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第2話 トンマなイソギンチャク

「アオキ・タカシさんに、郵パックの着払い荷物です」

 2月も暖かな陽気の午後、玄関に出てきたタカシに向かって、郵便局の配達員が言った。

 カタシは、水槽の脇に置いてあるシャチハタの印鑑を彼に渡すと、代わりに重そうな荷物を受け取り、長財布の中から代金を支払った。

 水槽の中のタロウから財布の中が見えたけれど、払い終わると中身はほとんど残っていない。

 配達員がいなくなったのと引き換えに、青木家の息子が帰ってきた。

「ああ、シゲル、お帰り」

 右手にいつもの青いプラスチックのバケツを下げている。

「荒崎に行ったらさ、トンマなイソギンチャクがいてさ、小石の上にくっついてんの」

 シゲルがタカシにバケツの中を見せる。

 イソギンチャクは普通岩にくっついているから、引きはがして持って帰るなんてできない。

 ところが、そいつは岩と間違えて磯の小石にくっついていたもんだから、シゲルにひょいっと拾われてしまったのだ。

「ね、トンマでしょ?」

 もう一度シゲルが言った。


 ザザーッ。

 バケツから水槽に入れられると、そのイソギンチャクは石ごと右の隅の循環水が降りてくるパイプの下に転がっていった。

 シゲルが心配そうな顔を水槽のガラス壁に寄せていたけれど、イソギンチャクの頭の上の触手が水流になびくのを見て安心したようで、静かに笑うと炬燵の部屋に入って行った。

 二人がいなくなるのを見届けた皆が、小石に集まる。

「大丈夫かい?」

 最初に声をかけたのはカニの長老だ。

 イソギンチャクは腰を触手でさすりながらイソイソと言った。

「お騒がせしました。銀ちゃんって呼んでくださいね」

 また、新しい仲間がひとり増えたけれど、男子か女子か分からないし、年齢も不明だった。おばさんのようでもあるし、意外に若いのかもしれない。


 困ったのは食事だ。

 タカシが毎朝、ガラスの天井を開けて、冷凍のオキアミのを水槽に落としてくれる。

 パラパラと落ちる欠片に最初に喰らいつくのはダボハゼのヨッシーたちで、彼らは食べたいだけ食べることができる。

 彼らがパクパクしている間に底まで落ちて来た欠片の残りを、タロウや長老たちが拾って食べるのだ。

 でも、銀ちゃんについて言えば、彼/彼女の触手に捕まるようなトンマな生き物はこの水槽にはいないし、上から降りてくる水流が邪魔して、餌の欠片が触手までは流れて来ないようなのだ。腰を下ろしている小石の場所が悪いのか。

 日に日にやせ細る銀ちゃん。

「あー、お腹空いた!」


 その叫びが炬燵まで聞こえたのか、ある日ガラスの外から中をジーッと見ていたタカシが、ガラスの天井を開けると、長い割り箸を使ってオキアミを1匹丸ごと銀ちゃんの口に入れた。

「ギョギョッ!」

 聞いたことのない歓喜の叫びが水槽の中に響いた。何事が起きたかと、岩の後ろから身を乗り出した長老以下一同の目が点。

 涼しい顔のタカシが、続けて2匹目のオキアミを銀ちゃんに餌付けする。

「ギョエー!」

 再び歓喜の雄叫びをあげると、銀ちゃんがもりもりと食べた。


 さて、その夜だ。奇妙なことが起きた。

 玄関の明かりが消え、茶の間の炬燵から人間たちが皆2階に行っていなくなると、銀ちゃんがぼそっとつぶやいた。

「あたし、身体中が熱い気がする」

「食べ過ぎだよ。少し太ったんじゃねぇ?」

 恨めしそうにヨッシーが言う。

「ああ、今度は身体中が痛くなってきた。

 なんか、身体がもげそう」

 言ってる意味が不明だけれど、心配そうに見守る一同の前で、銀ちゃんの体にゆっくりと変化が現れた。

 円筒形の、上から見れば丸い体が左右両側から引っ張られるように楕円形になったかと思うと、真ん中の部分が両側から凹み始め、8の字のようになってきた。

「あー、体が裂ける!痛いー!」

 水槽の全員が両手で耳を塞ぐ中、銀ちゃんの悲痛な叫び声が続く。とても寝ていられるような状況じゃない。心配する皆が銀ちゃんの周りに集まってきた。

 時計が深夜を回ると、銀ちゃんの呼吸が荒くなる。

 長老がそばで声を掛け続けた。

「よいか。ヒッ、ヒッ、フー、ヒッ、ヒッ、フー、じゃぞ」

 まるでお産婆さんだ。

 言われるがままに出産時のラマーズ法の呼吸を続ける銀ちゃんの体の中央部分が、どんどん凹んでいく。

「ああっ、千切れる!」

 とうとうその叫びと共に、銀ちゃんの身体が2つになってしまった。

 突然訪れた静寂の中、2つの声が同時に聞こえた。

「銀太です」

「銀子です」

 銀ちゃんを少し小さくしたイソギンチャクの双子の子供が、仲良く小石の上に並んでいた。妹の頬にがある。

 ヨッシーが生つばを飲み込む音が皆にも聞こえた。

「初めて見たよ。これが噂に聞いた個体分離か」


 翌朝、玄関の外の郵便受けに新聞を取りにきたタカシが何げなく水槽の中を見て首を傾げた。

 最初は左に傾け、90度まで曲げるとひょいっと戻す。今度は右に傾け、また90度まで曲げると、そのまま小石の上の2つのイソギンチャクを眺めている。

 タカシが不意に叫んだ。

「シゲル! なんか変だぞ!」

 ドタドタと、二階から降りてくる足音がした。(終わり)

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