「君を愛する男などいない」と言われたので、その場で確かめてみました
「君を妻にしたがる男など、ほかに一人もいないぞ」
つい先ほど、私との婚約を解消したいと言った人が、そう言った。
私は扇を閉じた。
「それでは、なぜお止めになるのです」
ビクトール様の口元が引きつった。
「止めているのではない。忠告しているんだ」
「私が承知したのですから、もうよろしいでしょう。父には、ご自身の言葉でお伝えください」
伯母が主催した夜会だった。
彼は私を広間の端へ呼び、「これ以上、口答えする女とは結婚できない」と告げた。
私は、では両家で解消の手続きをしましょうと答えた。
すると彼は、なぜか怒った。
「そんな調子だから、可愛げがないと言っている」
近くにいた方々が、こちらを見ている。
ビクトール様も気づいていたはずだった。それでも声を落とさなかったのは、私が人前なら謝ると思ったからだろう。
以前は、そうしていた。
食事の席で意見が違ったとき。彼が私の話を途中で遮ったとき。
もういい、面倒だと言われると、私のほうが折れた。
けれど、結婚の話まで、そうするつもりはなかった。
「そのような私と結婚せずに済むのですから、よかったではありませんか」
「後悔しても知らないぞ。君を愛する男などいない」
今度は、少し遠くまで聞こえた。
楽団が次の曲へ移るまでの、静かな時間だった。
頬が熱くなった。
泣きたくなったのではない。
いや、少しは泣きたかったのかもしれない。
けれど、その前に腹が立った。
私は広間を見渡した。
壁際で、アルノー・ダルヴェ伯爵がこちらを見ていた。
目が合った。
彼は目をそらさなかった。
三年前、この方から求婚されたことがある。
そして私は、そのお話を断った。
「失礼いたします」
ビクトール様へ礼をし、私は歩き出した。
扇を握る手に、力が入っていた。
アルノー様の前で立ち止まった。
「以前のお誘いは、まだ有効でしょうか」
彼は、すぐには答えなかった。
「どの誘いです」
「……お茶でもご一緒しませんか、と」
求婚のお返事を出す前に、一度いただいたお誘いだった。
私は、それも断っている。
彼は私の肩越しに目を向けた。
振り返らなくても、ビクトール様が見ていることは分かった。
「今夜、一杯だけなら」
思っていた答えと違って、私は顔を上げた。
「ただし、腹いせなら、今日のお茶だけにしてください」
静かな声だった。
「俺は、本気なので」
私は、何も言えなくなった。
*
アルノー様は、その場で私を連れ出さなかった。
近くにいた伯母へ声をかけ、談話室を使ってもいいかと尋ねた。
伯母は私を見て、いいわよと答えた。
私たちと一緒に部屋へ入り、扉を開けたまま、少し離れた椅子へ腰掛ける。
「私は手紙を読んでいますから」
伯母が目を伏せてから、給仕がお茶を運んできた。
私は、砂糖壺を見つめていた。
何も考えずに歩いてきたわけではない。
少なくとも、この方なら、自分に興味を持ってくださったことがあると思った。
それが、ひどく失礼な考えだったと、今になって分かった。
「申し訳ありません」
アルノー様が、私を見た。
「あなたを、あの方への言い返しに使おうとしました」
自分で口にすると、ますます恥ずかしかった。
「分かっています」
彼は言った。
私は顔を上げられなかった。
「だから、今夜だけにしてくださいと申し上げた」
お茶の注がれる音がした。
「ですが、ミレーヌ様が、俺に聞きたいことがあって来られたのなら、それは別です」
私は、少しずつ顔を上げた。
「……あります」
「何でしょう」
「どうして、私なのですか」
アルノー様は、考えるように指を組んだ。
「三年前、求婚した理由ですか。それとも今の話ですか」
「どちらも、です」
彼は、お茶を一口飲んだ。
「三年前は、あなたと話すのが楽しかったからです。今も、それは変わっていない」
私は、思わず聞き返した。
「楽しかった?」
彼とは、顔を合わせるたび、何かしら意見が違った。
慈善音楽会で子供向けの曲を入れるか。演奏会の席を値段で分けるか。
私が賛成すれば、彼は反対し、彼が提案すれば、私が口を挟んだ。
「いつも、言い合いになっていましたのに」
「ええ。最初の案より、たいていよくなりました」
意地悪を言われたのかと思った。
けれど彼は、真面目だった。
「俺が押し通したことも、あなたの案を採ったこともありました。最後まで話せる方は、そう多くない」
私は、自分のお茶を見た。
ビクトール様は、いつも褒めてくださった。
婚約する前は。
君は頭がいい。何でも話せそうだ。
その言葉が嬉しくて、私は彼を選んだ。
実際に婚約してみると、私が話していいのは、彼と同じ意見のときだけだった。
「婚約のお話を断ったあとも、私に腹を立ててはいらっしゃらなかったのですか」
「残念でした。腹が立ったのとは、違います」
はっきりと答えられて、息が止まった。
「ただ、今夜のことがあったばかりです。俺と今後どうするかは、お父上とお話しになってからでも遅くない」
私はうなずいた。
お茶を飲もうとして、手袋を外していないことに気づいた。
片方の指先が、うまく抜けない。
彼はそれを見ても手を出さず、自分のお茶を飲んでいた。
やっと外せたとき、私は少し笑ってしまった。
「今夜は、まるで何も上手にできません」
「お茶は、まだ冷めていませんよ」
私はカップを持ち上げた。
もう、扇を握っていなくても平気だった。
*
婚約解消の話し合いで、ビクトール様は、言葉の行き違いだと主張した。
伯母は同席していた。
広間で彼の言葉を聞いた方々も、父へ事情を伝えてくださった。
「反省してほしくて言っただけです。彼女が、こうも大げさに受け取るとは」
彼がそう言うと、父は尋ねた。
「私の娘は、婚約を解消すると言われても、あなたのご都合に合わせて、別の意味に受け取らなければならないのですか」
私は、父の横に座っていた。
隣には、ビクトール様の父君であるレンザック伯爵がいる。
父君も最初は、若い二人の喧嘩だとおっしゃった。
けれど、私が戻るつもりはないと伝えると、息子へ顔を向けた。
「なぜ私に何も報告しなかった」
ビクトール様は父君を見ず、私を見た。
「ダルヴェ伯爵がいるからか」
私は首を振った。
「あなたと結婚するつもりがなくなったからです」
アルノー様の名前を出せば、また別の話にされる。
私は、自分の答えだけを伝えた。
父は、先方からの申し出による婚約解消とすること、今後、私の非を理由とした説明をしないことを求めた。
レンザック伯爵は、息子と話す時間が欲しいとおっしゃった。
正式に解消が決まったのは、それから二週間後だった。
その間、アルノー様から私個人へのお誘いはなかった。
ただ、伯母のところへ、夜会で使った談話室のお礼が届いたそうだ。
「あなたに会わせてほしいとは、書かれていなかったわ」
伯母は、手紙を畳んだ。
「だから、それは私が聞くことにします。あなたは、どうしたいの?」
私は、少し考えた。
「もう一度、お会いしたいです」
「ビクトールに見せるために?」
「いいえ」
その答えには、迷わなかった。
「あのお茶のとき、続きを聞きたいと思った話が、あります」
アルノー様は、音楽会に子供向けの短い曲を入れた年のことを話してくださった。
私の案だった。
退屈していた子供が、帰り際には歌っていたのだと。
彼は反対していたのに、覚えていた。
それも、嬉しそうに話していた。
「では、ご自分でお手紙を書きなさい」
私は、便箋を一枚いただいた。
*
二度目のお茶は、伯母の家の小さな客間だった。
父にも事情を話してから、私がお願いした。
アルノー様は、約束の時刻ぴったりにいらした。
扉が開くまで、私が三度も時計を見たことは、伯母しか知らない。
「今夜一杯だけと、申し上げましたが」
彼は、座る前に言った。
私は、椅子の横で彼を見た。
「今日は、お昼です」
アルノー様は黙った。
そのあと、肩が少し揺れた。
「そうですね」
私は、そこで初めて、この方が声を立てて笑うところを見た。
「あらためて、お誘いします。私と、お茶をご一緒してください」
彼は姿勢を正した。
「喜んで」
その日は、前に話しそびれた音楽会のことを聞いた。
彼が反対していたのは、子供向けの曲そのものではなく、長さだったらしい。
「あの曲を全部演奏すれば、子供より先に親が帰ります」
「ですから、途中までにしましょうと申し上げたのに」
「途中から、俺がそれに賛成したことも覚えておいてください」
言い合ってから、二人とも笑った。
私は、音楽会のあとで届いた礼状の話をした。
彼は、領地の学校で使っている歌の話をした。
伯母が客間へ戻ってきたとき、まだお茶が残っていた。
飲むのを忘れて、話していたのだ。
*
アルノー様とは、その後も何度かお会いした。
王都に滞在している間だけだったから、一度別れると、次までは手紙になった。
彼の領地は、西へ馬車で二日。
父も伯母も、便りをやり取りすることに反対しなかった。
彼からの手紙には、同意できることばかりが書かれているわけではない。
私が新しい劇を褒めると、彼は以前見た公演のほうが好きだと返してきた。
理由が四行もあった。
私は六行で返した。
その次の便りには、王都へ出る予定と、一緒に観劇しないかという誘いがあった。
伯母も一緒に行った。
幕が下りたあと、私はアルノー様の顔を見た。
「いかがでした?」
「最後の場面は、こちらのほうがよかったです」
「最初の場面は?」
「長い」
「あそこがあるから、最後がいいのです」
伯母が扇で口元を隠した。
「続きは、馬車に乗ってからになさい」
階段の前で立ち止まっていたことに気づき、私は慌てて歩いた。
差し出された手を借りると、彼の手は思っていたより温かかった。
*
楽しい日ばかりではなかった。
ある日の客間で、私は彼の手紙の言い方が気になったと伝えた。
領地の学校で使う楽譜について、私が案を送ったあとの返事だった。
『実際の授業を知らないまま決めることはできません』
その一文を、何度も読んでしまった。
「見てもいないのに口を出すなと、言われたように感じました」
言い終わってから、膝の上で指を組んだ。
空気を悪くしたと思った。
彼は、私の持っていた手紙を見た。
「そのつもりではありませんでした。ですが、そう読めますね」
私は、顔を上げた。
「学校の教師に聞いてから返事をしたかったのです。あなたの案を、見てもらうために」
「では、そう書いてくだされば」
「ええ。書くべきでした。申し訳ない」
彼は、まっすぐ私を見ていた。
私は、組んでいた指をほどいた。
「私も、お返事を読む前に、もう採用していただけるような気でいました。教える方の意見も、伺いたいです」
「今度、取り次ぎます」
彼はそう言って、お茶へ手を伸ばした。
話が終わった。
怒鳴られることも、帰ってしまわれることもなかった。
私は、次に何を話そうかと考えた。
彼と会うことをやめなければならないとは、思わなかった。
*
ビクトール様が復縁を求めていらしたのは、婚約解消から四か月ほどたったころだった。
父が断ったため、私はお会いしていない。
けれど彼は、伯母の家にも足を運んだ。
「ミレーヌは、まだダルヴェ伯爵と会っているのですか」
伯母は、その日のうちに私へ知らせてくれた。
「ええ、とだけ答えました。あなたの予定までは教えていません」
私は、お礼を言った。
その翌週、父とレンザック伯爵が、再び話し合った。
婚約を戻すためではなく、私の意思を確認せず訪ねてくるのを、やめてもらうためだった。
父は帰ってから、私に話してくれた。
ビクトール様は、私が謝って戻るものと思い、父君への報告をしなかった。
私が動かなければ、婚約は元のままだと思っていたらしい。
けれど、実際には解消され、私は彼へ手紙を出さず、アルノー様と会い続けた。
彼は、自分もすぐに別の相手を見つけると言い出した。
父君に紹介された令嬢との席でも、私の話をしたという。
口答えをする。
気が強い。
ダルヴェ伯爵と親しくしているのも、私に嫉妬させるためだ。
相手の令嬢は、話が進む前に断った。
その家から、レンザック伯爵へ理由が届いた。
息子の言動を父君が知ったのは、そのときだったそうだ。
「向こうの伯爵は、次の縁談を急がせるのをやめた。家の仕事を任せる範囲も、当面は広げないとおっしゃっていた」
私は、父の話を聞いていた。
「私のことは、何と?」
「もう話題にさせないと。お前たちへの説明を含めて、息子から伝えさせるそうだ」
数日後、ビクトール様から、父宛てに手紙が来た。
私は、父に見せてもらった。
私が彼のためにアルノー様へ近づいているという発言を撤回すること。
婚約の解消は、自分の申し出によるものだったこと。
今後、復縁を求める連絡はしないこと。
短い手紙の下に、彼の署名があった。
「夜会の言葉についても、聞いた方々へ訂正を伝えさせると、伯爵から返事が来ている」
父が言った。
「お前が、誰にも選ばれないなどと。あれは、あの男に決められることではない」
私はうなずき、手紙を返した。
「私も、一つお願いがあります」
父が顔を上げた。
「あの夜、私の話を聞いてくださった方の前で、本人に説明していただきたいです」
手紙は、ほかの方へも届く。
けれど、皆の前で言ったことを、私のいないところで取り消して終わりにされるのは、嫌だった。
父は伯母と相談し、レンザック伯爵へ申し入れた。
翌週、伯母の家に小さな席が設けられた。
招かれたのは、あの夜に私たちの話を聞き、父へ事情を伝えてくださった方々だった。
私が同席を望んだことも、先方には伝えてある。
ビクトール様は、父君と一緒に入ってきた。
私を見つけると足を止め、それから、向かいの椅子へ座った。
「ダルヴェ伯爵は、来ないのか」
「今日は、あなたが私におっしゃったことについてのお話です」
私が答えると、彼は周囲を見た。
伯母も、父も、ほかの方々も、返事を待っていた。
「婚約の解消は、僕から申し出た。彼女に非があったという説明は、取り消します」
膝の上の紙に視線を落として、彼は言った。
「誰にも愛されないと言ったことも、撤回する。実際には、ダルヴェ伯爵が……」
「ほかの方のお名前は、出さないでください」
彼が顔を上げた。
「どなたからも求婚されなかったとしても、私は、あなたとの結婚を断ります」
言い終えると、指先が冷たくなった。
それでも、扇を開いて顔を隠すのはやめた。
「そのように言えば、私が謝ると思っていらしたのでしょう。私は、あの夜の言葉どおり、婚約を解消したいのだと思って、お返事をしました」
ビクトール様は、紙を握り直した。
「……本当に、戻るつもりはないのか」
「ありません」
彼は、しばらく私を見た。
今度は、可愛げがないとは言わなかった。
「ミレーヌへの言葉は、侮辱だった。言いすぎたと思う」
父君が、息子を見た。
彼は息を詰め、それから紙を机へ置いた。
「申し訳ありませんでした」
彼が頭を下げるところを、私は座ったまま見ていた。
あの夜、彼に言い返すために、アルノー様を探した。
今日は、彼の返事を借りずに、自分の話を終えられた。
私が礼をすると、伯母はビクトール様たちへ向き直った。
「本日のご用は、これで済みましたね。お帰りの馬車を呼びましょう」
もう少し、とビクトール様が言いかけた。
けれど、伯母は給仕へ合図をし、父君は立ち上がった。
私も席を立った。
引き留める言葉は、用意していなかった。
*
アルノー様が、もう一度求婚してくださったのは、夏の終わりだった。
最初にお茶を飲んだ夜から、半年近くが過ぎていた。
伯母の家で、父と伯母も席についていた。
彼は、三年前と同じように、両家へ正式な申し入れをしてくださった。
今度は、その返事を私が直接伝えた。
「お受けします」
彼は、しばらく私を見ていた。
「……いいのですか」
「二度目のお茶を、私からお願いしたことをお忘れですか」
彼が目を丸くした。
それから、ゆっくりと笑った。
「忘れていません。ですが、あらためて言わせてください。あなたと結婚したい」
私は、膝の上の手を開いた。
「私も、本当に、あなたと結婚したいです」
伯母が目元を押さえた。
父は大きく息を吐いてから、彼へ手を差し出した。
正式な話が済むと、二人は隣の部屋へ移った。
開いた扉の向こうで、お茶の用意を頼む声が聞こえた。
アルノー様が、私の隣へ来た。
「三年前より、ずっと緊張しました」
「そうは見えませんでした」
「それなら、隠せてよかった」
彼は、上着の内側から小さな箱を取り出した。
「指輪を選ぶのは、ご一緒したかったのですが。待っていただく間、何もお渡ししないのも落ち着かなくて」
中には、銀の小さなブローチがあった。
音符でも花でもなく、二羽の鳥が向かい合っている。
私は、顔を近づけた。
「喧嘩しているのですか、この鳥」
「求愛していると、店の者は言っていました」
思わず、彼を見た。
彼は笑っていた。
「そういうことも、あるのでしょう」
私は、箱を両手で受け取った。
「大切にします」
彼が、留めましょうかと尋ねた。
うなずくと、肩の近くへ手が伸びた。
彼の指が、布越しに触れた。
それだけで、何を話していたのか分からなくなった。
「ミレーヌ様」
「……はい」
「今は、何か言い返してくださらないのですか」
私は、顔を上げた。
「近いのです」
彼は、留め具から手を離した。
けれど、少ししか離れなかった。
「嫌ですか」
私は首を振った。
彼の手に、自分の指を添えた。
廊下から足音が聞こえ、二人とも、慌てて姿勢を戻した。
伯母は入ってくるなり、私の肩を見た。
「まあ。賑やかそうな鳥ね」
私たちは顔を見合わせて、笑ってしまった。
*
婚約のお披露目は、秋の初めに行った。
レンザック伯爵からは祝いの品が届いたけれど、ビクトール様は招かなかった。
父も、アルノー様も、それでよいと言った。
あの夜会にいらした方々にも、来ていただいた。
そのお一人から、ビクトール様の手紙を受け取ったと聞いた。婚約解消は彼自身が申し出たことであり、私への言葉も、腹立ちまぎれの侮辱だったと認め、詫びる内容だったという。
伯母も、ほかの参列者に同じ訂正が届いたことを確かめてくれていた。
挨拶を終えると、伯母が私の選んだ曲を楽団へ渡してくれた。
アルノー様が、手を差し出した。
「踊っていただけますか」
「この曲は、長いとおっしゃいませんでした?」
「踊る相手によります」
私は、彼の手に手を重ねた。
広間へ出ると、彼が少し身を寄せた。
「あの夜、俺がいなければ、どうなさっていましたか」
私は考えた。
あのときの私は、傷ついていて、腹を立てていた。
誰かの前へ歩いていかなければ、あの場で泣いてしまったかもしれない。
「伯母のところへ行ったと思います」
彼は、なるほどとうなずいた。
「あなたに声をかけたのは、失礼でした」
私は続けた。
「でも、二度目のお茶をお願いしたのは、お話ししたかったからです。誰でもよかったのではありません」
彼の手が、私の背で少し動いた。
「はい」
音楽が始まった。
彼に合わせて一歩踏み出す。
私は、広間の入口を見なかった。
今ここにいない人が、私たちをどう思うか、確かめる必要もなかった。
「アルノー様」
「何でしょう」
「曲が終わったあとも、もう少し一緒にいてください」
彼が笑った。
「次の曲も、そのつもりです」
私は、一曲だけとは申し上げていません、と答えた。
彼の笑う声が、すぐそばで聞こえた。
~完~
お読みいただき、ありがとうございました。
言い合いながらも、相手の話を最後まで聞ける。そんな二人のお茶の時間を楽しんでいただけたら嬉しいです。
「面白かった」「二人のこれからを応援したい」と思っていただけましたら、評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




