行政が来た。詰んだ。
行政の人は名刺を出した。
名刺には、ちゃんとした文字が並んでいた。
ちゃんとした文字というのは、読むだけで心拍数が上がる文字のことである。
「本日は状況確認に伺いました」
状況。
翼竜が倉庫にいるのも、蛍光灯が割れてるのも、梁が削れてるのも、全部“状況”に丸められる。
行政の“状況”は、現実を圧縮する技術だ。zipファイルみたいなものだ。開くと死ぬ。
社長が言った。
「空を押さえた」
行政の人は言った。
「それは置いときまして」
置いとくんだ、空を。便利だな。
行政の人は倉庫の中を見た。
粉。段ボール。配線。割れた蛍光灯。
天井の穴。
そして天井付近の“広くなった空”。
キィ……と鳴いた。
行政の人の視線が、ほんの一ミリだけ上に動いた。
行政が一ミリ動くのは、地殻変動に等しい。
「……こちらは」
行政が言葉を探している。
言葉を探す行政は、所管が迷子である。
社長が助け舟を出す。
助け舟という名の沈没船を。
「プテラノドンです」
行政の人は一秒止まり、次に、書類の世界へ逃げた。
「えー……“プテラノドン”ということですので……」
いや、認めるな。
学術の敗北が早い。
行政の人はポケットから端末を出した。
スマホではない。公用の端末だ。
公用の端末は、画面が小さい。
小さいのに、世界を動かす。最悪だ。
「……危険動物……」
「……特定動物……」
「……鳥獣保護……」
「……家畜伝染……」
独り言がだんだん呪文みたいになってきた。
私は思った。
行政は“検索”ではなく“照会”で動く。
照会とは、電話をかけることだ。
電話とは、人類の愚かさの集大成である。
行政の人は、ついに電話をかけた。
しかもスピーカーではない。
受話器でもない。
端末に向かって、静かに話す。
まるで、翼竜を刺激しないように。
「すみません、そちら“翼竜”って担当ですか」
担当。
担当って、万能の切り札だ。
分からないことを“担当”に投げるために人類は組織を作った。
電話の向こうから、何か言われたらしい。
行政の人は頷く。
頷くが、目が死んでいく。
所管が、増えている。
「……畜産ではない」
「……環境でもない」
「……危機管理?」
「……危機管理って何でも屋では……」
危機管理。
うちで言うIT担当みたいなやつだ。
つまり最後はそこに来る。
そのとき、鬼塚さんが横から言った。
「じゃあ、危機管理は俺らやな」
現場は強い。
強いが、強さの根拠がいつも“ノリ”だ。
社長が言った。
「いや、危機管理は彼や」
社長の指が、私を指した。
視線が集まる。
行政の人も、テレビのスタッフも、翼竜(仮)も見ている気がする。
全方向から責任が飛んでくる。
行政の人は、にこやかに言った。
「では、窓口はあなたで」
窓口。
窓口とは、責任の入口である。出口はない。
「まず、立入制限をお願いします」
行政の人は続けた。
立入制限。
具体的に言うと、“ここから先は危ないので入らないでください”を、危ない場所に貼るという作業である。
危ない場所に近づいて貼る。
合理性が死ぬ音がした。
鬼塚さんが即答した。
「赤テープでいけます?」
行政の人は一瞬考えて、負けた。
「……暫定措置としては」
行政は“暫定”が大好きだ。
暫定は永遠になれるから。
鬼塚さんは倉庫の端から赤テープを引っ張った。
ビヨーーン。
その瞬間、翼竜(仮)が首を傾けた。
そして赤テープを、くちばしでつついた。
プツン。
赤テープが切れた。
翼竜(仮)は勝った顔をした。
勝った顔というのは、たぶん私の妄想だ。
でも、現実はだいたい妄想よりひどい。
鬼塚さんが言った。
「……じゃあ二重に」
赤テープでレイヤリングするな。
セキュリティか。
二重、三重。
赤テープの結界ができた。
結界。
現代日本の結界は、札ではなく赤テープである。
行政の人が、優しく言った。
「その措置、写真で記録してください」
来た。記録。
現代は、やったことより撮ったことが強い。
私はスマホを出した。
さっきは業者が出した。次は俺だ。
人類はスマホを持ってから、だいたい同じことしかしなくなった。
パシャ。
赤テープ。
パシャ。
粉だらけの床。
パシャ。
翼竜(仮)の影。
このへんで、行政の人が急に言った。
「……すみません、影は撮らないでください」
え?
「影は、証拠能力が……」
影、証拠能力ないんだ。
じゃあ私はいままで、影みたいな人生を何年やってきたんだ。
行政の人は咳払いをして、紙束を取り出した。
紙束は、翼竜より重い。
物理ではない。精神的に重い。
「こちら、様式です」
様式。
様式は、行政が投げる呪いの札だ。
『飼養施設点検票』
『防災・避難計画書』
『近隣説明資料(ひな形)』
『苦情対応記録票』
『逸走時対応計画書』
逸走。
まだ走ってないのに、逸走扱いだ。
行政は未来に厳しい。
厳しいが、いま目の前にいる翼竜には“所管がない”。
私は紙束を受け取った。
紙の角が手に刺さった。
紙は刃物だ。合法的な。
社長が言った。
「ほら、道筋できた」
道筋。
それは道筋じゃない。
一本道に見せかけた、書類の迷路だ。
行政の人が最後に言った。
「あと、“正式名称”を」
社長が言った。
「プテラノドンです」
行政の人が言った。
「“仮”は、様式に入れられません」
私は言った。
「じゃあ、“仮”を外せばいいんですね?」
行政の人は頷いた。
頷いたが、すぐ気づいた顔をした。
遅い。
社長が笑った。
「ほらな。仮を外したら本物や」
行政の人が、書類の世界から落ちかけている。
危ない。行政の人が正気を失うと、照会先が増える。
キィ……キィ……
翼竜(仮)が鳴いた。
行政の人は、最後のプライドで言った。
「……では、本日付で“立入制限”をお願いします」
本日付。
行政は本日付で人を殺す。胃を。
私は思った。
市場は物語で動く。
役所は様式で動く。
そして弊社は――
赤テープで空を押さえる。
押さえられるか、そんなもん。




