真夏の夜のステップ
ほぼ予定どおりの時刻に、呼び鈴が鳴った。ぱたぱたとスリッパを鳴らして廊下を走り、玄関まで出迎える。
「おかえりなさい……あれ?」
息を弾ませて開けた玄関扉の向こうには、三年ぶりに見る隣人夫婦ふたりの姿。
三年間の海外赴任ということで、家族三人でヨーロッパに行っていた隣のおじさん一家。このたび無事に任務を終了し、うちに挨拶にやってきた。
それにしては、ふたり。
「ええと……」
「ただいま。あのバカね、急に中学校は向こうで出たいって言い出しちゃって。ごめんね」
あいつらしい、ずいぶん勝手な行動だ。まあ別に、おばさんに謝られる話でもないけど。
八月に入り、日に日に短くなる陽の長さが気になり始めるころ。日本の夏はヨーロッパのそれに比べるとだいぶ蒸し暑く感じるらしい。リビングに案内して麦茶を持っていくと、おばさんがお土産だと言って、荷物の中からきれいにラッピングされた縦長の箱を取り出し、私に手渡してきた。お礼を述べつつありがたく受け取り、早速包みを開けさせていただくと、頭でっかちで妙に不格好な、木彫りの人形が現れた。黒い口ひげに赤い服を着た、近衛兵のような人形。
「なに? 西洋こけし?」
「くるみ割り人形。知らない?」
「ええと、クラシックの曲名か何かだっけ?」
「バレエの曲よ。聞いたことあるはず」
おばさんは、たん、たたた、たん、たん、といくつかのメロディを口ずさんで見せた。なるほど運動会や何かで聴いた曲ばかりだ。しかし手にした人形とバレエというのがどうも結びつかない。「くるみ割り人形」なんて響きは、もっと可愛らしい人形を連想させる。
「これでくるみが割れるの?」
「ほら。この背中のレバーをこうやって」
おじさんが人形を手にとってその背中を何やらいじると、人形の口が開いた。と言うか、くわっと大口を開けた。まるで顎がはずれた人の戯画のようである。ネットでよく見かける顔文字で、口の部分に使われているロシア文字の「Д(デー)」みたいな感じだ。ただでさえいまいちな見た目の西洋こけしが、一層微妙な顔つきになった。そんな思いが顔に出ていたのか、おばさんが私の顔を見てけらけら笑って言った。
「ほら。なんとなくうちの息子に似てるでしょ。それで気に入って買ってきちゃった」
なるほど、言われてみれば確かに。口をあんぐりと開けたそのお間抜けな顔は、この場にはいない幼なじみに似ている気がしないでもない。その口にくるみをくわえさせて、てこの原理でパキッ! とやるらしいが、あいにく殻付きのクルミなどという珍しいものはうちには無かった。
やがて外出していたうちの親も帰宅した。おじさんおばさんが両親にみやげ話を語るのをぼんやりと聞きつつ、くるみ割り人形について携帯で調べてみる。実際にはこの手の人形は実用品ではなく、クリスマスの飾り物らしい。ずいぶんと時季外れのお土産だ。
結局くるみ割り人形は、リビングにあるサイドボードの、赤ベコと招き猫の間で落ち着いてもらうことになった。
*
その夜。何かの気配にふと目を覚ました。壁の時計を見るとちょうど日が変わるころである。うちは一家揃って早寝早起きなので、この時間に起きている者はいない。外からは、気の早い虫の声が聞こえてくる。
台所で水分を取ろうとリビングを通ると、くるみ割り人形がテーブルの上に乗り、きょろきょろとあたりを見回していた。うん、夢だ。とりあえず声を掛けてみる。
「何してんの」
「ここで、ねずみの軍団と戦う予定なのだが」
「はあ」
昼にネットを調べた時に目に入った、バレエの筋書きを思い出す。そう言えば、確かそんなことが書いてあった気がする。
「悪いけど、うちはねずみの駆除とか必要ないから」
「駆除ではなく戦である」
「戦ねえ」
「人ごとではないぞ。お主には、我が輩のピンチに加勢してもらう」
「私も参加するんだ」
「うむ。ねずみの親玉が出たら、スリッパを投げつけて貰いたい」
なんでねずみにスリッパなのか。
「スリッパでつぶすならGじゃないの?」
「G? まあ、この際そのGで良い。軍団に攻めてきてもらわねば話が進まぬ」
「ちょっとやめてよ!」
この時期、カブトムシにまぎれて灯火に向かって元気に飛んできたりするG。軍団なんてとんでもない。
「そんな戦をここでやられたら困ります!」
「むう……時間も押しておるし仕方ない。Gは打ち負かしたことにして、次の場面としよう。お主と我が輩とで踊るのだ」
また訳のわからないことを言い出した。まあ、元がバレエだから、どこかで踊らないといけないのだろう。しかし、私はあいにくそんな大層なお稽古事をしたことはない。
「踊りなんて無理」
「なんと! 良家の教養ある令嬢がステップの一つも知らぬとは」
「……まあ、少しくらい踊れないこともないけど」
というわけで、くるみ割り人形と二人で、居間のテーブルを中心にぐるぐると回ることになった。今度の土日に開かれる夏祭りに向けて、公民館の駐車場で練習していたステップ。手を振り首を振り前に進み、二歩下がっては手拍子を打つ。家族のみんなを起こさぬよう、音を立てずにひっそりと。
そうして三十分もぐるぐる踊っていたら、西洋こけしも満足したらしい。
「民族色豊かな、良い舞踏であった!」
「良かったね」
「ここで、お主が我が輩に求愛するのだ」
また勝手なことを言う。
「なんであんたにプロポーズしなきゃいけないのよ」
「そういう筋書きなのである」
「意味わかんない。やだ」
「そこをなんとか!」
夢とはいえバレエとはいえ、あまりに支離滅裂な展開に憤慨しつつ。一緒に踊ったりしてたらなんとなく情が移ってきた気がしないでもない西洋こけし。土下座して愛の告白をせがむ姿に、少しくらいサービスしてやってもいいか、とおおらかな気持ちになってきた。
「仕方ないなあ」
「『たとえ醜くても、あなたのことをお慕い申し上げています』みたいな感じで頼む」
「あんたはぶさいくだけど、悪いやつじゃないよ」
「もう一声!」
「やだ!」
これ以上自分を安売りする気はないと、腕を組んで睨みつけてやる。西洋こけしは雰囲気がどうとかぶつぶつ文句を言いつつ、何やら呪文を唱え始めた。やがて、ドロン! と白い煙が人形を包む。もうもうと湧き上がったその煙の中から……。
*
「おーい、起きろ」
しきりに呼びかける声。何やらごちゃごちゃとした印象ばかり残る夢からじわじわ引き揚げられて目を開ける。
しばたく目に入ってきたのは、西洋こけし……ではなく、三年ぶりに見る幼なじみの顔。あれ? まだ夢を見てるのかな。
「……中学出るまで向こうじゃなかったの?」
「夏休み」
「ふうん」
「まあこっちにいるのは一週間だけどな」
「へぇ」
次第に高まる胸の鼓動を抑えつつ、つとめて気のない返事を返す。
「三年前、約束したろ」
「え」
「中二の夏祭り、一緒に行こうって」
「……覚えてない」
なんにも覚えてないし。
浴衣姿を見せたくて、中学生にもなって恥ずかしいという思いを抑えて、慣れない下駄をはいたりして、町内会の練習に参加したりなんてしてないし。
「おいおい。盆踊り教えてくれるんだろ?」
「知らない」
タオルケットを引っ張り上げて頭からかぶり、顔をそむけるように寝返りを打った。
薄情な奴だなあ、などとぼやく声が背中の方から聞こえる。
「あんたさ、こけしに似てるよね」
「はぁ? 何だそれ?」
声が震えそうで、それ以上言葉が出なかった。タオルケットをかぶったまま、声の聞こえる方向に、手だけを差し出す。やがて、伸ばした指先に、ためらうように触れる感触。
その手をぎゅっと掴んで引き寄せて、胸に抱きしめた。
お題の「くるみ割り人形」については、物語も、どんな人形かさえも知りませんでした。今回調べて知った物語をモチーフにしたのですが、単独で見るとただのシュールなお話になってしまったかもしれませんorz
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