表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

空を押さえろ

弊社は中小企業である。

中小企業である、という事実は、梅雨時の段ボール箱のごとく、触れた瞬間にぐにゃりと自尊心を歪める。だが同時に、優れた柔軟性も示す。要するに、弊社はぐにゃぐにゃしている。弊社は『だいたい何でもやる』ことで生き延びてきた会社で、社内のIT担当といえば私だ。なお、私はIT担当であると同時に、総務であり、営業であり、紙詰まりの直し係でもある。


具体的に言うと、朝イチで工場から「パソコンがログインできん」と呼ばれて、行くとCapsLockが押されている。昼には総務から「Web会議の音が出ない」と呼ばれて、行くとミュートになっている。夕方には営業から「客先に今すぐ出す見積のPDFが開かない」と泣きつかれて、なぜか私が電話しながら印刷機の紙詰まりを直している。そういう会社だ。


そんな弊社が東証一部(※呼称がどうであれ、我々の心象風景では“東証一部”が最も眩しい)に上場することになるなど、誰が信じようか。いや、信じない。

だが、世の中には信じた者だけが拾える宝がある。宝とはつまり、プテラノドンである。




ことの発端は、会議室のホワイトボードに書かれた社長の一行であった。


「空を押さえろ」



私は何か比喩だろうと解釈した。物流を押さえるとか、クラウドを押さえるとか。

しかし社長は比喩を憎んでいる。彼は現実しか愛さない。現実を愛しすぎて、時々現実が破れる。


「空を押さえる。つまり翼や。翼を握った会社が勝つ」


そう言って社長は、机の引き出しから古びた図鑑を取り出した。恐竜図鑑である。表紙には、翼竜が夕焼けの空を飛んでいる。


「プテラノドンや」


社長の目が光っている。蛍光灯の反射ではない。

私はこの時点で、嫌な予感がした。弊社はこれまでにも、フリーズドライ納豆を宇宙食に売り込んで“新市場”を作ろうとしたり、給湯室のコーヒーかすを「循環型オフィス肥料」として事業化しようとしたりしている。ノウハウなんてないのに、企画書の表紙だけは妙に強い。


「社長、プテラノドンは絶滅してますよ」


私は勇気を出して言った。

社長は鼻で笑った。


「絶滅はな、供給が止まってるだけや」


供給が止まっているだけ。これほど無邪気で、これほど恐ろしい発言があるだろうか。

人類史はだいたい、このタイプの無邪気さによって進んできたし、滅びかけてもきた。


翌週、弊社は「プテラノドン養殖プロジェクト」を立ち上げた。

プロジェクトと言えば聞こえがいいが、実態は社長が勝手に始めた“部活動”である。部員は私と、経理の山本さんと、工場の班長である鬼塚さんの三名。鬼塚さんは人間だが名前が鬼塚なので、すでに物語の質感がおかしい。


「養殖って、何をどうやって…」


「まず卵や」


社長はきっぱり言った。

卵。そりゃそうだ。翼竜が卵生かどうか、私は知らない。でも卵は希望を感じさせる。卵には未来が入っている。冷蔵庫に入れたら、賞味期限も入っている。

しかし卵はどこにあるのか。


社長は、さらにきっぱり言った。


「買う」


買えるのか。

この時点で私は、現実が破れ始める音を聞いた。ピリピリと、ラップが裂けるような音である。


ところが世の中には、買えるものがある。

それはインターネットという巨大な闇市のおかげである。私は検索した。「pteranodon egg for sale」。

すると出てくる出てくる、出てくる。出てくるが、どれも怪しい。怪しいが、社長は怪しさを「伸びしろ」と呼ぶ。


結局、弊社は「太古生物復元研究所(仮)」という名前のサイトから、卵らしきものを三つ買った。

届いた箱は、妙に軽い。中身は、乾燥させた石のようだった。

社長は言った。


「ほら卵や」


私が言った。


「石じゃないですか」


社長は言った。


「卵いうのはな、石みたいなもんや。硬い意思や」


会話が比喩になった。社長が比喩を使った。危険信号である。


卵(石)を孵すため、弊社は倉庫の片隅にインキュベーターを作った。

インキュベーターというと格好がつくが、実態は中古の業務用冷蔵庫に、温度調整器をつけただけである。冷蔵庫なのに温める。これが弊社のやり方だ。矛盾を抱きしめて前へ進む。


温度管理は私が担当した。IT担当だからである。

IT担当とは、要するに「よくわからんが機械を触れる人」であり、機械の責任を負う人である。冷蔵庫の責任も負う。


三日目、冷蔵庫が鳴いた。

ピッ、ピッ、ピッ。

異常温度アラームである。


私が駆けつけると、冷蔵庫の扉がわずかに膨らんでいた。

私は息を呑んだ。

山本さんは、さらに息を呑んだ。

鬼塚さんは、息を呑む代わりに扉を蹴った。


「開かんぞ!」


開かない。内側から押されているのか。

中で何かが動いている。

いや、動いているというより、羽ばたいている。


社長がやってきた。スーツのまま。ネクタイを締めたまま。

社長は扉に耳を当てて、にやりとした。


「鳴いてる」


確かに、かすかな鳴き声がする。

キィ……キィ……と、金属が擦れるような。

いや、金属が擦れるのは冷蔵庫の方かもしれない。

しかし社長は確信していた。確信とは、科学より速い。


鬼塚さんが再び蹴る。

山本さんが経理的に止める。


「壊したら減価償却が…」


その瞬間、扉が内側から突き破られた。

白い粉と、温かい蒸気が吹き出す。

そして、何かが飛び出した。


それは、翼だった。

翼は、段ボールと配線と、弊社の希望を薙ぎ倒しながら広がった。

倉庫の天井にぶつかり、蛍光灯を割り、粉を舞い上げた。

その姿は――プテラノドン、である。たぶん。少なくとも、鳥ではない。コウモリでもない。鶏肉の未来でもない。


社長は叫んだ。


「上場や!!」


私は叫んだ。


「まず安全管理してください!!」


だが社長の耳には、上場しか入らない。

プテラノドン(仮)は倉庫を旋回し、会社のロゴが入った垂れ幕をくちばしで引き裂いた。

会社のロゴは、弊社が数年前に作った「無限大に成長する矢印」だったが、現実に引き裂かれて二本のただの線になった。


翌日、噂は広がった。

「中小企業が翼竜を飼っている」

噂はだいたい誇張されるが、今回は誇張が追いつかない。

テレビ局が来た。YouTuberが来た。行政が来た。

そしてなぜか、ベンチャーキャピタルが来た。


ベンチャーキャピタルの男は、弊社の倉庫を見て言った。


「これ、ストーリー強いですね」


社長は誇らしげに頷いた。


「空を押さえた」


私はその瞬間、悟った。

市場とは合理性だけで動かない。市場とは物語で動く。

物語を信じる者が、資金を呼ぶ。資金が、さらに物語を肥大させる。

そして物語が、現実を引きずり回す。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ