第4話 跳ねっ返りのボラの子
「俺は、どうも昔から解せないことがあるんだ。
長老は知らないことがないらしいから、ひとつ教えてもらえないもんですかね?」
玄関の右側、下駄箱の上に置かれた水槽の中で、そのガラスの壁に貼り付いて考えごとをしていたダボハゼのヨッシーが言った。
とある冬の月曜日の午後、家族全員が出払った後の青木家の玄関。
玄関の左側のピアノ部屋に置かれたケージの中では、ミニチュアダックスフントのぽんちゃんが自分の尻尾に鼻を埋めて、丸くなって寝ている。
お日様が西に傾き、玄関ドアのガラスのスリットから、穏やかな光が差し込んでいた。
ヨッシーの一言で、石に背中を預けて瞑想していたカニの長老が目を開いた。
「いつも言っとるじゃろ。
知らないことがないんじゃなくて、知らないこと以外は何でも知ってるが知ってること以外は何も知らん、って」
「どっちてもイイやィ」
「で、何を知りたい?」
ヨッシーがスルスルと水槽の底近くまで降りてきて、小声で言った。
「いやね、なんで海の中を泳いでいながら、わざわざ波の上に跳ね上がる魚がいるんだ?
とんだ跳ねっ返りだ。
長老、不思議じゃねぇか?
波の上に跳ね上がれば、鳥に食われるだけだ」
うなずく長老。
「確かに、おぬしが言うように危険なだけで、愚かじゃな」
二人の会話に気づいたマメコブシガニのマメコちゃんとカニのタロウが石の陰から顔を出した。
マメコちゃんが言う。
「以前、ボラのこどもが話すのを聞いたことがあるわ」
岸辺の近くでよく跳ねるのは、ボラのこどもだ。
「ある時、思いっきり跳ねた拍子にトンビにさらわれたお転婆の女の子がいた。
嘴に咥えられて、『もうダメだ』、そう思ったんだって。
でも、すぐに別のトンビが飛んできて、わきからその子を取ろうとしたら、咥えていたトンビが威嚇の声をあげようとして、うっかり口を開けてしまった。
おかげで、また海に戻ることができた。
オリンピックの高跳び込み状態。
真っ逆さまに、チャポン!」
胸を撫で下ろす一同。
「それで?」
ヨッシーが先を促した。
「その、空中から波間まで落ちる間に見た富士山が、とっても綺麗だったんだって。
白い帆のヨット、海岸道路を走る赤い車、砂浜の人間たちと緑の山々。
ほんの数秒だったけど、それで、彼女の人生が変わったんだって。
いつか、外の世界に出てやるって」
ヨッシーが声をあげて笑った。
「ボラの女の子が、海から出て暮らしていけるはずなんか、ねぇじゃねぇか!」
タロウが小さな声で言った。
「ぼくたちも、考えてみれば、こうして海から出て、出されてかな? ある意味、外の世界にいるじゃないですか。
望んだことではなかった。
ても、こうして皆さんと会えて、ぼく個人としては、楽しい毎日です。
世話係のタカシも、長老が心配するほど悪い人間ではないようだし、食べ物は毎日、旅行に行く時を除いてですが、ちゃんとくれますよね。
お陰で、将来のことを考える時間もとれます」
うなずくマメコちゃん。
「あたしも、いつか、ここを出たいな。
ここは嵐もないし、日照りもなくて住み心地は悪くないけど、やっぱりガラスの中よね」
長老は、頬杖をついたままだった。(終わり)




