第8話 でも、水槽でデモ?
「お父さん、お父さん!
なんか、変よ!」
土曜日の昼前、包丁を持ったままのコズエさんが玄関脇の階段の下から叫んだ。
頭に鉢巻きをしたタカシが階段の手摺りに掴まりながら、パジャマのままゆっくり降りてくる。
「二日酔いで頭が痛いんだからさ、大きな声を出さないでくれよな」
ボウボウの頭髪と無精髭、皺の寄った眉根。白目が充血していて、吐く息が酒臭い。
コズエさんが前掛けで鼻を抑えながら、水槽を指差した。
「玄関の方から変な音がするなと思って来てみたら、これなのよ」
見ると、水槽の底をカニやイソスジエビ、ダボハゼたちがゆっくり行進している。先頭はマメコブシガニのマメコちゃんで、両手を元気に振って真っ直ぐ歩いている。
右端に着くと一度水槽のガラスの外を見てから左に折り返し、左端に着くともう一度外に目をやってから右に折り返した。
「何だ、こりゃ?」
カニの長老と目が合うと、タカシの顔を睨み返してきた。
「あっ、いけね。
お母さん、餌、やった?」
「やらないわよ。冷凍庫のオキアミのパックなんて、触りたくないわよ」
頭をかくタカシ。
「繁は?」
「朝早く、ご飯も食べないで、葉山にヨット乗りにいっちゃったわよ。
今頃まで寝てるあなたが悪いのよ」
タカシが下を向く。
「課長の退職祝いで、四次会まで付き合わされたからな、、、」
「そんなことより、餌!」
頭の鉢巻きを巻き直すと、台所に行って冷凍庫からオキアミが入った保冷容器を持って来る。
水槽のガラスの蓋を開けながら、中の住人に謝った。
「申し訳ない。お腹、空いたよね?」
冷凍のオキアミを小さくバラしながら蒔くと、ダボハゼのヨッシーが最初にパクつき、後から落ちていく欠片をイソスジエビのスジコちゃんが拾い、一番最後にカニたちが食べた。
水槽の後ろから長い竹の菜箸を取り出すと、水槽の右下で触手を揺らしている2匹の梅干イソギンチャクにも順番に餌やりをする。
「お父さん、お粥と素うどんと、どっちがいい?」
台所からコズエさんが叫んだ。
「俺は、いいよ。もうちょっと、2階で寝てるよ」
台所に戻ると、冷蔵庫の脇に置いてあったポカリスエットのキャップをひねり、一口飲んだ。
「人間という生き物は、学習せんのう?」
底に落ちた餌の欠片を拾いながら、長老がつぶやく。
「お酒って、美味しいんですか?」
隣りからカニのタロウが聞いた。
「そりゃ、風呂上がりにビールをキューっと飲みゃあ、人生サイコウー! ってな感じ」
ガラスの壁の上からヨッシーが大きな声で言った。
「というのを、聞いたことがある」
最後はボリュームが小さくなる。
「別に、酒が飲めなくても、人生に変わりはありゃせん。酒が飲めるからといって喜劇になり、飲めないからといって悲劇になるわけじゃない。シェイクスピアの劇には、そんな場面は出てこん。
むしろ、酔っ払って何度も鞄を無くしたサラリーマンや、酔った挙げ句に転んで前歯を折った女子学生、飲み屋のトイレの便座に座ったまま寝てしまったおばさんもおる。
夜桜見物のあと公園の草むらで寝込んでしまい、翌朝そのまま出勤した会社員もおった。
たいがい失敗するのは酒に強い者で、弱い者は失敗せん」
頬を染めてうなずくスジコちゃん。
「わしらが酒を飲まないからって、不幸か?」
頭を上下するタロウ。
「じゃあ、なんでお酒なんか、飲むんでしょうか?」
「今度、タカシに聞いてみよう!」
全員一致だ。(終わり)




