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「君を愛する男などいない」と言われたので、その場で確かめてみました

作者: 黒咲かぐら
掲載日:2026/10/18

「君を妻にしたがる男など、ほかに一人もいないぞ」


 つい先ほど、私との婚約を解消したいと言った人が、そう言った。


 私は扇を閉じた。


「それでは、なぜお止めになるのです」


 ビクトール様の口元が引きつった。


「止めているのではない。忠告しているんだ」

「私が承知したのですから、もうよろしいでしょう。父には、ご自身の言葉でお伝えください」


 伯母が主催した夜会だった。

 彼は私を広間の端へ呼び、「これ以上、口答えする女とは結婚できない」と告げた。


 私は、では両家で解消の手続きをしましょうと答えた。

 すると彼は、なぜか怒った。


「そんな調子だから、可愛げがないと言っている」


 近くにいた方々が、こちらを見ている。

 ビクトール様も気づいていたはずだった。それでも声を落とさなかったのは、私が人前なら謝ると思ったからだろう。


 以前は、そうしていた。

 食事の席で意見が違ったとき。彼が私の話を途中で遮ったとき。

 もういい、面倒だと言われると、私のほうが折れた。


 けれど、結婚の話まで、そうするつもりはなかった。


「そのような私と結婚せずに済むのですから、よかったではありませんか」

「後悔しても知らないぞ。君を愛する男などいない」


 今度は、少し遠くまで聞こえた。

 楽団が次の曲へ移るまでの、静かな時間だった。


 頬が熱くなった。

 泣きたくなったのではない。

 いや、少しは泣きたかったのかもしれない。


 けれど、その前に腹が立った。


 私は広間を見渡した。


 壁際で、アルノー・ダルヴェ伯爵がこちらを見ていた。

 目が合った。

 彼は目をそらさなかった。


 三年前、この方から求婚されたことがある。

 そして私は、そのお話を断った。


「失礼いたします」


 ビクトール様へ礼をし、私は歩き出した。

 扇を握る手に、力が入っていた。


 アルノー様の前で立ち止まった。


「以前のお誘いは、まだ有効でしょうか」


 彼は、すぐには答えなかった。


「どの誘いです」

「……お茶でもご一緒しませんか、と」


 求婚のお返事を出す前に、一度いただいたお誘いだった。

 私は、それも断っている。


 彼は私の肩越しに目を向けた。

 振り返らなくても、ビクトール様が見ていることは分かった。


「今夜、一杯だけなら」


 思っていた答えと違って、私は顔を上げた。


「ただし、腹いせなら、今日のお茶だけにしてください」


 静かな声だった。


「俺は、本気なので」


 私は、何も言えなくなった。


     *


 アルノー様は、その場で私を連れ出さなかった。

 近くにいた伯母へ声をかけ、談話室を使ってもいいかと尋ねた。


 伯母は私を見て、いいわよと答えた。

 私たちと一緒に部屋へ入り、扉を開けたまま、少し離れた椅子へ腰掛ける。


「私は手紙を読んでいますから」


 伯母が目を伏せてから、給仕がお茶を運んできた。


 私は、砂糖壺を見つめていた。

 何も考えずに歩いてきたわけではない。

 少なくとも、この方なら、自分に興味を持ってくださったことがあると思った。


 それが、ひどく失礼な考えだったと、今になって分かった。


「申し訳ありません」


 アルノー様が、私を見た。


「あなたを、あの方への言い返しに使おうとしました」


 自分で口にすると、ますます恥ずかしかった。


「分かっています」


 彼は言った。

 私は顔を上げられなかった。


「だから、今夜だけにしてくださいと申し上げた」


 お茶の注がれる音がした。


「ですが、ミレーヌ様が、俺に聞きたいことがあって来られたのなら、それは別です」


 私は、少しずつ顔を上げた。


「……あります」

「何でしょう」

「どうして、私なのですか」


 アルノー様は、考えるように指を組んだ。


「三年前、求婚した理由ですか。それとも今の話ですか」

「どちらも、です」


 彼は、お茶を一口飲んだ。


「三年前は、あなたと話すのが楽しかったからです。今も、それは変わっていない」


 私は、思わず聞き返した。


「楽しかった?」


 彼とは、顔を合わせるたび、何かしら意見が違った。

 慈善音楽会で子供向けの曲を入れるか。演奏会の席を値段で分けるか。

 私が賛成すれば、彼は反対し、彼が提案すれば、私が口を挟んだ。


「いつも、言い合いになっていましたのに」

「ええ。最初の案より、たいていよくなりました」


 意地悪を言われたのかと思った。

 けれど彼は、真面目だった。


「俺が押し通したことも、あなたの案を採ったこともありました。最後まで話せる方は、そう多くない」


 私は、自分のお茶を見た。


 ビクトール様は、いつも褒めてくださった。

 婚約する前は。


 君は頭がいい。何でも話せそうだ。

 その言葉が嬉しくて、私は彼を選んだ。


 実際に婚約してみると、私が話していいのは、彼と同じ意見のときだけだった。


「婚約のお話を断ったあとも、私に腹を立ててはいらっしゃらなかったのですか」

「残念でした。腹が立ったのとは、違います」


 はっきりと答えられて、息が止まった。


「ただ、今夜のことがあったばかりです。俺と今後どうするかは、お父上とお話しになってからでも遅くない」


 私はうなずいた。

 お茶を飲もうとして、手袋を外していないことに気づいた。

 片方の指先が、うまく抜けない。


 彼はそれを見ても手を出さず、自分のお茶を飲んでいた。


 やっと外せたとき、私は少し笑ってしまった。


「今夜は、まるで何も上手にできません」

「お茶は、まだ冷めていませんよ」


 私はカップを持ち上げた。

 もう、扇を握っていなくても平気だった。


     *


 婚約解消の話し合いで、ビクトール様は、言葉の行き違いだと主張した。


 伯母は同席していた。

 広間で彼の言葉を聞いた方々も、父へ事情を伝えてくださった。


「反省してほしくて言っただけです。彼女が、こうも大げさに受け取るとは」


 彼がそう言うと、父は尋ねた。


「私の娘は、婚約を解消すると言われても、あなたのご都合に合わせて、別の意味に受け取らなければならないのですか」


 私は、父の横に座っていた。

 隣には、ビクトール様の父君であるレンザック伯爵がいる。


 父君も最初は、若い二人の喧嘩だとおっしゃった。

 けれど、私が戻るつもりはないと伝えると、息子へ顔を向けた。


「なぜ私に何も報告しなかった」


 ビクトール様は父君を見ず、私を見た。


「ダルヴェ伯爵がいるからか」


 私は首を振った。


「あなたと結婚するつもりがなくなったからです」


 アルノー様の名前を出せば、また別の話にされる。

 私は、自分の答えだけを伝えた。


 父は、先方からの申し出による婚約解消とすること、今後、私の非を理由とした説明をしないことを求めた。

 レンザック伯爵は、息子と話す時間が欲しいとおっしゃった。


 正式に解消が決まったのは、それから二週間後だった。


 その間、アルノー様から私個人へのお誘いはなかった。

 ただ、伯母のところへ、夜会で使った談話室のお礼が届いたそうだ。


「あなたに会わせてほしいとは、書かれていなかったわ」


 伯母は、手紙を畳んだ。


「だから、それは私が聞くことにします。あなたは、どうしたいの?」


 私は、少し考えた。


「もう一度、お会いしたいです」

「ビクトールに見せるために?」

「いいえ」


 その答えには、迷わなかった。


「あのお茶のとき、続きを聞きたいと思った話が、あります」


 アルノー様は、音楽会に子供向けの短い曲を入れた年のことを話してくださった。

 私の案だった。

 退屈していた子供が、帰り際には歌っていたのだと。


 彼は反対していたのに、覚えていた。

 それも、嬉しそうに話していた。


「では、ご自分でお手紙を書きなさい」


 私は、便箋を一枚いただいた。


     *


 二度目のお茶は、伯母の家の小さな客間だった。

 父にも事情を話してから、私がお願いした。


 アルノー様は、約束の時刻ぴったりにいらした。

 扉が開くまで、私が三度も時計を見たことは、伯母しか知らない。


「今夜一杯だけと、申し上げましたが」


 彼は、座る前に言った。

 私は、椅子の横で彼を見た。


「今日は、お昼です」


 アルノー様は黙った。

 そのあと、肩が少し揺れた。


「そうですね」


 私は、そこで初めて、この方が声を立てて笑うところを見た。


「あらためて、お誘いします。私と、お茶をご一緒してください」


 彼は姿勢を正した。


「喜んで」


 その日は、前に話しそびれた音楽会のことを聞いた。

 彼が反対していたのは、子供向けの曲そのものではなく、長さだったらしい。


「あの曲を全部演奏すれば、子供より先に親が帰ります」

「ですから、途中までにしましょうと申し上げたのに」

「途中から、俺がそれに賛成したことも覚えておいてください」


 言い合ってから、二人とも笑った。


 私は、音楽会のあとで届いた礼状の話をした。

 彼は、領地の学校で使っている歌の話をした。


 伯母が客間へ戻ってきたとき、まだお茶が残っていた。

 飲むのを忘れて、話していたのだ。


     *


 アルノー様とは、その後も何度かお会いした。

 王都に滞在している間だけだったから、一度別れると、次までは手紙になった。


 彼の領地は、西へ馬車で二日。

 父も伯母も、便りをやり取りすることに反対しなかった。


 彼からの手紙には、同意できることばかりが書かれているわけではない。

 私が新しい劇を褒めると、彼は以前見た公演のほうが好きだと返してきた。


 理由が四行もあった。

 私は六行で返した。


 その次の便りには、王都へ出る予定と、一緒に観劇しないかという誘いがあった。


 伯母も一緒に行った。

 幕が下りたあと、私はアルノー様の顔を見た。


「いかがでした?」

「最後の場面は、こちらのほうがよかったです」

「最初の場面は?」

「長い」

「あそこがあるから、最後がいいのです」


 伯母が扇で口元を隠した。


「続きは、馬車に乗ってからになさい」


 階段の前で立ち止まっていたことに気づき、私は慌てて歩いた。

 差し出された手を借りると、彼の手は思っていたより温かかった。


     *


 楽しい日ばかりではなかった。


 ある日の客間で、私は彼の手紙の言い方が気になったと伝えた。

 領地の学校で使う楽譜について、私が案を送ったあとの返事だった。


『実際の授業を知らないまま決めることはできません』


 その一文を、何度も読んでしまった。


「見てもいないのに口を出すなと、言われたように感じました」


 言い終わってから、膝の上で指を組んだ。

 空気を悪くしたと思った。


 彼は、私の持っていた手紙を見た。


「そのつもりではありませんでした。ですが、そう読めますね」


 私は、顔を上げた。


「学校の教師に聞いてから返事をしたかったのです。あなたの案を、見てもらうために」

「では、そう書いてくだされば」

「ええ。書くべきでした。申し訳ない」


 彼は、まっすぐ私を見ていた。

 私は、組んでいた指をほどいた。


「私も、お返事を読む前に、もう採用していただけるような気でいました。教える方の意見も、伺いたいです」

「今度、取り次ぎます」


 彼はそう言って、お茶へ手を伸ばした。


 話が終わった。

 怒鳴られることも、帰ってしまわれることもなかった。


 私は、次に何を話そうかと考えた。

 彼と会うことをやめなければならないとは、思わなかった。


     *


 ビクトール様が復縁を求めていらしたのは、婚約解消から四か月ほどたったころだった。


 父が断ったため、私はお会いしていない。

 けれど彼は、伯母の家にも足を運んだ。


「ミレーヌは、まだダルヴェ伯爵と会っているのですか」


 伯母は、その日のうちに私へ知らせてくれた。


「ええ、とだけ答えました。あなたの予定までは教えていません」


 私は、お礼を言った。


 その翌週、父とレンザック伯爵が、再び話し合った。

 婚約を戻すためではなく、私の意思を確認せず訪ねてくるのを、やめてもらうためだった。


 父は帰ってから、私に話してくれた。


 ビクトール様は、私が謝って戻るものと思い、父君への報告をしなかった。

 私が動かなければ、婚約は元のままだと思っていたらしい。


 けれど、実際には解消され、私は彼へ手紙を出さず、アルノー様と会い続けた。


 彼は、自分もすぐに別の相手を見つけると言い出した。

 父君に紹介された令嬢との席でも、私の話をしたという。


 口答えをする。

 気が強い。

 ダルヴェ伯爵と親しくしているのも、私に嫉妬させるためだ。


 相手の令嬢は、話が進む前に断った。


 その家から、レンザック伯爵へ理由が届いた。

 息子の言動を父君が知ったのは、そのときだったそうだ。


「向こうの伯爵は、次の縁談を急がせるのをやめた。家の仕事を任せる範囲も、当面は広げないとおっしゃっていた」


 私は、父の話を聞いていた。


「私のことは、何と?」

「もう話題にさせないと。お前たちへの説明を含めて、息子から伝えさせるそうだ」


 数日後、ビクトール様から、父宛てに手紙が来た。

 私は、父に見せてもらった。


 私が彼のためにアルノー様へ近づいているという発言を撤回すること。

 婚約の解消は、自分の申し出によるものだったこと。

 今後、復縁を求める連絡はしないこと。


 短い手紙の下に、彼の署名があった。


「夜会の言葉についても、聞いた方々へ訂正を伝えさせると、伯爵から返事が来ている」


 父が言った。


「お前が、誰にも選ばれないなどと。あれは、あの男に決められることではない」


 私はうなずき、手紙を返した。


「私も、一つお願いがあります」


 父が顔を上げた。


「あの夜、私の話を聞いてくださった方の前で、本人に説明していただきたいです」


 手紙は、ほかの方へも届く。

 けれど、皆の前で言ったことを、私のいないところで取り消して終わりにされるのは、嫌だった。


 父は伯母と相談し、レンザック伯爵へ申し入れた。


 翌週、伯母の家に小さな席が設けられた。

 招かれたのは、あの夜に私たちの話を聞き、父へ事情を伝えてくださった方々だった。

 私が同席を望んだことも、先方には伝えてある。


 ビクトール様は、父君と一緒に入ってきた。

 私を見つけると足を止め、それから、向かいの椅子へ座った。


「ダルヴェ伯爵は、来ないのか」

「今日は、あなたが私におっしゃったことについてのお話です」


 私が答えると、彼は周囲を見た。

 伯母も、父も、ほかの方々も、返事を待っていた。


「婚約の解消は、僕から申し出た。彼女に非があったという説明は、取り消します」


 膝の上の紙に視線を落として、彼は言った。


「誰にも愛されないと言ったことも、撤回する。実際には、ダルヴェ伯爵が……」

「ほかの方のお名前は、出さないでください」


 彼が顔を上げた。


「どなたからも求婚されなかったとしても、私は、あなたとの結婚を断ります」


 言い終えると、指先が冷たくなった。

 それでも、扇を開いて顔を隠すのはやめた。


「そのように言えば、私が謝ると思っていらしたのでしょう。私は、あの夜の言葉どおり、婚約を解消したいのだと思って、お返事をしました」


 ビクトール様は、紙を握り直した。


「……本当に、戻るつもりはないのか」

「ありません」


 彼は、しばらく私を見た。

 今度は、可愛げがないとは言わなかった。


「ミレーヌへの言葉は、侮辱だった。言いすぎたと思う」


 父君が、息子を見た。

 彼は息を詰め、それから紙を机へ置いた。


「申し訳ありませんでした」


 彼が頭を下げるところを、私は座ったまま見ていた。

 あの夜、彼に言い返すために、アルノー様を探した。

 今日は、彼の返事を借りずに、自分の話を終えられた。


 私が礼をすると、伯母はビクトール様たちへ向き直った。


「本日のご用は、これで済みましたね。お帰りの馬車を呼びましょう」


 もう少し、とビクトール様が言いかけた。

 けれど、伯母は給仕へ合図をし、父君は立ち上がった。


 私も席を立った。

 引き留める言葉は、用意していなかった。


     *


 アルノー様が、もう一度求婚してくださったのは、夏の終わりだった。


 最初にお茶を飲んだ夜から、半年近くが過ぎていた。

 伯母の家で、父と伯母も席についていた。


 彼は、三年前と同じように、両家へ正式な申し入れをしてくださった。

 今度は、その返事を私が直接伝えた。


「お受けします」


 彼は、しばらく私を見ていた。


「……いいのですか」

「二度目のお茶を、私からお願いしたことをお忘れですか」


 彼が目を丸くした。

 それから、ゆっくりと笑った。


「忘れていません。ですが、あらためて言わせてください。あなたと結婚したい」


 私は、膝の上の手を開いた。


「私も、本当に、あなたと結婚したいです」


 伯母が目元を押さえた。

 父は大きく息を吐いてから、彼へ手を差し出した。


 正式な話が済むと、二人は隣の部屋へ移った。

 開いた扉の向こうで、お茶の用意を頼む声が聞こえた。


 アルノー様が、私の隣へ来た。


「三年前より、ずっと緊張しました」

「そうは見えませんでした」

「それなら、隠せてよかった」


 彼は、上着の内側から小さな箱を取り出した。


「指輪を選ぶのは、ご一緒したかったのですが。待っていただく間、何もお渡ししないのも落ち着かなくて」


 中には、銀の小さなブローチがあった。

 音符でも花でもなく、二羽の鳥が向かい合っている。


 私は、顔を近づけた。


「喧嘩しているのですか、この鳥」

「求愛していると、店の者は言っていました」


 思わず、彼を見た。

 彼は笑っていた。


「そういうことも、あるのでしょう」


 私は、箱を両手で受け取った。


「大切にします」


 彼が、留めましょうかと尋ねた。

 うなずくと、肩の近くへ手が伸びた。


 彼の指が、布越しに触れた。

 それだけで、何を話していたのか分からなくなった。


「ミレーヌ様」

「……はい」

「今は、何か言い返してくださらないのですか」


 私は、顔を上げた。


「近いのです」


 彼は、留め具から手を離した。

 けれど、少ししか離れなかった。


「嫌ですか」


 私は首を振った。

 彼の手に、自分の指を添えた。


 廊下から足音が聞こえ、二人とも、慌てて姿勢を戻した。


 伯母は入ってくるなり、私の肩を見た。


「まあ。賑やかそうな鳥ね」


 私たちは顔を見合わせて、笑ってしまった。


     *


 婚約のお披露目は、秋の初めに行った。

 レンザック伯爵からは祝いの品が届いたけれど、ビクトール様は招かなかった。

 父も、アルノー様も、それでよいと言った。


 あの夜会にいらした方々にも、来ていただいた。

 そのお一人から、ビクトール様の手紙を受け取ったと聞いた。婚約解消は彼自身が申し出たことであり、私への言葉も、腹立ちまぎれの侮辱だったと認め、詫びる内容だったという。

 伯母も、ほかの参列者に同じ訂正が届いたことを確かめてくれていた。


 挨拶を終えると、伯母が私の選んだ曲を楽団へ渡してくれた。


 アルノー様が、手を差し出した。


「踊っていただけますか」

「この曲は、長いとおっしゃいませんでした?」

「踊る相手によります」


 私は、彼の手に手を重ねた。

 広間へ出ると、彼が少し身を寄せた。


「あの夜、俺がいなければ、どうなさっていましたか」


 私は考えた。

 あのときの私は、傷ついていて、腹を立てていた。

 誰かの前へ歩いていかなければ、あの場で泣いてしまったかもしれない。


「伯母のところへ行ったと思います」


 彼は、なるほどとうなずいた。


「あなたに声をかけたのは、失礼でした」


 私は続けた。


「でも、二度目のお茶をお願いしたのは、お話ししたかったからです。誰でもよかったのではありません」


 彼の手が、私の背で少し動いた。


「はい」


 音楽が始まった。

 彼に合わせて一歩踏み出す。


 私は、広間の入口を見なかった。

 今ここにいない人が、私たちをどう思うか、確かめる必要もなかった。


「アルノー様」

「何でしょう」

「曲が終わったあとも、もう少し一緒にいてください」


 彼が笑った。


「次の曲も、そのつもりです」


 私は、一曲だけとは申し上げていません、と答えた。

 彼の笑う声が、すぐそばで聞こえた。


 ~完~


お読みいただき、ありがとうございました。


言い合いながらも、相手の話を最後まで聞ける。そんな二人のお茶の時間を楽しんでいただけたら嬉しいです。


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