壱 the fate of the moon 前
注意!PG-12!
*このお話には一部暴力描写、生々しい死体の描写がありますので自己責任の下でお読みください。読んでからの苦情は一切受け付けられませんのでご了承くださいませ。
漆の塗られた木の扉を強く叩く音が家中に響き渡る。木の平屋。その一番奥の部屋で夢の世界へ旅立っていた住人は、あまりもの煩さに掛け布団を頭から被った。
音は止まない。
「イーリーアー。イリア!居るのは分かってんだよ!開けろ!」
そんな声まで届き始める。観念して住人はむくりと起き上がった。カーテンの隙間から差し込む日は眩しく、今がもう一日を半分過ぎようとする頃だと知らせる。枕元の窓のカーテンを開け、すっかり緑を失った庭の木々をぼんやりと眺める住人は、つややかな短い黒髪を黒塗りの爪でガリガリと掻いた。
まだ眠たげな眼の色は左右で違う。右が灰で、左が藍だ。
未だに鳴り止まない声と音。けれどひどくゆっくりとした動作で住人は洗面所へ向かう。夜着の上からでも分かるしなやかな体躯と、細く長い手足をもつ少女だ。未だ閉じそうな眼に目を覚まそうと顔を洗うと、長い睫毛から水が滴る。通った鼻筋の下の紅い唇も、水に濡れて少女とは思えぬほどに艶やかだ。
その一つ一つの動作はしきりに呼ばれているというのに少しも慌てた様子はなく、至ってマイペース。やっと扉へ向かった彼女が気だるげにノブに手を掛け、鍵をあけてゆっくりと扉を開きかけた次の瞬間、何かが勢いよくそれを引き開けた。
「イリア!」
「…うっさい…」
扉を叩いていたのは背の高い少年だった。
明るい金髪に、少しつった茶の双眸。元気のよさそうな面立ちの少年だ。鮮やかな青の衣の上に黒いマントを纏う身体は鍛え上げられており、露出された手足のそこここに傷跡が見受けられる。
「うっさいじゃねーよ。お前今日の報告会またすっぽかす気か?」
「ああ…忘れてた…」
まだ半分意識が夢の中にいる住人イリアに、少年は呆れたように大きく息を吐いた。
「…忘れんなよ…」
嫌そうに眉間にしわを寄せ、イリアは癖のない髪を掻きながら居間へ入る。慌てて少年も追いかけ、椅子に腰掛けてテーブルに打つ伏せるイリアの前に座った。
「なぁ、イリアー」
「うっさいなァ…。あたし昨日仕事だったんだからも少し寝かせてよ…」
「また?ここんとこ毎晩じゃん」
「知らないよそんなこと…。おやすみ」
そして、イリアは静かに寝息を立て始めた。
「怒られんのは俺なんだけどー…」
泣き出しそうな少年の声は無情にも音のない家に溶け消えた。
「カルサ!イリアを連れて来いと言ったろう!」
周りが木ばかりの森の中にある小さな里、ラスラ。四角く切り取った大理の白石で作られた建物を中心に平屋が円形に建ち並ぶ。
この里は暗殺業を営む里だ。
今は戦に強い者が勝ち昇る時代、つまり戦国時代だ。ゆえに、暗殺業を営む里はここだけではない。そのような里が数多く存在し、互いに対立し合って己の里が最も強いことを証明するために争い合う。
その中でもラスラは上級クラスに位置する里だ。里の中央の白い建物は司令塔と呼ばれ、家がそれに近ければ近いほど位が高い。そして、最上級の強さを認められた、最も司令塔の近くに住むことを許された者たちはその証として右手の甲に紅い蜘蛛の入れ墨が彫られる。
里は極力外部に分からぬようにと大抵は森の深く暗いところにあり、人々は日々死と隣合わせに暮らす。その為、人々は己の腕を磨くことに命をかける。イリアも、金髪の少年カルサも、そんな日々の中生きてきた。
今は、強くなければ生きてはゆけぬ時代なのだ。
「だって起きないんスよ~」
「だってではない!起きなければ起こすのだ!」
白く立派な髭を蓄えた司令塔の副総長が言うのに、正方形に向かい合って座る蜘蛛を持つ者たちも相槌を打つ。
「…分かりました。行きゃーいーんでしょ」
そう返すカルサにすかさず彼らの内の一人がたしなめた。
「こらカルサ!何だその口のきき方は!」
「へェい」
カルサは至極面倒臭そうに返事をし、報告会が開かれている司令塔の最上階である四階を後にする。
「毎晩のよーに働かせてんのはテメェらだろ」
小さく吐き捨てられた言葉は、誰にも聞こえることはなかった。
ふと見た窓からは昼下がりの里を撫でる風が木々の葉を散らせてゆく。
「カルサまた来たの?」
「起きてんじゃん!!」
所変わってイリアの家。
再び扉を叩いたカルサを迎えたのは、濃い紫の外出着に着替えたイリアだった。テーブルにうつ伏せたまま眠ってしまったイリアを寝室まで運んだ記憶がまだ鮮明なカルサは予想外の出来事に思わず突っ込んでしまった。不覚だ。
「何?起きてちゃいけない?」
表情を変えぬままのイリアはいささか不満そうだ。
「いや…副総長が司令塔に来いって…」
「分かってる。そんな何度も来なくても行くよ」
「じゃぁ来いよ!頼むから!」
「うっさいなぁ…カルサは」
言いながらイリアは黒いマントを羽織る。このマントが司令塔へ入るときの通行証の代わりとなるのだ。マントの肩には蜘蛛の刺繍が施されており、階級によって色が異なる。最下級が茶で、上に赤、紫、青、白、銀ときて、最上級が金だ。銀以上の蜘蛛は見せるだけで様々な免除が受けられる。それは商店での売買の値や、病院での医療費など金銭的なものが多い。
そんな銀の蜘蛛が施されたマントを着たイリアは、テーブルに頬杖をつくカルサに冷たく言い放つ。
「いつまで居る気?鍵閉めるから出てって」
「いーよもう。また来んのも面倒だからここにいる」
言って、カルサはハッとした。
「あ、やっぱ帰…」
「やだー!カルサったらあたしが居ない間に家を漁る気ね!?目的は何?宝石?お金?あ!もしかして下着!?イヤーフケツー」
「違うっつーの!んなわけあるか!!」
カルサの反応に満足したように笑って、じゃぁねーと言ってイリアは出かけていった。
主の居なくなった家の中で、青い刺繍のされたマントを脱ぎながらカルサは大きく息を吐く。
イリアの補佐役を命ぜられて早三年。彼女の事は今だによく掴めない。何事にも無関心で、いつも気だるげな表情をしているのに、そうかと思えばちょっとした事で突然可笑しそうに笑ったり。窓の外を見ながら真面目な顔付きで何かを考えていたかと思えば、その表情のまま、
「あ、犬が交尾してるー」
などと呟いたり。
カルサはこれを聞いて飲んでいた茶を吹きだしてしまった。一体彼女は何を考えているのだろうか。補佐役として行動を共にする身としてはいい迷惑だ。
カルサの家はイリアの家の裏側にある。元々はもっと里の外側に住んでいたのだが、第四階級に昇級し、イリアの補佐役を命ぜられてから家を移すことを強制された。
ここは以前住んでいた場所より治安がよく、生活の便も良いので生活に支障はない。…のだが。司令塔に近いせいか四六時中監視されているようですこぶる心地が悪い。
イリアはもう五年ほどここに住んでいると言う。その前も少しだけ外側の場所に住んでいたと言うのだからもう慣れてはいるだろうが、十年以上も監視され続ける生活というのも想像するだけで息苦しくなる。
それが、彼女の性格に影響しているのだろうか。
「…んなわけねぇか」
一人呟き、カルサは再び大きく息を吐いた。
いつの間にか日は傾き始めている。




