。
「ってことはあれですか、あの“教育科修了後に即近衛部隊に配属されたエリート兵士”ですか?」
「……それ本人の前で言うなよ、調子に乗るから」
ディルクは面倒そうに呟いた。
「マジですか! 兵士の憧れの存在が隊長とオレを推薦したって、やべー! 興奮してきた」
「憧れの存在、ねえ。大したやつでもないんだがな」
遠くを眺めながらディルクはため息を吐いた。
「だって隊長、近衛部隊っすよ? 兵士のほとんどが一度はあそこ目指してるのに、その人ってば教育科卒業してすぐ配属されたんですよ? しかも王女の護衛やってるだなんて、すごすぎっす」
「それなら俺だってそうだぞ」
かつての同僚ばかり褒められるのを少々不服に思いディルクが言い返すと、ザシャは一瞬黙り込んだ。
「え? 隊長、何て?」
「俺も“教育科修了後に即近衛部隊に配属されたエリート兵士”だぞ」
さっきザシャが言った台詞を、ディルクはまるまる口にした。
すると何故か車内が静まり返り、ディルクは眉をひそめてザシャの横顔を見、後部座席のエマを振り返った。
彼女は酷く疑っている目でこちらを見ていた。何なんだその目は。
「隊長、隊長、冗談でもそれはキツいっす」
「誰が冗談なんか言うか、事実だっつの」
「……ちょっと待ってください」
突然後ろから手が突き出され、ディルクは驚いた。
エマが身を乗り出し、珍しく急ききった様子で話す。
「そういえば、ブルメスター少尉と一緒に近衛部隊に配属されたという兵士が同期にもう一人いたと、教育科で聞いたことがあります。講師がいつも“俺の教え子だったんだ”って自慢してたので覚えてたんですが……もしかして、それって――」
「おう、俺だ」
ディルクは親指を立てて自分に向けた。
エマは目を丸くし、ザシャが大声を上げる。
「はあ!? マジだったんすか!? 似合わねぇ!」
「似合わねぇって何だ、似合わねぇって」
「だって隊長が近衛部隊だったとか想像つかないんですけど! 近衛部隊って品がなくちゃ無理そうじゃないっすか、王宮の中にいなくちゃならないんだし? それなのに隊長がさつだし」
「がさつで悪かったな。……だが否定もできねぇな。俺も王宮よりデラロサの方が肌に合ってる」
「あははは、やっぱり」
ザシャがケラケラと笑い声を上げる。
苦笑してため息を吐いたディルクは、エマがまだこちらを覗き込んでいるのに気付いた。何か言いたそうに眉をひそめている。
ディルクは「何だよ」と眉を上げた。
「言いたいことあるならはっきり言え、睨むな」
「……異動は命令だったんですか?」
「まあな。俺が希望してたってのもある」
「何でですか? もったいない」
ザシャが不思議そうに尋ねた。
ディルクは口をつぐんで窓枠に頬杖をつき、窓の外を流れる青と白の世界を眺めた。
デラロサ基地に異動してもう七年経った。かつて右も左もわからないような新米だった自分も、反乱軍との戦いに参じ、今や一つの隊を任されるぐらい昇進していた。
年を取るはずだと、ディルクは時間の過ぎる早さをしみじみ感じた。近衛部隊にいたのは一年程度だったが、何だかその頃が懐かしく、輝かしくさえ思えた。
しかしこの現状があの頃望んでいたものだったのかどうか、よく分からなかった。
自分が何を守って戦っているのか、はっきりしなくなっていた。
不意に訪れた沈黙に、ザシャとエマがバックミラー越しに顔を見合わせる。
それに気付いたディルクは、苦笑して肩をすくめた。
「異動したのは、ちょっとやりたいことがあったからさ」
「やりたいこと?」
「ああ」
ディルクは頷いただけで、それ以上は何も教えなかった。
「しかしあの野郎、少尉の分際で俺を呼ぶとは、不愉快だ」
「ブルメスター少尉と仲いいんですか?」
「いいもんか、ただの腐れ縁だ」
「なるほど」
要は仲が良いのだなと、ディルクの部下二人はそれぞれ呆れたように頷き合うのだった。
ディルクたちを乗せた車は青空の下、白い大地の上をひたすら西に向けて走り続けた。
第二章「Blue and White」 終