第99話:ホームシックと味噌汁
一一月。ボストンの冬は早い。
一六時には日が沈み、気温は氷点下になる。
日照時間が減ると、セロトニン(幸せホルモン)の分泌が減る。いわゆる「冬季うつ」のリスクが高まる時期だ。
エマの元気がなくなってきた。
ドラムの練習にも身が入らない。部屋で膝を抱えてぼんやりしていることが増えた。
「……日本にかえりたい」
エマがポツリと言った。
「こっちは寒いし、暗いし、給食のピザもおいしくない……おばあちゃんに会いたい……」
ホームシックだ。
どんなに才能があっても、彼女はまだ六歳の子供。異国の環境変化はストレス以外の何物でもない。
「ビタミンDのサプリは飲ませてるけど、メンタルのケアが必要ね」
私は決心した。
伝家の宝刀を抜く時だ。
私は日本から持ってきた「乾燥麹」と「大豆」で仕込んでおいた、自家製味噌を取り出した。
そして、チャイナタウンで仕入れた薄切り豚肉、根菜、こんにゃくをごま油で炒める。
ジュワァ……。
香ばしい香り。
出汁(かつおと昆布の合わせ出汁)を注ぎ、最後に味噌を溶き入れる。
**「特製・具だくさん豚汁」**の完成だ。
キッチンから漂う、懐かしくて温かい発酵食品の香り。
その匂いは、部屋にこもっていたエマの鼻孔をくすぐり、本能を呼び覚ました。
「……ママ? いいにおい」
「さあ、お食べ。日本のスープよ」
エマは椀を持ち上げ、汁を啜った。
五臓六腑に染み渡る、アミノ酸の旨味。
「……おいしい……っ」
エマの目から、大粒の涙がこぼれた。
一口飲むごとに、凍っていた心が解凍されていく。
「あったかい……日本のアジがする……」
その時、ドアがノックされた。
隣に住む台湾人の留学生と、上の階のフランス人の老夫婦だった。
「Smells so good! What are you cooking?(すごくいい匂いだ! 何を作ってるんだい?)」
味噌の香りは、ダクトを通じアパート中に拡散していたらしい。
私は笑って、彼らも招き入れた。
その夜、一ノ瀬家のリビングは、豚汁をすする多国籍な人々で溢れた。
「Miso Soup, Amazing!」と絶賛する彼らを見て、エマも誇らしげに笑っていた。
胃袋が満たされれば、心も満たされる。
私の「腸活理論」は、ボストンの冬にも勝ったのだ。
(続く)




