Blue and White(3)
「クリア」
ディルクがそう告げると、皆は小銃を下ろした。
かつては病院だった二階建ての建物は屋根がなかった。寝台のない病室の壁は崩れ、今にも倒壊しそうだ。
そして足下に転がるのは、“人だった”と思われるものの破片――千切れた手足や肉片ばかりだった。
粉塵と血潮の臭いが充満していて息苦しい。
ディルク率いる兵士たちが、口々に「なんだこれ」「気持ち悪いな」などと苦虫を潰したように呟いている。
ディルクは小銃を肩に担いで地図を広げた。
エマが示した反乱軍の布陣とその近くの建物を全て回ってみたが、彼女の言った通りだった。
生存者が一人もいなかったのだ。
どこも爆破で吹き飛んでおり、死体もほとんどが半分になっていたりと原型を留めておらず、悲惨だった。
しかも反乱軍がいた場所をピンポイントで狙っている。
支援要請を受けた別の隊がディルクたちよりも先に到着して、反乱軍を殲滅したのだろうか。それならばどこかでその隊と鉢合わせてもいいはずだ。
しかし誰にも会わなかった。それにグレイフォックス隊との無線によると、支援に向かっている隊はディルクたちより遠い場所からの出動だ。
じゃあ誰がこのようなことを。
反乱軍が仲間割れしたとは考えにくい。
ディルクは地図を上着のポケットに仕舞い、窓辺へ近寄った。
割れて床に落ちたガラスをジャリジャリ踏みつけ、外を見渡す。
荒んだ町並みと、嫌に晴れ渡った空。何ら変わりない“いつもの”光景だ。
ふと道路を見下ろしそれに沿って視線を動かしていくと、ここから少し離れた場所にぽつんと佇む黒い影が見えた。
一瞬木か何かと見間違ったような気がしたのだが、何度見ても黒い影はそこにある。
いや、こちらに向かってゆっくり近付いてきている。
ディルクは壁の影に隠れ、目を凝らしてそれを見つめた。
それが近付くにつれ、二本足で歩いているのが見えるようになる。
ディルクが室内に向かって手を振り下ろす動作をすると、兵士たちは一斉に窓の死角になるところへ身を潜めた。ディルクは小銃を持ち直した。
窓の下にしゃがんだ若い兵士が怪訝そうにディルクを見上げた。
「何かいたんですか? 反乱軍?」
「いや、分からん。相手は一人だ。ヘンリー、お前双眼鏡持ってるな。バレない程度にあれを確認してくれ」
ディルクは黒い影から目をそらさずに彼、ヘンリーに頼んだ。
ヘンリーは首に掛けている双眼鏡を目に当て、静かに言われた方角を見る。
徐々に近付いてくる黒い影。物凄く嫌な雰囲気が漂っていて、ディルクは寒気を感じた。
「見えるか?」
「はい、人、でしょうか。顔は黒いマスクを付けてて目しか見えませんね。性別も分かりません。身体は黒い全身スーツのような、どんな構造してんだろ……あれ? え、あれって……」
「何だ」
「あ……あの、チラッとしか見えなかったんで見間違いかもしれませんが……たぶん、《マテリアル》かと」
「《マテリアル》だと?」
ディルクを始め、その場にいた誰もが息を呑んだ。
思わずヘンリーを見下ろすと彼も困惑を隠しきれていなかった。
「どこにあった」
「胸です。石のようなものが光ったんです……色は分かりませんでした」
ディルクは奪うようにヘンリーの双眼鏡を取り上げ、黒い影を探した。
注意して見てみると確かに石のようなものが光っていた。胸だけではなく、肩や腕にも。
それに黒い影が付けているマスクには何やらチューブが繋げられていた。酸素でも送り込んでいるのだろうか。
あれがここの反乱軍を全滅に追いやったのかもしれない。いや、そうとしか考えられない。 カペル軍の研究者たちがマテリアルを血眼になって研究しているのは知っていた。当然、マテリアルを兵器転用するのが目的だ。
今目の前にいるのはその試作ではないのか。
もう開発がこんな段階にまで達していたのかと、ディルクは背筋が冷えた。
ヘンリーが小声で尋ねる。
「ど、どうします?」
「どうするったって、あれは自然の法則をねじ曲げるんだぞ。《術師》ならまだしも、生身の人間が太刀打ちできるとは思わねえな」
「そ、そうですね……あれが敵か味方かも分からないですし」
「ああ」
ディルクは頷いた。
軍が開発した兵器であるなら味方と判断していいかもしれない。
(だが、それなら事前に知らせがあってもいいはずだろ……何も伝えずに使うとは何を考えている――)
黒い影が病院の近くにまで差し掛かった時、無線機を担いだ兵士が低い姿勢で近寄ってきた。
「隊長! ザシャ少尉からです!」
不審な人物を睨んだまま受話器を受け取り、ディルクはそれに向かって問う。
「ようザシャ、生存者はいたか?」
『はい、負傷してますがね。それより隊長、こっちに《マテリアル》持ってるやつがいます。今、教会の前を通ってて――』
「何? そっちもか」
『そっちもかって……隊長のとこもっすか?』
一度に二人も? とザシャが驚き、声のトーンを落とした。
『どうします、エマは関わらない方がいいと言ってますが』
「だろうな。無闇に手を出さない方が賢明だろう。ここはやり過ごすぞ。こいつが完全に見えなくなったら、俺たちがそっちに合流する」
『了解』
無線を切り、ディルクは室内へ振り返った。
「聞いてたな。俺が合図するまでその場で待機だ。エヴァン、悪いが退路の確保を頼む」
ディルクが指示すると、エヴァンは無言で頷き扉へと向かった。
それを確認し、ディルクはまた窓の外を覗き見た。
黒い影は今、真下を歩いている。
辺りの様子を探っているのかその歩調はかなりゆっくりだった。時折足を止めては周りを見渡すような素振りをしている。
しかし見方を変えると、何だか足を引きずっているようにも見えた。
不意に、どこからともなく大きなエンジン音が聞こえ、それは現れた。
先頭を走る四輪駆動車とその後ろにトラックが二台。車体に描かれたエンブレムは赤い狼。レッドウルフ隊だ。
なんて間の悪いやつらだ。ディルクは舌打ちした。
レッドウルフ隊の車は、黒い影の前で停止した。
そして四輪駆動車から降りた三人の兵士が、小銃片手に黒い影を取り囲んだ。
黒い影に向かって兵士たちが何か言っているようだが、いまいち聞き取れない。
黒い影は佇んだまま何の反応も見せていない。答える気はないのかと訝しく思い、ディルクが眉をひそめた時、黒い影は唐突に動いた。
突然、黒い影を囲んでいた兵士たちが一斉に飛ばされ、地面に打ち付けられた。
一瞬の出来事にディルクは己の目を疑った。
動いたように見えたはずの黒い影は、一歩も動かずその場に突っ立っている。
黒い影が何かをしたのは明らかなのに、全く目で追えなかった。
そうこうしている内に、地面に転がっていた一人の兵士が小銃を黒い影に向け、トリガーを引いた。
パン、と乾いた発砲音が通りに響いた。
しかししばらく待っても、撃たれたはずの黒い影は微動だにしない。
兵士はやけになって何発も撃つ。更にはトラックからも次々に兵士が降りてきて、黒い影に攻撃を始めた。
兵士たちは撃ち続けた。しかしやはり黒い影は動かない。
ディルクは双眼鏡を目に当てた。黒い影をよく見てみると、表面に何か薄い膜があり銃弾を無効化し弾いているようだった。
ディルクには見たことのあるものだった。前にエマが《術》で似たようなことをしたのだ。
どうやら、黒い影の身体にある石は《マテリアル》で間違いないようだ。
双眼鏡を下ろしたディルクは、それをヘンリーに返した。
その時、建物が揺れるほどの怒れ狂ったような爆風が巻き起こった。ディルクは咄嗟に身を屈め、腕で頭を庇った。
舞い上がった小石や砂がビシビシと音を立てて部屋へ飛び込んでくる。
それから数十秒ほど経って風が止み、目を開いて部屋を見渡す。
「お前ら無事か」と問うと、部屋のあちこちで頷く声がした。
部下全員の声を確認し、ふと窓の外を覗くと、眼下に信じられない光景が広がっていた。
道路がえぐれ、レッドウルフ隊の車両が吹き飛んでいた。それにそこにいた兵士の数が減っている。代わりにあったのは、飛び散った血と、肉片。
この部屋と同じ惨状だった。ディルクは言葉を失った。
反乱軍だろうがカペル軍だろうが、やつは何でも攻撃するのか。無差別もいいところだ。ならばやつを動かしているのは誰なんだ。
混乱する頭に疑問が浮かんだが、それは一瞬で消えてしまった。
黒い影から少し離れた場所で数人の兵士が動いているのが目に映った。トラックの影にいた者はどうやら無事だったらしい。
彼らはよろめきながら起き上がり、そして辺りの光景を目の当たりにして悲鳴を上げた。
その叫び声が耳に届いたのか、黒い影がゆらりと歩き出し、兵士たちへと近付いていく。
情けない声で助けを求めながら兵士たちは尻をついて後ずさる。彼らの手には小銃がなかった。
「クソが……!」
ディルクは歯ぎしりして小銃を構えた。ゆらゆらと歩く黒い影の頭を狙い、撃った。
弾は直撃した。はずだった。
黒い影は立ち止まり、ゆっくり、静かに振り返る。
黒い影の目がこちらを捉えた瞬間に、ディルクはもう一発撃った。それと同時に叫ぶ。
「退避!」
室内の兵士たちは一瞬愕然とし、そして一斉に出口へと走り出した。
「おら! 走れ走れ!」
側にいたヘンリーが駆けていくのを気配で感じながら、ディルクも窓辺から離れて足早に出口へと向かう。しかし小銃は構えたまま窓を狙い続ける。