壱 the fate of the moon 後
注意!PG-12!
*このお話には一部暴力描写、生々しい死体の描写がありますので自己責任の下でお読みください。読んでからの苦情は一切受け付けられませんのでご了承くださいませ。
ただ白いだけの壁が続く司令塔。その最上階にただ一つ造られた部屋の、大きく切り取られた窓からは暖かな陽射し。
円柱のようなその部屋の中で、金と銀の蜘蛛を持つ者たちは集っていた。
「イリア!遅いぞ!」
「申し訳ございません。以後気をつけます」
背筋を真っ直ぐに伸ばし、イリアはこたえる。
部屋に居る十数名が何か憎悪にも似た感情のこもる目で自分を見ているのを感じるが、そんなことにはもう慣れてしまった。この中で最も若い自分を好ましく思っていない者が多いことも分かっている。
銀の蜘蛛…第二階級は大抵は十数年ものキャリアを積んでようやく手にすることのできる階級だ。それを十二歳という若さで茶の蜘蛛を持つことを許された少女が、たった二年で手にしたことが気に食わないのだろう。
事実、イリアがそれを手にするまでの最年少は二十一歳だった。それだって充分若いと言うのに、十四歳の少女がいとも簡単に手にしたとなれば何か裏があるのではと疑う者がいるのもおかしくはない。
しかし、当のイリアは銀の蜘蛛がほしくて仕事をしてきたわけではない。イリアにとって、仕事は命ぜられているからこなすだけのものだ。だからなぜ周りがこんなに騒ぎ立てるのかがいまいちよく分からない。
「さてイリア。南東の里、アイリスカで不審な動きをする者たちがいるようだ」
もう六十むそをとうに越えた副総長が口を開いた。横から銀の蜘蛛を持つ中年の男が口を挟む。
「同盟を結んでいるあのアイリスカですか?」
「うむ。何やらグディアと同盟を結ぼうとしているようなのだ」
グディアとはラスラの東側にある里だ。この二つの里は『ラスラ』と『グディア』という里の名が付くそれよりもずっと昔から互いに競い合い、憎み合っている。
三年前、アイリスカはラスラとそんな関係にある里と同盟を結ぼうとしていた。アイリスカは非常に財源豊かな里のためラスラはグディアに先を越されまいとアイリスカと同盟を結んだ。ちょうどイリアが第二階級に上がったときのことだ。当時、アイリスカでちょっとした混乱が起こったと後に聞いたが、それが真実かどうかはイリアは知らない。
もし、アイリスカとグディアが同盟を結んだ場合。位置的に近いグディアのほうが武力のないアイリスカを吸収してしまうのは時間の問題だろう。そうしてグディアはラスラを攻め入ってくるに違いない。
そうなったらラスラが滅ぶことは確実。それだけは避けねばならない。アイリスカの財力はそれほどに大きい。もしアイリスカに武力があったのなら、きっとラスラも、グディアも、程ない時間で吸収されるだろう。
だからこそこの近隣の二里は互いよりも早くアイリスカを味方につけることに全力をあげている。
「そこでイリア。早急にその中心人物を始末せよ。一覧はこれだ」
言って、紙束をイリアへ渡す。めくるとそこには三人の男の肖像とその役職や簡単な経歴、最近の動向などが記されていた。簡単に目を通し、イリアは再び副総長へと顔を上げる。
「御意」
視界の横で、真青の空が赤紫とのグラデーションに変わっていくのがちらりと見えた。
「今回は其方一人の力では足りぬやも知れぬ。カルサを必ず連れて行け」
「いいえ。私一人で充…」
「連れて行くのだ」
低い声はよりいっそう低く、即座に言葉を返したイリアの声を遮った。思わず黙ってしまったイリアに副総長は続ける。
「其方が毎回カルサを連れて行っていないのは分かっている。何の為に補佐をつけたのか分かっているのか?それでは意味がないではないか」
外の音はまるで入ってこない、この空間だけ隔離されてしまったのではと錯覚する建物の中。
集まった人々は口を開かず、小さく動くその衣擦れの音でさえ響き渡るようだ。
先程とは一転して柔く、優しい声音で副総長は言う。
「私は、其方のことが心配なのだよ。イリア」
けれどそれが建て前だという事をイリアは知っている。
無意識の内に右手の蜘蛛に手をやっていた。彫ったときに感じた激痛は、今はもうない。まるで生まれたときからそこにあったかのように馴染んでしまっている。
細く小さく息を吐く。
「…承知致しました。命は、以上でしょうか」
暗い灰色と深い藍色。その双眸で、副総長を見据える。
「うむ」
聞いて、イリアは深く頭を下げた。痛みのない黒髪がさらりと、裾の長いマントがゆらりと、同時に揺れる。もう一度副総長に目を合わせると、身体を反転させて真っ直ぐ扉へと歩きだした。
沓の音が響く。
扉は、重い音を立てて閉まった。
突如、漆塗りの扉が音を立てて開いた。夕食の準備をしていたカルサは驚いて身を震わせる。
「お、おかえりイリア。どうした?」
マントを脱ぎ、その動作ですら面倒くさそうにイリアは声の主へとちらりと目を向けた。
「ああカルサ。まだいたんだ」
その声に少しむっとして、料理担当を俺にしたのはお前だろ、と思いつつ、けれど黙ってカルサは作業を続ける。どうやら機嫌が悪いらしい。障らぬ神に崇りなし、だ。
イリアはパサリと薄い紙束をテーブルへ落とし、マントを椅子にかけてそれへ座る。テーブルに片肘を付いて顔を乗せ、癖のない髪をかき上げて大きく息を吐いた。
「仕事」
「また?」
「また」
どうやら夕食を作り終えた様子のカルサが力作のそれらを両手で運びながらやって来た。
「次はどんな?」
「アイリスカのお偉いさんを殺せって」
イリアは指先で最初の項をめくり、一覧をカルサに見せるようにして持ち上げる。
「それはまた面倒そうな…」
テーブルに料理を置くと、カルサは再び台所へ料理を取りに戻る。
「あ、今回あんたも一緒だから」
「え?」
今度は同時に四つの皿を運びながら来たカルサは、思わず聞き返してしまった。だって自分はもう何ヶ月も仕事に行っていない。
「死なないように頑張んな」
けれどイリアは何でもない事のようにさらりと言って、紙束を向かい側に座ったカルサに投げ渡した。
「死なないようにって…。いつ?」
どこか不安げな表情を浮かべながらカルサはその紙束に目を通す。
「明日。早急にって言われたし。明日はその三人で同盟締結の条約決めるみたいだからその時」
先程ちらりと見ただけで内容は覚えてしまったようだ。
「明日…」
刻むように小さく呟く。
本当はもう少し準備をしたかったのだけれど。
「何、緊張してんの?」
くすり、と小馬鹿にしたような笑い。かっとなって思わずカルサは返す。
「んなわけねーだろ!」
「どーだか」
意地の悪そうな笑みを目の下に刻んでカルサを見、ふふんと鼻で笑った。
「馬鹿にすんな!」
「はいはい」
憤慨するカルサを軽くあしらい、出された料理に手をつける。
今日はレモンの香りのソースがかかった鶏のソテーがメインだ。他に裏庭で作っている野菜のサラダと、オニオンのスープがついている。鶏のソテーを小さく切り、それを口へ放るとソースの香りが口いっぱいに広がった。
カルサは何やら必死な様子で紙束を隅々まで読んでいる。無言で料理を食べ続けていたイリアが口を開いた。
「大丈夫、あんたはあたしが守ってあげるから」
驚いてイリアを見ると、ちょうどオニオンスープを口にしているところだった。
外では鈴虫の鳴き声がせわしなく聞こえ、月が痩せた庭木を照らしている。




