漆黒の姫巫女、愛しのヘイカ
それはおとぎ話。
世界が闇に覆われて、長き繁栄を誇っていた王国は滅亡へと歩みを進める。神々からも見放され、次々と襲い来る天災や疫病に、多くの民の命が奪われる。
刻一刻と迫り来る滅びを、ただ待ち続けるしかなかった人々の前に、ある時一筋の光が差し込む。漆黒の瞳に漆黒の髪、夜を纏い、闇を抱く少女は、異世界より舞い降りし姫巫女であった。神の声を聞き、神の言葉を解する彼女は、人々を救うべく、神の意思に従い王国の闇を打ち払う。
再び取り戻された平和な時と神々の加護。
国を救った姫巫女は、大勢の国民に感謝され、そして国王から直々に尋ねられる。
「巫女の望むものは何か。例えどのようなことであっても、私に可能な限りそれを叶えよう」
国民を代表して告げた王の言葉に、姫巫女はそっと美しい微笑を浮かべた。
※※※※
「お前は恐ろしい女だ。魔女だ、悪魔だ、大魔王だ」
国中で巫女だ、聖女だと讃えられる少女に、男は蒼白な顔で正反対の言葉を吐いた。白銀の髪に金色の瞳、そして神秘的な色合いにふさわしくこの上なく美しい端正な容姿。この国で最も貴いとされるお方、国王陛下その人である。正式な儀礼等の際に着用する白地に金刺繍の衣装に身を包み、本来ならただそこに立っているだけで惚れ惚れするだろう外見を持つ彼。
しかしながら今現在、部屋の隅に置かれたソファに身を隠すようにして縮こまるという奇怪な行動をとっているため、全てが台無しになっている。
(……これが世に賢帝と謳われる国王の姿か)
部屋にいる侍女たちはきっともれなくそう呆れたことだろう。けれど、そう思ったことなど微塵も感じさせずに仕事を続ける彼女達に感嘆を覚えながら、陛下に魔女だと言わしめた少女はくるりと身を翻し、鏡を覗き込んだ。
「ふむ、思っていたよりマシかしら」
鏡面に映るは白い衣装に身を包んだ自分。背が高くボン・キュ・ボンのナイスバディが多いこの国の衣装は、寸胴な日本人体系の少女には明らかに似合わないものが多い。しかし、現在は礼装等にしか用いられないという旧式のこの衣装は、つくりが着物に似ており、ドレスよりは違和感なく着ることができている。
「んー、ヘイカとお揃いっていうのが気に入らないけど、まあ我慢しましょう」
他の者が言ったら不敬となるだろう言葉を何のためらいもなく吐き、少女は未だソファ越しに自分を睨むヘイカに向き直った。そのヘイカと模様違いの金刺繍が施された衣装の裾が揺れる。真っ白な衣装は彼女の漆黒の瞳と髪を際立たせ、ヘイカとはまた違った感じの神秘的な雰囲気を醸し出している。
「さあ、国民も待ちかねていることですし、そろそろ参りましょう、ヘイカ」
差し出した手が取られる気配はない。意固地な子どものように、陛下はじっとその場を動こうとしない。
「今更約束を反故になさるおつもりですか?」
にっこり微笑みながら己をなじる少女の言葉に、ようやく美貌の陛下は折れ、少女の手を取っ――否、訂正。少女の小指をそっと握った。それから、今にも逃げ出したいという気持ちを振り絞って立ち上がり、できる限りの距離をとって少女と共にテラスへと続く方向に歩み始めた。
それと共に、今までも聞こえていた歓声が更に大きさを増す。本日に限り特別に開け放たれた城内の広場では、国民達が今か今かと国王と少女――漆黒の姫巫女が姿を現すのを待ち続けていた。
「陛下、そのように奥方と距離を置いていては国民が不仲を疑います。もうすこし寄り添って。あと表情は笑顔でお願いします」
出口付近に立っていた宰相が脂汗を流す陛下を嗜める。不仲を疑うまでもなく不仲なのだが、今それを言う余裕は陛下にはない。あとで覚えていろよ。じとり宰相を睨めつけて、国王は嫌々ながら巫女の腰に手を回した。
「……そこまで嫌がられると傷つくんですけど」
「黙れ、諸悪の根源め」
見上げた顔はテラスに出た瞬間、今にも死にそうな瀕死顔からギリギリ作り笑いに見えないこともない複雑な笑顔に変わった。
二人が降り立ったテラスから広場まで、結構な距離がある。ましてこちらから国民を見下ろすように立っているため、よっぽど視力が良くない限りこの嫌そうな顔をした陛下の様子は分からないだろう。
少女も陛下に倣い、しかしこちらはどこからどうみても満面の笑みにみえる表情をつくって国民たちに手を振った。
寄り添う二人を祝福するように、「おめでとうございます」「陛下と巫女様に祝福あれ!」といった言葉が聞こえてくる。
――王国暦四八二年、紅の月。グランディール王国、王アルヴィフリート=ディルレイ=ユラ=グランディールと伝説の姫巫女、佐藤美早は国民に祝福される中、婚姻を結んだ。
「は、はは。まさか“望むもの”と尋ね、王妃の座を要求されるとは思いもしなかったぞ」
ついにどこかおかしくなったのか、陛下は乾いた笑みを漏らしてそう呟いた。
「イヤだなあ、ヘイカ。伝説の巫女が王様と結婚なんて結末、物語の王道中の王道じゃないですか。誰だって予想できるハッピーエンドですよ」
「どこがハッピーだ、どこが。お前はただ王妃という地位に就きたかっただけだろう」
「ひどい言い様ですね。どうしてそんな風に思われるんです」
「どうしてもなにも、お前は私のことを嫌っているだろう」
じっと見下ろされ、美早はこれが新婚、しかもたった今式を挙げたばかりの夫婦がする会話なのかと苦笑を漏らした。
「嫌っているのはヘイカのほうじゃないですか」
「私が嫌いなのは女全般だ」
お前限定じゃない。威張るようにそう言われ、美早はまたも苦笑する。
女嫌いの国王陛下。詳しいことは知らないが、幼少時代に女性がらみで嫌な経験をしたらしく、美貌の陛下は女性には好かれるが本人は半径一メートル以上に女性が近づくと悲鳴を上げるほど女が苦手だった。当然のことながら体に触れるのも駄目で、本来ならばこうして美早の腰に手を回し、寄り添い笑いあうなどもってのほかである。
だがしかし、国王自ら言った「望むもの、何でも叶えよう」宣言のせいで拒むものも拒みきれず、今現在逃げ出したくなるのを堪え必死で苦行に耐えているというわけである。自業自得といえばその通りだが、アルヴィフリートはあの時、まさか美早が王妃の座を要求してくるとは夢にも思っていなかったのだ。
「“王妃様”なんて全ての女性の夢じゃないですか。一国を救うなんて大役を終えたご褒美に、優雅で豪華な余生を送りたいと思っても罰は当たらないと思いますけど」
「……お前、そんな理由で」
私と結婚したのか。そう言おうとした言葉は、しかし最後まで紡がれることなく飲み込まれた。横にいた美早が突然アルヴィフリートの腕を掴み自分の方へと引き寄せたのだ。
「!?」
動揺するアルヴィフリート。美早は美しい微笑みのまま夫を見上げた。
「ほらほら、ヘイカ。皆さん折角集まって下さったのですから、国民の方々にもう少し仲の良いところをお見せしなくては」
「は!? 何を言っているんだ、お前。これ以上私になにをしろと言う!」
寄り添って、国民に手を振る。それだけで充分“仲がいい夫婦”じゃないか。
腰に手を添えるだけで限界の限界だというのに、この上美早は女嫌いの夫に極刑を言い渡す。
「仲のいい夫婦といったら口づけに決まっているでしょう」
「!?」
その瞬間、アルヴィフリートは妻の姿に悪魔を見た。冒頭、自分が吐いた言葉は間違っていなかったのだ。美早は悪魔だ。女嫌いの自分に結婚を迫った挙句、国民の前で口づけをしろという。
顔面蒼白の国王に、追い打ちをかけるように国民たちが口づけコールをし始めた。
「ほら、皆も望んでいます」
「くっ……」
自分は今日、死ぬかもしれない。いや、今日死なずとも、近いうち絶対死ぬ。死因は女性嫌い。今までそういった話は聞かないが、今だって気を失ってしまいそうなのだ。
焦れる国民達の声が大きくなる。目の前の妻は瞳を閉じ、うっとりと夫からの口づけを待ち続けていた。
ああ、神様――
アルヴィフリートは天を仰ぎ、決死の覚悟でそっとその身をかがめた。
※※※※
――愛していますよ、ヘイカ。憎らしいほどに。私をこの世界に召喚して下さったお礼に、これから、たっぷりと愛してあげます。