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第10話 山中湖の山荘

「ただいまぁ」

 10月も下旬の日曜日の午後、玄関を開けて帰って来たのはタカシだった。

 カニの長老が、水槽の中で寝そべったままクルッと目だけ回す。

 コズエさんが出迎えた。

「お父さん、お帰りなさい。お山はどうだったの?」

「うん、もう紅葉が始まりかけてた」


 タカシは山中湖に山荘を持っていた。

 もう20年近く前になるけれど、なんだかんだと家の荷物が増えて置き場に困り、レンタル倉庫を借りるか悩んだあげく、なんと山中湖の古い山荘を借りることにしたのだった。

 標高1,057メートル、山中湖を見下ろす南斜面の三美ヶ丘という山荘地内にある。

 自宅のある三浦半島から、高速を使わずに2時間半で行けるという近さが魅力的だった。

 同じ標高1,000メートル級の高原でも軽井沢や八ヶ岳だと車で飛ばしても4時間半はかかってしまい、荷物の出し入れのために日帰りで行くことはできない。

「だって、レンタル倉庫の借り賃と同じ借り賃で、山中湖に山荘を借りれるんだぜ?」

 確かにレンタル倉庫も安くなく、月額1万5千円払えば年額18万になる。とは言っても、山荘の借り賃がそれで済むはずはない。

「だって、電気代や水道代もかかるんでしょ?」

 コズエさんの突っ込みが続く。

「まあ、月に1回温泉旅行に行くことを考えれば、旅館代やホテル代に比べて破格に安い。温泉だって近くに2つある。

 しかも、割安になる温泉カードも手に入って、大人1人900円のところが700円で、家族5人まで一緒に入湯できる。

 石割(いしわり)の湯の露天風呂からながめる富士山が絶景なんだってさ。

それにレンタル倉庫に比べれば、はるかに収納スペースが広い。レンタル倉庫5つ分はあるぞ」

 不動産屋からもらった部屋の配置図を見せると、12畳のリビングを挟んで右に8畳の和室と左にも10畳の和室。

 ゆるやかな斜面に建つ木造の平屋で築30年だけれど、南向きのため室内が明るく、屋根付きのベランダが広くて涼しそうだ。

 リビングの真ん中には、煙突付きの大型石油ストーブがどんと置かれている。これで家一軒を暖めるのか。ホットカーペットを敷くといいかもしれない。

「夏はいいけど、冬は寒いんじゃない?」

 コズエさんの顔が暗くなる。

「そう。札幌より寒いらしい。札幌は冬でも氷点下10度くらいなものらしいけど、標高1,000メートル近い山中湖はマイナス15度を下回る時もある。

 とは言っても温暖化の影響もあって、昔は湖面全体が凍ったらしいけど、今はそんなことはない。

 ワカサギの穴釣りが有名だよね。ワカサギの唐揚げランチは最高だよ!」

 穴釣りは、凍結した湖面に穴を開けてそこから釣り糸を下ろしてワカサギを釣る冬の風物詩だ。釣った魚を唐揚げにして食べさせてくれる料理屋もある。

 唐揚げランチはワカサギがお皿に山盛りで出て来て、こんなに食べるんですかというほどだけれど、それがまた食べれてしまうのだ。

 山荘借用については、結局タカシの強い押しと温泉、それに美味しい食事に負けてコズエさんが同意したのだった。ルールは2つ。タカシのお小遣いの範囲でまかなうことと、現地では女性が料理や掃除などの一切の家事労働をしないこと、だ。

「専用のテニスコートが、山荘のすぐ近くにあるんだ」

 コズエさんがガッツポーズした。

 その後、大学院に行った娘のみどりの研究関連図書がダンボールで50箱運び込まれることになり、息子の繁が制作するM100号の絵画の置き場にもなって、倉庫としての面目躍如となったのだ。

 金曜日の午後5時半に職場を出てそのまま車を飛ばし、8時過ぎには隠れ家的な石割の湯の露天風呂にひとりで浸かって「君といつまでも」を口ずさむというパターンが、タカシにとって無上の幸福感をもたらした。

「西側の林が邪魔になって、ちょっと富士山が見えないんですよね」

 現地を案内してくれた不動産業者が申し訳なさそうに言ったけれど、タカシは気にしなかった。

「いいんです。富士山はわが家から毎日見えてますから」

 確かに、三浦半島西岸にある深井町の自宅3階のタカシの部屋からは、住宅の屋根の遥かむこうに富士山を見ることができる。

 山荘のベランダからは、冬になり木々の葉が全部落ちると、かすかに山中湖の湖面を見下ろすことができた。


 タカシは、今回、自宅の夏物衣類を収納コンテナ4つにまとめて山荘に持ち込み、逆に山荘から冬物のコートなどを持ち出したのだった。

 山荘には大型の除湿機が台所のシンクの脇に置かれ、湿度が65パーセントを超えると自動的にスイッチが入り室内を除湿するようになっている。排水は除湿機からホースでシンクに流す仕組みだ。

 平均気温の低さに加えて湿度を抑えることで、カビがはえる心配は全くない。

「ベランダで朝飯を食べてると、朝陽の中を枯れ葉がハラハラ落ちるんだ。

 夜なんか、雨が降ってるのかと思うほど、屋根に落ちる音がする」

 トタンで出来た屋根は軽く山荘に向いているけれど、雨音もよく聞こえるのだ。

 タロウが寄ってきて、長老の脇に並んで頬杖をつきながらタカシの話に耳を傾ける。


「春から初夏にかけて草がどんどん生い茂り、トトロの映画の中の草みたいに、あっという間に伸びるんだ。

 でも、秋なると草も枯れて、全ての葉が落ちて林が丸裸になる。それを毎年繰り返すんだ。

 生えて、枯れる。その繰り返し。草刈りなんか、する意味ないよね。どうせ枯れるんだから。

 何のために生えるのか、考えてしまう。どうせ枯れるなら、生える必要ないじゃん?」

 三浦半島は暖かいから常緑樹が多く、落葉を見たり枯れ葉を踏みしめる体験をすることがない。

 コズエさんは腕を組みながら聞いていた。

「そうよね。生えて、枯れるんだけど、でも毎年同じところに戻るわけじゃない。

 木だったら、年輪がひとつ増えるわよね。

 同じことを繰り返しているように見えても、実はそうじゃない。去年の今日と今年の今日は、まったく同じじゃないのよ」

「おれたちもそうか?」

 二人が目を合わせた。

 水槽の中では、長老とタロウが目を合わせた。(終わり)

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